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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第六章 2

 次の朝。起きたら幸平がどこにもいなかった。いつもなら屋根の上か部屋で寝てるはずなんだけど。仏壇の部屋にもいないし、梶村さんも今朝は会っていないという。湖に行ってみたら、向こう岸の上空に人影が見えた。

 あんなところを飛べるのは幸平しかいない!僕は後を追っていくことにした。

 幸平は隣町との境界線まで飛んでいって止まった。いつか壁をやぶろうとしてパントマイムして失敗した地点だ。壁に手をあてるようなしぐさをしている。何をしてるんだ?

 と、幸平の手から突然、白い線が放射状に散った。

「幸平?」

 声をかけた瞬間、幸平がこちらを向いたのと同時に、手元の線がまるでガラスの亀裂が崩壊したみたいにばらばらに分解して、雪が降るみたいに落ちていった。白いかけらがはるか下の地上に向かって消えていく。

「岩本君」幸平の顔は明らかに動揺している「いつからそこに」

「今の何?」

「今のは……しょうがないや!ついてきて!」

「ついてきてって?」

 幸平はその割れたところから、町の境目を飛び越えて隣町へ飛んでいく……つまり、町から出て行ったのだ!信じられないと思いながら、僕もその割れ目らしきところを通過した。隣町の上空を飛んで幸平を追いかける。

 追いかけながら僕は怒鳴った。

「なあ!どういうこと?今の何だよ!?」

「見てりゃわかるでしょ!壁を壊して外に出れるってこと!僕の能力なの!」

「何だってえええええ!」

 そんなことは、この町に来てから半年になるが、一度も聞いたことがない!

「ちょっとスピード上げるから、ついてきてよ!」

 幸平はいきなり超高速ではるか向こうに消えていく、僕もあわててスピードを上げるが、こっちは気温を肌で感じてるから、高速で飛ぶと寒くてなかなか追いつけない。十月の北海道の、しかもかなり上空だ。もしかしたら零度近くまで下がっているかもしれない。

 だいいち、町の外に出れるって何だよ?最初僕がこの町に来たときには、わざわざ透明な壁に激突させて『外には出れない』って信じ込ませたんじゃないか!それが、それが……。

「何でこういう大事なことを黙ってるんだよ!」僕は怒りに任せておもいきり怒鳴った「今までどれだけ悩んだと思ってんだ!外に出れるならさっさとみんなに教えろよ!」

「わかったって!悪かったって!」幸平が怒鳴り返してきた「でも、他の三人は僕より行動範囲が狭いでしょ!どうせ出られないんだよ!だったら黙ってたほうがいいじゃない!うらやましがられてぶつぶつ言われるの嫌だもん!」

「お前本当に性悪だよな!秘密多いよな!ああああむかつく!」

「うるさいったら!」

 幸平はものすごいスピードで飛んでいく。景色はだんだん、山から畑、畑から住宅地、さらにはビルが立ち並ぶ都会へと変化していった。一体どこへ向かってるんだ?

「なあ、幸平!どこまで飛んでいく気?」

「札幌!」幸平が前を向いたまま叫んだ「今日は僕の命日だよ!だから、自分の墓に行く」

 僕は思わず空中で止まってしまった。自分の墓へ行く?

 気がついたのか、幸平も飛ぶのをやめて、こちらへ戻ってきた。軽口を叩けるような顔じゃなかった。蒼白で、何か真剣な表情で、こちらをじっと見つめて、こう言った。

「……怖かったら一人で帰って。僕も毎年怖いんだ。自分の墓を見るのって」


 今、僕の眼下には、無数の墓石が並んでいるのが見える。地平線を埋め尽くすほどたくさんの灰色の石だ。

 広大な墓場。なぜか知らないが、モアイ像とかストーンサークルとか、変なギリシャ風の遺跡などを再現した石像まで配置してある。どういう趣味だ?

「毎年来るたびに敷地が広がって、墓が増えてるよ。死人が増えてる証拠だね」

「……そういうことをさらっと言うなよ、幸平」

 幸平はしばらくあたりをキョロキョロと見回していたが、やがて、狙いを定めたかのようにまっすぐと、ある方向に向かって飛んでいった。そして地上に降りる。追いかけてある墓石の前に降り立つ。

 藤沢家之墓。

 そう書かれた、周りの石と全く同じ、個性のない墓石。誰も手入れしていないのだろう、植木が枯れて、雑草がやたらに生えている。その横には、死んだ人間の名前が刻まれた石版が立ててある。藤沢喜一、藤沢幸平、藤沢和文の順番で名前は並んでいる。

 藤沢幸平。これが幸平だ。昭和五十八年十月二十五日死亡とある。

「し、昭和五十八年?」

「岩本君って平成生まれでしょ?」

「うん」

「アハハ。じゃ生まれてないね。僕が死んだのは1983年なんだもん。驚いた?」

「驚いた……」

 幸平って、もっと近い年代の人間だと思っていた。違っても五歳か六歳くらいだと勝手に思い込んでいた。それが、僕が生まれる前に死んでいた……。

「本来なら絶対に会ってない人間なんだよ、僕らって」

 幸平が笑ったが、どこかさびしそうな笑いだった。僕はというと、今までには感じたことのない種類の寒気を覚えた。だって、墓が目の前にあるんだ。実際に幸平の名前が刻んであるんだ。

 墓石がこっちに向かって念仏を唱えているような気がする。お前は死んだ、お前は死んだ、お前は死んだ……。そうやって、現実に死を突きつけられる気分がする。これは自分のじゃなくたって怖い。

 幸平を見ると、墓石ではなく、やはり自分の名前が刻まれた石版をじっと見つめていた。とても真剣な目つきで。恐怖や悲しさが顔から消えていた。何かに立ち向かっているような顔だ。きっと幸平は今、自分の死に再び直面している。きっと毎年ここに来て自分の死を確認しているのだろう。でも、それってどんな気分だ?

