閑話 魔族の彼の場合
初めてあのお方にお会いした日、なんと美しい方なのだろうと思った。
魔族の国の歴史は長い。
王と呼ばれる存在はなくとも、一番強い者に従うと言う本能があったためだ。その本能があったからこそ、魔族は滅びなかったといっても過言ではない。
そうして一番最初の統治者は、国を興した。そのころ、ニンゲンは小さな集落をそれぞれ作っており、小競り合いもよくあったらしい。そしてニンゲンが国家というものを作り、聖女と言うものを召喚し始めてからいったいどれだけの時間があったのか、よくは知らない。
ギルは、生まれて百年近く生きている。魔族の中ではそこそこ長く生きているほうだったが、それでも更に長く生きているものはその倍を超えていた。
ギルの父親も、そうだった。父の話は、ギルにとって面白いものだった。さすがに長く生きている分、話題は尽きなかった。
そして、聖女のことも、話に聞いていた。父が彼女の側近だったから。
魔王となった彼女に、父は恋に落ち尽くしたと、本人から聞いた。心から愛しており、幾度も言葉にしたと。彼女も、それを受け入れようとしていたとも聞いた。
しかしそれを阻んだのが当時のニンゲンの騎士だった。
阻んだ、というのはおかしいのかもしれない。実は、魔王となる前の彼女と騎士は互いに互いを思い合っていて、言葉にさえすれば彼女が魔王になることはなかったのかもしれないと父は言っていた。だが結果的に。
彼女は、彼ともう一人の聖女に裏切られたことによって魔王となった。
もう一人の聖女の自作自演により、彼女はもう一人の聖女とその騎士が愛し合っていると勘違いをしてしまった。唯一認めてくれた人が、優しく言葉をかけてくれていたその人が、実はもう一人の聖女の差し金なのだと吹き込まれた聖女は、正しく絶望した。
そうして魔王になって、対峙しに来た騎士と奇跡的にお互いの勘違いを正してしまったのだ。
だからといって、彼女が聖女に戻ることは出来ない。
なんとか引き留めようとした父に、涙ながらに謝罪しその騎士と相討ちをして亡くなった。貴方がくれた言葉はどれも優しく、嬉しかった、でも、私はあの人を愛しているの、と言葉を遺して。
ギルはなんと愚かな、と思った。恋という不可思議な感情に踊らされた父も、魔王も、ニンゲンも。
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聖女のことが忘れられぬ父と添い遂げたのが、母だった。
聖女のことが忘れられなくてもいいと言っておきながら、最後はなぜ私を愛してくれないのと父を詰り、幼い俺を捨てて母は出て行った。
そうしたことから、私は冷めた感情を持つようになり笑顔なんてものは知らないまま育った。そんな中、五将の誘いを受け、力が全てのこの魔族の国で有数の地位を得た。
ニンゲンは飽きもせずに争いを仕掛けてくるが、戦闘狂の一族が暇つぶし感覚で遊んでいる為、そこまでの仕事はなかった。
あの日までは。
あの日、身体に衝撃が走った。
心が、身体が、求めている。
恐ろしいまでの、吸引力。
私はいてもたってもいられず、城から飛び出し、引き寄せられるかのようにそこへ飛んで行った。
そしてそこにいたのは、あの方だった。
黒い靄に包まれたあのお方は、美しい黒の髪と瞳をお持ちだった。
しかしその恰好はひどい有様で。
明らかに古く粗悪な黒いドレスに、手足を拘束する無粋な手錠。
そして異常なまで細かった。
そして私は思ったのだ。
この方は私が守らねばならない、と。
強烈なまでの庇護欲だった。
私は急いで魔王様ことハナ様を城にお連れし、身体をメイドに清めさせベッドに横たわらせた。
正直、魔王なんて信じていなかった。
力が全ての魔族の世界において、元ニンゲンになぜ傅かなくてはならないのかとすら思っていた。
しかし今は違う。
私は、魔王様の為に生まれてきたのだとすら、思えてしまう。
そして、ハナ様は目覚められ、私を頼りにして下さった。ハナ様が私に吐露して下さった心情。
あまりにも幸福で、まるで甘露の飲んでいるかのようだった。私は、ハナ様に幸せになって欲しいと思った。ニンゲンに傷つけられた分、私が幸せにしたいとすら思った。
そして気づく。
これは本当に庇護欲なのか?ハナ様が来てから、城に笑顔が増えた。そしてイザークにも言われた。氷鉄形無しだな、と。
しかし、それに対して何の憤りも生まれなかった。
ハナ様の傍にいるのが幸せだ。
ハナ様が笑って下さるのが幸せだ。
ハナ様が私の名前を呼んで下さるのが幸せだ。
そうして私の欲はどんどん深くなってゆく。
ハナ様が、私だけを見て下さればいいのに
ハナ様のお傍にいるのが私だけであればいいのに
ハナ様が一番に求めるのが私であればいいのに
そしてようやく気付く。
私はハナ様を愛しているのだと。
あのお方に、ギルと甘く呼ばれると全身がしびれる。
あのお方の、傍ではもう足りないのだ。
ハナ様の隣で、あの方を愛したいのだと。
出来る事なら、ハナ様を心行くまで愛したい。
隅々まで愛でて、私から離れられないようにしてしまいたい。
私の全てを受け取り、あの方の全てが欲しい。
――――そしていつか、私の子を孕み、産んでほしい。
父のことをもう馬鹿にはできないとギルはひっそりと嗤った。あの頃は、元ニンゲンなんてものに溺れた父を馬鹿にし、そんな父を愛した母を哀れに思った。だが、今では理解できてしまう。
理性なんて、在ってないようなものなのだ。
魔王という絶対的を目にして、心奪われないほうが可笑しいのだ。
そうと決まれば方針は決まった。
ギルは薄く微笑んだ。ハナ様をこの上なく甘やかそう。どろどろになるまで愛して、自分がいないとなにも出来なようにしてしまうのだ。
「―――――我らが魔王様、愛しい愛しい我らが唯一、私だけのハナ様になってくださいね」




