公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!
◆1
良質の鉱石を産出するバタフ王国ーー。
その国有数の公爵家に、美貌のお嬢様がいました。
公爵令嬢フラワー・へレム、現在、二十三歳ーー。
バタフ王国では、とうに結婚適齢期を過ぎた、嫁き遅れのお嬢様でした。
それでもフラワーお嬢様は、日々の大半を実家のベッドで伏せって過ごしてばかり。
彼女は病弱だったのです。
すぐ高熱で倒れてしまうほどでした。
なんとか立ち上がれても、すぐ立ちくらみしてしまうのです。
絶えず侍女によるお世話が必要でした。
おかげでフラワー嬢は、引っ込み思案な性格になっていました。
でも、彼女には大きな特徴がありました。
お花が大好きだったのです。
〈鉱石の国〉であるバタフ王国では、貴族の令嬢方も宝石や貴金属に興味を持つばかりで、草花を愛でる習慣はありませんでした。
それでもフラワー公爵令嬢は、園芸家によって育てられた豪華な花から、野に咲く名もない草花まで、分け隔てなく大好きで、花輪を作るのも得意でした。
長年仕えてきた侍女エヴァにお願いして、せっせと草花を集めてはお部屋に持ち込み、水や肥料をやって世話をしていました。
「ほんとうにお嬢様には、どの花もお似合いになります」
「ありがとう」
フラワー嬢は、生まれたときから不思議な力を持つ娘でした。
彼女の周りでは、季節に関係なく、どんな花も咲いたのです。
春の花ダーム、夏の花ぺレム、秋の水中花トート、冬の地中花ベッターも、同じ場所で一緒に咲き誇る景色は壮観なものでした。
でも、そうした不思議な力を気味悪く思う者もいました。
それゆえ、ひそかにつけられた仇名が〈呪われの花姫〉ーー。
すぐに高熱で倒れるという現実が、人々に呪いを思わせたのです。
実際、フラワー公爵令嬢の縁談は、なかなかまとまりませんでした。
どこの貴族家も後継者が欲しいものです。
ですから、病弱な彼女は敬遠されたのです。
父親のへレム公爵は嘆息することしきりでした。
「これほどおまえは美しいのに。かわいそうなことだ」
へレム公爵は娘のことを不憫に思いますが、どうにもできません。
薬草を煎じたポーションを連日購入して、娘に飲ますことしかできません。
そんなある日、急に変化が訪れました。
へレム公爵に連れられた侍女のエヴァが、悲しそうな声でフラワー嬢に告げたのです。
「旦那様のお言いつけで、もうお嬢様のお世話が出来なくなりました」
「え、どうして?」
代わって父のへレム公爵が前に出てきて言いました。
「これからは家族の手によって、世話を受けるんだ。
おまえは熱を出して結婚式に出席できなかったが、わが息子、おまえの弟アレンが良き妻を娶ってくれた。
これからは彼女が世話をしてくれる」
父と弟は、そろってニコニコと微笑んでいました。
その隣には、静かに頭を下げる、一人の女性がいました。
弟嫁となったビストでした。
彼女は豊かな肢体を持ちながらも、険のある顔立ちをしています。
視線の厳しさを感じましたが、ほとんど寝たきりの花姫に、拒否などできようはずもありませんでした。
そして、地獄の日々が始まったのです。
◆2
弟嫁ビストは、フラワー嬢の面倒を見ると願い出た翌日、さっそく言いました。
「植木鉢がお掃除の邪魔です。捨てますね」
無造作に花の茎を掴んでは、廊下や窓の外に放り投げます。
鉢植えが割れるのにもお構いなしです。
フラワー嬢はベッドの上から手を伸ばし、涙声をあげました。
「ああ、お花は大切にして。
生命があるんですよ!」
義姉の訴えを、義妹である弟嫁は、完全に無視しました。
「私のお父様は薬師なんですけど、おっしゃってましたよ。
通常、花粉は、病者の身体に障るのだ、と」
本音をいえば、ビストはお花の世話が面倒で嫌だったのです。
季節に関係なく冬の花と夏の花が同時に咲くさまも、気色悪いと思っていました。
ビストによって、たくさんの花々を捨てられて、フラワー嬢の部屋はあっという間に殺風景なものになってしまいました。
花瓶に一本だけ、青い花を活けるのが許されただけでした。
そうして、約一ヶ月が過ぎた頃ーー。
父のへレム公爵と弟アレンが、フラワー嬢の様子を見にやって来ました。
「おお、花がなくなって、スッキリしたな」
娘の部屋に入るなり、父が歓声をあげます。
次いで、弟は自分の嫁を自慢します。
「ビストはよくやってくれるだろう?
気が利くんだよ、僕の嫁は」
その隣で、弟嫁が舌を出して笑っているのを、二人はまるで気づいていません。
フラワー嬢は小さな声で、遠慮がちに問いました。
「今まで世話をしてくれたエヴァは、どうなったのです?」
弟は椅子を手近に寄せて、ドカッと座って答えました。
「もう歳だから暇を出したんだ。
その分、お金が浮いて、ポーションが買える。
それに、僕の嫁が言ってくれたんだ。
『家族になるんだから、お義姉様の面倒をワタシにみさせてください』と。
ね。よく出来た嫁だろう?
貴族出身の娘ではこうはいかない」
弟嫁ビストは、ポーションを公爵家に納入する薬師の娘でした。
炭鉱や石切場で働く労務者が多いバタフ国では、王家をはじめとして、妻の出自を問いませんでした。
身分が高いことよりも、多くの子どもを産む母親が尊ばれたのです。
身分にうるさいのは男性に限られていました。
実際、ビストはいったん某伯爵家の養女になるという手続きを踏んでいたので、へレム公爵家に平民の彼女が嫁いで来ても、特に問題にはされませんでした。
それでも、大雑把な性格の父親ながら、さすがに娘の異変に気がついたようでした。
「うん? どうしたのだ?
あちこち傷ついたり、皮膚が荒れているのだが。
この傷はなんだ?」
フラワー嬢が答えるより先に、弟嫁ビストが割って入りました。
「お義姉様が無理して歩こうとなさって、倒れてしまってーー」
へレム公爵と弟は一緒に哄笑した。
「はっはは。いまさら無理して歩かなくとも。
ゆっくり養生してくれ。
おまえは私が愛した妻の忘れ形見なのだから。
私も私なりに、父親として、おまえが幸せになれるよう努力をしてるんだよ」
「そうですよ。
姉上は自分の身体だけを気遣ってくだされば良いのです」
フラワー嬢は大きく溜息をついてから、まっすぐ瞳を二人に向けて言いました。
「はい。私は生きていれば、良いことがあると信じております」と。
二人の男性は、彼女の受け答えに満足したようでした。
「よく言った。それでこそ、わが娘だ」
「頼むよ。面倒をみてやってくれ」
父親と弟は、弟嫁にあとのことをお願いして、クルリと背を向けて立ち去りました。
◆3
二人がいなくなった途端、フラワー嬢はベッドに倒れ込みました。
殿方の来訪に合わせて、無理して半身を起こしていたのです。
また高熱になってしまいました。
「なにか熱冷ましのお薬を、お願い……」
フラワー嬢のお願いに対し、弟嫁のビストはぶっきら棒に応対しました。
ポーションを瓶ごと口に押し付け、無理に飲ませます。
フラワー嬢は、ゴホゴホと咳き込み、苦しそうな顔をしました。
そのさまを目にして、弟嫁は、ふん、と鼻息を荒くします。
「これで今日、二本目ですよ」
「ごめんなさい。今日は、特にめまいが……」
「このポーション、結構、高いのよ。
まあ、ワタシの実家が潤うんだから良いんだけど」
「ごめんなさい」
「で、今のワタシは、お義姉様の弟嫁というわけだけど、弟であるウチの夫は、この公爵家を将来、継ぐことになっています。
ということは、ワタシはこの家の、未来の公爵夫人なわけ。わかる?」
「ええ。もちろん」
「その立場から言えば、お義姉様はお荷物なの。
お金がかかって仕方がないわ。
知ってる?
お義父様は方々で借金してるのよ。
お義姉様のために」
「そんな……」
迷惑をかけているのは承知していましたが、まさか借金までしているとは。
弟嫁は椅子に座って、ベッドに横たわるフラワー嬢の枕元でささやきます。
「ほんと、お義姉様はこの家の疫病神ね。
ワタシの夫もお義姉様を不憫に思い、嫁かず後家だというのに、一番日当たりの良い部屋をあてがって。
お義父様までポーションを買い続けて。
でも、それによってワタシの夫が相続するはずの財産が失われ続けていくんですよ」
「ごめんなさい。でも、どうしたら良いのかわからないの」
「ふん。謝ったって、どうにもならないわ。
あ、そうそう。
そのポーションの瓶、ちゃんとゴミ箱に捨ててごらんなさいな。
ほら、ベッドから立って。何事も訓練よ」
ビストはグイッとフラワー嬢の腕を引っ張って、無理に立たせました。
仕方なく、ヨタヨタと覚束ない足取りで、フラワー嬢は歩きます。
そのさまを眺めて、弟嫁は嘲笑いました。
「ほんと、ワタシよりも四つも年上で、このまま生きていたって、貰ってくれる殿方は現われっこないわ。
ほら。満足に歩くこともできない」
必死に歩くフラワー嬢の寝巻きの裾を、弟嫁ビストは、面白半分に踏みつけます。
まっすぐ顔の方から、フラワー嬢はバタンと床に倒れ込んでしまいました。
うつ伏せになって床に横たわるフラワー嬢に、弟嫁は吐き捨てるように言いました。
「ちょっと裾を踏んだだけで、すぐに倒れてしまって。
それでも、生きてる甲斐があると思ってるわけ?」
フラワー嬢は、赤く腫らした顔をあげ、弟嫁を見据えました。
「はい。生きていると、きっと良いことがあると信じています。
亡き母にそのように教わったのです」
弟嫁ビストは屈んだ姿勢のまま、せせら笑いました。
「そんなこと言ってたから、お義母様、お亡くなりになったのよ。
あの邪魔くさかった花々と同じで、綺麗事を並べただけ」
「いいえ。神様は私を見離したりはしません。
神父様もそのようにおっしゃっておられます」
「じゃあ、せいぜい信仰を厚くして、神様とやらに身体を治してもらうことね!」
フラワー嬢は腕立て伏せをするようにして上体を起こします。
そして、窓辺に一輪の花が花瓶に挿してあるのに目を止めました。
「貴女は感じませんか。お花に宿る力を」
フラワー嬢の視線に誘導され、ビストも一輪の青い花に目を遣りました。
「なにそれ?
