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サンタさんの夢巡り

作者: 檸檬氷菓

ご覧いただきありがとうございます。檸檬氷菓です。六作目です。クリスマスの雰囲気が好きなので小説を書いてみました。小さい頃はアニメのクリスマス回が大好きでした。

 私はサンタさんがいるってずっと信じている。小さい頃からずっと夢に見ているから。クリスマスはもうすぐだ。今年こそ、来てくれますように。


「夏梨! ちょっと来て!」

 お母さんが私を呼ぶ。まだ六時だ。今日はお仕事お休みなはずだけど、どうしたのかな。私は眠い目を擦りながら階段を下りてリビングへ向かう。

「お母さーん? どうしたの?」

「ごめんねー、今日土曜日なのに。」

「大丈夫だよ。何かあったの?」

「実は急に仕事入っちゃって! ちょっと出かけてくるから!」

 それくらいでいちいち呼ばなくても、と思うけれど仕方がない。私は良い子だから反抗なんてしない。

「そっか、いってらっしゃい。」

「うん、いってきます。あ、そうそうそれでね、今日午後に荷物届く予定だから受け取っといてほしいの。よろしくねー。」

「わかった。」

「じゃあ行ってくるね。」

 お母さんを玄関まで見送ってから友達に連絡を入れる。今日の予定は中止だ。荷物を受け取るために家にいないといけない。その旨を伝えスマホを閉じる。行きたかったけれど仕方がない。

 今日は午後から友達の家で少し早めのクリスマスパーティーをする予定だった。イブとか当日とかはみんな恋人や家族との予定があるらしいから。

『まじか残念』

『じゃあ夏梨の家は?それなら夏梨も遊べるんじゃない?』

『あ、夏梨が良ければだけど!』

 スマホが鳴ったので確認した。これは…それなら大丈夫だ。そこまでして私と遊ぼうとしてくれること、友達としてすごく嬉しい。

『もちろんいいよ!むしろありがとう!!』

『じゃあ夏梨の家で!時間は予定通りでいい?』

『いいよー!』

 猫が前脚で丸を作ったスタンプが送られてくる。二人が家に来る前に掃除をしておこう。掃除機を取り出そうとクローゼットを開くとクリスマスカラーのプレゼントボックスが目に入った。緑の箱に赤いリボン。こんなの前はなかったと思う。クローゼットの中なんてそこまでしっかりは見ていなかったけど。きっとお母さんのものだ。クリスマスのプレゼントかな。もしかすると良い人と出会えたのかもしれない。

 この家にお父さんはいない。三年前に自殺した。それでもお母さんは私に悲しんでいる姿を一度も見せていない。少なくとも見た記憶はない。それはきっと悲しくなかったからなんかじゃない。そう信じている。

 それにしても中身が気になる。勝手に開けたら駄目だ。私は良い子でいないといけない。でも気になる。そっと箱に触れてみると手に埃がついた。私が気づかなかっただけでずっとここにあったんだ。放置されていたものなら開けてもいいよね。

 私は赤いリボンをスルスルと解いて箱を開けた。中には粉の入った瓶とほんの少しの綿が入っている。瓶の方は星の砂ってやつかな。きらきらしている。それにほんのりと甘い匂いを漂わせている。アニメで出てくる魔法のエフェクトみたい。私も小さい頃欲しがっていたな。この粉が舞っていればすごく綺麗だと思う。箱の大きさのわりに中身は小さい。誰かへのプレゼントとしては不自然だ。緩衝材も入っていないし。

 やっぱりお母さんのかな。プレゼントをもらったときの箱を収納に使っているのかもしれない。でもどうしてこの瓶だけをこんな箱に入れたのだろう。大切なものなのかな。

 なんて、考えているとインターフォンが鳴った。まだ午前中だ。荷物が届くのも友達が来るのも午後のはずだ。誰だろう。不思議に思いながらも玄関に出てみると、そこには私がずっと夢に見ていたサンタさんが立っていた。

