第三章 3
カメラマンとその他スタッフは、一番端の部屋にいた。みんな疲れているようで、ある人は雑誌を読み、ある人はたたみの上でだらしなく寝転んで……要するに各人勝手に休んでいた。
「ねえ、何で音声さんだけ一人部屋なんだろうね」
幸平がそう言いながら首をかしげた。ものすごく子供っぽい顔をして。
「お前それやめろよ、ガキ」
字室がそんな幸平のしぐさを見て嫌そうになじった。ああ、こいつ以上に『なじる』って単語が似合う奴は見たことがない。きっと生まれてから死ぬまで人をなじってたんだろう。
「悪かったね!それよりおかしくない、上役ならともかくさ、ほかのスタッフが相部屋なのに音声さんだけ別の部屋って」
「それもそうだね」
僕は幸平に同意した。
「仲悪いんじゃねえの?なんか一人だけ浮いてるように見えたぞ、金髪だし」
「髪は関係ないだろ」
前に字室が言ってた『茶髪頭悪い説』以来、僕は髪の話に敏感になってしまう。
「ちょっと脅かしてみる?」
幸平がにやりと意地悪く笑うと同時に、部屋の掛け軸がカタカタと音を立てて揺れだした。
部屋にいた四人がいっせいに掛け軸を見る。何の変哲もない水墨画の掛け軸が、地震でも起きているみたいにカタカタと揺れて続ける。
誰も声をあげずに、ただ揺れる掛け軸を見つめていた。
「反応薄いなあ。やーめた」
幸平の言葉と共に掛け軸の動きは止まった。
でも、四人は掛け軸から目を離そうとしない。メガネをかけた年長の男が、意を決したような硬い表情で立ち上がり、掛け軸に近づいた。顔を水墨画に近づけた瞬間、こんどは字室が男の頭を思いきり殴った。ひっ、と男が悲鳴をあげて床に倒れた。顔面を床で打ったらしい。顔を抑えて悶えている。
「どうしました?」
「誰か!今俺を殴っただろ!?」
ほとんど泣き声だ。
「誰も動いてないっすよ」
三人が立ち上がって年長に駆け寄った。よせばいいのに字室の奴、右から順番に全員の後頭部をリズミカルに殴った。まるで打楽器でも叩くみたいに。そして全員倒れた。字室は満足げににっこりと笑い、幸平もキャハハハハと、女子高生のような甲高い笑い声をあげた。
そんな楽しそうな二人とは裏腹に、何もやることがない僕は、人間って死ぬとこんなに残酷になれるんだなあと思った。と同時に、人を殴るとか、物を動かすっていう特殊能力がないのが残念だった。僕ができることは、この部屋がクーラーのききすぎで寒いってことを感じるだけだ。何て役に立たない能力だろう。
「この部屋寒いよ、出よう」
「なんだ、早く言ってよ」
幸平が視線をクーラーの操作盤に走らせると、空調がぴたりと止まった。……いや、そういうことを言いたかったんじゃなくて、もうやめて帰ろうって意味だったんだけど。
殴った、殴らないで口げんかをしていた四人が、静かになった。
「誰かクーラー止めたか?」
「いいえ」
「やっぱりこの町には何かあるんじゃないですか?」
オールバックの髪のスタッフが頭を押さえながら言った。
「いや、ありえないですよ、ねえ?」
この中では一番頭のよさそうなワイシャツ姿の男が、隣の年長に同意を求めた。
「何がありえないだよ。さっきの見ただろ?だいいちお前、冷や汗かいてるじゃねえか」
見ると、ワイシャツが汗で肌にべっとりくっついているのがわかった。まあ、クーラー止めたしね、今日異常に暑いしね……字室がこっちを見て、拳をぐっと握って振って見せた。『やるじゃん』という意味らしい(あとで幸平に聞いた)
「なあ、なんでみんな殴られたんだ?病気になったりしないか、ハゲるとか」
年長が変なことを言い出した。人間の想像力恐るべし。
「へ、変なこと言わないでください。だいいち殴られたわけじゃないでしょう?みんながいっせいに頭に衝撃を感じただけですよ」
ワイシャツの声は完全に怯えている。
「でも、そんなことが科学的にありえるのか?」
「みんな疲れてただけじゃないですか?それで同じ症状が同時に出たと」
「じゃさっきの掛け軸は何だよ、お前、ちょっと調べてみろ」
「嫌です!」
オールバックが悲鳴を上げた。
そのあと、大の大人四人が、掛け軸を調べる調べないで延々と口論し、騒ぎを聞きつけた上役がやってきて、四人のほとんど支離滅裂な説明を聞いた。
そのあと彼が出した結論はこうだ。
「何で掛け軸が揺れてるうちに撮影しないんだ?バカ!番組に使えるじゃないか。撮るぞ、ユウキとばあさんを呼んで来い!」
ワイシャツが部屋を飛び出した。
「あの音声さん、ユウキって言うんだね」幸平がさきほどとはうって変わって、同情してる顔をした「せっかく寝てたのに、かわいそうだなあ」
そんな申し訳なさそうな幸平を、字室は『バーカ』と言いたそうな、軽蔑しきった顔で睨んだ。僕は、音声さんより、この部屋にいた四人のほうがかわいそうに思えた。みんな撮影には気が進まない様子だ。機材の準備をしている動作がなんとなく怠慢に、疲れて見える。
「おかしいよな。大スクープが取れるかもしれないんだろ、これから。なんでこいつらこんなにやる気ねえんだよ。なさけねえなあ、最近のおっさんは」
字室はあきれたようにそう言った。自分がやったことはもう忘れているようだ。
旅館の狭い一室にある安物っぽい水墨画。その前に並ぶ、機材を抱えて不安げな顔をしている男たち。未だに眠そうな音声、ユウキさん。台本をめくって、また何か書き足しているプロデューサー。クーラーは入れなおされて部屋はまた寒くなった。
彼らは霊能ババアを待っている。もう三十分待っている。でもまだ来ない。
「遅いなあ、ばあさん」
プロデューサーがぶつぶつとつぶやいている。
「化粧に時間がかかってるんじゃないですか」
ユウキさんがそう言うと、幸平が真横に移動して彼の耳元で、
「大当たりー」
と言った。ユウキさんの肩がびくっと揺れた。なんとなくわかるんだな、幸平の存在。
「ああああああー気持ちわりい!化け物だぜ!あれは!」
ばあさんの部屋を覗きに行った字室が帰ってきた。ババアが嫌いなら見にいかなきゃいいのに、わからない奴だ。
「そういやユウキ、あの婆さんとどこで知り合った?」
カメラマンがにやけ顔をした。
「知り合ってませんよ。向こうが勝手に僕の顔を覚えてただけです」
「ほんとかあ?何かあるんじゃねえのかあ?これもんが」
いつの間にか戻ってきたワイシャツが、親指と人差し指で丸を作った。お金もらってないかってことなんだろうか?
