表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
2/55

第一章 2

 僕が『死んで』この町になぜか飛ばされてしまったとき、最初に会ったのはさきほどの幸平だ。湖の上で前後不覚になっていた僕の目の前にいきなり現れて、顔を覗き込んだ。

「君さ、死んだんだよね。名前は?」

 ストレートすぎて何を言われているかわからなかった。幸平のほうも『あたらしい人』が来るのは珍しいから興奮していたらしい、あとで聞いた。

「あのね、君、浮かんでるよね。わかってる?これは夢じゃないんだ。ここは天国ではない。実在している北海道の町の湖の上空だよ、上空。つまりね、君は死んでユーレイになってここに来ちゃったわけだ、間違いないよ。生きてる人間が浮かぶわけないもんね。ちなみに僕は藤沢幸平っていうんだ。札幌に住んでたんだけど、車道を渡るときにダンプに吹っ飛ばされちゃった。気がついたらここにいた。アハハ」

 幸平は興奮気味に一気にしゃべった。でも、僕自身は自分が浮かんでることは棚に上げて、目の前に人が飛んできたことに衝撃を受けていて、何も言葉を返せなかった。

 いったい何が起きたか?僕は必死で、その日の朝からの自分の行動を思い出していた。

 いつも通り八時には起きた。朝食を食べずに学校へ向かっていたはずだ。そしたら赤い車が突然視界に飛び込んできて……。

 そのあとの記憶がなかった。

 まさか、そんな。

「ねえ、聞こえてる?もしかして僕が見えてない?」

「いや」

 それだけ口にするのが精一杯だった。

「あ、しゃべった。大丈夫だね」

 何が大丈夫だ!と思ったが声は出なかった。

「とにかく、ついてきて。ここにじっとしてるのも嫌でしょう?」

 言うとおりにすることにした。何も考えられなかった。幸平が僕のシャツのすそをつかんで(幸平は人には触れないが、物には触れるらしい)岸まで引っ張っていった。つかまれている感触も、引っ張られている感触もしないことに気がついて、僕はますます頭が混乱した。


 そうしてたどりついた先が『梶村商店』だった。湖に一番近い家なんだ、と幸平が言っていたような気がするが、よく覚えていない。

 店は閉まっていたが、裏の窓が開いていて、そこから入った。

「窓閉まっててもすり抜けられるんだけどね、一応閉まってたら遠慮することにしてるんだ。ま、どこも開いてなかったら容赦なく抜けるけど」

『すり抜けられる』あまり聞きたくない言葉だ。

「梶村さん、新しい人見つけた」

 そこは畳の部屋で、隅に人影があった。椅子に座っているらしい(ほんとは椅子じゃなくて金庫だったんだけど)その人物は、歴史の教科書で見た写真のような軍服姿だった。手にはなぜか長い銃、服の襟には赤い丸、たぶん日の丸だ。制服のような帽子をかぶっていて、顔つきは若いけど、目がキッと細くて、いかにも軍人ですって感じだった。

 やな予感。

「新しい人?死人か?」

 低い声が響く。『死人』って幸平よりストレートな言い方だ。耳に刺さった。

「うん、僕より年上だと思うよ。ほら」

 幸平がまた僕の服のすそをつかんで、男の前に引っぱり出した。男は細い目をますます平たくして、じっと僕を観察しているようだった。怖くて動けなかった。

 と、男が軍人らしく、手を額の辺りにかざした、あれは何て言うんだろう?敬礼?

「兵士、梶村二等だ。以後よろしく」

 きりっとした青年の声が僕の耳に響いた。僕はどうしていいのかわからなかった。ただ呆然と目の前の『兵士』を見ていた。

「へいし……」

 思わず口からもれた。どうやら自分は大変なことになっているらしい、と、そのときになってようやくそのときに実感しはじめたわけだ。だって、兵士だぞ?自衛隊じゃないんだぞ。戦争中の人間が目の前にいるんだぞ。