「サンタさん…? まだクリスマスじゃないのに…。」

「こんにちは、三田夏梨ちゃん。」

「え、私の名前…。ていうか、どうしてサンタさんがここに? え、本物?」

 サンタさんが落ち着きを失った私の様子を見て微笑んでいる。細くなった目元が優しくて本物のサンタさんだと私は確信した。

「サンタさんだ…本物のサンタさんだ! やっぱりサンタさんはいたんだ!」

 ずっと信じていた。いるって信じていた。でも私に会いに来てくれるなんて思わなかった。良い子でいて良かったと初めて思えた。

「ねえ、夏梨ちゃん。僕と一緒に夢巡りに行かないかい?」

「夢巡り?」

「そうだよ。」

 夢巡り。なんだかファンタジーっぽくて、とっても素敵な響きだ。でも午後から約束がある。行きたいけど、今日は無理かな。

「行きたいけど、実は午後から約束があって…。」

「大丈夫、すぐに終わるよ。夏梨ちゃんが夢を思い出せれば終わる旅だから。」

 夢を思い出す? 私は何を忘れているの? 夢巡りっていったいどんなものなんだろう。

「夢巡りってなんですか?」

「夏梨ちゃん、今ほしいものは何だい?」

「ほしいもの…特にないかな。」

「そんな夏梨ちゃんがほしいものを思い出せるように今まで抱いてきた夢を巡っていくんだ。夢には希望が詰まっている。だからそれを巡れば夏梨ちゃんが本心で求めているものを思い出せるはず。そういう旅が夢巡りだよ。」

 私の夢。今はない、けど前は色々あったはずだ。思い出したい。夢巡りに行ってみたい。

「サンタさん、私、夢巡りに行ってみたい!」

「うん、行こう!」

 サンタさんと握手をして、私の夢巡りが始まった。


「じゃあソリに乗って!」

 サンタさんに夢中で気づかなかったがよく見ると家の前の道路にはソリが止まっていた。ソリの後ろにはプレゼントが入っているであろう大きな袋が置いてある。それにソリを引く役割のトナカイさんもいる!

「すごい…夢みたい。」

「ワクワクするでしょ? 今年はきっと最高のクリスマスになる。さあ行くよ!」

 そう言うとサンタさんはソリに飛び乗った。私もドキドキしながらサンタさんの隣に乗った。トナカイさんが走り出す。少しずつ空へ空へと上がっていく。飛んでいる。さっき見た星の砂みたいなきらきらしたものが舞っているように見える。綺麗。楽しい。

「まずは最初の夢だよ! 夏梨ちゃん覚えてる?」

「最初の夢…確かお母さんが私は幼稚園児の頃アイドルになりたがってたって言ってた気がする。」

「その前、は覚えてないか。さあ行くよ最初の夢!」

 目の前が真っ白く光って、その光の中にトナカイさんは走っていく。この先が私の最初の夢なのかも! そう思うとワクワクしてきた。記憶に全くない私の最初の夢。叶うかどうかなんて気にせずに見ていた、純粋な夢。


「…着いたよ。」

 サンタさんに声をかけられて目を開ける。そこは私の知っている現実からはかけ離れた場所だった。

 そこはカラフルでおもちゃ箱の中のようだった。四角い大きな部屋で壁や床、天井が赤や青、黄色などそれぞれ一色で塗りつぶされている。しかも色んなものがぷかぷか浮いている。それで、私と同じくらいの大きさのうさぎのぬいぐるみが私を見つめている。

「ここが私の最初の夢? なんだか不思議な場所…。」

「何か思い出すことはないかい?」

「いや…特に何も。」

 そう答えるとサンタさんは目尻を下げて笑った。少しだけ寂しがっているようにも見えた。

「ここは夏梨ちゃんが幼稚園に入る前の夢の世界だよ。夏梨ちゃんが想い描いていた最初の夢の世界。」

 幼稚園に入る前。たぶん全く覚えていない。覚えていると思っていることはきっとただお母さんから聞いただけだ。

 自分の夢を覚えていない。小さい頃のことだから仕方がないとは思うけれど、なんだか少し寂しいような気がした。でも私は思い出すためにここへ来たんだ。ちゃんと思い出したい。

