第二章第八話『船上』
「食えユダ!!」
そうやって差し出されたのは串刺しの肉だった。
(さっきのシースピリットの肉を一口大に切り、串に刺して直火で焼き上げて塩で調味したのか…)
さっき初めて魔獣を見たばかりなのに、今度はその魔獣を食べることになるとは。シースピリットのグロテスクさは消えているが、それでも抵抗は生まれてしまう。
(よくみんな食べれるな…)
ハムハムと、皆は必死に食らいついていく。ためらっているのはユダだけだった。
ユダは唾を飲み、思いっきり串刺しを口に入れた。
その瞬間、暴力的なまでの「野生」が口内で弾けた。
「……ッ!?」
想像していた生臭さは微塵もない。むしろ、噛みしめるたびに溢れ出すのは、驚くほど濃厚で滋味深い脂の甘みだ。引き締まった筋肉質な繊維が歯を押し返し、噛みちぎるたびに熱い肉汁が喉を焼く。
生きるためのエネルギーが、ダイレクトに全身の細胞へ注ぎ込まれていくような感覚。
「意外といけるな…」
そうやって二口目に手を出そうとすると、横からフェリスが飛び出す。
「だろ!! アアル王国は魔獣が生息していないからだが、他国なら結構有名なんだぜ!! まぁ美味いのは俺の料理の腕のおかげだがな!!」
胸を張るフェリスをアルスが横から小突く。
「自分の手柄にするなよ。フェリスは捌いていた僕の邪魔をしてただけじゃないか!」
「うっせぇ!! 俺だって多少は手伝っただろう!!」
「何回もつまみ食いしてた癖に!!」
二人の応酬に思わずユダは苦い笑いをした。
気まぐれに串焼きを注意深く見ると、不自然な魔力が見て取れた。「なぁ二人とも」と軽く殴り合っている二人に呼びかける。
「どうしたユダ? この馬鹿よりは助けになれるよ」
「はっ! 話聞くぜユダ!! 俺はこの天才気取りよりは役に立つぜ!!」
互いに互いを指さして言い合う二人の言い分には構わず、ユダは聞きたかったことを続ける。
「なんかこの肉、黒い魔力が纏わりついていないか? 本当に僅かだけど…」
「な、なんだって!? アルスそんなことしたのか最低だな!!」
「フェリスは僕のせいにするなよ…それは多分、あのシースピリットが死海の方から来たからだと思うよ」
「死海……?」
聞き慣れない不穏な単語に、ユダの手が止まる。 アルスは真剣な表情で、自分の持つ串焼きをじっと見つめながら言葉を継いだ。
「この人間界の四隅の海のことだ。平面なこの世界はどこかで端っこができる。その端っこ付近の海が死海。魔力濃度が極端に高く、人間の魔力機関ならそれをまともに処理できずに死ぬ。だからみんな世界の隅にはたどり着けない」
「それ、食べても大丈夫なのかよ……」
ユダは自分の腹部をさすった。あまりの高魔力を魔力機関が処理できずに絶命する想像をして顔を青くする。
「心配ねーよ!」
フェリスが豪快に笑いながら、ユダの背中をバシバシと叩いた。だがユダの耳はフェリスが「多分…」と呟いたのを見逃さなかった。
「僕がちゃんと害がないことは調べたから安心してくれ。まぁ運が悪かったらちょっとお腹を壊すかもしれないけど」
「そう簡単に当たってたまるかよ…」
「…二人ともありがとうな。何か美味しいものを食べて船酔いがよくなった気が…うべぇ!!」
「「おいユダ!!ここで吐くな!!」」
船上でもギルドの賑やかさは健在だった。
── ── ──
「外が騒がしいな」
船上といえど仕事をしないわけにはいかない。書類仕事を軽くこなしながら、外の喧騒を感じ取った外務大臣はそう呟いた。
独り言ではない。
同室している第一部隊隊長常世に向けたものだ。
「…俺の方から注意いたしましょうか?」
「構わん。仕事も一段落した。少し雑談に付き合え」
「俺でよろしければ」
「……ところで、常世。今回の『出雲遠征』、君はどう見ている?」
外務大臣は、羽ペンをスタンドに戻し、組んだ両手の上に顎を乗せた。その鋭い眼差しは、窓の外を流れる夜の海ではなく、泰然と佇む常世に向けられている。