お義姉様は自分のこと、魔術師か何かと思ってるわけ?
ウケる。
じゃあ、このポーションはどうなの?
お薬なんだから、花なんかよりも力を感じるでしょ?」
ビストは、ポーションの瓶を、グイッとフラワー嬢に押し付けます。
ですが、フラワー嬢は首を横に振りました。
「このお薬よりも、あの青い花とか、朝の空気とかのほうが、力が感じられます」
「マジで魔術師気取りね。
そんなの気分の問題よ。
高価なお薬に感応しないで、野の草花に力を感じるって?」
座り込んでるフラワー嬢の胸ぐらを掴んで、弟嫁は唾を吐きました。
「吐く息まで臭いってのに、良く言えたものよね。
ほんと、お義姉様の近くにいるだけで、熱が移って、のぼせて汗をかいてしまうわ。
いつもワタシが食事を持ってくるの、どう思ってるわけ?」
「だから、今まで通り、エヴァに……」
「ああ、あの古株の侍女ね。もう出ていったわ。
お義姉様の世話係だったから、ワタシがこうやって肩代わりしてやってるの。
ありがたく思いな」
ビストは立ち上がって、部屋の外に置いてあったワゴンから食事を持ってきます。
少食のフラワー嬢に合わせて、パンとスープ、そして白魚の切身といった質素な食事でした。
なのに、弟嫁は立ったまま、ワゴンから直接、お皿を取り、魚の切身を食い散らかし、スープをゴクゴクと飲みます。
食事の大半を平らげてから、自分が食べ残したパンを、ポンと床に放り投げました。
「ほら食べてみなさい。
花は食べられないけど、パンは美味しいでしょ?」
フラワー嬢は吐息を漏らすと、手を伸ばしてパンを掴み、モソモソと食べ始めます。
それを見て、弟嫁は腹を抱えました。
「あはは。
お義姉様ったら、恥も外聞もないわけ?
まるで犬みたい」
黙々と食べながら、ビストの方を見向きもせず、フラワー嬢は言いました。
「私が何も食べないで、お腹を空かせているわけにはいかないわ」
「あら。何か不都合でも?」
「あなたの意地悪で私が何も食べないで死んでしまうと、あなたが私にろくに食べさせなかったことが明らかになってしまうでしょう。
そうなると、お父様も弟も悲しむわ。
私が亡くなったことよりも、『気立てが良い』と評判になってたアナタの本性を知って」
弟嫁はイラッとして、足をダンと踏み鳴らしました。
「いずれワタシがこの家を継ぐのだから、お義姉様はそんな心配をなさらなくて結構よ!」
床に座って食べる義姉を、弟嫁はガツッと蹴りつけます。
「ほんと、お義母様が存命でなくて助かるわ。
お義父様がお亡くなりになって、私の夫がこの家を継いだら、なんとしてもお義姉様を追い出させてもらうわ。
お義姉様はへレム公爵家にとって、疫病神でしかないんですから。
夫も家督を継ぎさえすれば、現実を知るでしょうよ」
あははは、と笑いながら、弟嫁はフラワー嬢をガンガン蹴りまくります。
「痛い。痛い!」
「ご自分でベッドに這い上がることね。
おほほほ」
ようやく気が晴れたのでしょう。
高笑いして、弟嫁ビストはワゴンを押して部屋を出て行きました。
床にうずくまったまま、フラワー嬢はわずかなパンを齧りながら、涙をこぼします。
いつまで、こんな生活が続くのかしら、と思いながら。
亡き母や、侍女エヴァの世話になってきた身の上です。
フラワー公爵令嬢は、介護の苦労はじゅうぶん承知していました。
お年寄りや、障害を持った方でも、介護を受ける身でありながら、偉そうにふんぞり返って威張るばかりのヒトもいると、侍女たちの噂話で聞いたこともありました。
ですから、フラワー嬢は、そういう困ったヒトになりたくなかったので、出来るだけ他人様の手を煩わさないよう努力してきました。
起き上がれるときは、自分で食事も摂るし、用も自分で足していました。
でも、弟嫁のビストは、そんなフラワー嬢の努力を嘲笑います。
力押しでベッドや床の上に押し倒して、介護と称して、食べ物や飲み物を無理やり口に押し込んだかと思うと、遠くに食べ物を放置したりします。
挙句、気分次第で、殴ったり、蹴ったりーー。
それでも、お父様も弟も、フラワー嬢の容態の変化から目を背けます。
彼らは、フラワー嬢を気遣うような口振りはしますが、実際に自らの手で介護しようとはしないのです。
(私は孤独なんだ。お花たちも奪われた今、私には神様だけ……)
フラワー嬢は、部屋に残されたたった一本の青い花を前にして、跪きます。
そして、静かに祈ることしかできませんでした。
◆4
神様がフラワー嬢の祈りを聞き届けられたのでしょうか。
いきなり、へレム公爵家に朗報がもたらされました。
朝食の際、家族のみながテーブルに付き、顔を合わせます。
そのとき、父親のへレム公爵が喜色満面で、フラワー嬢を見据えて大声をあげました。
「喜べ! 王子様が、おまえを貰ってくれるそうだ!」
王家から使いの者が父のもとに来て、王子様から婚約指輪を授けられ、フラワー公爵令嬢との年内の結婚を正式に打診してきたというのです。
美形のタレス王子様は、バタフ王国の貴族令嬢方にとって憧れの的でした。
なのに、王子には誰とも浮いた話がなかったので、周囲から不思議に思われていました。
そこへ、突然の婚約発表、そして婚姻話です。
大勢の者が納得しました。
なるほど、美形の王子は〈呪われの花姫〉にご執心であったのか、と。
たしかに、フラワー公爵令嬢は美貌の持主で、お似合いといえばお似合いでした。
でも、フラワー嬢は幼少時から身体が弱いことでも有名でした。
ですから、お優しいタレス王子が〈呪われの花姫〉をお囲いなさろうとしておられるだけで、次代の王子を産む国母の座は実質的に空いているも同然、と見做す者が大半でした。
結果として、貴族間の大勢は、この突然の婚姻話を歓迎する動きとなっていました。
「良かったですね、姉上!」
弟アレンは、まるで自分のことのように喜びます。
弟嫁ビストだけが、驚きを隠し切れませんでした。
「お義姉様はーーあの美形の王子様とお知り合いだったんですか?」
アレンは明るい声を上げます。
「幼馴染なんだよ。
王子様は僕よりも二つ年下なんだけど、幼い頃より、姉上に懐いておられた。
今でも、顔を合わせるたびに、姉上の容態をお尋ねになるんだ」
弟の解説を聞きながら、フラワー嬢は往時を想い出します。
たしかに、幼少時、タレス王子様と遊んだ記憶がありました。
お人形さんのように綺麗な王子様で、幼い頃は、彼もお花が大好きでした。
まだへレム公爵夫人がご存命の折は、フラワー嬢もしきりに王宮に遊びに連れて行ってもらい、お庭でお花を摘み、花輪を作ったりしていたものでした。
そして、よく王子と一緒にママゴトをしました。
なぜか、王子様がお母様の役をやりたがるので、フラワー嬢が折れて、お父様役をやった記憶があります。
たしかに、王子様はフラワー嬢に良く懐いていました。
やたらとスキンシップをとりまくって、お互いに抱き合って、甘え合っていました。
当時は、お妃様がお亡くなりになったばかりの頃だったので、タレス王子様もお寂しかったのだろうと、フラワー嬢は思っていました。
「そうかあ。将来、姉上が王妃様になるのかぁ……」
弟のアレンが背筋を伸ばして、感慨深げに言います。
その言葉を耳にして、フラワー嬢は急に不安になってきました。
「私、身体が弱く、王妃が務まるか不安です」
王子様のお母様ーー王妃様の記憶はボンヤリしていました。
五、六歳の頃、まだご存命の折に見たときは、神々しく感じられたものでした。
あれほどの威厳を、とても自分が発揮できるようになれるとは思えません。
でも、何事にも大雑把な父の公爵は、太鼓判を押しました。
「心配することはないぞ!
王子様の方が、是非にと言うのだ。
おまえの身体が弱いのも、重々承知だ。
国王陛下もな。
ここだけの話、おまえの腹で、じかにお子を授からずとも良いというのだ。
王子はいずれ側室を設けて、そこで子を成すおつもりとのこと。
だが、正室たる王妃はおまえが良い、と仰せなのだ。
情の薄い結婚になるかもしれんが、見知った者同士で会話も弾むであろう、と国王陛下も乗り気でな。
おまえには悪いが、陛下に今までお金を借りていて、この縁談は断ることはできんのだ」
弱音を吐くお父様を、フラワー嬢は初めて見ました。
彼女は慌てて手を振りました。
「断るだなんてとんでもない。
お家のためにもなるのですから、私は嫁がせていただきます」
へレム公爵家の者のみなが喜びました。
そんななか、独り弟嫁ビストだけが、唇を強く咬んでいました。
◆5
弟嫁ビストは健康な身体に物を言わせて、義姉のフラワーを小馬鹿にしてきました。
高熱で倒れてばかりで、いつも部屋にこもっている変わり者ーーそう思って笑っていました。
ですが、痩せても枯れても、さすがは公爵家の娘でした。
まさか幼少時から、あの見目麗しいタレス王子と懇意にしていたとは知りませんでした。
ビストは、苛立って親指の爪を噛みます。
しかも彼女は、実家に帰った際、さらに嫌なことを知りました。
実家の玄関を開けるなり、父親から罵声を浴びせかけられたのです。
「おまえをへレム公爵家に嫁がせたのは、なんのためだ!?
