第二章第六話『遠征⑥』
出発式から数日後、ユダたち遠征隊はイーストン港に到着しようとしていた。
当初、ユダの中には道中で大罪教に襲撃されるのではないのかと、そんな不安があったが、遠征はユダの否、遠征隊全員の気がかりを無視して順調に進んでいた。
「そろそろイーストン港に着くから荷物を降ろす準備をしてね!」
縦数列を作る遠征隊のギルドの場所。その最前線に乗っている
自分より年下が副隊長なんて俺達情けないなと、隣りにいるアルスにフェリスと苦笑交じりに話しながら、荷卸の準備を始めた。
「なぁ二人とも。イーストン港では宿に泊まれるんだろう! 野宿続きだったから楽しみだな!!」
ユダは眼を輝かせる。
「はっ! これだけの人数が泊まるんだ、宿は期待できねーだろ!」
水をさす真似をしてきたフェリス。
ユダは唇を尖らせ、アルスの方に目線を向ける。
彼は談笑にふける不真面目なユダ、賭け事に全力な先輩隊員達と違って、せっせと荷卸をしていた。
さっさと僕を手伝えってくれよと、アルスは前置きしながら
「まぁ期待していいんじゃないかな。ギルドマスターが手配してくれたんだ。」
「ギルドマスターか…」
アルスの口から出た自分らの所属する組織の長。
先日、アルデバランから自身が「勇者」であること、「管理者」をめぐる戦いの渦中にいることを教えてもらった。
ユダはどこか渋い顔になっていると、先輩隊員の陽気な声がそれを引き裂いた。
「おいおいガキども何も分かってないな。あの人が手配したなら、最高級の宿か、あるいは……とんでもなくボロい訓練用の宿か、どっちかだろうな。まぁ運次第だな。俺がいるからな安心しな、運がいいんだ」
「ちなみに先輩。賭け事してましたけど、その結果は?」
「借用者でタワーができたぜ!!」
「運最低じゃないか!」
借用者で作ったタワーを満面な笑みを浮かべながら見せてきた先輩隊員。それにユダは罵声とも思えるツッコミを入れるのだった。
もう太陽は沈んでいた。
イーストン港に着き、馬車から降りて最初に感じたのは海風だった。
海風が運んできた海の匂い。変な匂いだなと、鼻に正直になりながらユダ達隊員は護衛対象である外務大臣が乗っていた馬車に敬礼をした。
「うむ。ご苦労、敬礼はやめていいぞ」
馬車から降りたのは外務大臣と、その御方をずっと護衛していた常世だった。外務大臣は兎も角、常世は睡眠もまともに取れずに護衛をしていたのに疲労感が一切なさそうだ。
外務大臣の格好は出発式の人は違い、ローブのようなもので顔を隠していた。恐らく認識阻害の魔道具の類だろう。
(どうしてだ?)
「きっと騒ぎを起こさないためだろう」と、アルスはユダに耳打ち。ユダはイーストン港の夜とは思えない活気具合を肌で感じて合点。
「今から宿の方に行くから荷物をちゃんと持って!!」
護衛で部隊の統率を副隊長に任せており、ユダ達はその小さな背中を追って、その命令に従わないといけない。マナ・イハートが自分達よりも優秀で副隊長に値することは分かってはいるが、可笑しな気分になる。
「ほら、ユダちゃん! ぼーっとしない。さっさと荷物を持って!」
マナの鋭い叱咤に肩を跳ねさせ、ユダは慌てて木箱を抱え直した。 歩き出したユダの視界に飛び込んできたのは、王都の整然とした夜景とは似ても似つかない、混沌とした熱気に包まれたイーストン港の姿だった。
夜だというのに、港は昼間のような明るさに満ちている。至る所に吊るされた魔灯が、潮風に揺れながらオレンジ色の光を石畳に投げかけていた。
視界の端では、巨大なクレーンが唸りを上げて異国の貨物を吊り上げ、上半身裸の荒くれ者たちが怒号に近い声を掛け合いながら樽を転がしている。
「まるで町全体が生き物みたいだ……」
ユダが呟くと同時に、横を一台の荷馬車が猛スピードで通り過ぎ、車輪が跳ね上げた泥水がユダの靴を汚した。
酒場からは下品な笑い声と調子の外れた歌が漏れ、娼婦たちが手すりから身を乗り出して通行人を誘っている。
王都のような「気品」はここにはない。あるのは、富と暴力、そして明日をも知れぬものたちの剥き出しの活力だ。
