第六章 3
俳優夫婦は、墓にそなえものをして手を合わせると、言葉を交わすことなくゆっくりと墓地を去っていった。てっきり二人のあとを追いかけるのだと思ってたのに、幸平は二人が墓を離れたあとも、備えられた花や線香を見つめながら、石段のふちにぼんやりと座っていた。話しかけても『ほっといて』以外何も言わないので、僕は軽く辺りを飛んで、周りの墓石を見てきた。お参りする人はちらほらいたが、ユーレイは一人もいないようだった。
墓場にユーレイなし。新発見だ。
「追いかけなかったの?」
戻ってきたら幸平はまだぼんやりしていた。話しかけてみる。
「たぶんまっすぐ東京に帰るはずだよ。いつもそう」幸平がぼやいた「墓参りなんて誰が考えたんだろうね。死んだ人間はみんな消えてどこにもいないのに。祈ったって届きゃしないのに……」独り言のようにぼやいている幸平は、まるで自分の世界に入ったまま出て来れないようだ「あの二人、何しにここに来てるんだと思う?」
「は?えーと」いきなり質問されてもわかるわけがない「幸平の、えーと」
情けないことに答えられなかった。墓参りって何しに行くんだったっけ?死んだ人を思い出す、弔う、そんなとこか?前に誰かが『死んだ人を思い出してあげるのが供養だ』って言ってた気がするな。それを幸平に言うと、
「僕はその『思い出す』に苦しめられてるんだけど、わかんない?」
と言ってこちらを睨んできた。声も神経質にとがっていた。
「そう言われてもなあ……」僕は幸平の隣に座った。今日は朝からびっくりしてばかりで頭がぐらぐらする。死んでるのに「誰も来ないよりいいんじゃない?だいいち、あの二人に会いに来たんでしょ、幸平は」
「そうだけど、違う」
「どういう意味?」
「僕がもし生きていたら、新橋君になっていたはずなんだ。生きている自分を見ているようなものなんだよ」
「は?」
「二人ともそのことをわかってる。それで、ここに来る。でも、僕がまだここにいるのがわからない」
幸平が急に空に浮かんだ。あわてて後を追う。来たときの超ハイスピードと違って、ゆっくりと、お寺のような屋根の建物に向かっていくのがわかった。
「幸平、どういうこと?生きてたら新橋って?」
「新橋君は」向こうを向いたまま幸平が言う「僕が生きてたら進むはずだった道にそのまま乗っただけなんだ」
「だから、それ、どういうことだよ?」
寺の屋根の上に僕らは降りた。寺だと思ったらただの集会所だった。窓から見える建物の中は喫茶店になっているようだ。テーブルと椅子が並んでいて、お年寄りがコーヒーを飲んでいるのが見える。
「二宮由希がはじめて子役でテレビに出たの、いつか知ってる」
「知ってるわけないだろ、生まれてないんだぞ」
「一歳のとき。僕も子役はやってたけど、五歳からだから、かなり先輩なんだな、由希は」
まるで自分の彼女でも自慢しているような口ぶりだ。僕は少し怖くなってきた。
「幸平、役者やってたの?」
「十歳くらいまで子役やってたよ」幸平が笑った「ていうか、生まれてから、それこそ、死んだ今でも、ずっと演技しっぱなしだね」
どこか自虐的な響きのある言い方だった。僕は黙って次の言葉を待った。
「物心ついたときから演技に夢中だったんだよ。自分自身でいるより空想の役になりきっていることのほうが多かった。自分の人生より、演技した台本の内容のほうが記憶に残ってるくらいでさ。
由希は近くに住んでいて、いっしょによく遊んでたし、親が二人とも子供を役者にしたがってたからね、会う機会も多かったんだよ。由希のいとこのお兄さんと遊んだこともあったね。ただ、このいとこのお兄さんが自殺したんだ」
「何で?」
「知らない。前からひねくれてたらしいよ。小さかったからわからなかった。僕らの前ではただの優しい兄ちゃんだった。でも、僕が大きくなって子役を辞めた頃から、少しずつわかってきたんだ」
「何が?」
「そのお兄さんがどうして自殺したか」幸平は無表情で話し続ける「友達はいない。由希はずっと役者を続けているからめったに会わない。一日中ヒマで本を読んでいた。だんだん、僕は何で生きてるんだろう、何で兄ちゃんは死んだんだろうって考え込むようになった。ほとんど人とは話さないで考え事ばかりしていた。親が様子がおかしいって言い出して、よく病院につれていかれるようになったけど、体はどこも悪くないんだよね。そのうち親にもほっとかれるようになった。人と話す気も全くなくなった。きっと兄ちゃんもこんな生活してたんだなあって思った。
それでも由希とはけっこう話はしてたんだ。由希のお母さんは、娘を女優にするために全人生を注ぎ込むような人だったから、由希は役者を続けないといけない。でも本当は嫌だったんだよ。よく泣きながら電話してきて、僕がのんびりしているのを羨ましがっていた。僕としては逆に由希が羨ましかったんだけどね」
「うまくいかないもんだね、世の中」
「そうそう。中学に入ってから僕は演劇部に入ったんだ。そこで、それこそ演劇に命かけてるようなへんな友人ができた。そいつは今では演出家になってるよ。由希も仕事の合間に参加しに来てた。面白かったね。僕、十四年しか生きていないけど、あの部活動が一番楽しかったな」
「あのさ、さっき言ってた、新橋の話は?」
懐かしそうに話し続ける幸平には悪いが、僕はあまり子供の話は好きじゃないので、核心を聞きたかった。一体何が言いたいんだ?幸平は。
「つまりね、僕が死なないで生きていたら、今、新橋五月っていう俳優は存在していなかったはずなんだ」