第二章第七話『遠征⑦』
「おいおいまけてくれよおっちゃん!!」
商人の前に頭を出して懇願するフェリスを、ユダとアルスは何とか引き離そうとうする。
「おい、フェリス! 往来で騒ぐなって。ギルドの恥だぞ!」
アルスが呆れ顔でフェリスの襟首を掴むが、当のフェリスはどこ吹く風で商人に食い下がっている。
「いいじゃねーかアルス! この保存食、王都の三倍の値段だぜ? 港町ならもっと安く仕入れてるはずだろっ」
「兄ちゃん、これ以上は無理だって。今は出雲方面の航路が荒れてて、物資が入ってこねえんだよ」
困り果てた商人の顔を見て、ユダは苦笑いしながら周囲を見渡した。朝のイーストン港は、昨夜の怪しげな熱気とはまた違う、労働者たちの「戦場」のような活気に満ちている。あちこちで荷積みの怒号が飛び交い、魚の焼ける匂いと潮の香りが混ざり合って、鼻の奥をくすぐる。
「ったくしょうがないな。これで勘弁してやるよ」
フェリスは観念した様子で店側の提示した価格を払う。貨幣が入った袋を勢いよく置き、ガランと大きな音が響いた。
商人は金を素早く数え、フェリスがちょろまかしていないことを確認。渋い顔で木箱に入った大量の保存食を渡した。
去り際、フェリスが「ありがとよおっさん! 機会があればまたくるぜ!!」と笑顔が見せた。
「ギルドは出禁だ。出禁出禁」
こうしてギルドが出禁になった店が増えるのだった。
翌日、ユダ達は船に乗って出雲を目指していた。
―― ―― ――
息を大きく吸って吐く。
吐息は海風に流され、どこかに消えていってしまう。
視線を目的地の方に向けても、水平線に出雲の大地は写っていない。
イーストン港で乗船した、ギルドの一行を乗せたこの船は元来の目的通り、五大国『出雲』を目指している。
予定では一週間ほどで到着する予定だ。
この船旅は遠征が終わるまではアアル王国には戻れず、大罪教と戦うのだとユダに知らしめる。
気が引き締まる一方、先輩隊員達がどんちゃん騒ぎで賭け事に興じていて、どんな気持ちになったらいいのか分からない。
ともあれ――
「きもち…わるりぃ…」
「船酔い」に苦しむユダは甲板に上がり、落ちそうになる態勢で蒼い海を見ながら苦悶の声を漏らした。
(馬車では酔ったことないのに…)
「ねぇユダちゃん大丈夫?」
トコトコとマナ副隊長がやって来て、魂が抜けたようなユダの顔を覗き込む。
「ちょっとヤバいです…」
「なら回復魔術をかけるね!!」
ユダの返答を受けて桃色髪の幼女は腕を捲り上げ、紅葉のような手をユダの背中に向けた。
詠唱をぶつぶつと呟くと、ユダの背中辺りが淡い光に包まれる。
(ちょっとは楽になった…)
外見年齢十歳に満たない少女が回復魔術なんて希少なものが使える、それに対して驚きはなかった。
ギルドにいる以上、規格外は慣れっこなものになっている。
「ありがとう、マナ副隊長……少し楽になりました」
ユダがそう言うと、マナは満足そうに胸を張った。
「でしょ! でも完全には治らないから、無理しないでね。船酔いは身体より感覚の問題だから」
感覚――という言葉に、ユダは小さく頷きながら、再び海へ視線を向けた。
蒼い。どこまでも澄んだ青。だがそれは大きく揺れていた。
(高魔力…!!)
「マナ副隊長!! これって!!」
咄嗟に副隊長の方を見た。
揺れる船、幼女は必死にその場にとどまろうと力んでいる。
さっきまでの喧騒は静まり、賭け事に興じていた先輩隊員達も静かになった。
ゴォォォン!!
「魔獣が来た!! みんな駆除に出て!!」
命令が下った。
と同時に、人がユダを超え魔獣に向かっていた。
「おしゃぁぁぁ!! 今日の晩御飯だぜ!!」
「晩御飯にしてはデカ過ぎじゃないかな!?」
ユダを有に超える程に跳躍していたのはアルスにフェリスだ。
二人が剣を向ける先には、複数体の魔獣――『シースピリット』がいた。
巨大な蛇のような体躯に、無数の棘が生えた甲殻を纏うその姿はまさに異形そのもの。
「ユダ、ぼさっとしてんじゃねえ! 飲み込まれるぞ!」
アルスの叫びと同時に、甲板に巨大な水柱が上がった。
『シースピリット』の一体が、船べりを噛み砕かんとする勢いで顎を開く。
その巨躯から放たれる圧倒的な魔力と、鼻を突く腐敗した磯の匂い。
死の恐怖と船酔いで足がすくむユダの横を、二つの影が風を切って通り過ぎた。
「フェリス、左だ! 棘の隙間を突け!」
「言われなくても分かってらぁ! 晩御飯に逃げられちゃ寝覚めが悪いからな!」
アルスの冷静な指示に、フェリスが野性味溢れる笑いで応える。
アルスは空中で身を翻すと、魔獣の振り下ろした触手の重圧を受け流し、そのまま最短距離で懐へと潜り込んだ。
一閃。無駄のない軌道で描かれた刃が、魔獣の強固な甲殻の継ぎ目を的確に断ち切る。
「ギチィィッ!?」
魔獣が苦悶に悶えた瞬間、逆方向からフェリスが跳んだ。
彼はあえて正面から突っ込み、魔獣が放つ棘の弾幕を紙一重で回避。
重心を極限まで低く保ったまま、重い一撃を魔獣の腹部へと叩き込む。
「これで……おしまいだッ!」
フェリスの剣が魔獣の体内で魔力を爆発させ、巨躯が内側から弾け飛ぶ。
降り注ぐ青い体液と飛沫の中、二人は完璧な着地を決め、すぐさま次の一体へと視線を向けた。
(すごい……これが、ギルドの精鋭……)
ユダは圧倒されていた。
さっきまで賭け事に興じていたとは思えない、阿吽の呼吸。
互いの死角を補い合い、巨大な異形を「狩り」の対象として淡々と処理していくその姿。
「おいおいアルス、フェリス!! 手間取ってんじゃねーよ!!」
「やっぱりあいつら雑魚だなぁ」
「いや、ちょっとは実力上がっている。まぁワイのほうが強いが」
だが部隊の先輩達はそんな二人にダメ出しをしていく。
それらは虚勢ではなく、本当に彼らの方がアルス達より実力が上であるからだ。
「っつ…!! 俺は勘違いしてた…」
訓練だけで強くなったと勘違いした。
アアルの目捕縛作戦で実は役に立つと勘違いした。
権能の話を聞き、自分は特別なのだと勘違いした。
けど違う。
「俺はまだ未熟だ」