あの〈呪われの花姫〉を、しっかり家に縛り付けておくためだろうが!」
義姉フラワーに王家に嫁がれ、公爵家から出られてしまうと、ポーションの注文がなくなり、収入が失われて困るのだと、父親がいうのです。
ビストは扉の陰に隠れながら、おずおずと尋ねました。
「だったら、お父さんがじかに王家にポーションを納入すれば?」
すると、父親は床を何度も足蹴にして叫びました。
「無理だ。薬師はそれぞれ縄張りがある。
王家には俺の師匠が納入業者に決められており、手が出せん!」
娘のビストには秘されていましたが、じつはすでに父親は失敗していたのです。
王家にポーションを納品したことがあったのですが、師匠が制作したもの以上に役に立たなかったと、突っ返されたことがあったのです。
往時を思い出し、父親はさらに不愉快になりました。
「出ていけ。鬱陶しい!」
実際は、実家ごと、あの義姉にぶら下がっていた現実に、ビストは打ちのめされました。
ですから、実家から追い返された彼女は決意しました。
「絶対、お義姉様の縁談を壊してやる!」と。
◆6
決心したビストの行動は、素早いものでした。
まず、義姉フラワー嬢の部屋に入り込み、王子様からもらった婚約指輪を盗みました。
そして教会に行って、黒魔術の祭壇を築き、指輪を台の上に置いて、さらに上から赤い蠟を垂らしたのです。
翌朝がミサだったので、その異様な祭壇と指輪が、大勢の信徒に発見されて、大騒ぎとなりました。
「これは送り主を呪う術だ!」
「この紋章はーーまさか、へレム公爵家!?」
ざわざわ、と人々が騒いで、噂を振り撒きます。
その日は、教皇庁から異端審問官までが派遣され、ミサどころではなくなりました。
公爵家の権威で、なんとか表沙汰になるのは避けることができました。
ですが、当然、父親のへレム公爵は激怒して、教会まで娘を呼びつけました。
フラワー公爵令嬢は、大勢の神官たちの手で、黒魔術の祭壇の前で跪かされました。
「これは、どういうことだ!?」
無骨ながらも優しい父親から初めて叱責され、フラワー嬢はただおろおろして、「知りません」と答えるだけでした。
嫌な空気だけが流れます。
いつもは慈愛に満ちた神父様が、フラワー嬢を見下ろして嘆息しました。
「いつまでも病が癒えない怒りが、畏れ多くも神様に向かったのかもしれません」
実際に、タレス王子からの婚約指輪が持ち出され、呪いに使われたのです。
持ち主の所業と思われて当然でした。
懇意の神父様から顔を背けられたーー。
フラワー嬢にとっては、その事実が一番、応えました。
しかも、フラワー公爵令嬢にまつわる醜聞は、それだけで終わりませんでした。
へレム公爵家の家宝に、紋章が入った指輪型の印鑑があります。
祖父の代に、王家から下賜されたものでした。
その印鑑が紛失し、あろうことか、竈門の消し炭の中から発見されたのです。
家宝が竈門の中に投げ捨てられていたのでした。
料理番が掃除をした際に見つけて、大騒ぎとなりました。
家宝の印鑑は、絹のハンカチに包まれていました。
焼け残りのハンカチを手にして、父親のへレム公爵は断言しました。
「これは、娘が大切にしていた、亡き妻の形見だ!」
こうして、公爵令嬢らしからぬ醜聞が、立て続けに起こったのです。
誰もが、フラワー嬢が家から出たくなくて、仕組んだことだろうと考えました。
父親は自室にフラワー嬢を呼びつけ、怒声を張り上げました。
「表向きには、王子との婚姻に、あれほど素直に応じておったのに。
裏では、これほど怨んでおったとは。
以前から、妬み深くなっていると、弟嫁から聞いていたが、本当だったとは」
「お父様、誓って私はそのようなことはーー」
「では、誰がこのようなことを?
まさか、弟嫁の仕業と言うのではあるまいな!?」
「……」
すでに弟嫁ビストは、公爵と夫アレンにささやいていました。
「きっとお義姉様は、ワタシがやったことだと訴えるでしょう。
でも、黒魔術も、竈門に貴重な品を投げ入れることも、ワタシにはできません。
その当時、ワタシは実家にいたからです。
ワタシの父上が証人です」
すでに報告を受けていたビストの父親は、「娘がなにか仕組んだな」と察しました。
ですから、当然、素知らぬフリで、娘に話を合わせていました。
さらに、弟嫁は義父と夫に「衝撃の事実」を暴露したのです。
「じつは、お義姉様はかなり動けるし、歩けるのです。
今回の醜聞を引き起こせるぐらいには、ね。
それを隠して、ワタシから世話を受けたがっておいででした」と。
父と弟から、同時に強い疑いの目を向けられました。
さすがにフラワー嬢は意を決して、拳をギュッと握り締め、顔を上げます。
「……私か、あの娘か。お父様はどちらをお信じになるのですか?」
へレム公爵は腕を組んで唸ります。
「健康な弟嫁が、病弱なおまえを妬む理由はないだろうが。
おまえの介護も進んで行なっておった。
その一方で、おまえは健康な我々を羨んでおったのだろう。
そして、王家に嫁げば、居心地の良さを失うと懸念したのではないか?」
「それは違います。
お父様は、今まで私の、何を見ておいでですか。
私のこの腕の傷は?
背中にも腹にも、蹴られた足跡がございますよ。
日に日に痩せるこの身体は?
誰が介護するようになってからのことだと?
大好きなお花たちが勝手に捨てられて以降、この家は居心地が良いものとはとても呼べませんでした。
それもこれもーー」
そこで、弟アレンが甲高い声で叫びました。
「姉上!
これ以上、僕の妻を悪く言うな!
なんだよ、自分は世話になっていながら!」
フラワー嬢はさらに反論しようとしましたが、父親はいきなり家長として結論を下してしまいました。
「良かろう。もうおまえは王家には嫁がせぬ!
こんな調子では、いつ造反するとも知れぬからな。
謹慎しろ。
せっかく良縁を持ってきてやったのに。
親の心、子知らずとはこのことだ!
甘やかしすぎた。
育て方を間違ったのだ!」
かくして、フラワー公爵令嬢は、日当たりの良い自室から追い出され、地下室に軟禁されてしまいました。
大切にしていた、たった一つ残されていた青い花も、花瓶ごと放り捨てられてしまいました。
◆7
その夜、へレム公爵家では、フラワー嬢を抜きにして、家族会議が開かれました。
次期当主たるアレン夫妻を前にして、父のへレム公爵は断言しました。
「醜態を晒したフラワーは、地下に閉じ込めた。
だが、王家との婚姻は、ぜひとも実現させたい。
我がへレム公爵家にとって必要なのだ。
ポーションを買い続けた借金が嵩んでいるのでな。
まったく、忌々しい娘だ。
誰のおかげで、父が苦しんでおると思っておるのか……」
公爵はわざとらしく嘆息してみせます。
ですが、じつは借金が嵩んだ原因は、フラワー嬢のためのポーション購入のせいではありません。
連日連夜、自費を使って催す酒宴のせいでした。
へレム公爵はお気に入りの貴族や商人を招いては酒を飲み、情報交換や企画会議と称していました。
公爵本人としてはコネ作りに勤しんでいるつもりでしたが、何の成果も得られなくて焦り始めていました。
へレム公爵は息子夫妻にすら黙っていましたが、じつは、隠された本音がありました。
タレス王子とフラワー嬢の結婚には、自身の出世と保身がかかっていたのです。
彼は内務省に勤めていますが、娘を王家に嫁がせられれば、慣例に従い、内務省長官に出世できる予定でした。
いずれは宰相に就任することも可能なポストです。
へレム公爵家は、「三大公爵家の一角」といわれながら、「実質、二大公爵家だろ?」と陰口を叩かれるほど、勢力が衰えていました。
当代のへレム公爵が粗忽者だと評価されていたからです。
そこに、思わぬ王家との縁談話が、娘に舞い込んできたのでした。
公爵家としての威厳を復活できる、またとない逆転の好機でした。
ぜひとも逃したくなかったのです。
父と息子は互いにうなずき合い、弟嫁のビストに顔を向け、訴えました。
「結婚式を挙げる準備は、すでに万端、整っている。
司祭様にもお知らせしているし、衣装も結納品も用意しておる。
あとは王家に嫁ぐだけなのだ」
弟アレンまでもが、妻に対して頭を下げました。
「不埒な姉上が迷惑をかけた。
姉上は我が家の恥だ。
でも、将来、この家を継ぐのは僕なのだから、へレム公爵家のために決心してほしい」
ビストはゴクリと生唾を飲み込みます。
「なにを?」
夫アレンが真面目な顔で、彼女の両手を握り締めました。
「姉上の代わりに、王子の許へ嫁いでくれ!」
さすがにビストは呆気に取られました。
実際、お義姉様の王子との縁談を破談に追い込めればそれで良い、としか思っていませんでした。
自分がお義姉様に成り代わって王家に嫁ぐなどとーーそこまでは考えていませんでした。
「そんなこと、可能なのですか?」
ビストは疑念を口にしましたが、お義父様の公爵は大きくうなずいて腕を組みます。
「既婚者が王家に嫁ぐために離縁した例は、昔からある。
実際、先日、娘の醜態を報告がてら提案したところ、王子様も『構わぬ』と言ってくれている」
ビストは両手で顔を覆い、わあああと泣いてから、テーブルに突っ伏しました。
そして、喉を震わせます。
「お義父様。あなた。
ワタシ、この家から出ていきたくないわ。
でも、この大好きなへレム公爵家のためですもの」
へレム公爵家の現当主と未来の当主が、そろって彼女の手を取りました。
「ありがとう」
「そうだ。すべてはへレム公爵家の将来のためなのだ」
みなで泣きました。
ですが、弟嫁ビストは泣きながらも、内心では歓喜に震えていました。
連日連夜、就寝時に、
「お義姉様の代わりに、ワタシが嫁げられたら良いのに……」
と夫アレンに愚痴り続けていたのが、思わぬ成果を挙げたようでした。
彼女の愚痴が呼び水となって、夫が義父に提案したのは確実でした。
◆8
へレム公爵家での家族会議の結果ーー。
タレス王子との婚姻を、フラワー嬢から、弟嫁のビストが取って代わって、結ぶことになりました。
公爵によれば、すでに王家の許可を得ているといいます。
弟嫁ビストは得意満面で、純白のドレスをまとって公爵邸を後にしました。
王家から馬車が迎えに来たのです。
結婚式を挙げるかなり前から新郎の家に泊まり、新婦は婚家の指示に従い、式を迎えるーーそれが、このバタフ王国でのしきたりでした。
結果として、ビストはへレム公爵家に貸しを作った格好になりました。
それを良いことに、へレム公爵家の嫁として、ビストは最後の要求を出していました。
ビストは馬車に乗り込む際、見送る公爵とその息子に言ったのです。
「ワタシはへレム公爵家のために、これから王家に嫁ぎます。
ですから、お願いです。
代わりにお義姉様を、ワタシの実家の養女にしていただきたいのです。
よろしいですね?」
公爵は腕を組んだまま、大きくうなずきました。
「ああ、それは良い案だ。
願ってもないこと。
アレも薬草に囲まれての生活の方が安心だろう」
父親も弟も何度もうなずくほど、大賛成でした。
第一、フラワーの面倒を見なくて済むし、ポーション代もかからなくて済みます。
フラワーにとっても、薬師の家に住まう方が都合が良いだろう、としか二人の男性は思いませんでした。
「では、さっそくお義姉様をお呼びください。
これから一緒に馬車に乗って、私の実家に寄っていきます。
そこでお義姉様を降ろして、ワタシは王宮へ向かおうと思います」
そう言うと、弟嫁は馬車の御者に行先を告げ、指示を出します。
その間に、地下室から引っ張り出したフラワー嬢を、父と弟とで馬車に押し上げます。
「お、お父様、アレン……私をこれからどうしようと?