「梶村さんはこの辺で一番『長い人』だよ。第二次世界大戦で兵士やってて、戦死……と言いたいところだけど、実はシベリアに抑留されてそこで亡くなったんだって」

 幸平は内容に合わないはしゃいだ声で言った。

「ヘイ……」

 何か言いたくてもそれしか口から出てこない。頭がぐるぐる回転するみたいだった。

「悪かったな、兵士が戦死じゃなくて」幸平に向かって意義を唱えると、『兵士』は僕に迫ってきた「君はどうした?新手の奇襲か?手榴弾か?空中放火?反乱か?」

 兵士梶村が鬼のような形相で顔を覗き込んできたので、僕は思わず数歩後退した。

「それとも今話題の……」

「ち、違います、違いますって!」僕は叫んだ「ただの交通事故です!」

「なんだ、それなら幸平とたいして変わらん」

 つまらなさそうな顔をして、梶村さんはもといた金庫の上に座りなおした。

「よかった。まともにしゃべれるようになってきたみたいだね」幸平が僕の前に出てきた「君、名前は?」

「岩本、岩本祐一」

「岩本……ん?」梶村さんが首をかしげたかと思うと、僕の前の幸平を押しのけて顔をぐっと僕に近づけて、目をまっすぐ睨んできた。殺されるかと思った(もう死んでるのに)

「な、何です、か?」

「幸平、この男、本当に死んだのか?」

 梶村さんが僕から離れて幸平のほうを向いた。

「へ?だって、ユーレイになってるじゃない?湖の上空に浮かんでたんだから。間違いない」

「生きている気配がするぞ!」

「え?」

「は?」

 今度は僕だけじゃなくて幸平もびっくりだ。『君死んだ』の次は早くも『生きている気配がする』だぞ?わけがわからない。

「何言ってるの梶村さん。実際鏡に映ってないじゃない、この人」

 幸平が部屋にある鏡台を指差した。いかにもおばあちゃんの持ち物という感じの、木目が美しい古い鏡台の鏡、そこには、金庫しか映っていなかった。梶村さんも幸平も僕も映っていなかった。

 ぞっとした、鏡に映らない。僕は自分の手を見た。自分の手はちゃんと見えるのに。

「いーや、間違いないぞ」梶村が興奮した口調で言った「キャリア六十年の生死の勘が訴えておる。君はまた生きているぞ」

「じゃ、なんで僕らみたいになってんのさ?」

 幸平が不満げな口調で言った。僕にはもう何がなんだかわけがわからない。

「けがでもして体のほうの意識がないだけじゃないのか?戦争中にはよくあったことだ。一度きちんと確認しろ」

 梶村は金庫に座って、深いため息をついたように見えた。死んでいるから息の音は聞こえなかったけど、疲れているように見えた。


 そのあとどうなったか。

 幸平と一緒に隣町との境目の上空まで飛んだら、見えない壁にぶち当たった。つまり、僕は町から出られないというわけだ。

「この壁がねえ、何でできてるのかわからないんだけど」幸平が見えない壁に両手のひらを当てながら、地平線のほうへ目をやった「この湖の町から出られないんだよね。僕ら死んだ人間は」

 見えないガラスの壁のようなものが町を覆っているらしい。冗談じゃない。そらから僕らは毎日毎日、何回も何回も、場所を変えて隣町との境目に行き、壁をすり抜けることができないか試した。でもダメだった。強化ガラスでもはまってるみたいに、進もうとするたびに行く手を遮られてしまう。

 もがいてる僕の横で、鳥や車がふつうに通過していくのを何度も見た。町の生きた人間たちには僕らが見えないようだ。もし見えていても、見えない壁と格闘してる僕たちの姿は、へたくそなパントマイムにしか見えなかっただろう。ガラスにぶち当たってもだえてるパントマイム、面白くもなんともない。

 僕らはこの見えない壁によって、町というでっかい檻に監禁されているわけだ。

「やだなあ。監禁なんて人聞きの悪い」

 幸平はそう文句を言っていたが、ほかに言いようがないじゃないか。


 そして今日。何もする気がせず、かといって町に行く気もせず、商店の奥の居間でぼんやりしている。梶村さんは、人には外へ出ろと言うくせに、家からはめったに出ないんだそうだ。まるで自縛霊だ。

 居間の窓からは湖が見える。昼間にしては人が少ない。朝見かけた観光客はどこだろう?遊覧船に乗ったのだろうか?それとももう帰ったのか、どっちでもいい。

 黙ってぼんやりしていると深刻に考え込んでしまう。どうして僕はここにいるんだ?どうして車が突っ込んできたんだ?どうして死ななきゃいけないんだ?本当に死んだのか?『生きている気配』ってどういう気配だ。ずーっと未来永劫この町を漂ってなきゃいけないのか?

 気が変になりそうだ。もっとどうでもいいことを考えよう。このまえ梶村さんが『それとも話題の……と言いかけてやめた死因は何だろう?考えてみる。本人には聞かない。聞いてしまうと時間つぶしにならないからだ。

「ミサイルとか、原子爆弾かな、戦後話題になったはずだし……」

 独り言をつぶやく。外はいい天気だ。日当たりがいいのが妙に空しい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