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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第二章 6

 次の朝。いつもならケンカの声が聞こえてくるはずなのに、静かだ。おふくろさんとばあさんが見当たらない。どうやらまだ寝ているらしい。親父とじいさんがトーストを細々と食っている。何故か僕の分まで焼いて皿の上に乗せてあった。いつもは自分でやるんだけど。

「あの二人は?まだ寝てんの?」

「話が夜遅かったからな」

 親父はそう言ったきり、一言もしゃべらずに出勤していった。じいさんも無言だ。ただ、いつもより顔色がよさそうなのは気のせいだろうか?

 僕はというと、昨日の自分の行動を思い出して、やっぱり後悔していた。


 学校へ、いつも通り誰ともしゃべらないまま昼休みまで過ごした。いつも昼を抜いて図書室へ向かう。読めるうちに本を読んでおこうと思って。ま、たいてい幸平が遊びに来て、しゃべるだけで終わるんだけど。誰にも見られてないことを祈る。でないと、何もない空中に向かってぶつぶつしゃべってる変な生徒になってしまうからな。ただでさえ友達いないのに。

 図書室内を見回す。今日は幸平が見あたらない。てきとうに本を選ぼうと思って、本棚が並んでいる奥のほうへ入る、すると、本棚の影から出てきた女の子にぶつかった。

「あ!ごめん!」

「い、いえ、こちらこそ……」

 ぱっと顔を赤く染めると、その女の子は足早にカウンターに向かって走っていった。きれいな子だな。足も細いし、ショートカットがあんなに似合う女の子を初めて見た。

「岩本くーん。何をボケーっとしているのかなあ?」

 真横にいきなり幸平が出現してにっこりと微笑んだ。びっくりして本棚に倒れかかるところだった。

「脅かすなって!」

「いやあ、楽しそうだなあと思って」去っていった女の子のほうを見て、幸平がニヤニヤした「ああいう子、タイプ?」

「違うって、ちょっとかわいいなと思っただけ。それよりこれから僕はどうしたらいいと思う?」

「あれ、また僕に戻ったの、俺じゃないの?」

「どうでもいいだろうが!……こいつはすこし強気になったほうがいいんだよ」

「ふーん。よくわかんないなあ。家のほうがこじれちゃって、ますます戻りにくくなっちゃったんじゃない?スダ君」

「別にこじれてないだろうが!」

「いちいち怒らないでよ!」

 そういえば、今日の夕飯はどうなるんだろう。また二人分出たら落ち込みそうだ。でも、どっちも作ってくれなかったらそれはそれで僕の責任か?

「ちなみにスダ君、さっきの子は葛西アイカさんといって、同じクラスの一番後ろの席にいるよ。たぶんこの町で一番の美人だけど、一年上の険悪なグループに目の敵にされてるよ」

「そんな情報はどうでもいい……それも覗きか?」

「うん、つきあってる男もいないけど、どうですか?」

「アホか!」

 幸平はほっといて教室に戻ることにした。図書室を出るとき、近くの葛西アイカがちらっとこっちを見ていたような気がする。顔が赤くなるのが自分でわかった。ああ、そんなこと気にしてる場合じゃないのに。


 家に帰ると、お袋さんが居間に寝転んで雑誌を見ていた。そんなにリラックスしている様子は見たことがなかった。妙に機嫌が良さそうだ。

「あら、ただいまくらい言いなさいよ。早かったわね」

 お袋さんが笑って言った。確かにこう見ると優しそうなお母さんだ。

「ババ……いや、ばあさんは?」

「おじいさんと二人で旅行に行ったわよ」

「は?」

 いきなりの話で僕はビックリした。旅行?何を突然?

「どこに?」

「さあ、定山渓だか札幌だったか、一週間くらい帰ってこないわよ。それより、夕飯何が食べたい?」

「何でもいいから一人前だけお願いします」

 反射的に口から出たのはこんな言葉だ。確かに僕はちょっと皮肉っぽくてきつい性格だ。

「当たり前でしょう。私しかいないんだから」おふくろさんが雑誌を置いて立ち上がった。台所へ向かうときに僕の横を通ったが、そのとき、小さな声で『ごめんね』とつぶやく声が聞こえたような気がした。

 僕は何だか体の力が抜けてしまって、よろよろと階段を上がった。かばんから数学のノートを取り出した。宿題が出てるんだ。スダはノートだけはまじめに書いていたらしい(ただ、字が汚いからところどころ解読不能なんだよな)ノートをてきとうにめくっていたら、マイナスの計算の間違いを見つけた。訂正しておく。