「大罪教が『出雲』に手を伸ばしているという情報。そして、君たちが守るべき使者である私を、この不安定な時期に海を越えさせる国王陛下の決定。君のような現場の人間には、不透明な部分も多いだろう」
常世は瞬き一つせず、ただ静かに聞き入っている。
「俺はギルドの人間です。ギルドマスターの命に従い、目の前の脅威を排除し、対象を目的地へ送り届ける。それが全てです。国王陛下の深謀遠慮に口を挟む権利も、興味もありません」
常世は淡々とそう告げた。だがその言葉には僅かばかりの抵抗、あるいは迷いがあるように思えた。
「ではギルドの人間ではないただの常世だとしたらどうだ? 君は今回の遠征、主に何故国王陛下が君達に私の護衛を任し、出雲との同盟を結ばせようとしていると思う?」
ギルドの第一部隊という皮を剥いで、レオンハルトは問うた。
特段意味はない。彼の言葉通り、ただの雑談。
気を楽にしているレオンハルトとは別に、常世は神妙な顔になった。
「──『魔人戦争』」
そして常世から返ってきたのはある一つの単語だった。
それはいづれ人間界にいるすべての人が被ることになる災厄。そして逃れられない終末。
「国王陛下は『魔人戦争』に向けてアアル王国の立場を確固なものにしようとしているのではないでしょうか」
「…ふむ。私はお前のことをただの剣士だと思っていたが、どうやら対局を見据えることができる男のようだな」
レオンハルトは皮肉げに、しかしどこか感心したように目を細めた。
「魔人戦争。かつて人族、魔族、天使族で争い、世界を『人間界』、『魔界』、『天界』に分かち、各々の世界に閉じ込めた三界戦争の続き。確かに国王陛下はそれを何とかしようとしているのだろう。……だが、常世。お前の言葉には血が通っていない」
常世は、その言葉に微塵も動じなかった。正確には、動じるための「何か」が、彼の内側から欠落しつつあった。
「私は、観測しているに過ぎません」
常世が口を開く。その声には高低がなく、まるで深い井戸の底から響くような無機質さがあった。
「……外が騒がしいと仰いましたね。今の私には、彼らの笑い声が『音』として認識できても、それがなぜ喜悦を伴うものなのか、肌に伝わってこないのです」
常世はゆっくりと、自らの掌を見つめた。
「味覚は消え、嗅覚も薄れました。視覚と触覚は魔力による強制的な強化で辛うじて維持していますが……それは人間としての生存ではなく、単なる『機能』の維持です」
レオンハルトは無言で常世を注視した。
常世の瞳には、夜の海を映し出す光さえ反射していない。そこにあるのは、魔剣『常世』に魂を削り取られて、人間ではない何かになった存在。
「呪いによる人間性の消失――いや世界からの拒絶。それが魔剣の呪いか。……お前は、この遠征が終わった後自分がどうなるか分かっているのか?」
「その時俺はいませんよ。ですが俺が完全に飲み込まれる前に、ユダ君を――次世代を成長させる。それが俺の存在意義です。彼は……私とは違う。まだ、世界を鮮やかに感じている」
常世の脳裏に、先ほど甲板で嘔吐しながらも、仲間と笑い合っていたユダの姿が浮かぶ。
その眩しさが、今の常世にとっては唯一の「痛み」――自分がかつて人間であったことを証明する、かすかな残滓だった。
「……勝手なものだな。自分を失いかけている男が、次世代の希望を語るとは」
レオンハルトは吐き捨てるように言うと、机の上の書類を乱暴に片付けた。
「いいだろう。お前がどのような目的を持っていても構わん。少し私を一人にしてくれ。それと外の連中に、うるさくするのは構わないが、あまり羽目を外すなと伝えておけ」
「御意に」
常世は音もなく立ち上がり、一礼して部屋を出た。
扉が閉まった後の静寂の中、レオンハルトは独りごちる。
「魔人戦争か。……もしそれが真実なら、この世界は再び血の海に沈むことになるぞ。それだけは避けなければ」




