第五章 4
「日本も軍隊を持つべきだ!自衛隊なんて生ぬるい!」
元日本軍二等兵が叫んでいる。
「隊長、自衛隊だって軍隊ですって。だいいち日本で徴兵したってまともな男が集まらない」
字室がまた意地悪な笑い方をした。なぜか僕は昼間のスダを思い出した。あいつが軍隊に入ったら三日で死にそうだ。
幸平は二人を無視してテレビをじっと見ている。ユーレイたちの会話なんか知らないフデさんは、食後のべこ餅を口に運びながら帳簿をつけている。いまだにソロバン派。
「幸平さ、昼間どこ行ってたの?」
「あれ、もしかして探してた」
幸平が僕のほうを見てニヤリと笑った。
「別にそうじゃないけどさ」探してた、というのが嫌なのでさっさと本題に入ろう「葛西さんが、道端に座り込んでるのを見たんだよね」
「それ何時ごろ?」
「ちょうど昼。そのあと学校に行ったら昼休みだったから」
「ふーん」幸平はテレビに目を戻した。二宮由希が有能なテレビキャスター役で出ているドラマだ「葛西さんね、もう一週間くらい、学校に行ってないらしいよ」
「そうなの?」
「お母さんも気がついてないみたい。朝はちゃんと制服着て8時には家を出て行くから」
二宮由希が恋人役の俳優と抱き合った。幸平の顔が少しだけゆがんだ。
「つまり、サボってる」
「登校拒否だね。それも親には言えない理由だ」
「なんで?」
「わからない」幸平がまたこっちを向いた。こんどは笑ってなかった「明日聞きに行ってみる?そんなに気になるんなら」
「別に気にしてるわけじゃないけど」
「じゃ、行かない」
幸平がまたテレビのほうを向いた。……からかわれている気がする。
「わかった、気になる。凄く気になる。だから聞きに行こう、明日!」
「はじめからそう言いなよ」
幸平が含み笑いの声でつぶやいた。テレビの画面では、二宮由希が俳優を平手打ちにしたところだった。幸平がアハハと声をあげた。僕は幸平を蹴飛ばしたい気分だった。
次の日。幸平が葛西アイカの家に案内してくれた。家といっても、長屋みたいな汚いアパートの一室、今にも崩れ落ちそうだ。部屋は二つあって、そのうちのひとつはアイカの部屋になっている。
「……なんていうのかな、個性的な部屋だよね」
部屋の中はすごく散らかっていた。部屋中に本が散らばっている。本棚があるのに、なぜか本ではなく人形が並んでいた。しかもその人形が、腕がなかったり足がなかったり、体の一部が必ず欠けている。一つ一つよく見たが、五体満足なものはひとつもなかった。窓際には握り拳よりひとまわり大きい球根が水耕栽培されている。
「これは去年衝動買いしたアマリリスだねえ」
幸平!なんでそんな事まで知っているんだ!?
「それより岩本君、この部屋に散らばってる本を見て、何か気がつきませんかぁ」
明らかにからかっている口調の幸平。頭にきたが、言われたとおりに本を一つ一つ見て回る。
「えーと、『自殺者の時代』『現代自殺事情』『井島ちづるはなぜ死んだか』『計られた太陽・夭折詩人の遺稿集』『さようなら十七歳』……」
自殺の本ばっかりだ!
やっぱり葛西アイカは自殺志願者なのか?それともただ自殺に興味があるだけなのか?
もしそうなら、やめさせないといけない。でもどうやって?
「幸平、何とかなんない?」
「何を?こういう人っているんだよ。生まれつき死に惹かれてくような、考え事せずにいられないタイプってさ。別に止めようとは思わない。ちょっと僕に似てるかもね」
どこがだ!どこもかしこも似てないぞ!僕は認めないぞ!
「じゃ何だよ?死んでもいいっての?葛西さんが!」
「落ち着いてよ。だって、僕らだってもう死んでるじゃない」幸平が平然と言い返した「大丈夫だって。ちょっと甘美な夢見てるだけだよ。きっとそのうち収まる」
「だといいけど」
僕は本棚に入ってる手足のない人形を見た。これはいったい何だ?自殺と何か関係があるのか?