よく、お考えになってーー」
フラワー嬢の懇願に対して、父も弟も聞く耳がありませんでした。
「良かったじゃないか。
へレム公爵邸では居心地が良くなかったそうだからな!」
「何事もへレム公爵家のためです、姉上!」
フラワー嬢とビストが乗り込むと、馬車の扉はバタンと閉められました。
かくして、フラワー公爵令嬢は元弟嫁ビストの実家に養女に出されることになってしまったのです。
〈呪われの花姫〉と呼ばれたフラワー公爵令嬢は、王子との婚姻を奪われ、挙句、出入りの薬師の養女に身分堕ちとなったのでした。
ガタゴト音を立てて進む馬車中で、フラワー嬢とビストとが向き合って座ります。
元弟嫁は扇子を広げて勝ち誇りました。
「これで名実共に、お義姉様は永遠にワタシのお義姉様ね。
ただし、お義姉様は貴族ではなく平民の養女で、ワタシは王族で未来の王妃!
ワタシはお義姉様と違って健康だから、次代の王子を産むことだって出来るわ。
そうしたら、晴れてワタシは、このバタフ王国の国母になるのよ!」
車内は狭い。足を伸ばせば、余裕で向かいの席に届きます。
ビストは無作法に、フラワー嬢の脚を、ドンと強く蹴りあげました。
「これでもまだ、希望を持って生きられるっていうの!?」
フラワー嬢はそれでも毅然と胸を張り、両手を合わせました。
「私はあなたのために祈ります」
「ふん。祈っても無駄よ。
お義姉様は黒魔術をやった異端者として、教会への出入りも禁じられたのよ。
あははは!」
これで王家に嫁いでも、実家に帰るたびに気晴らしができる、とビストは喜びました。
そして、いきなり実家の薬屋に馬車で乗り付けると、ビストは義姉を蹴り出しました。
呆気に取られる父親に手紙を渡すと、得意げに声を上げました。
「お父さん!
ワタシ、これから王宮に行くから。
式を楽しみにしててね!」
◆9
数刻後ーー。
娘ビストの手紙を読んだ父親は、ウキウキしていました。
手紙には、娘が王子と結婚し、代わりに義姉のフラワー嬢がわが家の養女になるよう決定した旨が記されていたのです。
「これは公爵様の決定だから、お父さんは歯向かえないんだからね」
と念押しされていました。
(相変わらず、気の強い娘だな……)
ビストの父親は機嫌を損ねるどころか、大喜びでした。
義姉が王家に嫁いだら収入源を失うところでしたが、娘のビストがじかに王家に嫁ぐとなれば話は別です。
街中で薬屋を営む平民薬師でありながら、王家と親戚関係となるのです。
リビングの隅でうずくまる元公爵令嬢を、椅子の上から眺めながら、ビストの父親はほくそ笑みました。
(娘のビストが王妃ともなれば、父親の俺も、王室お抱えの薬師になれるかも。
最近、師匠の評判も悪い。
薬が効かない、とのことだ。
だったら、師匠から薬草の販路を奪うことも可能だな……)
娘同様に頭が回る薬師は、パンと膝を打ちました。
部屋の隅で縮こまるフラワー嬢に向けて、ニタリと笑いかけました。
「お嬢さん、アンタ、『お花に宿る力を感じることができる』って、娘から聞いたぞ。
娘は鼻で笑ってたが、俺は覚えている。
アンタが生まれたとき、活けてあった花がいっせいに咲き誇り、周囲が熱っぽくなった。
後日、一向に高熱がおさまらないアンタの看病に、俺も出向いたんだぞ。
王家お抱え薬師だった師匠と一緒にな。
公爵の奥様が『出来るだけの手を打ちたい』って、国王陛下に頼み込んで、師匠が呼ばれたんだ。
あの時は大変だった。
秋口だというのに、暑くて、お嬢さん、アンタに近づくだけでめまいがしたもんだ。
それでも奥様はアンタを抱き締めて、あやし続けてたよ。
ほんと、母親の鑑だと思ったね。
ーーでだ、あのとんでもない熱ーー俺はそれは魔力だと思っている。
魔力は万物に宿る、不思議な力の源だ。
当然、草花にも宿ってるはずだ。
今、お嬢さんはどうにか抑え込んでくれてるようだけど、要は、豊富な魔力をアンタは身体の中に持ってるはずなんだ。
だったら、他の物体の魔力も感知できるんじゃないか?
なら、こいつはどうだ?」
幾つか薬草を取り出して、薬師はフラワー嬢に掴ませました。
そして、魔力が多いと思える順に、仕分けるよう命じました。
黙って、フラワー嬢は指示に従います。
やがて、床に並んだ薬草を見て、薬師は唸りました。
(こいつーーマジで魔力持ちか。使えるかも……)
だが、ある薬草に魔力がまるでないことに、フラワー嬢が気づいてしまいました。
「この薬草を主成分にしているポーションはみな、効かないはずです」
彼女はか細い声ながら、断言します。
薬師は驚いて目を丸くしました。
「そんなバカな。ソイツは、もっとも高価な薬草なんだぞ!?」
それは、師匠から強引に売り付けられていた薬草でした。
まさに、目の前にいる公爵令嬢のために調合したポーションの主成分でもありました。
ビストの父親は顎に手を当てて思案します。
(この薬草が効かないっていうなら、師匠が王宮から排除されるってのも、うなずけるか。
たしか、この薬草を師匠が売り出したのは、俺の娘や、このお嬢さんが生まれた頃だった。いったい、なにがあった?)
