第1話 毒味役、令嬢になる
(今日はいくつ皿が並ぶのだろう)
朝一番に浮かぶのがそれなのだから、我ながら大概な性根をしていると思う。月城珊瑚、十八歳。肩書きは「毒味役」。中身はただの薬屋の小娘である。
宮城の東、皇太子の私室に近い毒味部屋は、日当たりだけはやたらと良い。良すぎて、並べられた膳の匂いが強く立つのが難点だった。今日の膳は蒸し魚に、干し棗の甘煮、それから見慣れない赤い実の和え物――さっそく怪しい。珊瑚は箸を伸ばす前に、まず鼻を近づけた。
杏仁のような、それでいて微かに苦い匂い。棗にしては香りが立ちすぎている。
(これは……あの実、干せば毒が抜けるはずなんだけど)
生家である月城薬房で叩き込まれた知識が、頭の奥でかちりと音を立てる。父は「お前は舌より鼻で毒を見つける質だ」とよく言っていたが、鼻が利いたところで、それを誰かに信じてもらえるとは限らない。特にここ、後宮という場所では。
半年前まで、珊瑚は都のはずれで薬草を刻む毎日を送っていた。それがどうして、皇太子付きの毒味役などという大層な役に収まっているのか。答えは単純で、没落しかけた実家の借財と、縁談を厭った従姉の身代わりだったからだ。「珊瑚なら顔も知られていないし、ちょうどいい」と親戚一同に軽く言われたときの気持ちを、誰かに理解してもらおうとは思わない。
とはいえ、目立たず、逆らわず、粛々と毒味だけをこなして三年勤め上げれば、実家の借財は帳消しになる約束だった。だから珊瑚は今日も、赤い実の和え物を一口――本当に一口だけ――口に含む。
苦い。微かに、けれど確かに苦い。
「下げて」
短く言うと、控えていた宦官の顔がさっと青ざめた。毒味役が「下げて」と口にするのは、この部屋では滅多にないことらしい。珊瑚にとっては今月三度目だが、たった三度で「疫病神」だの「不吉な毒味女」だのという渾名がついてしまうのだから、後宮の噂というのはつくづく効率がいい。
問題は、その渾名がここ数日でさらに育っていることだった。皇太子付きの侍女が原因不明の腹痛で倒れ、隣の宮では乳母が意識を失い、いずれも「珊瑚が運んだ膳のあとだった」という尾ひれがついて回っている。実際には珊瑚が毒を見抜いて下げた膳ばかりなのに、噂の中では都合よく順序が入れ替わっているらしい。
(誰かが、私を悪者にしたがっている)
疑うより先に、うんざりする方が早かった。薬屋育ちの珊瑚には、政争の作法などわからない。わかるのは、毒には必ず出所があるということだけだ。それなら追いかけるべきは噂ではなく、赤い実の出所である。
膳を下げさせ、裏口から食材庫へ向かおうとした珊瑚の前に、見慣れない人影が立った。
隣国から招かれたという宮廷魔導士――誰もが恐れ、誰もが名前より二つ名で呼ぶ女。
「沈黙の魔女」
異名の通り、彼女は誰の前でも一言も発しないと聞いていた。実際、目の前の魔女は珊瑚を見つめたまま、口を開く気配がない。ただ、その手には小さな石板があり、白墨で素早く文字が綴られていく。
『そなたが運んだ膳、いま持っている実は毒草の一種。ただし、本来は乾燥させれば無害になるはずのもの』
珊瑚は思わず眉を上げた。自分と同じ結論に、声もなくたどり着いた相手がいる。
「……知ってる。だから変なのよ。ちゃんと乾かした実が、なんで生のときの毒を持ってるの」
石板の文字が、また忙しく動く。
『それが、私がここに来た理由』
短い答えにしては、随分と重い一文だった。珊瑚は石板の魔女――ノア・アシュフォードという名だと、あとで知ることになる――をまじまじと見返す。声を持たない魔女と、余計なことしか言わない毒味役。似ても似つかない二人だが、なぜだろう、初対面だというのに妙に息が合う気がした。
「――手、貸してくれる? あたし、噂の犯人にされる前に、ちゃんとした犯人を捕まえたいの」
石板に、短く一言。
『望むところ』
誰かと同じである必要なんて、端から一度もなかった。声高に喋る毒味役と、一言も発さない魔女。不揃いなふたりが並んだそのときから、後宮に潜む本当の毒を炙り出す事件簿が、静かに幕を開けた。