「幸平、この人形なんだけど」
「ああ、それ、僕もよく知らないよ。でも、ゴミ捨て場から壊れた人形を拾ってるのを見たことはあるな」
「全部拾った人形なのか?」
「知らない。最初に来たときにはもういっぱいあったから」
「最初に来たときっていつ?」
「さあ……死んでからかなりたった頃」幸平はノートを本棚の裏に戻した「本人を探そう。話してみようか」
僕らは不気味な部屋をあとにして、図書館へ向かった。
「あ、来てくれたんですね」
図書館の奥、薄暗い本棚の前で、幸平の顔を見るなり葛西アイカがぱっと顔を輝かせた。きれいだ。でも、僕の姿は見えてないだろうな。悔しすぎる。
「敬語使わなくていい。学校は?」
「……行ってない」
アイカは消え入りそうな声を出して下を向いた。
「あ、そう。何見てたの?」
「昔の新聞。ちょっと調べたいことがあって、あの」また消え入りそうな声がした「死んだ人なんだよね」
「僕?そうだけど」
「死ぬのってどんな感じですか」
アイカが好奇心に満ちた顔で幸平を見ていた。どんな感じっていわれても。幸平は本棚を見つめながら何か考えているようだったが、そのうち、何でもないことのように淡々と答え始めた。
「たいていの人は消えてしまうんだよ。僕は例外。感覚がほとんどなくなって、ただ世の中をぼんやり見てるだけ」そしてアイカのほうを向く「じゃ、今度は僕が聞くけどさ、生きてるってどんな感じ」
「つまんない」
アイカが即答した。かなりはっきりした声で。なんか最近この単語よく聞くな。『つまんない』ってさ。
「そーかもね。でも死んでるのもつまんないよ。それだけは覚えといてね」
そう言うが早いか、幸平はなんと窓から飛んでいってしまった!
「あ、待って!」
アイカが窓にかけよった。僕も慌てて窓から外に飛び出したが、幸平の姿が見当たらない。図書館の別な階にいるかもしれないと思って館内を飛び回ったら、外国文学のコーナーにいた。クライゾーネンだか何だか、むずかしい名前の本を見ていた。脚本のようだ。
「人形のこととか聞くんじゃなかったの?」
「僕忙しいから」幸平が空中に浮かんだ脚本を見たままつぶやいた「彼女をつけるんだったら一人でやってよね」
「何を突然怒り出してんだよ!」
「怒ってないよ。急に気が進まなくなっただけ」
「なんだそれは!?」
幸平はそれ以上僕を相手にしようとしなかった。むかついたが、言われたとおりに一人で葛西アイカをマークすることにした。ストーカーじゃないぞ。どうせヒマなんだからいいだろ?
それから数日。僕はできるだけ彼女を見てることにしたのだが、学校に行く気配が全くない。制服を着て家を出て、図書館へ行って、夕方帰る。毎日これだ。毎日新聞の縮刷版や、自殺した人や夭折した作家の本ばっかり読んでいる。一体何を考えているんだろう?
「岩本君。最近凄く気味悪い」
本棚の裏からいきなり幸平が出てきた。驚いた僕は天井まで飛び上がってしまった。
「おどかすなって!」
「だって気持ち悪いんだもん。そんなに葛西さん好きなの?」
「大声で言うな!お前の声は聞こえるだろうが!」
「で、どうなの?
ニヤニヤした幸平が小声で尋ねた。
「悪かったな!心配なんだよ!」
うっかり開き直ってしまった。しまった!と思ったときにはもう遅かった。
「へーえ」幸平がますますにやけた顔をした「なんなら僕が言ってあげようか?友達が君を心配してつけまわしてますけどって」
「幸平!」
ああ、死んだから血なんて通ってないはずなのに、たぶん今僕の顔は真っ赤だ。
「あ、また来てる」葛西アイカが幸平に気づいたようだ「いつも何を読んでるの」
「舞台の脚本」
「脚本好きなの?」
「昔演劇をやってたんだ。生きていた頃」
「そう」
そのまま二人は黙っていた。幸平は何もなかったかのように、別な本を取り出して読み始めてしまったし、アイカは本を読むフリをしながら、ときどきちらちらと幸平を見ている。・・・やっぱりそうなのか、サミが言ったとおり、恋なのか?
