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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第四章 4

 ミカちゃんは湖に着くなり、だれのだかわからないボートを勝手に水に向かって押し出した。飛び乗ってオールを乱暴に水に突っ込む。

「何してんの?危ないよ!こんな暗いときに」

「いーじゃない気晴らしくらいしたって!」

 ミカちゃんはめちゃくちゃにオールを漕いでいた。前にも乗ったことがあるんだろう。順調に沖に向かって動いてはいくのだが、顔つきが怒りに満ちているというか、八つ当たりしてるみたいですごく怖いぞ、ミカちゃん。

「あんのクソオヤジいいいいいい!覚えてやがれっ」

 大声でわめいている。どうやらかなりムカついているらしい。

「何話したの?お父さんと」

「高校は私立に行けって!寝る前にするハナシかっつうの!」

 ……確かに、旅行先で、しかも夜中にする話ではないな。

「うちのお父さんインケンなんだよ!自分がワセダ出てるからってそれが当たり前だと思っててさ、たまんないっ!私はミュージシャンになって男をたくさんカコってやるんだ!」

 がむしゃらにボートを漕いて息巻いてるミカちゃんには悪いが、その夢はやめたほうがいいと思う。

「あー!岩本君!止めなよ!何黙って見てるのさ!」

「こんな夜中にデートかあ、お二人さんよ」

 頭上から声がしたかと思ったら。幸平と字室だ。

「黙って見てたわけじゃないよ。お父さんとケンカしたんだ」

「イワモト!よけいなことを言うなあ!」

 ミカちゃんの振り上げたオールが僕の足をすり抜けた。生きてたら骨折間違いなし。

「あー、そういうことかあ」幸平が冷たい声で呆れた「いいかげんお父さんの言うことも真面目に検討したほうがいいんじゃない?少なくともミカちゃんよりは世の中知ってるよ」