「ユダ、足元に気をつけろ。ここじゃよそ者は格好のカモだ」
アルスが周囲を警戒しながら、ユダの注意を促す。 実際、暗がりからは数組の鋭い視線が自分たちの制服――ギルドの紋章――を射抜くように見つめていた。治安の悪い裏路地では、何本もの「目」が蠢いている。
賑わいという名の喧騒をかき分け、マナの後を追って坂道を登り始めると、徐々に海鳴りの音が遠のき、代わりに重厚な建物の影が姿を現した。
「ここが、私たちの目的地だよ」
マナが立ち止まった。 目の前にそびえ立つのは、潮風に晒されて黒ずんだ石壁が歴史を感じさせる、三階建ての古風な宿屋だった。看板には『蒼き飛沫亭』と、剥げかけた文字で刻まれている。
最高級か、それともボロ宿か。 その答えを待つまでもなく、入り口から漏れてくるのは、使い込まれた木材の匂いと、少しばかり湿り気を帯びた潮の香りだった。
―― ―― ――
「やっと落ち着ける」
質素な部屋に入って扉を閉める。
トン、と軽い音が耳を触ると、男はローブを脱いで顔を表した。続いて入ってきた護衛者の「そうですね」という可愛げのない一言にはもう慣れていた。
「常世。君の実力は確かだが、人付き合いというものを学んだ方が良いな。今の君は人間としての魅力がかけている」
この数日間にためていた毒を吐いても、常世は「お気遣い痛み入ります」と返すだけで、男は何も分かっていないなと、呆れ気味になる。
ベットに座り深く息を吐くと、数日分の疲労が外務大臣を急激に襲う。
長旅には慣れていると自負していたが、完全には逃れられなかった。
そんな外務大臣は、沈着な眼差しで壁の隅にいる常世の方を見た。
常世からは呼吸の音が聞こえず、そして瞬きを一切していなかった。
(まるで生物としてどこか壊れているようではないか)
「外務大臣」
「どうした常世?」
「明日。隊員の者たちに物資の補給をさせますが、何か必要なものなどはありますか?」
「いや、特にない」
「承知しました。お疲れだと思いますので、このままお休みになられてください。私が警備します」
「交代しなくてもいいのか?」
「お気遣い感謝します。ですが私は寝なくても活動できます。他の隊員との交代の必要はありません」
「……そうか。ならば、任せる」
外務大臣は短く答え、横たわった。この男の献身は異常だ。だが、それを「忠誠」という美しい言葉で片付けていいものか、レオンハルトには判断がつかなかった。目の前の護衛者は、壊れた精巧な自動人形のように静止し、ただ闇に溶け込んでいる。
―― ―― ――
人間としての魅力。それを否定された常世は、一人、月明かりすら届かない部屋の隅で思考の海に沈んでいた。
(魅力、か。もはや俺には、それを計るための感覚さえ残っていない)
空腹も、眠気も、疲労も。 今の彼にとっては、魔力計の針が少し動く程度の「情報」に過ぎない。 かつては、イーストン港の磯の匂いを不快に思い、焼けた魚の脂の乗った味に感嘆したこともあったはずだ。だが今の彼にとって、この活気溢れる港町は、音と光が交差するだけの無機質な記録媒体に成り果てていた。
不意に、自らの腰に下げた魔剣の柄に触れる。 冷たいはずの金属の感触すら、魔力で補強した触覚という名の「疑似信号」だ。本物の感触は、ずっと遠い過去に置いてきた。
――もう、救われることを期待すらしていない。 自分を蝕むこの呪いは、もはや常世という個体そのものだ。
(だが……あの少年はどうだろうな)
ユダの顔を思い浮かべる。 泥水に靴を汚して顔をしかめ、活気に目を輝かせていたあの少年。 彼にはまだ、世界を鮮やかに彩る「感覚」がある。そして何より、自分を「人間」として救おうとする、無謀なまでの熱がある。
それは、常世がとうの昔に失った、今の彼には「レモンのような、酸っぱくて、鋭い痛み」に近い、眩しすぎる光だった。
常世は、瞬き一つせず窓の外を見やった。 夜の海が黒くうねっている。その向こう側、自分を待つ、あるいは自分を終わらせる場所、出雲。
「……ユダ」
音にならないほど小さな呟きが、静かな部屋に落ちた。




