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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第四章 6

 次の日。ミカちゃんはお父さんと冷戦状態に入ったらしい、一言もしゃべらない。朝からフデさんと一緒に散歩に出かけてしまった。

 ついていこうと思ったら、幸平に止められた。

「骨、見つかったらしいよ。警察が砂浜に来てる。見に行こう」

「そんなのは警察に任しておけ」梶村さんは機嫌が悪い「一体あの男はここに何をしに来たんだ?昼間からごろごろとけしからん」

 ミカちゃんのお父さんはヒマそうに寝転んでテレビを見ている。夏休みなんだから、ごろごろするのは別にいいと思うけど。

「幸平さ、どうしてミカちゃんを避けてたの?」

「うっとおしいからに決まってるじゃない。しつこいったらない……」

「ダレがしつこいってえ?」

 いきなりミカちゃんが開いてる窓から顔を出した。どうやら帰ってきていたらしい。

「何だ、何も言ってないだろうが」

 寝転んでいたお父さんが振り返った。

「お父さんには何も言ってません」

 ミカちゃんは開いた窓に足をかけて、そのまま入ってきた。泥棒みたいだ。

「ミカ、玄関から入ってきなさい」

 梶村さんが注意するとミカちゃんが笑った。

「いーのいーの。靴ちゃんと脱ぐから。……おじいちゃん」

「何だ」

「おじいちゃんは、ミカに大学に行ってほしい?」

「何だ急に。歌手になるんじゃなかったのか?」

 ミカちゃんが金庫の前(梶村さんの前だ)に正座した。

「でも一応聞いとこうと思って」

「お父さんの言うこと聞けばいいじゃない」

「幸平はダマってろ!」

 ミカちゃんは真剣のようだ。僕らは梶村さんを見た。ちょっと考え込んでいるようだったが、すぐにミカちゃんにまっすぐ顔を向けると、こう言った。

「学問は大事だ。大学に行けるなら行ったほうがいい。でも、最終的に決めるのはミカだ。人の意見は参考までにして、自分で考えなさい」

「はーい」

 ミカちゃんはちょっと不満げな顔をしていた。きっと別な答えを期待していたんだろうな。それにしても、ミカちゃんってまだ中学生だよな?先に高校のことを考えたほうがいいんじゃないか?大学のことを考えなきゃいけないのは僕のほう……いや、もう死んでるから関係ないのか。

「大学かあ……」

 思わず声に出してしまった。別に行きたかったわけじゃないけど、進路なんて真面目に考えていなかった。行きたいところもなかった。もう三年になってたのに。

「岩本、お前もまだ生きてるんだから考えておいたほうがいいぞ」

「え!マジ!生きてんのぉ!?」

 ミカちゃんが大げさな驚きの声をあげた。

「私の勘だ。たぶん生きておる」

「おじいちゃんの勘なら当たるよね。行方不明者のニュース見て、死んでるか生きてるかすぐわかるんだよね」

「ほんと?」

「外れたことはないな」

 梶村さんが自慢げに言った。幸平のほうを見ると……いなくなっていた。逃げたか。

「イワモト!もしかしてケータイ持ってない?」

「持ってるよ。当たり前だろ」

「番号教えて」ミカちゃんがパンツのポケットから携帯を取り出した「かけてみる」

 ……なるほど!その手があったか。何で今まで思いつかなかったんだろう?

 僕は自分の携帯の番号をミカちゃんに教えた。ほぼ同時にミカちゃんは番号を打ち込み、携帯を耳に当てた。

 息を呑んだ(いや、死んでるから飲めないけど、緊張したっていう意味ね)これでもし誰かが出たら、何より自分が出たら?そんなことはありえない。誰も出るわけがない、僕はここにいるんだから。

「電源切れてるか圏外だって」

 ……がっかりだ。でも、契約は切れてないってことだよな。誰が使ってるんだ?だいいち、携帯の電源なんてめったに切らないのに。

「まだ持ってるということか、電話を」

「そうそう、死んでるんなら契約切って『現在使われておりません』になってるはずだね。イワモト!生きてる可能性高い!よかったな!」

 ミカちゃんが僕の肩をたたくまねをして、キャッキャと笑い声をあげた。あまりうれしくなかった。

「番号はトーロクしておくね、たまにかけてやるからなぁー」

 かけても僕自身にはつながらないと思うが、まあ、うなずいておこう。それより、娘がずっと独り言(に見えてるはずだ、生きた人たちには)言ってるのに、お父さんもお母さんも無視してテレビを見てるが、いいのか?心配じゃないのか?


