魔族の国
泣いていた。
誰かが、悲しそうに。
苦しそうに。
もう嫌だと。
苦しいと。
私は、その涙を拭うことはできない。
私は、慰めてはあげられない。
―――だって、変わってしまったから。
華が不意に目を覚ますと、漆黒の天井が目に入った。
柔らかい何か―――ベッドだろうか―――に寝かされている。ぼんやりとしていると、今までになく体が軽いような気がした。ここに来てからは、起きても覚醒するまでが酷く時間がかかっていた。当然だ、栄養が全く足りていない状態で、起きれるはずもなかった。
それだというのに、今日は比較的に目覚めが良い。さらに、体を包むものが今までの物と違っている事に気がつく。ごわごわとした粗悪なドレスで無く、さらさらとした生地の服。誰が着替えさせてくれたのだろう。それが男か女か、今の華には気にする余裕はなかった。
だが、今までの人生で着たことのないようなそれは、驚くほど気持ちがよかった。
「―――、」
一体自分はどうなってしまったのだろうか、不意にそう思う。
未だにあの悪夢の続きなのだろうか、それとも既にこと切れて、ここはあの世というやつなのだろうか。そうだとすれば、なんて良い待遇なのだろうと思ってしまう。
何時になく体が軽いような気がしたので、体を起こそうとしたが、酷い倦怠感でうまく起き上がれなかった。軽いといっても、やはり少し動こうとするだけで息が切れそうになる。仕方なく、起きることを諦め、首を動かしながら辺りを見回すことにした。
そして華は、表情では出ずとも内心で絶句していた。
―――ここは、昔のフランスか何かだろうか。
そう思うのも無理はなかった。そこには、華が前の世界のテレビでしか見たことが無い様な調度品があった。確か…ロココ調というものだっただろうか。華には正確な知識はなかったので、多分そのあたりだろうと思うことで落ち着く。
家電製品などは一切見当たらず、テーブルやソファなどが置いてある。どれもきっと素晴らしい細工が施されているのだろうと思った。思っただけで、そうだと分からなかった理由ははっきりとしていた。
(―――――なんか、黒く、ない…?)
そう、ほとんどの家具は黒で統一されているのだ。艶があるものや、消されているもの、銀や金で細工が施されているのはなんとなくわかるが、それでも黒すぎて何となくしか分からないのだ。
まるで魔王の居住区みたいだと、内心で感心していると、扉が音を立てて開いた。
「―――ハナ様!!お目覚めでしたか」
そこには、華が気を失う前に見た男が、トレーを手にしながら入ってきた。
「ぁ、の゛…」
「あぁ、お待ちください、そんな痛々しいお声で…どうぞ、お水をお持ちしましたので」
男は痛々しそうに華を見ると、肩に手をやり、支えたままゆっくりと華を起こした。そしてそのまま口元に水の入ったグラスを持ってくる。飲めと言うことだろうか。正直、握力もロクにないだろう華は、男に甘えて水を飲ませてもらった。程よく冷えたそれは、かすかに果物のような味もする。こんなに美味しい水は、初めて飲んだ。
そのあまりの美味しさに、華は時間を掛けながらもゆっくりと全てを飲み干した。
「ありがとう、えっと…」
水分を摂ったことで、先ほどよりかは若干マシになった声で、華は男に声をかける。
「あぁ、大変失礼いたしました。ハナ様、私はギルと申します」
ギルと名乗った男を、華はまじまじと見つめた。ひと言で言うのであれば、美男子だった。陶器の様に滑らかな肌、切れ毛など気にする必要のなさそうな漆黒の髪。先程は暗くて分かりづらかったが、鮮血のような真っ赤な瞳。着ている服は燕尾服、というものだろうか。似た形をしていいるようだが、所々違うそれは男によく似合っていた。まさしく、美しいという表現が似合う男であった。
薄く笑みを刷き、ますます神々しく華の目には映る。
しかし、いくら見目がよかろうと華は信用できなかった。一番最初に出会った綺麗な男がいい例だ。あのニンゲンも、見目は良かったような気がする。
しかし見た目の良さと性格の良さは比例しないことを、元の世界でも知っていたからこそ、なおのこと信用しようとは思わなかった。
しかし、面倒を見てもらったことに対する礼は必要だ。
「ギル、さん…あの、色々と、ありがとうございます…」
途切れ途切れに言うと、ギルは目を見開かせた。
「ハナ様、私の様なものにそのような敬称は不要です、どうぞギルとお呼びくださいませ…むしろ遅くなってしまい大変申し訳ございません。いくら気づくのが遅れたとはいえ、許されまじき失態です」
ギルは悲しそうに目を伏せながらそう言った。その表情にすら、色気を感じてしまうなんて綺麗な人はなんて羨ましいと華が考えていると、ギルはグラスを脇に置いて、華の両手を取った。
まるで繊細なガラス細工に触れているようなそれに、華のほうが驚く。
「ハナ様、我らが魔王様、長い間、あなた様をお待ちしておりました」
「………魔王…?」
その言葉に、華は疑問符を上げる。そういえば、彼は初めて会った時にも同じようなことを言っていたような気がする。
「はい、ハナ様、あなた様こそが、我らの偉大なる魔王様にございます」
ギルは溢れんばかりの笑顔で肯定した。正直、華はあなたのほうがよっぽど魔王らしいのだけど、と思った。
華はただの人間だ。彼の、ギルの望むような力はないと思っている。
だが、ギルの花開くような笑みに、華はどうしようもなく心がざわつく。まるで、彼が、自分という存在を求めてくれているような、そんな気がしてしまう。そんなはず、ないというのに。
「その、言っている意味が、よくわからない…のですが」
そもそも華は、この世界に来てまともに情報に触れていない。今ある情報だって、どれほどの信憑性があるというのか。魔王だのなんだの言われて、はいそうですかとなんて言えるわけがないのだ。
だって、自分は聖女ではないから、棄てられたのだから。困惑する華に、ギルは頷きながら肯定した。
「わかられないのも無理はございません。なのでどうぞ、お聞きになって下さい、ハナ様」
その言葉に、華は驚きを隠せなかった。誰も、今まで、そのようなことを華に言ってくれた人はいなかった。わからないから聞いても、返されるのは侮蔑を込めた嘲笑のみ。いつからか、聞くという行為そのものに絶望し、口にしなくなってしまっていった。
だが、目の前の男は聞いてくれと言う。正直、信じられるかどうかでいったら、わからない。
しかし、少なくとも彼はニンゲンではないだろうと思う。ニンゲンであれば、いつだって似たような反応しかしていなかった。目の前の男は、その見覚えのある反応を一切していない。
今の華にとって、それは一番重要な事であった。信じられるかどうかと、情報を得ると言うのは別問題だ。とりあえず、あの悪夢からは脱却したのだろうと思われる。なら、次は何をするべきか。
色々しなくてはならないと、そう思う。生きるためにそうするのか。そう問われれば、華は分からないと答えるだろう。
一度死を選んだ身。もう二度と変えれないだろう元の世界への執着も、そのときに一緒に無くなってしまった。
生きたいか、死にたいかと問われれば、どちらでも構わないというのが本音だ。あれ以上の辛酸を舐めると分かれば即座に死を選ぶだろう。
だが、もしよくなるというのであれば少しくらい生きてもいいとも思ってしまう。
しかし、どうしても一つの願いが脳裏に浮かぶ。
そう、できるなら―――
――――できるのであれば、私は【 】がしたい