ビストの父親にしてみれば、いきなり闇にぶち当たった思いでした。
おかげで、薬草の効果を確かめ直さなければならない気がしました。
でも、薬草自体の信用を損ねかねない事態に陥りそうで、自分独りで判断して動ける気がしません。
彼は、大声で弟子を呼び出し、床の上でじかに座って薬草を手にしているフラワー嬢を紹介しました。
「これから俺は師匠を問い詰めるなどして、忙しくなる。
店番と、この娘の世話を頼む。
この娘は好きにさせておけ。
病弱だから、どうせ遠くにはいけない。
ーーそうだな、草原にでも行って、薬草摘みでもさせておけ。
あ、でも元公爵家の娘だから、丁重にな」
◆10
薬師の弟子、男女二人に手を引かれ、フラワー嬢は薬屋から出ました。
そのまま街中の裏道を通って、南門へと進み、草原へと向かいます。
ところが、想像以上に、時間がかかりました。
フラワー嬢の歩みが遅いからでした。
ハァハァ、と彼女は息を吐きます。
そして、すぐに地面にへたり込んでしまいます。
男の弟子は舌打ちしました。
「ちっ、面倒だな」
仕方なく、フラワー嬢を背負って駆け出しました。
女の弟子は、そんな兄弟子を見て、からかいました。
「初めから背負った方が早かったね」
男の弟子は、頬を膨らまします。
「だったら、おまえが背負えよ。
結構、重いんだぞ。
ーーでも、こんな、いかにもなお嬢様を草原に連れてっても仕方なくね?」
「といっても、師匠の言いつけなんだから……」
フラワー嬢は、男の弟子の背中に、黙ってしがみついていました。
人に背負われての外出は初めてでした。
馬車に乗らないで街中に出たのも、街道を通り抜けたのも、門の外に出たのも、すべてが初体験でした。
一時間ほど経て、ようやく門外に広がる草原に辿り着きました。
「わあああ、素敵!」
弟子の背中から降ろされるや、フラワー嬢は子供みたいにはしゃぎだしました。
薬草混じりの草花が生い茂る草原が、視界いっぱいに広がっていたからです。
男の弟子は息を切らせながら、フラワーに言いました。
「たしかに、アンタを草原まで運んだからな。
もう、俺たちは、お役御免でいいな?」
女の弟子もウンウンうなずきます。
弟子たちはフラワー嬢の面倒を見るのを嫌がっていました。
草原に連れて行ったからは、あとは彼女を放置して、自分たちだけで街に遊びに行きたいと思っていたのです。
むろん、フラワー嬢はニッコリ笑って同意しました。
結果、彼女は草原に独り取り残されたのですが、このうえなく上機嫌でした。
広い草原を独り占めにした気分でした。
「ああ、メリルの花も、今は土の中で眠るベラム種の力も感じるーー。
ほかにも、赤や緑の薬草たちがいっぱい!」
かつてなく気分が昂揚していました。
「会いたかったよ、お花たち!」
フラワー嬢は両手を広げて、大きく息を吐きました。
すると、〈呪われの花姫〉の面目躍如たる光景が展開しました。
草原いっぱいに、花々が咲き乱れたのです。
季節を問わない様々な草花が、地中から芽を出し、茎や枝葉を伸ばし、花開きます。
それだけではありません。
幾つかの草花は赤や黄色に光り輝き、盛大に音楽を奏でる草花までが出現したのです。
この奇蹟的で、幻想的な光景を目にした者は、誰もが目を見開くに違いありません。
現に、真っ黒な鍔広帽子を取って、目を丸くして驚いたお婆さんがいました。
遥か遠方から、フラワー嬢に向けて、大声で語りかけました。
「おお、セレンの花が輝いて、ターム草が歌う……草原一面が魔力に満たされておる!
いやあ、この婆も長く生きておるが、嬢ちゃんほどの魔力持ちに遭ったのは初めてだ」
「ありがとう、お婆さん。
お花たちと過ごせるなら、私、幸せ……」
振り向きざまに微笑むと、フラワー嬢は草っ原の上にフワリと倒れ込み、そのまま気を失ってしまいました。
◆11
目が覚めたとき、フラワー嬢はベッドの上でした。
草原から運び出されたようでした。
ふと視線を横にやれば、枕元にある小さな丸テーブルの上に、一輪の花が花瓶に挿してありました。
白く輝く不思議な花で、フラワー嬢は見たことがありませんでした。
「起きたのかい。まずは、これを飲みな。甘い蜜を入れた滋養薬じゃ」
草原で、声をかけてきたお婆さんが、湯気が上がるコップを手渡してくれました。
「あ…ありがとうございます」
手渡された赤い液体を一口飲んだら、にがかった。
たしかに蜂蜜が入っているようでした。
ですが、あくまでにがさをやわらげるための甘味料だったようです。
でも、喉元を過ぎれば、すぐさま身体中に力が漲るように感じられました。
「ここは?」
「あたしが借りた宿さ」
お婆さんが逗留している、街中の宿屋でした。
窓の外をボンヤリ眺めてから、フラワー嬢は驚きました。
「こ、ここは街中じゃないですか?
どうやって、私を連れてきたんです?」
大きな身体をした薬師の弟子でも、背負って運ぶのに汗を掻いていました。
見たところ、お婆さんは平然としています。
従者でも連れているのかと思いましたが、誰もいる気配がありません。
「なに、簡単なこと。宙に浮かせて、さ」
お婆さんがツイッと皺だらけの指を上げると、ベッドで半身を起こしていたフラワー嬢の身体が、上掛けシーツごと、宙に浮かび上がったのです!
「わああ、なんですか、これは!?」
驚く娘を見て、お婆さんは満足げに目を細めます。
「あたしゃポポロ。人呼んで北方の大魔術師ポポロさね」
「魔術師ーー私、初めてお会いしました。
……といっても、今までずっと部屋の中で引き篭もってましたから、たいした見聞はありませんが」
「ふんふん。そんな感じだね。
あたしもビックリしたよ。
あたしのような、紺色の長衣をまとう者が、街中でも一人もおらん。
魔術師がまったくおらん街に来たのは初めてだ。
さすがは西の僻地ーー〈鉱石の国〉バタフだね。
嬢ちゃんをこの宿に運ぶときも、目立って仕方なかった。
ほんと、この辺りは、騒がしいガキどもか、無粋な労務者ーーあとは威張り腐った貴族しかおらんようじゃ」
かなり毒舌なお婆さんのようでした。
でも、草原で倒れたフラワー嬢を看病してくれたのです。
本当は優しい人に違いありません。
(あら……?)
フラワー嬢は自分の体調がすこぶる良いことに気づきました。
「ひょっとしてお婆さん、なにか魔法をかけてくださったのですか?
それとも、今いただいた飲み物が効いたのかしら?」
「ヒッヒヒヒ。そりゃあ、滋養薬じゃからな。
効き目も少しはあったろう。
が、そんなものを飲ますよりも、あたしゃ大事なことをした。
魔法をかけたというよりも、その逆じゃ。
ちょいと魔力を嬢ちゃんの身体から抜いておいた」
「魔力を抜く?」
「嬢ちゃんも、これからは自分で魔力調整するんだね」
「魔力調整?」
「嬢ちゃんは魔力が強すぎるのさ。
莫大な量の魔力が体内を巡っていて、それが高熱をもたらすんじゃ」
長年、自分を苦しめてきた病気の秘密が、あっさり明かされたようでした。
「そうでしたか。
では、これから先、私はどうしたら……」
「身体がカッカと火照って、頭がクラクラしたら、この花に魔力を込めれば良い」
大魔術師ポポロは、丸テーブルの上にある灰色の花を指さす。
「このお花は? 私、初めて見ました」
「ホイミーという。
ここらでは見かけん品種じゃな。
北の国に咲く〈癒しの花〉。
この婆が具合が悪くなったときのために携帯しておったのだが、とりあえず、コイツをくれてやろう。
どの花にも多少は癒しの機能はあるんじゃが、この花は特別でね。
アタシら魔術師が何代にも渡って開発した、癒しに特化した花なんじゃ。
絶えず魔力をこの〈癒しの花〉に抽出していれば、嬢ちゃんは高熱にうなされることはなくなる。
ここらじゃ珍しい花だが、魔術師の間じゃ、広く流通してる。
コイツは便利な花であると同時に、不便な花でな。
魔力を放出し切ったら、再び魔力を込めてやれば、たちどころに癒しの力が復活する。
だから、病が深かったり、傷が癒えない患者のもとに、この花を貸してやって、定期的に魔力を補充してやるのさ。
ヘタな薬より、よほど効くんだよ。
だから、この花を使っての病人訪問は、魔術師の良い小遣い稼ぎになっている。
でも、欠点もあってね。
魔力を供給し損ねると、たちまち萎んでしまう。
この花を生きながらえさせるには、嬢ちゃんの魔力が必要になるってわけさ。
嬢ちゃんとホイミーの花が、持ちつ持たれつの間柄になる。
面倒臭いかもしれんが、死ぬよりゃマシじゃろ?
さあ、さっそくこの花に念を込めてみな」
お婆さんの言うとおり、フラワー嬢は灰色の花弁に向けて念を込めました。
すると、パアッと灰色の花が咲き誇り、やがて白く輝き始めました。
「ほら、嬢ちゃんの魔力で、こんなに咲いた。
美しいじゃろ?
嬢ちゃんの顔と同じで」
「ふふふ。
嬉しいわ、お婆さん。
ありがとう。
あなたは生命の恩人です」
「礼には及ばんさ。
膨大な魔力を感知して、草原に来てみたら、たまげたよ。
あれだけ派手に花を光らせたり、歌わせたりしてたらねえ。
魔術師だったら、誰でもすっ飛んでくるさ。
でもーーこの婆しか来とらんところを見ると、この国にはよほど魔法を操れる者がおらんとみえる。
実際、『魔力で頭が痛くなったら、灰色の花を白く咲かせろ』って言葉は子供の頃から聞かされたものじゃ。
こいつは北方じゃあ、魔術師以外でも常識的なことじゃがなぁ。
嬢ちゃん、今までどんな治療を受けてたんだい?」
「熱冷ましのポーションいただいて……」
「馬鹿だねえ。
ポーションってのは緊急用の携帯薬だよ。
それに嬢ちゃんみたいな魔力過剰の者にゃ、どんなポーションを使っても役に立たない。
とてもじゃないが、完治は望めないねえ。
あぁ、嬢ちゃんの家にはお抱えの魔術師はいなかったのかえ?
嬢ちゃんは、それなりの家の出だろ?
振る舞いってのでわかるよ。
でも、押し出しが弱い娘だねえ。
やっぱ、騙されてたのかねえ。
ポーションを売りつけられたりとか?
がっははは。
薬師どもが、バカ貴族相手によくやる詐欺商法さね」
思わず釣られて笑顔になったフラワーは、お婆さんに問いかけました。
「身なりから見て、お婆さんは、遠方出身の、異国の方と存じ上げます。
なぜ、わが国へいらしたんですか?」
「この国の王家に呼ばれたんだ。
なんでも、長年仕えてきた薬師が使えない、もう我慢できない、ということで、この婆が呼ばれたのさ。
定期的に癒しの魔法が必要になる。だから、お抱えの魔術師にしてやっても良い、と。
でも、あたしゃはこの国は好きになれそうもないね」
「なぜ?」
「気が悪いっていうかーー王宮あたりから悪い気が漂っていてね。
そうだ。ちょうど良い。
嬢ちゃん、今からアタシの弟子になってくれないかね?