「サンタさん、私の初めての夢って何だったの?」

「それはここだよ、この世界そのものだ。」

 この世界が私の初めての夢。小さい頃の私ならうさぎさんのぬいぐるみとお友達になりたいとか思っていたのかな。うさぎさんだけじゃない。ここにはたくさんのものがふわふわと浮いている。振ると音が鳴るおもちゃ、ふかふかの毛布。

「私の好きだったものがたくさんある。私、好きなものに囲まれていたいって思ってたのかな。」

「僕にもわからないけど、そうなのかもしれないね。」

 その瞬間、私の胸の前に小さなカードが出てきた。クリスマスのプレゼントについてくるような小さな二つ折りのカードだ。手に取って開いてみる。中は上に夢巡りの文字と私の名前が書かれていて、それからスタンプラリーのカードのようになっている。

「サンタさん、これは?」

「夢巡りのカードだね。夏梨ちゃんの夢の中でスタンプを見つけて押していくんだ。」

 見るとスタンプを押せそうな場所は五ヶ所。ここの他にあと四ヶ所周るということか。私にそんなたくさん夢なんてあったっけ。

「この夢の中でもスタンプを探そう。スタンプが押せたら次の夢に行くよ。」

「わかった、探してみる。」

 スタンプラリーなら観光地でよく参加している。それと同じようにスタンプの台が置いてあるのだろう。スタンプを探そうと周囲を見渡していると後ろからそっと肩を叩かられた。サンタさんかと思ったがサンタさんは目の前にいる。だれ?でもここは私の夢の中。きっと怖がらないで良い。そう思い振り返るとさっきのうさぎさんだった。うさぎさんは少しの間私を見つめ、それからくるりと回れ右をして歩き出した。

「どこ行くの?」

 うさぎさんは一度立ち止まって振り返ったがすぐに前を向いて再び歩き出した。

「追いかけよう。」

 うさぎさんは何か私に見せたいものがあるのかもしれない。もしかするとスタンプの場所を知っていて教えてくれているのかも。

 しばらく歩いていくとうさぎさんは立ち止まって私の方を見た。着いた場所には、特に何もない。もちろん私の好きだったであろうものは浮いている。でもそれだけだ。

「うさぎさん、どうしてここに来たの?」

 そう尋ねるとうさぎさんは浮いている写真立てを手で示した。写真立てにはうさぎさんのぬいぐるみを持った二、三歳くらいの子どもと私が知っているよりずっと若いお母さんとお父さんの写真が入っている。この夢を見ていた頃の家族写真だろう。

 お母さんとお父さん。私はこの頃から二人のことが大好きだった。そんな気持ちに不純物が混ざり始めたのはいつからだっただろう。反抗期になってなんとなく二人と話しづらくなって、それから少し経ってお父さんが自殺して、そのときお母さんは全く泣かなくて。私がもっと素直でいられたら今だってお父さんは生きていたのかな。家族みんなで仲良く過ごせていたのかな。…どうせ、わかることはない。考えるのをやめよう。

「…夏梨ちゃん?」

 つい考え込んでしまっていた。サンタさんが私を心配そうに見つめている。全然気づかなかった。

 私とサンタさんの間に浮いている写真立てが粘土のようにぐにゃりと凹む。少しずつ形が変わっていき、スタンプになった。さっきの写真が簡単なイラストになって掘られている。

 スタンプカードを床に置いてスタンプを押す。これで次の夢に行ける。

「スタンプ、押せたね。もう次の夢に行く?」

「うん、行こう。次の夢も楽しみだな。次はいつの夢?」

「夏梨ちゃんが幼稚園児の頃だよ。さあソリに乗ろう!」

 トナカイさんが私たちのところまでソリを引いてきてくれたから、思いっきり飛び乗る。

「じゃあアイドル?」

「そうだよ。」

 私がアイドルになっている世界。夢だからきっとものすごく楽しいはずだ。今の私には上手く想像できないけれど、キラキラしたステージで歌って踊るなんてとっても素敵なことだ。また目の前が真っ白に光る。光の中にソリは飛び込んでいく。私はアイドルになる。


