決めた先
それは、どろどろと煮詰まっている
いつか、吹き飛ぶその日まで
周り全てを巻き込んで、何一つ残さず消えていくために
もう、誰にも止めることは出来ない
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暖かい紅茶は既にその温度を無くしている。
「ハナ様、ハナ様は何をお望みでしょうか」
ギルは呆然としたままの華に甘く声をかける。跪いたままの彼は、華の冷え切った手を優しく握りこんで、下から見上げる様に華を見上げる。
「……私、は」
私は、何をしたいのだろう
何を、するのがいいのだろう
そうだ、わたしは
「―――ふくしゅう、したい」
「誰にでしょうか」
「あの、ニンゲン共――……」
思い出すだけで、吐きそうなほどの憎悪が沸き上がる。視界が一瞬で赤くなる。息すらも出来なくなりそうなまでの憎悪が、華の体内をのたうち回っているような気がした。
「ハナ様、どうぞお話しください…あなた様の抱える全てを」
ギルは更に甘く囁いた。
「―――にくい、
私はこの世界の私を召喚んだあいつらが、にくい
仕事に行こうとしていただけなのに、
今日も頑張るかって、思っただけなのに、
なんで私が?
私から、あの世界を、奪った
あの、優しい世界を…
なのに、なのに…
私を棄てた……!
まるでゴミみたいに
なんで
なんで、わたしなの
あの、もう一人の子だけ、大切にされてる
わたしは、売られたのに
浚ってきたのはあいつらなのに
あぁ、にくい、
どうしようもないほど、にくい」
華の唇から漏れたのは、怨嗟の言葉であった。
地獄から連れ出され、安らぐ時間というものに触れた。そのことによって、表面的には落ち着いているかのように見えた華だが、何一つとして忘れてはいなかった。
いや、忘れらるはずもないのだ。
掴まれ、引きずられるように歩かされた手足の痛み。
―――痛いと叫んでも、引きずられた。
粗悪な鉄でできた、重い手錠。
―――重すぎて肌が擦り剥け、血が滲んだ。
気に入らないと言うだけで殴られた身体。
―――酷い時は息の音が煩いと怒鳴られた。
空腹の惨めさ。
―――与えられるのは水のようなスープだけ。
―――そして、嘲笑するニンゲン達。
一人一人の顔など、覚えていない。
だが、華にとっては総じてニンゲンというくくりになっていた。それほどまでに、その種を憎んでしまっていた。
「―――一人残らず、消し去ってしまいたかった…私のことを連れ去った連中も、私を棄てたニンゲンも、そして嗤った、ニンゲンも」
それを言った後、華はまるで後悔するかのようにその顔を掌で覆った。しかし、懺悔するように吐露する華に、ギルは嬉しそうに微笑んだ。そしてその冷たい手を、優しく剥がす。
「ハナ様、ハナ様、ようやく仰って下さいましたね…私は心配していたのです。魔王様になられるほどの感情をお持ちでありながら、ハナ様は冷静になさっておられました。言いたくないのかとも思いましたが、言う事自体がハナ様にとってフツウではなかったのですね」
ギルはとろりと溶けた表情のまま、華に伝えた。いま表情を歪めたままの華に、ギルは幼子に伝えるように優しく、そして甘く言葉を連ねる。
「ハナ様、憎んでもよろしいのです、恨んでも構わないのです…それを、私にお隠しになる必要など、どこにもないのです。あなた様は我らが望んだ魔王様、ここにあなた様を害し、否定するものはおりません」
だから、
ギルは続けた。
「どうぞ、あなた様の望みを、我らと共に叶えさせてください」
「―――――でも、私は、皆の望むような魔王にはなれない」
華は喘ぐように言う。
それは、華にとって心配事の一つだ。統治者たるもの、民の為に在れと教えられた華の常識は、そう簡単に崩れることはない。華自身はそういった立場でなくとも、そういった世界で育った華にはそれが常識だった。だが、ギルはそんな華ですら愛おしそうに見つめる。
まるで、華の言葉こそがすべてだというように。
「いいえ、ハナ様だからこそ、魔王様なのです。あなた様の代わりなど、この世界にはいません」
ギルの甘い言葉に、華はうろりとその視線をギルに向ける。信じていないわけではない。だが、全てを信用するわけにもいかない。
―――次、裏切られたら、華は全てを壊さなくてはいけなくなるから。それが、今の華にとっては怖いことだった。
「ギル、あなたは、この国が好き?」
その言葉に、ギルは僅かに目を見張ると、溢れんばかりの笑顔を華に向ける。
「はい、ハナ様…あなた様がいらっしゃるこの国を、愛しています」
「……この国は、今の私に居心地のいい場所だわ…、だから、それを壊そうとするものは、壊したくなる。それを壊されるのは、いや。それに、私から世界を、すべてを奪ったやつも、嫌い…私から更に奪おうとするやつも、もっと嫌い」
華はそこまで言うと、ふぅと息を吐いた。そうだ、自分の大切な場所を守って何が悪い。あいつらだって、同じようなことをした。自分たちの場所を守るために、私からあそこを奪った。因果応報、本当にその通りだ。彼らがして、私がしてはいけない理由などないだろう。
だって、彼らが先にしたのだから。
―――――私が、復讐をしたっていいはずだ。
華の心は、すでに壊れていた。
あの凄惨たる生活で、元の世界の華は完膚なきまでに叩き壊されたのだ。
―――なら。
「―――――邪魔するつもりなら、なくしてしまってもいいよね。だって、私は私の世界を、これ以上壊されたくないもの」
華は、不知火華ではなくなった。
「ハナ様、我らの魔王様、あなた様は誰にも縛られることなく、存在すべきお方なのです。誰一人として、あなた様のなさることに異議を申し立てる事はありません。あなた様が、我らにとっての全てなのです」
その言葉に、華はこの世界に来て初めて口角が上がった。ここに来てから、一度として上がることのなかったそれ。それは、酷く歪だったのかもしれない。それでも込み上げる笑顔というものを忘れていた華には、十分な笑顔であった。
その表情を見たギルは、あぁ、とうっとりとため息をつく。憎悪に満ちた華の笑顔は、ギルにとって、いや、魔族にとっては壮絶なまでの美しさだ。天真爛漫な笑みなど、魔王さまには似合わない。絶望を飲み込み、それでもなお笑みを浮かべるその存在こそが、尊い。それをきっと、彼女は知らないのだろう。
――――この笑顔を、一生お傍で見ていたい。
――――誰にも、見せたくない。
ギルの胸中にある種の独占欲が湧き出る。それはひどく汚らしくもあり、そしてあって当然のものだった。
「ギル、あなたはどうするの」
華は目の前の陶酔した表情のギルに問うた。その蕩けた表情に、華の心は疼く。自分だけを見る彼であれば、いつかは信用していいのだろうと思わせるその表情。その代わり、一度でも裏切れば、きっと何かしら終わりを訪れさせたくなるその、甘い笑み。
ギルは華の手を取ると、そっと手の甲に口づけを落とした。
「私はあなた様のものです、ハナ様。この身果てるまで、あなた様のお傍に」
華は、手をギルに取られたまま、見つめる。
それはきっと、誓いなのだろう。彼にとって、一生をかけるほどの。だがそれを、華は知らない。
「私の、ギル」
華のその言葉に、感極まったのか。華の指に己のそれを絡める。そしてそのまま、自分の口元に持っていくと優しく唇を押し付けた。その壮絶なまでの色気に、華はくらくらとしてしまう。
まるで、濃密な香りの花畑で窒息しそうだ。
「我らの魔王様、私の、愛おしき方」