嬢ちゃんを王家のお抱えに推薦してあげる」
いきなりの提案で、フラワー嬢はビックリしました。
「それはーー」
口ごもる彼女の様子を見て、大魔術師ポポロはニタリと笑った。
「ふむ。いろいろと経緯があるんだね。
良かろう。
弟子のために一肌脱ごうじゃないか。
アンタを弟子にした報告を兼ねて、一緒に王宮へ行こうじゃないか」
「それはーー」
「気が退けてる場合じゃないよ。
嬢ちゃんの生命がかかってるんだ。
王家の者にはじっくり説明させてもらうさ。
嬢ちゃんをお抱えにしないと、癒しの秘跡は途絶えるってね。
嬢ちゃんは〈癒しの花〉に、自分の体内に巣食う余分の魔力を注ぎ込み続けりゃ良い。
魔力を注ぎさえすれば、万病を癒す機能を持った花を、定期的にこの国の王家にもたらすことができるし、嬢ちゃんは魔力を放出できて健康になれる。
まさに一石二鳥さね!」
◆12
フラワー嬢が草原で花々を光り輝かせてから、一週間後ーー。
王宮内でようやくタレス王子の結婚式が開かれました。
元平民娘ビストに、王家に嫁ぐにふさわしい作法を身につける躾に時間がかかったのです。
王子様の挙式にしては小規模で、ごく内輪の者しか招待されていませんでした。
ほとんど秘密裏に開かれた挙式といえます。
それでも、ビストは一生懸命でした。
純白ドレスに身を包んだ彼女は背筋をピンと伸ばし、美形王子と並んで式に臨みました。
旧知の平民の女友達や、実家の薬師稼業関連の参列者もいました。
ですが、彼女たちは新婦ビスト以上の緊張感に身を晒すことになりました。
王宮での結婚式なうえに、新婦関連の参列者以外は、高位貴族しか参列していませんから、当然、ビストとその関係者は肩身の狭い思いをしていたのです。
新婦ビストに対する、貴族令嬢たちの激しい嫉妬の視線がヒシヒシと感じられました。
「よく出席できたものね」
「恥知らず」
「あんな図々しい女の知り合いだなんて、お里が知れるわ」
「フラワー嬢、お可哀想に……」
貴族たちから冷たい目で見られたのは、本来、仲間であるはずのへレム公爵とその子息アレンも同様でした。
王子が求婚した、実の娘である〈呪われの花姫〉を新婦の座から引きずり降ろしたのみならず、平民降下までなしたことを、『貴族らしからぬ非道』と、誰もが感じていました。
また、へレム公爵父子は、元嫁ビストの実父である薬師とも反目し合っていました。
薬草の効果がなかったことが公表されたので、公爵は今まで支払ったポーション代の即時返却を請求したのです。
ですが、莫大な金額を返済できない薬師側は当然、拒否します。
同時に、王家お抱え薬師に自分たちも騙された被害者なのだと、弟子筋を糾合して師匠を訴えていました。
一方で告訴され、他方で告訴する、裁判だらけの有様になっていたのです。
実親と養い親とが揉めまくって、式場でも互いに顔を背け合っており、ビストの結婚を祝うどころではなくなっていました。
それでもビストは、王子と腕を絡め、傲然と胸を張りました。
(ふん。王子様に選ばれたのは、ワタシなんだから!)
王妃になりさえすれば、このどうしようもなく不利な状況も、一気に逆転できると彼女は信じていました。
あまりにギスギスした雰囲気が式場に充満しており、婚姻を神前で司る司祭様ですら、動揺していました。
不穏な空気の中、平然としていたのは、タレス王子と、臨席した国王陛下ぐらいです。
こうして、わずか二時間ほどで、秘められた結婚式はしめやかに終了したのでした。
そして、ビストは王宮の奥の院で、初夜を迎えることになりました。
◆13
天蓋付きのベッドで、ビストは美形王子の到来を心待ちにしていました。
深夜になると、それまでわずかに灯されていた明かりも落とされ、暗闇が場を支配します。
それでも、今夜は満月ーー。
窓から差し込む月明かりで、独りの男性の影がベッドに延びてきたのがわかりました。
(来た!)
ビストは胸を高鳴らせました。
彼女は公爵子息アレンの元嫁ですから、当然、処女ではありません。
それでも、美男子ーーそれも王子様と寝所を共にするのです。
街中の薬師の娘にとっては望外の僥倖で、若い乙女に戻った気分でした。
豊かな乳房に、男性の手が伸びてきました。
(あら。結構、大胆ね)
ビストも男の手を握ります。
(あら? なに、これ?)
自分の胸を揉む男の手の感触が、妙でした。
元夫のアレンの方が、まだスベスベしています。
(あんなに美しい王子の手が、どうしてーー?)
寝室全体が、窓から差し込む月明りに照らされます。
結果、新婦ビストの目に入ったのは、皺だらけの老人の手でした。
彼女は思わず、大声をあげます。
「だ、誰!?」
広いベッドの上で、ビストは後退ります。
彼女の目の前には、禿頭の、皺だらけの顔がありました。
結婚式を共にした、あの美男王子の、美しく整った顔ではありません。
いつも王子の後ろに控えていた、老執事の顔でした。
「なによ、アンタ! 王子様はどこ!?
出ていきなさい!
キャアアア!」
金切り声をあげても、誰も来ません。
お爺さんなのに、恐るべき力でした。
ビストは老人に抱き締められ、臭い息を吐きつけられました。
そして、強引に唇を奪われました。
「王子様! お助けください!」
ビストは泣き叫びますが、老人はゆっくり首を横に振るだけです。
「無駄じゃよ。王子は男にしか興味を示さない。
しかも、将来は甥っ子を養子にして跡継ぎにすると決めておる。
だから、形だけの伴侶が欲しかっただけじゃよ」
バタフ王国の王家が、実際に政務を見なくなって、すでに何代も経ていました。
王家はひたすら貴族間の力関係を調整する機関と成り果てていたのです。
結果、老執事が王家の家宰を兼任し、王国の内政をも取り仕切っていました。
禿頭の老人は両目を爛々と輝かせ、怯えるビストを抱きかかえました。
「儂はな、王家の私領はいうまでもなく、この国のほとんどすべての面倒を、長年に渡ってみてきた。
表向きは、公爵だの、伯爵だのに、大臣や省庁の長官を任せちゃいるが、王家の玉璽を握っているのは、この儂なのだ。
じゃが、仕事ずくめの一生でな。
青春というものを味わったこともない。
もう良い年齢なので、このまま死んでしまうのが口惜しいから、国王陛下にお暇を願ったのじゃ。
すると、好きに扱っていい女をあてがってやるから、ぜひ王家に残ってくれと言われてのう。
結果、アナタを与えられた。
そうとなれば、辞めるわけにもいかなくてなあ」
老人は背中に手を回すや、荒縄を取り出し、素早くビストを縛り上げました。
彼女の柔肌に、ギリギリと縄が食い込みます。
「痛い、痛い!」
若い女の悲鳴を受けて、老人は恍惚としながら、ビストの肌の上を指でなぞります。
「おお、良い声で鳴くものじゃ。若い娘は愛いのう。
好きなだけ鳴くが良い。
誰も助けてはくれんがな。
アンタは儂の愛玩動物じゃ。
儂の好きなように可愛がろうと決めておる。
でも、この程度の可愛がりで痛がるようでは、あまり長くは保たぬか?
今までは犯罪者をあてがわれておったが、お抱え薬師が効きもせん薬草ばかり寄越すもんじゃから、すぐに死んでしもうて……」
老人は慣れた手つきで、ビストの首と脚を、ベッドの端に縄で縛りつけました。
次いで、それまで明かりを灯していた松明を取って来て、火打石で火をつけます。
そして、その火をビストの腹に押し付けました。
「いやあああ!」
涙ながらに叫ぶ女の声に耳を澄ましながら、老執事は何度もうなずきます。
さらに今度は、袋から何本もの針を取り出し、ビストの乳首に突き刺しました。
「ギャアアアア!」
「嗚呼、なんと心地良き悲鳴よ」
ビストがいくら泣き叫ぼうと、その声を聞く者がいても、何の意味もありません。
火を当てられて火傷を負い、針を刺されて血が流れます。
激痛にのたうち回りますが、首に括り付けられた縄が食い込む一方でした。
一時間ほどして、涙に濡れたビストの視界に、若い男性が映りました。
ようやくタレス王子が寝屋に入ってきたのです。
「ああ、王子様! お助けください!」
ビストは必死で新郎に訴えかけました。
でも、若い王子は無表情なままで、老執事の後ろで、ビストを見下ろすだけでした。
「助けるって? キミを?
それはないね。
ーーそれにしても、まさか新婦の替え玉として図々しく王宮に乗り込んでくるとは。
王家も舐められたもんですね。
わが父、国王陛下も驚いておられたよ。
でも、安心してください。
名目上は、キミが僕の妻であることに変わりないから。
実質は、僕の忠実な執事のペットだけどね。
せいぜいキミが檻から逃げ出さないように、僕は気を配るだけさ」
「そんな、酷い!」
「どこが?
キミだって代役として嫁いできたんだろ?
だから、こっちも、僕の代役を立てたまでさ」
「で、では、王子様!
ふたたび代役をお願いします。
へレム公爵家のーーフラワー公爵令嬢を!
ワタシより、お義姉様を!