 光が引いていき視界が開ける。たくさんのペンライトが私の目に映る。私は自然と歌い出していた。確か女児向けのアイドルアニメの曲。小さい頃、よく家で練習していた。

 世界全部が輝いて見える。楽しくて楽しくて、なんだか信じられないくらい、苦しい。胸の辺りが痛い。

 たぶん前の私なら楽しいってだけだった。もっともっと素直に楽しめた。でも今の私は大人になれていないだけで子どもじゃない。大人になりたくなくて必死に成長していく自分を否定しているだけ。大人になっていくと、どんどん大切な思い出から離れていくようで、お父さんのことも少しずつ忘れていって、悲しいんだ。でも私は確かに成長している。だから上手く楽しいって思えない。夢を見る気持ちが思い出せない。

 私は歌う。踊る。くるりと回るとスカートがふわりと広がって、私が笑うとペンライトが曲のリズムよりも早くたくさん振られて、歌い終わってポーズを決めたら歓声が夢全体に響いきわたって、どうしようもなく苦しい。気持ち悪い。私は違う。こんなんじゃないのに。

 私は立っているのも辛くなり、ステージの上に座り込んだ。

「夏梨ちゃん!」

「サンタさん…助けて。」

 私はステージを下りて客席のいちばん後ろにいるサンタさんの元に歩いていく。本当は走って少しでも早くサンタさんのところへ行きたかったけど、歩くので精一杯だった。いや歩くのもままならなかった。頭がやけに重くて思わずふらつく。

「夏梨!」

 サンタさんが私の傍まで走ってきてくれた。サンタさんに支えてもらいながら私はソリまで戻った。ソリは客席のいちばん後ろに止まっていた。

「夏梨ちゃん、大丈夫?」

「うん、ちょっと落ち着いてきた。サンタさん、ありがとう。」

 どうして私は苦しくなったんだろう。これは私の夢で、すごく楽しい夢なのに。私はアイドルになりたくない?

「私、どうして苦しくなっちゃったのかな。」

「きっと夏梨ちゃんは、諦めたかったんだ。」

「諦めたかった? アイドルになるのを?」

「アイドルに、というかなんて言うんだろうな…。」

 サンタさんは軽く上を向いて考え込んでいる。

 私は何を諦めたかったんだろう。アイドルにはなりたいと思っていた。ずっと前に諦めたけど。あれは私の意思ではなかった、たぶん。諦めたかった訳ではない、はず。

 早く次の夢に行きたい。もうこの夢にいたくない。もっと楽しい夢に行きたい。でもそのためにはスタンプを見つけなきゃ。早く探しに行こう。

「サンタさん、私スタンプを探さなきゃ。」

「僕も行くよ。また具合が悪くなったら大変だし。」

「ありがとう、サンタさん。」

 この世界のスタンプはどこだろう。この夢の中心は間違いなくステージだけど、スタンプあったかな。さっきは、ライブ中は、なかったと思う。もう一度見に行こう。

「ステージの上を探したい。」

「うん、僕もそこにあると思う。一緒に行こう。」

 私は倒れないようにサンタさんの腕に掴まってステージを目指す。さっきよりずっと良くなっていてふらつくこともなくステージのすぐ傍まで行けた。ステージに上がるのはまだ怖いけど、今はサンタさんもいるからきっと大丈夫。そう信じてプールから上がるときのように勢いをつけてステージへ上がる。うん、大丈夫。サンタさんもすぐに上がって私の傍に来てくれた。スタンプは、ない。