「幸平、さん?」
アイカがちょっと頬を赤らめて幸平を呼んだ。さんなんてつけるんじゃない!こんなのに!
「さんつけなくていいよ。何?」
「死にたいと思うのって、いけないことですか?」
僕と幸平が同時にアイカの顔を見た。アイカは真剣な目で幸平をみつめていた。どこか狂気じみていて、それでいてとてもきれいな目で。
「そう思ってる人はたくさんいると思うよ」幸平はやはり平然と言った「悪いことではないよ」
「そうですよね」
「死にたいの?」
「ていうか、生きていても何も面白いことがないし」
「死んでもないよ、面白いことは」
「でも幸平、楽しそう」
「ぜんぜん楽しくない」
幸平がそう言って顔を伏せた。見ていた本が閉じて、本棚に勝手に納まった。
図書館から出てきたところで、アイカのまわりを制服姿の女子が五人、取り囲んだ。
見たところ上級生っぽいが、みんな髪が茶色っぽくてぼさぼさで、目つきが凶悪だ。
「ちょっと来てくれる?」
一番怖い顔の女がアイカをにらみつけた。
「でも……」
戸惑っているアイカの腕をもう一人の女がつかみ、無理やり引っぱっていく。アイカはこちらを見て、口だけ『助けて』と動かした。
「幸平!」
「追いかけよう」幸平の表情が険しくなった「あの連中が登校拒否の原因だよ」
何と答えていいかわからない。
「来ればわかるよ。こんなのどかな町でもクズがいるってこと」
アイカが連れて行かれたのは、放課後の空き教室だ。校舎全体が静まり返っている時間だ。何をする気だろう?
突然、女の一人がアイカを壁に向かって突き飛ばした。アイカの体が壁に跳ね返って床に落ちた。
「何してる!」
「岩本君、我慢して」
「誰?」上級生が叫んで一斉にこっちを向いた「そこの二人!ちょっとこっちに来な!」
二人?僕と幸平は顔を見合わせた。この不良には二人とも見えているのか?
「何をやってるんですか?」幸平はぜんぜん驚いた様子を見せずに平然と言った「見たところかなり乱暴そうだけど」
「うるさいね。こいつが生意気だから悪いんだよ」
髪の長い女がアイカの腹をおもいきり蹴った。ううっとうめく声がした。
「何するんだよ!」
「やめなよ!」
僕ら二人が同時に叫ぶ。
「だったらあんたたちがこっちに来れば?」
「そんな必要ないね」幸平が冷たく言い放った「とにかく、暴力はやめて帰りなよ」
「幸平、そんな言葉聞くような相手じゃないって」
上級生たちはキャハハハハと笑って、手元の椅子をこちらに向かって投げてきた。椅子は外れてドアのふちに当たった。怖いな。生きていたらこれだけで十分ひるんで逃げ出したかも。
「何が目的なんだよ」僕は震えそうになりながらなんとか言葉を発した「葛西さんをいじめて何かいいことあるか?」
「むかつくからいたぶってんじゃん。悪い?」
ダメだこいつら。最低だ。でも、相手はたかが中学生なのにすごく怖い。何とかしないと。
一人で焦って黙り込んでいると、幸平が数歩前に出て、今までに聞いた中で一番冷たい声でこう言った。
「……口で言ったってわからない手合いなんだ。それじゃしょうがないね」
「幸平?」
僕が幸平のそばによって、その敵意に満ちた顔を見たのと、教室の窓ガラスがいっせいに音を立てて割れたのは、ほぼ同時だった。
「キャアアアアアアア!」
窓の近くにいて、もろに破片を浴びた五人が悲鳴を上げた。続いて空気が振動するような気配、ガラスの破片が落ちて床に当たる音。
窓ガラスは見事に砕けていた。全部だ。外の冷たい空気が入ってくるのがわかった。僕はあわてて倒れていたアイカに近づいた。すると、破片は見事に彼女の周りを避けて落ちていた。怪我はしていないようだ。上級生たちが血まみれになってのたうちまわっている隙に、アイカは立ち上がり、よろめきながら幸平の近くへ向かっていった。