本来はあのヒトがーー」
「ああ、それは駄目だ。
平民なんだろう、今の彼女は。
さすがに、王子の僕とは結婚できないよ。
わがバタフ王国では平民出身の新婦はよくあることだけど、王家や高位貴族の家に嫁ぐ場合は、キミみたいに高位貴族の養女になるなどして、肩書上は貴族令嬢になってから、という体裁はキッチリ守られてるんだ。
ああ、そもそも、フラワー嬢を平民に追い落としたのはキミだったね。
だったら、自業自得と言うべきだ」
「そんなーー」
涙ながらに訴えても、王子にまるで通じるようすがありません。
絶望するビストの耳に、老人の嗄れた声が聞こえてきました。
「無粋な王子ですなぁ。
これ以上、儂の初夜の楽しみを奪わないで欲しいのう」
「ああ、すまぬ。では」
王子はクルリと背を向けて立ち去っていきます。
「ああ、王子様。お慈悲を。お慈悲をーー!」
救けを求める女性の声を耳にするのは、手に松明と針を握る老人だけとなってしまいました。
◆14
ビストが王宮の虜となる一方で、元公爵令嬢フラワーは大魔術師ポポロの弟子になっていました。
それから、約半年後ーー。
今やバタフ王国唯一の魔術師となったフラワーは、王宮を訪問していました。
週に一度、魔力をたっぷり込めた〈癒しの花〉ホイミーを届ける仕事をしていたのです。
以前なら自分の身を苛んだ魔力を、癒し機能を持つ花に注入して、王家に納品するのです。
その際、決まって二時間ほど、タレス王子とお茶を共にすることになっていました。
王子様からの、立っての希望でした。
タレス王子はティースプーンで紅茶をかき混ぜながら、フラワー嬢に話しかけます。
「すっかり壮健になられたようですね。
貴女の笑顔は、まるで美しい花が満開になったような明るさがあります。
さすがは〈祝福の花姫〉と称されるだけはありますね。
仕事場には、いつも彩り豊かな花々が咲き乱れておられるとか」
ポポロの後継として、貴賤を問わず、人々に〈癒しの花〉をもたらすフラワー嬢は、お気に入りの草原の只中に小さな一軒家を建てて住んでいます。
おかげで、周囲には様々な季節の花々が咲き誇り、今では〈祝福の花姫〉と呼ばれるようになっていました。
「おかげさまで。
以前は歩くだけでもしんどかったのですが、今では嘘のように身体が軽くなりまして。
でも、〈祝福の花姫〉という仇名は、少し恥ずかしいです」
美しい王子の顔を見惚れながら、フラワーはにこやかに応じます。
王子とテーブルを共にする際、お茶を入れてくれるのは、長年、自分に仕えてきた侍女のエヴァでした。
「こうしてエヴァの入れてくれたお茶を、再び飲むことができるなんて」
「はい。私も嬉しく思っております」
彼女が公爵家から追い出された後、王子様に訴え出てくれていたのでした。
お嬢様の身の上が心配だと。
弟嫁ビストが鉢植えの花を全部捨てる心算なのを知って、「いずれは虐待されるのでは?」と予想して機転を利かせたのでした。
じつは、エヴァの姉が王子様の侍女を勤めていたのです。
エヴァたち侍女姉妹を介して、病気で会えなくなったフラワー嬢の近況を聞き、タレス王子も密かにフラワー嬢の身を案じてくれていたのでした。
ですから、公爵家を追い出されたばかりのエヴァを、王子専属の侍女に抜擢してくれたのです。
そして、王子は一本の青い花をエヴァから受け取りました。
それは、フラワー嬢の部屋に唯一残された青い花と同じ、モルスという花でした。
じつは、このモルスは〈伝達の花〉という別名を持つ花でした。
同じ球根から育ったモルスの花同士では、互いに意思を伝えることができたのです。
この青い花の花弁に向けて念を込めれば、遠くにある同じ球根で育った花に意思を伝えることができました。
長年、多種多様の花に囲まれて育ったフラワー嬢は、それぞれの花に固有の特殊能力に気づいていました。
音楽を奏でる花、暗がりで明かりを灯す花、願えば甘い蜜を出してくれる花など、様々な機能を有した草花がありました。
なかでも、この青い花モルスは意思を伝達できる花であることに気づき、部屋にこもり切りのフラワー嬢は、侍女のエヴァに遠出する際に同じ球根で育った花を持って行かせ、意思疎通ができるかどうか確かめていました。
その結果、声を伝達することはできませんが、頭に思い浮かべた映像をそのまま伝える性質があることがわかったのです。
距離は限定されているようでしたが、へレム公爵邸から王宮までは余裕で通じました。
花弁に向かって念じた映像が、遠く離れたところで同種の花に祈る者の頭の中に浮かび上がるのです。
そのことをエヴァから報告された結果、王子様はその花を介して、フラワー嬢との映像による連絡を密にし始めたのでした。
その結果、王子は、フラワー嬢が弟嫁から虐待を受けていることを知りました。
ですから姫との結婚を申し出て、へレム公爵家から解放させてあげようとしたのでした。
王子は紅茶を少し口にしてから述懐します。
「お父上のへレム公爵から、貴女ではなく、義妹が嫁いでくると聞いたときは驚きました。
てっきり僕は貴女に嫌われたのか、と心配しました」
「いえいえ。王家に嫁ぐのは、義妹の強い希望でしたから」
「それからは〈伝達の花〉にいくら祈っても、何も頭に浮かばなくなって。
しばらく焦りました」
「部屋から追い出されてからは、私は〈伝達の花〉を使えませんでしたから」
「とにかく貴女の義妹ーーああ、元義妹ですか、彼女については、私が責任を持って引き取りましたから。
もう、貴女に悪さを仕掛けることはできません。
ただでさえ、今の妻は心身ともに弱り切っていますからね。
もっとも、今の、元気になった貴女には、誰も手出しできないでしょうけど」
「お気遣い、ありがとうございます」
嫁側が代役を立てるなら、新郎のこちら側も代役を立てるまでーー。
〈招かれざる嫁〉であるビストについては、ちょうど暇乞いをしていた有能な執事の歪んだ性癖の犠牲になってもらおうと、王子は決したのでした。
ちなみに、ビストが、老執事による変態性癖の犠牲になっていることを、フラワー嬢は知りません。
ビストの近況を知りたく思わない彼女の意向を、王子は汲んでいました。
実際、フラワー嬢と親しかったタレス王子は、ビストが大嫌いでした。
フラワー嬢を虐待し続けたうえに、濡れ衣を着せて、フラワー嬢との婚姻を邪魔立てしたことが許せませんでした。
ですから、ビストを老執事の玩具にする一方で、なんとしてもフラワー嬢をへレム公爵家から救い出し、王家の庇護に置こうと思っていました。
ところが、まさかフラワー嬢が、平民薬師の養女にまで堕とされるとは思いもしませんでした。
しかも、その間、青い花による伝達が途切れてしまっていました。
ですから、王子とエヴァは不安でたまりませんでした。
ですが、王子が手を差し伸べなくとも、フラワー嬢は高名な大魔術師ポポロの弟子になっていました。
結果、こうして定期的にお茶を一緒に楽しめるようになったのです。
ですから、これで良し、とタレス王子は思っていました。
彼がフラワー嬢に強く感じていたのは、友達としての親愛でした。
王子様が生まれつき女性の心を持っているのを、フラワー嬢は知りませんでしたし、王子も明かすつもりもありません。
でも、二人で花に囲まれながらお茶を飲むと、心が穏やかになることは、お互いによく知っていました。
王子はニッコリと笑みを浮かべました。
「わが妻は、貴女に感謝すべきですね。
この〈癒しの花〉がなければ、とうに死んでいますよ」
今、二人で対面しているテーブルの上には、白く輝くホイミーの花が挿してあります。
フラワーは瞑目しつつ、吐息を漏らします。
「まさか、あの弟嫁が、王家に嫁いだ途端に身体を悪くするなんて、思いもしませんでした」
てっきりビストなら、王族になったのを鼻にかけ、威張ってくると思っていました。
おかげで、フラワー嬢は王宮に足を運ぶのが億劫になっていたほどです。
ところが、王子様によれば、向こうのほうから、「会いたくない」と言ってきたそうです。
病弱になった姿を見られたくないのでしょうか。
タレス王子はカップに角砂糖を入れながら、問いかけます。
「貴女は妻を恨んでおりませんか?」
しばらくうつむいてから、フラワーは意を決したように顔をあげました。
「もちろん、思うところはございますがーー今現在、私がとても快適な生活をしておりますから。
とにかく、思い出したくないんです。
彼女の近況についても、何も知りたくありません」
「ご心配なく。
今後も、妻は誓って表舞台に出ることはありませんよ。
ずっと王宮の奥深くで閉じ込めておきます。
かつての貴女が、部屋に閉じこもらざるをえなかったように」
「お願いします」
どのような経緯であれ、ビストが王家に嫁ぐとあれば仕方ありません。
けれども、人間性からいって、国母ともいえる王妃になってもらいたくはありません。
政治権力を振るわれては、たまったものではありません。
このバタフ王国のためにならないーーフラワー嬢は、そう強く王子と国王陛下に進言していました。
「ああ、そうそう。
貴女がこの〈癒しの花〉を破格の値段で納入してくださるから、祖父の代からの無能なお抱え薬師の一族をお払い箱にできて、僕は清々していますよ。
アイツら、効きもしない草を薬草と偽ってくれちゃって」
「師匠のポポロから伺っております。
でも、薬師にもみな、生活があるのでしょう。
王子様には寛大なご処置を」
師匠の大魔術師ポポロによればーー。
バタフ王国一と謳われた薬師は、十年以上も前から薬草鑑定ができなくなっていたのだろう、といいます。
ポポロ婆さんは、バタフ王国から立ち去る前の日、晩餐を共にした際に、骨付き肉を頬張りながら言っていました。
「その王宮お抱え薬師、嬢ちゃんが生まれたとき、熱を冷ます依頼を受けたんじゃろ?
