第三章 1
夏も近いある日のことだ。商店に戻って居間に入ると、フデさんは団子をつまみながらテレビを見ていて、梶村さんはいつも通り金庫の上に座っていて、こっちに気がつくと、手を額にかざした。軍隊調の敬礼っていうのかな?こっちもまねして手を額にかざしてみる。
よく見ると、梶村さんの隣に見慣れない男が座っていた。髪が妙に短くて、顔は凄く意地悪そうな感じ。特徴的なのは服装だ。トレーナーにジーパンなのだが、デザインがすごく古臭い。かなり昔に死んだんだな、と思った。
「帰ってきてたのかあ」僕とほぼ同時に入ってきた幸平が嫌そうに言った「岩本君、この人が字室君だよ」
幸平が男を指差した。
「久しぶりだなあ幸平。相変わらず平和主義か?顔がますますボケてきてるぞ」
クククと字室が笑いながら顔をゆがませた。これはかなり性格悪いぞ。
「そういう字室君はますます凶悪顔になってるよねー」
幸平も険しい顔で言い返した。幸平がこんな顔するのを始めて見た。
「この二人は仲が悪いぞ、気をつけろ」
梶村さんが小声で僕に教えてくれたが、気をつけろって言われても。
「で、そっちは誰?」
字室が僕のほうを見た。うわ、これは完全に見下した態度だ!
「岩本です」
「ふーん」字室がばかにしたような目で僕をじろじろと見た「頭軽そうだね」
「は?」
「岩本君、字室君が口が悪いのはいつものことだから」
今度は笑顔で幸平が言った。でも言葉にはどこか、いつもはないとげがある。
「じゃ俺、サミに挨拶してくるから。一緒に来る?」
「僕昨日行ったからやめとく」
「岩本は?」
「遠慮します」
「あっそ」
字室が窓から飛んでいった。スピードがひどく早いのに驚いた。あっという間に見えなくなった。
「ねえ、何なのあれは、失礼すぎない?」
「だから言ったでしょ。口が悪いのはいつものことなんだって」幸平が不愉快そうにつぶやいた「まいったなあ、たぶんすぐ戻ってくるよ。サミは全員呼ばないと気がすまないんだから」
「私も行こうか」
梶村さんが銃をかまえた。いったい何をする気ですか?その銃で。
「いや、大丈夫。梶村さんはフデさんを見てないとね」
幸平はそういい残して窓から出た。僕は慌てて追いかける。
「どこ行くの?」
「サミのところ!字室君と一緒に行きたくなかったんだ」
……ほんとに仲が悪いらしい。大丈夫なんだろうか、一緒にあの船の上にいて。僕にはケンカの仲裁をする自信がない。サミとこの二人でどんな会話するんだろう?
湖に行くともう船が出ていた。暗い湖面にもっと暗い、さびついた幽霊船が浮かんでいる。甲板で二人で並んでいるサミと字室が見えた。
あれ、顔見合わせて二人で笑ってるぞ、なんかかなりいい感じに見えるが。
「あの二人さ、性格きついのがよーく似てるんだよね……」
幸平が心底嫌そうにつぶやいた。やきもちやいてるように聞こえるぞ。
「サミはそんなにきつくないんじゃない?わがままかもしれないけど。機嫌よさそうでいいじゃないか」
「機嫌がよければいいってもんじゃないよ。二人してこっちの悪口言い始めてみなよ。もう最悪」
「なるほど」
僕らは船に降りずに、しばらく上空から二人を観察していた。
「あー!あんたたち!来てるんだったら早く声かけなさいよ!」
サミに見つかったようだ。しょうがないので、ゆっくりと甲板に降りる。
「ずいぶん楽しそうだったけど、何の話してたの?」
「今までどこに行ってたのって聞いてたの。教えてくれないのよ」
サミが不満げに、でも楽しそうに僕に笑いかけた。
「別にどうでもいいだろうがそんなことは。いやだねえ凡人は。すぐ人のプライベートを聞きたがる」
「たしかにそうね」
「そういうつもりで聞いたんじゃないよ」
僕はそう言いながら、幽霊のプライベートって何だろう?って思った。
「あーやだやだ。その言い草が嫌なんだって。自分で気がついてねえんだよ。そういえばお前、髪茶色いな」
字室の言う通り、僕は暗めの茶髪だ。いまどき珍しくもないだろうに。
「だったら何?」
「いやあ、頭悪そうだと思っただけ」
「は?」
「字室君。言いすぎだよ」黙っていた幸平が言葉を発した「それこそ凡人の思考じゃないの?見た目で判断っていう」
字室がとたんに怒りを顔に浮かべて幸平を睨んだ。
「ごめん、あたしもちょっと思ってた」
サミが僕に向かって謝った。すまなさそうに笑う。字室に言われるよりグサッと来た。きっとこの二人、茶髪っていう言葉が存在しない時代の人間なんだな。サミが死んだのは四十年前だし、字室もそのあたりの人間っぽい。格好が。
そういえば、字室は殺人犯じゃなかったっけ?
僕は字室を、目が合わないように気をつけながら見た。機嫌が悪いらしく、口をひんまげながらサミを見ている。サミはいつも通り月を見上げて、今日はいつもより黄色っぽいなんて言ってる。
おかしいのは幸平だ。いつもの余裕と言うか、優しさが感じられない。船の端っこで、無表情で暗い湖面を見つめている。サミと字室が視界に入らないようにしているみたいだ。
「幸平、なんか見える?」
「月が水面に映って揺れてるよ」
「あら、ほんと」
月、という単語に惹かれたのか、サミが幸平の近くに移動した。
「でもずいぶんゆがんで見えるわね」
「それはそれできれいなんじゃない?」
「お前ら、月なんか見てて楽しいのかよ。全く」字室が僕のほうに近づいてきた「なあ、あんたいつからここにいる?」
「えーと、はねられたのは三月だ」
声が上ずった。なんとなく怖い。
「事故か、そりゃ災難だったね。ま、どうせ不注意だろ?」
「車が歩道に突っ込んできたんだよ!不注意も何もないだろうが!」
「お、お前、案外弱気じゃねえな」
字室が感心したようにニヤリと笑った。完全に人を見下している笑いだった。腹が立つがこれ以上何も言い返す気にならない。こんな奴でも貴重な仲間なんだ、今は。
……つまり、こいつと長いこと付き合う羽目になるのか?考えただけで憂鬱だ。
「それより、面白い話があるんだ。おい!幸平!」
手下でも呼ぶような声で字室が叫ぶ。
「何さ、人が月見してるのに」
あからさまに深いな顔でふりかえる幸平。これはかなり嫌ってるな。
「アホ。テレビ局がこの町に来るんだ。心霊写真を撮りに。来週な」
「ああ、洞窟ね」幸平は不愉快な声のままだ「でも、そんな情報どこから手に入れたのさ」
「役場。お前だって本当は知ってたんじゃねえの?秘密が多いからなあ、幸平は」
「字室君みたいな悪正直よりましでしょ?」
二人の言い合いをボケーっと眺めていたら、サミが僕に近寄ってきて、いたずらっぽい笑いを浮かべながらささやいた。
「あの二人、ほんとは仲良しなの。少なくとも字室はそう思ってるのよ」
……そうか?