「ムカつくー!世の中知らないうちに死んだやつに言われたくない!」

 興奮したのか、ミカちゃんがオールを放り出して立ち上がった。幸平に手を伸ばしたが、自分がどこにいるかを忘れていたらしい、バランスが崩れて、ボートがひっくり返った。

「あ!」

「ミカちゃん!」

 字室が水面に手を伸ばし、ミカちゃんの腕をつかんだ。そのまま上空へ浮かび上がる。危なかった。字室がいなかったら湖の底だ。

「ゲホッ、あれ、字室、いつのまに」

 ずぶぬれのミカちゃんがとろんとした目つきで字室を見上げた。

「幸平と一緒に来てただろうが、見えてなかったのか?このバーカ」

 字室はあいかわらず口調がきつい。

「なにおー」

 言い返す声には元気がない。いくら夏でも湖に落ちちゃ元気もなくなるよな。夜だから寒いし。

「幸平、岩本、このままミカを幽霊船につれていくぞ」

「え?」

「はあ?」幸平が露骨に嫌そうな声をあげた「幽霊しか乗れないに決まってるって、去年言い張ってたの字室君でしょ?」

「去年はもう過ぎ去ったんだよ、バカ。行くぞ」字室がミカちゃんをつかんだまま動き出した「だめだったらこのまま岸に戻ればいいんだ。試してみる」

「行く!やるやる!サミの船!」

 ミカちゃんは急にゲンキを取り戻したらしい、超乗り気だ。

「そうだね。ちょっとやってみよう」

 僕も興味がわいてきた。あのボロい幽霊船に生きた人間が乗ってるところを見てみたい気がする。

「でも……」

「いいからサミのところに行って、こっちに近づけって言ってこい!」

 字室が怒鳴ると、幸平はぶつぶつ文句を言いながら飛んでいった。字室はミカちゃんの腕をつかんだままで、湖の上をゆっくり移動していく。

「字室さあ、片手しか使ってないけど重くないの」

 重さを感じるかどうか興味があったので聞いてみた。字室が苦悶の表情で振り返ったのでびっくりした。

「重い」字室は顔をしかめたままミカちゃんを見下ろした「痩せろ」

「あー!ひどいー!少しは気をツカえよー!」

「暴れるなバカ!落とすぞ!」

 空中に浮いたままケンカしている二人を眺めていたら、向こうから船が近づいてくるのが見えた。サミが甲板に立ってこちらを見ている。好奇心いっぱいの目で。

「ハロー!」サミがぶんぶん手を振りながら叫んだ「ゲンキー?」

「ゲンキー!!」

「暴れるなあああ!」

 つかまれてないほうの手を乱暴に振るミカちゃんに向かって字室が悲鳴を上げる。

 二人は今、甲板の真上に浮かんでいる。

「いいか、少しずつ下がるから」字室が急に真剣な表情になった「完全に足がついたと思うまで手を離すなよ、落ちるかもしれないからな」

「おっけー」

 返事は軽いが、ミカちゃんの顔も真剣だ。

 字室とミカちゃんが少しずつ高度を下げていく。サミと僕と幸平は、動かずにじっとそれを見守った。

 コツ、と、足の先が何かに当たる音がした。ミカちゃんの足はちゃんと甲板に乗っていた。

 字室が手を離した。ミカちゃんはちゃんと船の上に、二本足で立っていた。

「うわあ…うわああ!」ミカちゃんがはしゃいで甲板の上を走りだした。サミもそれにくっついて飛び回る。二人で踊ってるみたいに見えた。うれしくてたまらないんだな、二人とも。

「幽霊船にようこそ~」

 字室がおどけた。みんな笑っていたが、幸平だけ、少し上に浮かんだままむすっとしていた。何が気に食わないんだろう?

「もしかしたら、あのドアも開けられるかも、生きている人なら」

 ひとしきり騒いだあとで、サミが顔をほころばせながら言った。

「あのドア?」

 初めて聞く話題だった。

「ああ、この船のずっと奥にドアあるんだけど、開かないんだよ」

 字室が甲板の奥、客席に続いていたのであろうドアを見ている。

「中に入れないんだよね、しかもこの船の壁はすり抜けられないし」

「そうなの?」

 初めて聞いた。そもそもこの船の中に入ろうなんて思わなかったからな。ぜんぜん気にしていなかった。

「おもしろそう!トライしてみる!」

 ミカちゃんが錆びたドアを蹴破った。驚く三人を無視して、さらに奥に入っていった。サミがあわてて後を追った。かんたんに倒れた錆びたドアにちらりと目線を向けながら。

「おいおいおい、過激すぎるだろ」

「ね、ねえ、いいの、字室君。奥まで入っていっちゃったら」幸平がなぜか慌てている「何が出てくるかわからないよ?」

「何をビビってんだよ。何が出てきたってもういいだろ、死んでんだからよ。かえっておもしれえ」

 字室がせせら笑った。

「そうだね。ちょっと興味あるな、中の構造」

「そういう問題じゃないって!」幸平が僕と字室を交互に睨んだ「サミは遊覧船と一緒に沈んだんだよ?この事故で行方不明が二十人いるんだよ?死体があがってないんだよ?」

「でも、それはこの湖の事故じゃないだろ?」

 字室が反論したが、もうせせら笑いは消えていた。

「でもサミと船は現にここにあって、生きているミカちゃんも中に入れるんだよ。もしここの中に、二十人分の死体が残ってたら……」

 二十人分の死体。それが水中を漂っている。その中の一人はサミだ。

 僕ら三人はその光景をしばらく想像して固まり……大慌てで船の中に飛び込んだ。


 幽霊船のドア。誰にも開けられないという内部のドア。幸平でも動かせなかった、貝殻や錆びに覆われたドアノブ。それをミカちゃんが力任せに引っぱっている。サミが天井に貼りつくようなかっこうで、期待でいっぱいの顔をミカちゃんに向けている。