「早く帰りなよ」
幸平が声を発した。アイカがびくっと体を震わせた。幸平は凍りついたような残酷な目つきをしていた。上級生のほうをじっと見て目を離さない。
「でも」
「いいから!」
怯えた顔のアイカは、幸平と上級生たちを交互に見て、ちょっとの間迷っていたが、廊下に出てそのまま走っていった。
改めて教室内を見る。僕は全身が動かなくなるのを感じた。まるで教室全体がセメントで固められたみたいに、誰も、何も動いていない。上級生たちはへたりこんで頭をおさえてうめいている。幸平はぼやけたような色の目で彼女らを見ていた。
「幸平……?」
「はっきり言うけどね、僕は力をもてあましているみたいだ」幸平が独り言のようにつぶやいた。それから上級生たちにむかってはっきりと言う「言っとくけどね、これだけで済むと思わないでくれる?」
パキ、と音がしたかと思うと、教室内のパイプでできた机と椅子が、いっせいにガラガラと崩れた。ねじが取れて分解しちゃったみたいに、ばらばらに。音に反応して上級生たちの体がビクッと脈打ったのが見ててわかった。もちろん幸平は指ひとつ動かしちゃいない。
「おい……」
嘘だろう。僕はそう言いたかった。机が崩れたことじゃない。今目の前にいる冷淡な少年は、いつもの幸平じゃない。少なくとも僕が知ってる、字室とケンカしてた平和主義者じゃない。明確な意思を持って他人を脅迫しているんだ。犯罪者みたいに。
「この町くらい簡単にふっとばせるんだからね。手始めに君たちの家一軒一軒つぶしてあげてもいいんだけど、それがお望み?それが嫌だったら、こういうバカなこと起こさないでくれる?今後一生とりついて見張っててあげるからさ」
こんな陰湿な声は聞いたことがない。
上級生たち、逃げるかと思ったが全く動けないようだ。哀れなほど震えていて、誰も顔を上げて幸平を見ることができないようだった。すすり泣く声が聞こえてくる。
なあ、幸平、もうやめろ。確かにこいつら最低だけど、やりすぎだろう?
そう言いたいのに声が出ない。でも、伝わったのだろう。幸平が僕のほうを向いた。思わずこっちまでびくっと驚いてしまう。
「帰ろう、岩本君」
幸平は無表情のまま、自分が割った窓から飛んでいった。僕は後を追いながら。割れた窓を空中から振り返る。明日誰かが見つけたら大変なことになるぞ。どうやったのか知らないけど、机まで壊してさあ……。
幸平の後姿を見ながら、さっきの『力をもてあましているみたいだ』という言葉を思い出す。全く動かずに窓ガラスを全部割って机と椅子を分解した幸平。『クズ』の上級生に向かっていた幸平の恐ろしいまでに冷たい顔つきと声……。
どうやら幸平は湖に向かって飛んでいるな、と思ったとき、砂浜に人の姿が見えた。
アイカだ。
「帰りなって言ったのに」声がいつもののんきな幸平に戻っている「何してるのさ」
砂浜に降りた幸平を、アイカはさぐるような目つきで見ていた。
「ここにいれば来ると思って」
そう言って少し笑った。その顔がすごくかわいい。
「今日が最初で最後だからね、僕が助けるの。ちょっとやりすぎたしね」
ちょっとどころじゃないだろう、と僕は思ったが、
「そうだね、ごめんね」
あっさりとアイカがそう言って、二人とも沈黙。ああ、いい景色だなあ。年頃の男女が二人……僕はむなしくなってきたので、邪魔になる前に撤退しようと思って二人に背を向けた。
でも、後ろから聞こえてきた声に、思わず動きが止まってしまった。
「私、死にたいの。そしたら一緒にいてくれる?」