 机に向かいながらため息をつく。昔読んだ本にあったなあ、他人の体で生き返ったと思ってたのに、実はそれは自分自身だったって話が。でも僕は明らかにスダじゃない。

 少なくとも、この家の夕食のメニューを決める権限なんて僕にはないはずなんだ。



 夕飯は普通に一人前のカレーだった。お袋さんと親父と僕の三人。

「今ごろ二人はどうしてるかなあ」

 親父がぽつりとつぶやいた。帰ってきてからずっと無表情のままだ。ほんとにどうしてるか気にしてるわけじゃなくて、話題がないからとりあえず言ってみましたって感じ。

「温泉でも入ってるんじゃない?」

 お袋さんもどうでもよさそうな返答をした。僕は何をしゃべっていいのかわからなかった。黙ってカレーを口に運ぶ。(久しぶりでおいしさを感じたのはいいんだけど、どうしてにんじんしか入ってないんだろう……?)僕はもともとこの一家とは何の関係もないし、ここ数日の暮らしからじゃ、この二人とスダが何を話して生活してきたのかさっぱりわからない。

「ユウイチはどうだ、学校」

「へ?あ、普通」いきなり話しかけられて、口からカレーを吹き出しそうになった「とりあえず真面目にノートはとってるよ。頭に入ってないけど」

 ま、これが事実だろうな。

「それじゃ意味ないな」

 親父がひょうきんな顔つきをして呆れた。おや、こういう一面もあるのか。お袋さんも笑っている。今日は平和なようだ。やっぱりあのババア……いや、おばあさまが原因だったのかな?この家の災厄の。



 部屋に戻る。ベッドに座って目を閉じて、ひたすら念じてみる。

 戻って来い。スダ。一週間は平和だぞ。

 返答がない。

 戻って来い。僕はいいかげん嫌になってきたよ。他人の体で、他人の家族と暮らすのは。

 やはり返答なし。

 だめか。じゃしょうがない。今日こそ湖まで散歩するぞ。夜に。

 立ち上がって部屋を出ようとすると、強烈な頭痛が。

『ダメだって言ってるだろ!』

 来た!スダだ!

「だったら戻って来い!」めいっぱいの大声で叫ぶ「今日は意地でも出かけるぞ!真夜中に湖に行くぞ!いいか!湖には幽霊がたくさんいるんだ!仲間を探してるんだぞ!このまま行ったらお前だって殺されて引き込まれるぞ!」

 もちろん殺される云々はウソだ。でも、脅かすにはこれが一番だろ?

『……あんた、幽霊なの?』

 おい、今まで人をなんだと思ってたんだ?今ごろ気づいてどうすんだよ!

「その通りだ。交通事故で死んだ高校生だよ。名前は岩本祐一。このまま取られたくないだろ?人生を。戻って来いよ!僕はお前の人生なんか奪う気はなかったんだから」

『ろくな人生じゃないからね』

「そういう問題じゃねえ!」

 そういう意味じゃないんだよ。確かにスダ、お前の人生は最低だよ。つまんねえよ。家はこうだし、友達もいないし、運動神経もねえし。頭も悪そうだ(たぶん)

「いいのか、行くぞ、湖の底だぞ。いいのか?」

 スダの返答がない。

 僕は部屋のドアを開けた、暗い階段。ゆっくり降りていく。どうすればいいかさっぱりわからない。でも今は湖に向かうしかないよな。たぶん誰かに見つかる心配もないだろう。

 暗くて足元がおぼつかない。一段ずつ階段を下りる……と、下でガタガタ、と音がした。親父が部屋から出てきたのだ。気を取られて足を滑らせた僕は、階段から転げ落ちた。天井が視界に入った瞬間、鈍い衝撃が背中と頭に走って、目の前が真っ暗になった。



「おい、大丈夫か?起きろ!こら!」

 僕が目を覚ましたのは、スダの親父の声でだった。ただ、床に倒れているスダと、スダを抱えて叫んでいる親父の姿が、『下に』見えたってこと。

 つまり、僕はスダの家の廊下の天井にくっつくように浮かんで、下を見下ろしていたのだった。体からは、肉体が感じているはずの空気の感触や、感覚がことごとく消えていた。

 浮かんだまま自分の手を見る。手は見える。でも、握っても何の感触もない。

 ……抜けられた!