「スタンプは、ここじゃないみたい。客席も探してみようかな。」

「…いや、その必要はない。たぶん夏梨ちゃん自身だ。」

「私?」

 サンタさんは頷いて私の目をまっすぐと見つめる。私がスタンプになるってこと?そう疑問に思っていると突然胸の前にスタンプが現れた。

「なんで急に?」

「やっぱり、夏梨ちゃんが鍵だったんだね。」

 サンタさんは答えてくれないみたいなので私はステージの上にスタンプカードを置いてスタンプを押した。アイドルの私が頬に手を添えて笑っている。現実の私よりずっとずっと可愛くて魅力的に見える。

「サンタさん、私早く次の夢に行きたい。」

「そっか、じゃあ行こう。ソリに戻ろう。」

 ソリに戻る途中ずっと考えていた。この夢の何が私を苦しめるのか。この夢の中にいる間だけは考えていようと思った。

 またソリに乗って光に飛び込んでいく。次の夢は、たぶん小学生のときの夢。もうちょっと現実的な夢。


「おはよーございます!」

 私の耳に元気の良い挨拶が聞こえた。小さな、女の子の声。

「せんせー? みたせんせー? だいじょうぶ?」

「え、私?」

 小学生くらいの女の子が私を見上げている。そうだ、私は小学校の先生になりたかった。

「うん、大丈夫だよ。」

「せんせーつかれてる?」

「そんなことないよ、先生とっても元気!」

 サンタさん、サンタさんはどこ?早く会いたい。この世界のスタンプはどこだろう。

「あのね、せんせー。わたし、くくおぼえた!」

「えーそうなの? すごいねえ!」

「おにーちゃんが、にねんせいでならうって! だから、わたしよしゅうした!」

 この子は小学一年生なんだ。可愛い。私にもこんな無邪気な頃があったのかな。子どもって本当に可愛いな。一年生なのに九九言えるんだ。練習したのかな。勉強も嫌がらずにやっていて一生懸命で、可愛い。

「すごい、とっても偉いね。」

 可愛い女の子は私に頭を撫でられるとにっこりと笑って、細くなった目にもはっきりと光が宿っている。

 ああ、どうかこの子が、いや世界中の素敵な子どもたちが、純粋さを忘れるほどに傷ついてしまいませんように。

 私はこの頃から大人になりたくなかった訳じゃない。むしろ大人になりたがっていた。身近な大人に憧れていた。だから先生になりたいと思っていたんだ。

 そんなことを思い出していたら床にスタンプが落ちていることに気がついた。女の子はいつの間にかいなくなっている。私はスタンプを拾って教卓の上で押した。たくさんの子どもたちが笑っているスタンプだ。

 よし、じゃあサンタさんを見つけなきゃ。次の夢に行けない。

教室を出ようとするとチャイムが鳴った。授業のチャイムではない。放送のチャイムだ。

『三田先生、三田先生、職員室までお願いします。三田先生、三田先生、職員室までお願いします。』

 サンタさんの声だ。サンタさんが放送している。職員室で待ち合わせ、ということか。私はそのまま教室を出る。職員室の場所はなんとなくわかる、アイドルになったときうろ覚えの歌を完璧に歌えたように。

 放送で自分が呼び出されるなんて、なんだか不思議な気分だ。大人になったみたい。まあ夢の中だから大人にはなっているか。職員室に行くときはいつもドキドキする。今も先生なのにドキドキしている。

 職員室へと続く廊下が不思議と短く感じた。職員室に入ろうと思ったが、前の廊下にサンタさんがいてソリも止まっていた。

「夏梨ちゃん、会えて良かった。それにスタンプも押せたんだね。」

「うん、もう次行く?」

「行こうか。スタンプは、あと二つだね。」

 ソリに乗って毎度のごとく次の夢へ行く。正直次は予想できない。小学校の先生より後に夢を見た記憶はない。最近、夢なんて見たっけ。


「…夏梨? どうした?」

 お父さんの声がして、私の意識ははっきりとした。お父さんが生きている。でもここは夢の中だ、現実ではない。この夢の私は何になっている? 