 その後三日ほど、ミカちゃん一家はここに滞在していた。親子はほとんど会話はなく、ミカちゃんは梶村さんや僕らと話したり、幸平を追いかけまわしたり(嫌だと言いながらつきあってやる幸平って、優しいというか何というか……)字室といっしょにサミの船に行ったりしていた。

 サミはあの時計についてなかなか話してくれなかった。海岸で発見された骨はちゃんと身元がわかったらしいが、遺族はもう死んでしまってるし、どうして沈没現場じゃなく、はるか北の北海道の湖で発見されたのかがそもそも謎で、しばらくニュースが騒いでいた。

「先生よ。学校の、音楽の」

 サミはそうつぶやいたきり口をつぐんでいた。やっと聞き出せたのは、ミカちゃん滞在の最後の夜だった。

「サミはもうずーっとココにいるんだよね」

「そうよ。気が狂いそうなくらい長くね」

「私はその年月より長く生きなきゃいけないのかなあ」

 ミカちゃんが独り言のようにつぶやいた。

「そうねえ。せっかく生きているのだから、楽しんで長生きしなさいな」

「でもさあ、シワシワになってまで長生きして幸せなのかな」

「それはお婆さんに失礼よ」

「おばあちゃんはいいんだよ。シアワセそうだから」ミカちゃんが語気を荒げた「今私十三歳じゃん。うまく生きたらあと六十年以上あるんだよ。きれいでいられるのは三十代くらいまでって感じしない?へたしたら二十代でオバハンにされちゃう。仕事しても偉くなれないし、結婚してもさあ、お母さん見てたらすっげー地味な暮らししかできないみたいだし。先行き暗いよう!」

 子供っぽいわめき方をするミカちゃんを見てサミが寂しげに笑った。

「私もそう思ってた。少なくとも、男の人の言うことを聞くしか能がない女にはなりたくなかった。でも、私が生きていたころはまだ時代が古かったのかも」

「えーと、四十年前」

「女の子は大声を出して笑ってはいけません。男の人にむやみに話しかけてはいけません。つめの間にゴミをためてはいけません……なんて、雑誌に真面目に書いてあった時代よ」

「なんじゃそりゃあ」

 ミカちゃんが、心底バカにしたような笑い方をした。

「つめにゴミって何だ?確かに嫌だけどね」

「イワモト、そこまで見てる男のほうが嫌じゃん」

「僕は別に気にしない」

 人のそんな細かいところまでは見ていなかった、僕は。

「俺は嫌だなあ。つめにゴミためてる女」

 字室はやはり古い世代の人間のようだ。

「とにかく」サミがまとめるように言う「年をとってしまったら行き場がなくなるような気がしていたわ。でも、死んでしまった今思えば」

 サミが空を見上げる。きれいに月が出ている。照らされた顔は青白い。今気がついたが、月の光はユーレイを照らすことができるらしい。辺りを見回す。字室も、いつのまにかやってきていた幸平の顔も、青白く見えた。

「永遠に若い死人よりは、しわしわでもおばさんでも生きているほうがいいのよ」

 僕はサミの青白い顔を見ながら、スダに乗り移ったときのことを思い出していた。体で感じた砂や風の感覚。古い木材でできた家のにおい。年を重ねても感じられるはずだ、生きてさえいれば。

「僕はそうは思わないんだけどな……」

 幸平が小さい声でつぶやいたのが聞こえた。でもそれ以上はなにも言葉が続かなかったし、誰も反論しなかった。しんみりとした空気が船の上に流れていた。

「あの時計の、先生ね」急にサミが話し始めたので全員が注目した「私が学校から帰ろうと思ったとき、ピアノの音が聞こえたの。ちょうど進路のことを相談しようと思っていたから、音楽室に行った。そしたら、先生の姿が見えた。ピアノの陰に」

 サミの顔に寂しげな、それでいて喜んでいるような、奇妙な表情が浮かんだ。

「その姿が、もちろん演奏も上手だったけど、夕日に照らされていてとても綺麗で、それでいて、手を伸ばしても届かないくらい遠くの光景のような気がして、自分でも気がつかないうちに泣いていたらしいの、私。先生が気がついて『どうしたのですか。何かあったのですか』とおっしゃったから、私はただ『悲しいんです、悲しいみたいです、でも、どうしていいかわからない』って答えて、そのあと、学校のこと、家族のこと、進路のこと……一方的に話したのに、黙って聞いてくだすったのよ」