「冗談じゃないですよ」
心底嫌そうにユウキさんが目を下にそらせた。
ババアはその数分後にやってきた。派手なピンク色の着物と化粧。手には変なひらひらのついた棒(神社にありそうなやつ、名前は知らない)を持っている。
「これなんです。この掛け軸が動いたんです」ワイシャツが説明した「地震のように揺れたんですよ!誰もさわってないのに」
「ふむ」ババが掛け軸に近寄って顔を水墨画に近づけた。と、掛け軸が上にめくれ上がって、ババアのあごにくっついた。幸平だ!
また叫びだすんじゃないかと思ったが。ババアは顔を水墨画にくっつけたまま、しばらく、うん、そうかい、ふんふん、と相槌を打ってるような声を出していた。
「そうかいそうかい、それはつらかったねえ、うんうん」
そんなことをずーっとつぶやき続けている。そして、カメラはそんなババアをずっととらえて離さない。
「大した演技だよな。ばかくせえ!」
字室がババアに近づいた。殴る気か?
「なあ、いくら何でもお年寄りの後頭部はまずいと思う……」
僕の言葉を無視して、字室は霊能ババアの髪をつかんだ。ああ、カツラをまたもぎ取る気だなと思った。でも今回はそう簡単にはいかない。
なぜって?ババアが両手で頭をおさえたからさ!
「ギャアッ!何をするかこの罰当たりめ!」
「罰当たりはてめえだ!」
霊能ババアVS字室、カツラ攻防戦が始まった。
僕と幸平には字室が見えるから、ただ大笑いしてりゃいいんだけど、問題はスタッフだ。生きている人間から見れば、今のババアは、いきなり体全体をエビのようにそらせて、頭を押さえながらぴょんぴょん跳ね回ってるようにしか見えない。ある意味お化けより不気味だ。それに、すさまじい大声で叫んでる。これは人が集まってくるんじゃないか?
「なあ、やめろって!」僕は急に笑う気がしなくなった「幸平!止めろよ!」
「アヒャヒャヒャヒャ!いいんだって、クーラー止めまーす!」
だめだ、完全に面白がってる。幸平は言葉とは反対に、クーラーの温度を十四度まで下げた(そんなに下がるとは思わなかった)ゴーというクーラーの回転音が響く。
ワイシャツがクーラーを見上げた。操作盤へ走る。
「離さんかああああああー水墨画の分際でええええ!」
「うるせえババア!観念しろ!」
攻防戦は続いている。カメラマンはずっとそんな二人?を撮り続けている。ワイシャツはクーラーの操作盤をいじっている。普通の温度に戻そうとしているんだけど、すぐまた幸平が十四度に戻してしまう。
「どうしたんだあ?壊れてんのか?」
カメラマンがババアからワイシャツのほうへ向きを変えた。ワイシャツはあせってボタンをめちゃくちゃに押している。しまいには操作盤を拳でバンバン殴り始めた。
「何だよ!何だよ!やめてくれよおおお!」
泣き出したぞワイシャツ。男が泣いてる顔って久しぶりに見たなあ。
騒ぎを聞きつけたのか、旅館の職員さんがやってきた。しかし、部屋に入って、のけぞって叫びながらぴょんぴょんはねてるババアを見るなり、悲鳴を上げながら廊下を走り去った。
数分後、なぜか警察と救急車がやってきた。病気でのた打ち回ってると思われたらしい。プロデューサーが、番組の撮影中だからほっといてほしいと無常なお願いをしたが、当然聞き入れられなかった。霊脳ババアは救急隊と警察に取り押さえられ、救急車に放り込まれた。
字室のやつ、一緒に乗り込んでいったんだぞ。いつまでカツラ攻防戦続ける気なんだよ?
「ああー。どうする?スタッフ一緒に乗ってくみたいだけど、追いかける?」
「いいよ別に。字室君はほっとこう」幸平はやっぱり楽しそうに笑っていた「どうせ夜になったらしゃべりに来るよ」
幸平と僕は旅館の部屋に戻った。スタッフがいないうちに荷物を拝見させてもらおうと思ったんだ。でも、面白いものはなかった。番組の台本に『湖に身を投げた少女の悲劇。親に虐待され、自殺したものの成仏できず洞窟に云々』と書いてあるのを見ただけだ。
「あほらしい話だねえ。サミの幽霊船のほうが面白いのにな。あれ、映らないのかな、カメラには。試してほしかったんだけどなあ」
幸平はそう言って、アハハと笑いながら、台本を床に放り投げた。