 墓参りのシーズンではないせいか、周りには全く人が見当たらない。見回したところで見えるのは墓石ばかりだが。

「待とう。今日中に来る」幸平が石版の前にしゃがみこんでつぶやいた「絶対来る」

「来るって誰が?家族?」

「残念ながら家族じゃない」幸平が綿のように軽くふわりと浮かび上がって、墓石の上に腰かけた「僕の家族の辞書には、心配とか親切とか弔いっていう文字はないんだよね」

「はあ」とげのある声だった。何と返答していいかわからない「じゃ、誰?」

「来たらわかるよ。きっと驚くだろうなあ。フフフ」

 幸平がいたずらっぽい笑い方をしたが、自分の墓の上でそんなことされても不気味なだけだ。僕は幸平から目をそむけて、また石版を見た。

「あのさ、こっちの和文って人は?死んだの平成十年だからけっこう最近じゃないの?」

「おじいさん。いいんだよ死んだって。ろくな人じゃなかったんだから」

 幸平はそういいながらそっぽを向く。あまり話したくないらしい。僕はスダの家のじいさんを思い出した。針のようにやせていたじいさんは、あのばあさんと元気に暮らしているのだろうか?それともやはり消極的に黙っているのだろうか?


 人影が遠くからこちらに歩いてきた。グレーの、ちょっとださい柄のスーツの男と、白いブラウスにロングスカートの女性だ。並んで歩いてくるから夫婦だろう。男のほうが手に手桶とひしゃくを持っていた。

「来たね」

 幸平が二人のほうを向いた。どうやら待っていたのはあの夫婦らしい……が、ぼくはその女性の顔が識別できた瞬間、思わず飛び上がって、そのまま彼女に近寄ってじっと顔を覗き込んでしまった。

 ……二宮由希だ!

 しかも、隣の男性にも見覚えがある。コメディ俳優の新橋五月だ。本業は舞台俳優だけどコメディのほうが有名だと聞いた。テレビではトーク番組やバラエティにしか出ないからそう思われるんだろう。

 新橋は二宮由希の夫だから、一緒にいてもおかしくない、でも……。

「こ、幸平!」僕はまた幸平のほうに飛んで戻った「どういうこと?」

「アハハハハ!ものすごく驚いてるね!岩本君!」

 幸平が大声を上げて笑った。楽しそうだけど、わざとくさい笑い方だった。

「驚くに決まってるだろうが!二宮由希だぞ!」

 二宮由希は普通の女優じゃない。いわゆる美人女優とは違う。どこかカルト的だ。新橋五月と結婚したときには、怒り狂ったファンから爆発物が大量に送られ、そのうちひとつは新橋の車を吹っ飛ばした。幸い車には誰も乗ってなかったが。それくらい人気のある女優なんだ。こんな札幌の町外れの墓地に現れるなんてありえない。普通は。

「幼馴染だったの!中学も一緒だったんだよ。演劇部もね」

 幼馴染?中学が一緒?それだけで墓参りに来るか?死んでから二十年たってるんだぞ?

 困惑している僕を無視して、幸平は墓の前に立っている二宮由希をじっと見つめている。二宮由希はなんだか、とろんとした目で墓石を見つめている。ドラマで見る顔つきとはずいぶん違う。何ていうか……迫力がない。魂が抜けた人形のような印象だ。とっくに三十を過ぎているはずなのに、十代の高校生に見える。

「由希、水がかかるからどいて」墓石の横に座り込んだ二宮由希に向かって、新橋が言った。手桶とひしゃくを持って「ご家族はどうして来ないのかな?すっかり汚れてしまってるけど」

「あの家族は絶対に来ない」二宮由希が冷たい声で言った「いつものことじゃない」

 この声に聞き覚えがあるなと思って考えたら、いつか、中学校で葛西アイカをいじめていた上級生を脅していたときの、幸平の声を思い出した。軽蔑のこもった氷のような声だ。

 二宮由希、全く動く気配なし。

 新橋五月が黙々と、墓石に水をかけて持参したタオルで拭いたり、雑草を抜いたりという作業をしていた。二宮由希は何もしない。ただ、墓石と、石版の幸平の名前のあたりを交互に見ていた。新橋は、花をいけるときに花瓶をひっくり返したり、線香やろうそくを取り出して並べるのにてこずったり、ろうそくに火をつけようとしてもすぐ風に消されてしまうのに苦労しているのだが、手伝う気配も全くない。表情にも変化が見られない。

「なあ」僕はなんだかたまらなくなってきて幸平に声をかけた「二宮由希って毎年ここに来るの?幸平の命日に」

「毎年、二人で来るよ。この夫婦」

「二人とも?」

「二人とも」幸平がぼんやりした目で二人を眺めている「新橋君は高校が由希と一緒だったんだ。それからずっと一緒に来るよ」

 幸平が新橋五月を指差した。

「僕に似てると思わない?新橋君って」

 新橋五月の顔を見る。三十過ぎのおじさんの顔だけど、どこか幼く見える。さっきから作業にてこずっていて間抜けそうに見えるのと、コメディアンみたいなイメージがあるからかもしれない。よーく二人を見比べると、確かに、顔の輪郭線の形や目つきがよく似ている。

「似てるけど、それが何?」

「高校のときの新橋君ね、僕と全く同じ顔をしていたんだよ。だから由希と知り合えたんだ」

 幸平は新橋五月の顔を見て、少し口元を歪めたようだった。そしてすぐに二宮由希に視線を戻した。

「由希は、変わっていない、いつ見ても変わらない」



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