 サミはどこかうっとりとした表情になっていた。昔の思い出に浸っているのだろう。

「先生、死んでしまっていたのね。こんなに近くにいたのね。気がつかなかった」

 船の中を、何か文学的な美しさが包み込んでいた。みんな黙ってその感触を味わっていた……のに、なのに。

「ウッヒャー!ウツクシー話!」ミカちゃんがすっとんきょうな声で叫んだので、せっかくのいい雰囲気が台無しになった「サミ、その先生好きだったんでしょ?そうでしょ?」

「そう、かも、しれない、わからない」

「どうして泣いたんだろうね。先生がきれいだったから?悩み事があったから?」

 幸平がまっとうな質問をした。僕は、それは知らないままのほうがいい思い出になるような気がしたけど。

「さあねえ。もう四十年以上前の話だから」

 覚えてないのか、言いたくないだけなのか、サミは笑って月を見上げていた。

「いいな、いいな、そんなセンセー。もっとオトメゴコロがわかるセンセーがいたらなあ。学校だって女の子の居心地がよくなるし、私だってもっといーオンナになるのにぃ」

 ミカちゃんが軽い口調で言った。何かが間違っている気がする。

 そのあと僕らは、みんな黙り込んで甲板に座っていた。きっとそれぞれに、夕日の中でピアノを引く先生とやらを、勝手に想像していたんだと思う。

でもなあ、よっぽどかっこいい先生じゃないと絵にならないよなあ、そういう場面って。


ミカちゃんが帰る日がやってきた。

 お父さんとは結局冷戦状態のままらしい。みんなで心配していたのだが、

「お父さん?どうせ明日から仕事にしかキョーミなくなるから大丈夫」

 と言っていた。それもどうかと思うが。

「お母さんは大事にしなさい。お父さんはほっといてもいいものだ」

 梶村さんがそうミカちゃんに言って聞かせていた。それもあんまりだと思いますが。

 荷物を持って玄関を出る一家を、フデさんと梶村さんが玄関に並んで見送る。ま、ミカちゃん以外にはフデさんしか見えてないだろうな。並んでても夫婦に見えないし。

「達者で暮らせよ!」

「わーってるって!また来るからっ!」

 ミカちゃんが不良のような声で笑いながら手を振った。札幌でどういう生活してるんだろうなあ。金髪の不良少女なのか、意外と真面目に生活してるのかな?

 そういえば、ユーレイ話ばかりで、普段の生活についてあまり聞いてなかったな。

 生きている人たちは、ミカちゃんのほうを怪訝な顔で見ていた。ここにいる間、一人でぶつぶつ言いながら走り回ってたことになってるんだから無理もない。

 駅まで見送りに行くことにする。幸平も字室も今朝から行方不明だ。ミカちゃんが今日出発することは知っているはずなのに、どこへ行ったんだろう?

「わあ、イワモト、送ってくれるんだ。エライエライ。幸平なんか絶対来てくれないのにさ」

「ずいぶん幸平にこだわるね。毎日追いかけ回して」

「だって見てるとむかつかない?あいつ」

「ミカちゃん、いじめっ子でしょ」

「悪かったなあ」

「それよりさ、好きな人教えてくれるって話、覚えてる?」

「あ」ミカちゃんが悔しそうに顔をしかめた「くそう、忘れてると思ってたのに」

「教えて」

 妙にわくわくするのはどうしてだろうなあ、こういう会話。

「あのね、その人は」ミカちゃんが僕の目をまっすぐ見た「もう死んでるの」

「へ?」

 中学の同級生、というありきたりな言葉を予想していた僕は、固まってしまった。

「でね……その人は、私のケータイの写真に写ってる」

「ミカ!ぶつぶつ言ってないで早く来なさい!」

 お父さんが怒鳴っている。いつのまにか駅に着いていた。改札を通った三人が列車に乗り込む。ミカちゃんは列車に乗る前に、振り返ってこちらにピースサインを出して、ちょっと照れたように微笑んだ。そして、駆け足で列車の中に消えていった。

 僕は上空高くのぼって、走り出した列車の行方を目で追いながら考えた。

 ミカちゃんのケータイに映ってる死んだ人って……。

 梶村さんは知っているんだろうか、それより幸平、気づいてるんだろうか?だからいやいや追っかけまわされてたんだろうか。

 それにしても、ミカちゃんはこれからどんな大人になるんだろう?ミカちゃんとあのお父さんが和解する日は来るんだろうか。もう冷め切ってるようにみえるけど。ま、本人たちが時間をかけて解決するしかないんだろうけどさ。

 僕らって、ほどんど生きてる人間の役に立ってないんだなあ。ただ存在して、ぼーっと生きている人を傍観しているだけなんだ。

 悲しい、すごく。


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