「くうううううー」

 目と口をきつく閉じた顔が見る間に真っ赤になった。手がドアノブからぱっと離れる。

「だめだあ」ミカちゃんが床に座り込んだ「デンドードリルとか、そういうのないとダメじゃん?」

「そんなもんあるわけないだろ、諦めろ」

 字室がため息をついた。呆れているのではなくて、開けられたら困るからだ。もし行方不明者の遺体がまだ中にあったら……考えただけで怖い。そんなもの中学生のミカちゃんが見たら、ストレス後なんとか障害になりかねない。僕も死体は見たくない。

「やっぱり開かないようになってるのかしら。沈没したときからそうだったし」

「え?そうなの?沈没して錆びたから開かなくなったんじゃないの?」

 僕がそう聞くと、サミが困った顔で笑った。

「私が死んだ直後から、もう船は錆びついていた」

 そんなバカな。僕は幸平のほうを見た。

「もしかしたらこの船もユーレイなのかもね。昼間に僕たちが湖に潜ってもどこにも沈んでいないし、そもそも事故は別な湖で起きたわけだから。本体はないのかも」

 幸平が無表情で分析した。そんな怖い話になるとは思わなかった。今日はいつもとは質の違う寒気がする。体ないのに。

「寒くなってきたから僕帰っていい?」

「岩本!逃げるなよ」

 船から出ようとしたら字室に行く手を阻まれた。脱出は諦める。

「あああああーくやっしい!このこのこの!」

 ミカちゃんがドアをガンガン蹴り始めた。さっき外のドアを蹴破ったしな。過激な性格だ。

「うらうらうら!……あ」

 ごとっと音がしたので全員の視線がミカちゃんに集まる。さっき引っぱってもびくともしなかったドアノブが、はずれて床に落ちていた。

「また破壊したなお前」

 字室が低い声でつぶやいた。

「いいじゃんもともとコワれてたよーなもんだし……あ、ノブのところ穴になってる」

 ミカちゃんが穴を覗こうと身をかがめたが、字室が腕をつかんでドアから引き離した。

「なにすんの!」

「俺が先に見る。へんなものがあったら困るからな」

「なにそれ!ズリイッ!私がコワしたんだから私が見るー!」

 字室が暴れるミカちゃんを押さえながら穴を覗いた。そして、大きく目を見開いたかと思うと、ドアの穴を隠すように背中をおしつけてたちはだかった。

「何が見えたの?」

 サミが不審げな表情で字室を見た。まさか本当に死体がうようよしてるんじゃないだろうな。

「だめだ、覗くな、女が見るもんじゃない」

「何よそれ、差別だわ」

「そうだそうだー!」

 怯えた顔の字室に向かって、女性二人が抗議した。

「そういう問題じゃない!」

「じゃ僕に見せてよ。僕が説明するから」

 幸平がドアに近づいた。

「中学生はダメだ!」

 字室が叫ぶ。わけのわからない話になってきた。

「じゃ、岩本君見てよ」

「えっ?」

 困る。正直に言うと、見たくなかった。字室が見て驚くものなんてろくなものじゃないに決まってる。いや、もっと正直に言おう、僕はホラーが大嫌いだ。死体はもっと嫌いだ。

 いや、さらに正直に言うと、つまり、怖いんだ、見るのが。

「私が見る!」ミカちゃんが手をあげて宣言した「何なの?ユーレイどもがこんなにオクビョーだとは思わなかった!どいて字室!」

「いいのか?どうなっても知らないぞ?」

 脅迫するように睨みつけながら近寄ってくるミカちゃんの気迫に押されたのか、字室が動いた。ミカちゃんがドアノブの穴を覗く。僕らは固唾を呑んで(死んでるから飲めないけどな!)見守っていたが、ミカちゃんの表情はぜんぜん変わらない。

「どう?何が見えるの?」

 サミが興奮した様子でミカちゃんの背後に降りてきた。

「……あれ、ダレかなあ」

「誰って?人がいるの?」

「違うよ。ガイコツがある」

 ただでさえ冷たい船内の空気が、ますます冷え込んだ。



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