「ねえ、お父さん。私って何の仕事してたっけ?」

「仕事? 何のこと?」

「あれ。」

 「大丈夫、まだ中二なんだしこれから決めればいいよ。その前に行きたい高校決めた方が良いし。」

 この夢の中で私はただの中学生だ。でも中二の頃なら現実ではお父さんはすでに死んでいた。お父さんが死んだのは私が中一のとき。私はお父さんが生きていたらって思っていた。ずっとそのことばかり考えていた。

「まだ夏梨には色んな可能性がある。だからきっと何にだってなれるよ。」

 私はただ、お父さんとお母さんと、家族みんなで楽しく暮らしていたかった。特別に、憧れの大人に、なれなくても、楽しく生きていけたらそれで良かった。もっとちゃんとお父さんと話せば良かった。

「何にも、なれなくていい。」

「…どうして?」

「お父さん!」

 お父さんの元に走っていって思い切り抱きつく。恥ずかしいなんて思わなかった。クラスの子たちに見られたら馬鹿にされると思う、甘えん坊だって、子供っぽいって。でも私は甘えん坊でも子供っぽくても別に良いって思うんだ。簡単なことだった。素直になるって、反抗しないって意味じゃなかった。正直にやりたいことをして正直に話したいことを話すことだった。

「お父さんがいれば、それで良いの。」

「急に何だい? でも嬉しいな、ありがとう。お父さんも夏梨とお母さんが傍にいてくれればそれで十分だ。」

「私もお母さんもいないと嫌。」

 お父さんがいてお母さんがいる。二人には生きていてほしいんだ。でも本当はそれだけじゃない。

「お母さんにもお父さんにも幸せでいてほしい。」

 二人だけじゃない。サンタさんも友達も学校の先生も私の知らない誰かも、みんなみんな幸せでいてほしい。幸せに、生きてほしいんだ。

「夏梨、ありがとう。」

 お父さんが消えた。突然消えた。

「お父さん? お父さん! なんで!」

 お父さんを探す。家中探す。どこにもいない。外も探さなきゃ。そう思ったのに玄関のドアを開けると真っ白な壁があって出られなくなっていた。窓を開けても同じだ。私の夢はこの家の中だけしか創造されていないみたい。お父さんはこの夢にもいなくなった。

「お父さん、なんで? なんで、またいなくなるの? 私、ちゃんと素直になったのに! それなのに、」

 夢の中ですらお父さんとは一緒にいられないの? 

 どうしても信じたくなくてお父さんがいたはずの場所に戻ってきた。床にはスタンプが落ちている。そのまま床でスタンプを押すとそれはお父さんとお母さんと私のスタンプだった。最初のスタンプと似ているけれど、みんな最初のより歳をとっている。

「夏梨ちゃん。」

 お父さん、じゃない。…サンタさんだ。一瞬、お父さんの声かと思った。

「行こう、次の夢を見よう。」

「待って、私! お父さんに会いたい。この夢にさっきまでお父さんがいたの。ここでならお父さんに会えるかもしれないから! お願い、私はどうしてもお父さんに会いたいの!」

