にじくむ恋
令和7年度ブランドサミットで配布した甲州弁がテーマの小説です。
正直に言うと、最初はちょっと怖かった。
同じクラスの渡邉さんは、甲州弁を使って話す。
山梨に引っ越してきたばかりの僕は、語尾が短くて、はっきりしていて、たまに何を言っているのか分からない彼女の言葉が、苦手だった。
「はんで出せし。ほら、化学のプリント」
初めて話しかけられたとき、全く理解できず、怒られているのかと思った。不幸中の幸い、「化学のプリント」という言葉だけが聞き取れて、提出物を回収しているのかと意味をくみ取ることができた。
——甲州弁って、やっぱりきつい。
それが、僕の正直な印象だった。
ある日の放課後、僕が借りていた小説を返しに図書館へ行くと、そこには渡邉さんがいた。渡邉さんはカウンターで、頬杖をつきながら本を読んでいた。どうやら図書委員らしい。最悪だ。よりによって苦手な人が当番の日に来てしまった。僕たち以外に生徒はおらず、二人きりにしては広すぎる空間に、気まずさを覚えた。
さっさと本を返して帰ろうと思い、カウンターに本を置くと、渡邉さんは読んでいた厚い文庫本をおいて、バーコードリーダーを手に取った。
話すこともなく、視線をさまよわせると、窓の外に目が行った。
「……あ、雨降りそう」
僕がそう言うと、彼女は顔を上げて窓を見た。
「てっ。窓、開けっぱじゃん」
「僕が閉めるよ」
居心地の悪い空気から遠ざかりたいと思い、駆け足で窓に向かった。
すると、わきに置いてあったワゴンに足をかかった。あ、やば。僕は盛大に転んだ。ひりひりする額をさすりながら起き上がると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえる。
「……まったく、せえたらこいちょ」
渡邉さんはふんわりと笑みを浮かべながら、僕にそう言った。
せえたらこいちょ。
その言い方が、なぜか耳に残った。
あの日以降、僕は苦手だった甲州弁に興味がわいて、渡邉さんに話しかけるようになった。
部活のこと、テストのこと、どうでもいい話。
彼女の口から知らない方言が飛び出す度に質問すると、渡邉さんは困ったように、照れながら答えてくれる。
「ねえ、今の『わにわにしちょ』ってどんな意味なの?」
「んー、『調子に乗るな』っつこん」
「え!俺今調子乗ってた⁉」
ある日の放課後。今日も閑散とした図書室には僕たちの会話が響いている。
「渡邉さんは、なんでそんなに甲州弁が上手なの?」
ずっと気になっていたんだ。他のクラスメイトは、たまに甲州弁が出ることはあっても、標準語で話している。なぜ、渡邉さんはこんなにこってこての甲州弁を使うのだろうか。
渡邉さんは目線を斜め下に落として話し始めた。
「富士吉田ん方におばあちゃんがいるんだけんども、私、昔からおばあちゃんのことがうんと好きで、ほんなおばあちゃんが使う甲州弁が好きだったんずら。甲州弁はおばあちゃんと私の絆っつこん。」
昔を思い出す渡邉さんは、懐かしそうに目を細めてほほ笑んだ。
「だけんど、甲州弁ってダサいし、怖いじゃんね。癖んなっとってなかなか直らんくって」
「俺は好きだよ」
渡邉さんは「え」と小さく唸って、目を見開き、顔を赤く染めた。ん?俺、今なんて…
「……あ、甲州弁がね⁉俺は甲州弁けっこう好きだよ!」
自分の失言に顔が熱くなる。渡邉さんは、吹き出して笑った。
二人きりの図書室に、青春の風が吹く。