 下に下りる。目を覚ましたスダ本人が、薄目を開けて周りを見回している。

「お前はドジくさいなあ。どうせトイレにでも行く途中で足踏み外したんだろ?」

 親父が安心したような、あきれてるような声で言った。スダはしばらく、何が起きたのかわからないという表情をしていたが、親父のうしろにいる僕を見つけて目を丸くした。

「……あんたが?」

「は?何だ?」

 親父は自分に向けられた言葉だと思ったらしい。

「なんでも、ないよ」

 スダはゆっくりと力なく立ち上がると、よろける足で階段を登り、部屋に戻っていった。僕も後を追ってみる。どうやらスダには僕が見えたらしいから。



 部屋のドアをすり抜けた(ああ、できてもちっともうれしくない!)ベッドの上に座っていたスダが反射的に立ち上がった。そばかすだらけのかっこ悪い顔が緊張している。

 こんなやつになってたんだなあ、と思うと、自分がほほえましいというか、情けないというか、微妙だ。

「どう?生まれ変わった気分は?」

 おお、自分の声を久しぶりに聞いたぞ。ちょっとからかうつもりで言ってみた。

「別に何も変わらない」

 聞き慣れた声が返ってきた。だろうな。別に劇的な変化ってないもんな。

「そ、じゃ、せいぜい長生きすればいいよ。僕はこれ以上つきまとう気ないから。あ、そうそう、誤解されたら困るけど、好きであんたに乗り移ったわけじゃないからな!」

 語句は窓から外に出た。もうこの家にいるのはごめんだ。カレーはにんじんしか入ってないし(別にどうでもいいけど、気になるんだよ!)

「ちょっと待って!岩本さん!」

 振り返ると、窓を開けてスダが叫んでいた。

「さんとか言うな!気持ち悪い!あとは自分で何とかしろ!自分のことはな!」

 僕はそれだけ叫んで、湖まで一気に飛んだ。久しぶりに空を飛んだんだから、気持ちがよくてもいいはずなのに、なぜか寂しい。きっと風を感じないからだ。感覚がなくなったからだ。もう図書室でかわいい女の子にぶつかることもないからだ……って、何を考えてるんだ僕は?

 それにしても、なんでこんなにあっさり抜けられたんだろう。今まで何をやってもダメだったのに。



「おかえりなさーい!災難だったわね。それとも楽しかった?」

 久しぶりの、夜の幽霊船。サミが満面の笑みで迎えてくれた。満月の日だからか、機嫌がいいらしい。

「楽しくないよ。ほんとにとろい奴だったから。これからどうやって生きてくんだろうなあ」

「とろくたっていいのよ、未来があるのだから」

 サミが寂しげにそう言った。月を見上げている顔が青白く見える。ほんとに死人みたいだ、あ、実際もう死んでるんだっけ。

 そうだ、僕らには未来がもうないんだ。少なくとも『生きている』未来は。

 これからここで過ごす時間は何だろう?未来とは呼べないんだろうか?

「あーいた!いた!岩本君!」上空から大声、幸平だ「戻れたんならまず商店に来てよね!」

「あら、私のところじゃいけないっていうの?」

「そういう意味じゃないよ。梶村さんだって心配してるんだからね!」

 僕と幸平は船を離れて商店に向かった。サミにはすぐに戻るからと言って納得してもらった。

「それにしてもよく戻れたね、何かあったの?」

「階段から転げ落ちた」

「死んだの?スダ君」

「だれが死ぬか!……それだけだよ」

「転げ落ちただけ?」

「そう」

「もっと劇的なことかと思ったのになあ。おばあさんとおかあさんが仲なおりするとか、逆にどっちかが死ぬとか。いきなりスダ君が秀才になるとか」

「最後のは不可能だ……自分でも不思議だよ」

「不思議だね。でも、もしかしたら理由もなくこういう現象って起こるのかもね。僕たちがここでさまよってるみたいに、理由もなく」

「そうだね」

 理由はない、か。なんか納得がいかないけど、一番納得がいかないのは今の自分の境遇だから、あまり考えないほうがいいのかもしれない。

 商店の明かりを上空から眺める。久しぶりだ。こんなことができる自分がなぜか悲しい。スダの家の廊下、飛べないから普通に歩くしかなかった通学路や学校、急に懐かしくなった。



 あとでわかったのだが、スダの祖父母夫婦は札幌にアパートを丸ごと持っていて、そちらに引っ越すことにしたらしい(家がボロいから貧乏なのかと思っていた)前から別居の話はあったという。だったらとっととそっちに住めよな。

「どうもさ、俺が学校出るまではこっちにいるって言い張ってたらしいよ、ばあさんが。教育が気になるとか言って。そんなのどうでもいいのにさ」

 と言ってスダが笑った。こいつ、なぜか僕だけ見えるようになってしまったらしい。たまに様子を見に行くと、めざとく見つけ出して声をかけてくる。理科室のパソコンが放課後自由に使えるということを教えてもらった。まあ、教えてもらっても僕は使えないが。

「一緒に来ればいいんだ。教えてくれれば俺がやるからさ」

「そういうじれったいのは好きじゃないんだけどなあ、教えるのめんどくさいし」

 と言いつつ、僕はたまにこいつに付き合って初級パソコン講座をする羽目になった。まあ、暇だからいいんだけどさ、生きてたら自給二千円は取りたいところだな。



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