「…いや行こう。」

「やだ行かない。私はお父さんに会う。それで家族三人で幸せに暮らすの! 私この夢から出ないから。」

 現実じゃなくても良い。私は家族みんなで楽しく生きていたい。それができるなら夢でも良い。

「それは、駄目だよ。」

 サンタさんは現実のように鋭く冷たく言い放った。サンタさんはそれから少しの間黙って、私を目線だけで説得してくる。

「何言われても、絶対ここにいるから。」

「ここは現実じゃない。現実が別にあるんだ。それも向き合わなければいけない現実だ。嫌なことばっかりだって思っても逃げないで、生きてほしいんだ。」

 知っている。私の現実は私自身が誰よりもわかっている。でもそこにお父さんはいない。

「じゃあなんで、お父さんは自殺なんてしちゃったの? なんで私は逃げちゃ駄目なの?」

「駄目じゃない。でも僕は夏梨に逃げてほしくないんだ。僕が言っても説得力ないだろうけど。夏梨も知ってるだろ、大切な人が現実からいなくなったときの気持ち。」

 知っている。嫌になるほどに。知ったうえで、自分も逃げ出したくなるほどに。

「逃げないために現実で夢を見るんだ。生きるために何かを目指すんだ、何かを望むんだ。お父さんには、それができなかった。」

 戻りたくないと願った。現実じゃなくても大好きな人がみんな生きている世界で私も生きたいと思った。でもそれは現実にまだ生きている大好きな人たちを、私のことを大好きだって思ってくれている人たちを置いていく行為で、置いていかれた側の気持ちがずっと深く強くわかっているからどうしたらいいのかわからなくなる。

「私は、みんなと一緒に生きていたい。でも、現実にはお父さんがいない。」

「ごめんね。」

 サンタさんは私を優しく抱きしめてくれた。私は泣いていた。

 私の思い描いていた幸せがもう実現しないことが、大好きなお父さんがもういないことが、ずっとずっと悲しかった。寂しかった。お母さんも泣いていないから私も泣かないようにと思っていた。それでも泣いてしまうくらい、ずっとずっと悲しかった。

「夏梨ちゃん、戻ろう。僕たちは逃げたくなっても上手く逃げる方法なんて知ることはできない。だから死ぬしかないとか思っちゃうんだ。でも夏梨ちゃんがいなくなったらみんながどんな気持ちになるか、夏梨ちゃんはよくわかってる。だから大丈夫。辛い現実で生きるために幸せな夢を見よう。夢は現実から逃げるために見るものじゃない。現実と向き合うために見るものなんだ。」

 心が豊かであればどんな境遇でも生きていける。誰かが言っていた。そんなわけないと思った。でも逆はあると思う。人は心にだって簡単に殺される。

「私はみんなが大好きなの。家族も友達も先生も、知らない誰かも、みんな幸せだったらいいなって思う。誰にも死んでほしくない。」

「うん、わかるよ。…ごめん。」

 でも結局、私たちは現実でしか生きられない。生まれてきた世界で生まれ持ったものだけで生きていくしかない。現実で生きるか、死ぬか。それしかないんだ。どちらかしかない。

「それなら私は、生きることを選びたい。」

 死んだ人間は戻ってこない。悲しみは時間が経てば薄れていくが、代わりに忘れてしまったという新たな悲しみが襲ってくる。私は悲しいままでも、生きることを選ぶ。

「じゃあ次の夢を見よう。どんなに辛い現実も輝いて見えるくらい、とびっきりの夢を見よう。」

「サンタさん、ありがとう。…ごめんね、お父さん。」

 お父さんに謝って私はサンタさんとこの夢を出た。


「みんなサンタさんに何もらうのー?」

「僕はまだ決めてないかな。」

「えー二人とも何言ってんの?サンタさんってお母さんなんだよー。サンタさんはほんとはいないんだよ。」

 あれは、小学生のときだったかな。クラスの子が嫌なことを言ってきたんだ。悪意はそこまでなかっただろうけど、悲しかったなあ。

「夏梨は子供っぽいからわかるけど、叶人も信じてたんだな!」

 私は何も言い返せなかった。でも何を言われても私は信じている。

「そういえば夏梨ちゃんの名字、サンタさんだよね。夏梨ちゃんのお父さんが本物のサンタさんなんじゃない?」

「確かに、お父さん優しいしサンタさんかも。」

「違うよ! 本物じゃないよ。だって夏梨の家トナカイさんいないし!」

「でも大切な人にプレゼントを贈るって素敵なことだし、本物じゃなくても良いんじゃないかな。」

 そうだあのとき、クラスの子が言い返してくれたんだ。小学生にしては随分と大人びた子だったな。

「本物かどうかじゃなくて夏梨ちゃんが信じたいと思う人を信じればいいよ。色んなものをもらっているならお父さんも夏梨ちゃんにとってのサンタさんだ。」

 私にとってのサンタさん。その言葉のおかげで私はずっと信じてこられたんだ。ずっと忘れていた。

 私はいつか誰かにとってのサンタさんになりたい。

 それが私のこれからの夢。だから私の欲しいものは、やっぱり特にない。でも、誰かが欲しいものをプレゼントできるようになりたいな。


 現実に戻ってきて、やっぱりお父さんはいなくて。でも私は生きていく。現実と向き合う。夢は現実のために見るものだから。


 楽しかったクリスマスパーティーも終わった。途中で荷物も届いたし、プレゼント交換もした。私たちはお互いにとってのサンタさんだ。でもきっとプレゼントなんてなくてもサンタさんだった。相手を思う気持ちがきっととっても素敵なものだから。

「夏梨、ちょっと話したいことがあるの。…お父さんのことなんだけど。」

 二人が帰ってから、お母さんにこんなふうに切り出された。もしかすると本当に良い人と出会ったのかもしれない。新しいお父さんができるのかもしれない。嫌だとは思わない。今までの私ならきっと思っていたけれど。私は、現実を受け入れて生きていくことを決めたから。

「実は、お父さんからプレゼントがあったの。」

「…プレゼント?」

「うん、ずっと言ってなかったんだけど。去年あげたのも一昨年のも、お父さんからなの。」

 去年も一昨年も誕生日プレゼントはなかったけど、クリスマスプレゼントは毎年もらっていた。毎年、枕元に置かれていた。

「お父さんの部屋にメモがあって、夏梨が欲しがっていたものって書いてあったの。それで今年のも決めてあったんだけど、それは当日ね。で、今日は三年前のを渡そうと思って。」

 三年前。お父さんが自殺した日だ。元気そうに見えていたお父さんが自殺した日。理由は未だに知らない。自分が死のうとしている日にもプレゼントを用意していたんだ。…もしかすると自殺するつもりだったから次の年の分もたくさん考えていたのかもしれない。お父さんが死んだのはクリスマスイブだった。

「これなんだけど。」

 お母さんが私の前に箱を置く。夢巡りの前に見つけた箱だ。中身はわかっているけれど、どきどきしながら開ける。お父さんから私へのプレゼントだと思うとドキドキして楽しみな気持ちになった。やっぱり、中身は同じだ。

「でも…綺麗だなあ。」

「そうだね…それはお父さんが用意してたからお母さんも中身は知らなかった。」

 お父さんからのプレゼントだったなんて全然知らなかった。想像もしていなかった。お父さんは本当に私のサンタさんだった。それなら私はサンタさんを信じていて良かったな。


 その日の夜、私は夢を見た。寝ているときに見る方の夢だ。悲しい夢だった。お父さんが死んだ日の夢。

 夜、目が覚めてトイレに行ったあと、お父さんの部屋を覗いてみたんだ。普段入らないように言われていたから気になったんだっけ。寝室とは別のお父さんの仕事用の部屋。誰もいないと思っていたそこで、お父さんが首を吊って死んでいた。

 私はなんだか現実だと思えなかったけど、お母さんを起こしてお母さんの反応を見て初めて現実なんだって思えた。別に思いたくはなかった。お母さんは、膝から崩れ落ちた。でもそのあとすぐに、はっとして立ち上がって、どこかへ電話をかけて、私は部屋にいるように言われた。そのあとのことはよくわからない。

 美談になんて一生できない、でもそうでもしないと乗り越えられないような、私のトラウマ。

 そうだった、お母さんは悲しんでいた。それでも大人として正しい対応をしなくちゃいけなかった。だから我慢して、泣かないようにしたんだね。

 大人になったら我慢しなくちゃいけないことが増えて、夢を見ることも減って、サンタさんのことも信じていられなくなっちゃう。そんなの、嫌だ。でも約束したんだ、現実から逃げないって。だから私は大人になるよ。現実のために夢を見る。それができなくなっても辛くても苦しくても、私は生きていく。

最後までご覧いただきありがとうございました。今までよりも倍以上長くなってしまいました。いるかはわかりませんが最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。長編は苦手ですが、これからは書けるように頑張っていきたいです。

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