だったら、そのときに、魔力を嬢ちゃんから盛大に当てられたんじゃろう。
おかげで生来の鑑定能力が阻害されたとみえる。
ま、事故に遭ったようなもんじゃな」
「では、私のせいで……」
「嬢ちゃんが気に病む要はない。
そのお抱え薬師、絶対、自分に鑑定力がなくなったのを実感できておったはず。
それなのに、その事実に気づきながらも隠し通してきたんじゃ。
今まで王家から金を貰ってきたのは、詐欺だからのう」
ポポロ師匠は愉快そうに笑っていました。
今、王子様も、魔術師の婆さんのように柔らかに笑いながら、怖いことを言いました。
「いいえ。許せません。
効かない草を薬草として販売してきたーーそれも〈王家お抱え〉という権威を利用してーーとなると罰せざるをえません。
お抱え薬師の系列の同業者どもから、軒並み薬師の免状を取り上げました。
ああ、貴女に効かないポーションを高値で売り付け続けた、妻の実父も同罪です。
免状取り上げのうえ、短い期間ではありますが、禁固刑としました」
「伺っております」
ビストの父親は、フラワーが大魔術師ポポロの弟子になって少し経った頃、宿にまで押し入ってきました。
養女縁組を解消をした覚えはないから、義父の命に従え、と。
例の薬草に効果がないことが明らかとなりましたが、それを承知でポーションを作っていたわけではないから、そのように証言してくれ、というのです。
なんでも、私、フラワーの実家へレム公爵家からポーション代の返金を要求され、裁判になろうとしている、というのでした。
今まで得ていた莫大な利益の返済を方々から迫られることが予想され、ビストの実父は追い詰められていたのです。
ですが、私は面会を拒否しました。
面会したいのなら、まず娘ビストが行なった虐待行為についての謝罪をしてください、そして効かないポーションを飲まされ続けた件についてもあわせて慰謝料を請求しますから、お支払いください、と伝えました。
するとこれ以上、面倒ごとを抱えたくない薬師は、スゴスゴと引き下がったのでした。
フラワー嬢が毅然と拒絶するさまを想像して、王子は楽しそうに肩を揺らしました。
「それはご苦労様でした。
貴女がその要求に従わなくて助かりました。
妻の実父が牢に繋がれるのは、僕にとっても都合が良いのです。
犯罪者となったからには、実の父といえど、王宮に入ることはできなくなりますから。
妻のビストも犯罪者の実の娘ということになりますから、さすがに王妃にはできません。
私が王に即位した暁には、正式に側室に収まってもらいます。
ご安心ください」
「そうですか。ありがとうございます」
どうやら、彼女が王妃になる芽は詰むことができたようです。
地団駄踏んで悔しがる弟嫁の姿が目に浮かびます。
「あと、貴女のご実家、へレム公爵家についてですが。
お父上を内務省長官にする案は廃止となりました。
さすがに子息の嫁を離婚してまで王家に差し出すのはあざとすぎると、貴族間で不評となりまして。
貴女の弟アレンを弾劾する者も多いんですよ。
自分の妻を離縁して王家に嫁がせるなど、妻への愛情を疑われて当然です。
そのうえ、言葉が悪いですが、自分のお古を嫁として差し出すのは、通常、身分が上の者が下の者にする振る舞い、これを王子に行なうとはどういう了見だ、王家に対する不敬罪に当たるのではないか、と憤慨する貴族もおりまして。
結果、父子そろって閑職に回すことになりました。
もっとも、そうした男性貴族による批判よりも、貴族令嬢方の非難の方が凄いんですよ。
薄幸の美女として有名な〈呪われの花姫〉が王家に嫁ぐならまだしも、なんであんなオンナがーービスト? 誰、それ? 死ねば? と盛大に陰口が叩かれるようになりまして。
貴女のお父上も弟君も、もう貴族社会では生きていけそうにありません。
舞踏会で踊ってくれる相手など、見つからないでしょう。
ですから、正直、私と陛下は、彼らから公爵位を返上させたく思ってるんですよ。
へレム家の所領は鉱石の埋蔵量が豊かで、欲する貴族も多いんです。
そんな折に、愚かなことをしたものです。
鉱石の採掘量でも増やせば良いものを、連日連夜、遊興に明け暮れてばかりで。
へレム公爵本人は、あれで有力者や貴族たちと社交を行なっているつもりなんでしょうが、おだてられて気が大きくなるだけでーーおそらく、へレム領を狙う貴族や商人から良いように唆されて愚かな判断を繰り返すようになったのかもしれません。
今の所、領地没収の口実は得ていませんが、諸々の案件で査問会が開かれる予定です。
貴女が行なったとされた黒魔術の祭壇や、竈門に印鑑を捨てるなどしたのも、今、私の妻になっているビストが真犯人と判明しています。
彼女が自白したんでね。
その結果、軽々しく裁いた神父ともども、貴女の父上と弟君が、謝罪を受け入れて欲しいと、貴女との面会を望んでおりますが……」
「いえ。結構です。私は捨てられた身ですから」
私は魔術師の弟子として王宮に参内するようになって以来、王家に頼んで、実家の父と弟とに接触を禁じさせていただきました。
その禁令を今後も、おそらく一生、継続させてもらうつもりです。
「ほんと、いまさらですよね。ははは」
王子様もお笑いになりました。
「念のために伺いますが、魔術師フラワー。
特例で、貴女に爵位を授けて、貴族社会に復帰していただくこともできますが」
「いえ。結構です。
幸い、自由に歩き回れるほど健康になりましたし、魔術師として、結構、快適に暮らせていますので」
「あはは。そうおっしゃられると思いました。
ではまた、こうしてお茶を楽しみましょう。
私の身分では、あまりお相手してくださる方がおられませんので」
「はい。こちらこそ、ありがたく」
なんだか、王子様は長じてますます艶やかになった気がします。
私も茶飲み友達がいないので、ありがたく応じさせてもらい、こうして週に一度、〈癒しの花〉を納入する際には、王子と二人で茶席を設けることとなりました。
◆15
その日の午後、王子とのお茶会から帰る折のことーー。
フラワー嬢は王宮内で変わった風体の女性に出逢いました。
麻袋で頭からすっかり顔が覆われ、首を縄で締められた女性がいたのです。
一目見て、フラワー嬢は後退りました。
(奴隷なのかしら……初めて見たわ)
顔を麻袋で隠されてるのに、女性とわかるのには理由があります。
衣服を一切、まとっていなかったからです。
素っ裸の身体に縄が幾重にも巻かれ、廊下の天井から逆さに吊るされていました。
ところどころに赤い切り傷や黒い火傷の跡があり、今現在も黒い針が何本か刺さった状態で、ポトポトと血が滴っています。
後ろ手で縛られ、動くことすらできない状態で放置されていました。
師匠の大魔術師ポポロが、かつて言っていたセリフが思い出されます。
『気が悪いっていうかーー王宮あたりから悪い気が漂っていてね』
フラワー嬢は納得しました。
(『悪い気』って、これかぁ……)
王族のような高貴な方々のなさることは、わかりません。
ブルっと身が震えました。
いつの間にか、老執事が彼女の背後に立っていました。
「これはこれは。魔術師様。ご苦労様です。
いつも豪華な花々に囲まれた〈祝福の花姫〉よ。
我がバタフ王国初の本格的魔術師と評判ですよ」
「いえいえ。私など、まだまだ」
老執事はフラワーと会話を弾ませつつも、逆さ吊りになった女性の尻をパンパンと叩きます。
「それにしても、〈癒しの花〉の効果は見事です。
コレも、連日の仕打ちに耐えて、生きながらえております。
ひとえに貴女がもたらす〈癒しの花〉のおかげ」
「ありがとうございます」
「それに、儂自身も頻繁にこの花の香りを嗅いでいるおかげか、若返るような、精力が漲るのを感じます。
もうあと十年は現役でいられるかと」
「お役に立てて嬉しいです。
これからも納入させていただきます。
ご贔屓に願います」
「うんうん」
逆さ吊りの女性の肌をペチペチ叩きながら、老執事は皺だらけの顔に笑みを浮かべます。
この奴隷女の境遇を哀れに思ったフラワー嬢は、願い出ました。
「あのうーー私、最近、治癒の力を宿したクリームを試作いたしました。
この方に塗ってみてもよろしいでしょうか?」
「おお、それは願ってもないこと。
まだまだ、儂はコイツを生かしておきたい。
こう見えて、儂はコレを愛しておりますから。
まずは速攻で傷を癒してもらいたいですな」
「了解しました」
あざだらけ、傷だらけの肌にクリームを塗ってあげました。
「あぁ……」
逆さ吊りになった女性は、吐息を漏らします。
癒しの力が染み込んでいるようでした。
耳を澄ませば、なにかをブツブツ言っています。
麻袋に覆われた顔に、フラワー嬢は耳を近づけました。
「もう、癒しなんか要らない。
毒をーー毒をちょうだい。
もう、死なせて……」
ビクッとして、フラワー嬢は、逆さ吊りの女から身を離しました。
そして、思わず甲高い声をあげてしまいました。
「わ、私、人殺しなんて、できません!
このクリームと〈癒しの花〉で、傷は癒せますので……。
生きていれば、きっと良いことがありますよ。
私がそうでしたもの。
アナタも頑張って……」
助けることもできないのが辛い。
しかも、このヒトの拷問を続けるために、自分の魔力と〈癒しの花〉が使われている。
ーーそう思うと、居た堪れなくなる思いでした。
フラワー嬢は逃げるように立ち去っていきました。
逆さ吊りになった女性は、麻袋の内側でつぶやいていました。
「なにを……お義姉様のような綺麗事を……」
このとき、じつは義理の姉妹同士、再会を果たしていたのです。
ですが、フラワー嬢は、曲がりなりにも王子と結婚したビストが、まさかこのような奴隷以下の扱いに貶められているとは夢にも思いませんでしたし、ビストの方でも、平民薬師の養女に身を堕としたお義姉様が王宮に招かれるほどの魔術師になっているとは思いもしなかったのです。
かくして、お互いにそれと知ることなく別れたのでした。
その日以来、二人が出会うことは生涯なかったといいます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
今後の創作活動の励みになります。
なお、すでに幾つかのホラー短編作品、
『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』
https://ncode.syosetu.com/n7773jo/
『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』
https://ncode.syosetu.com/n6820jo/
『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』
https://ncode.syosetu.com/n2323jn/
『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』
https://ncode.syosetu.com/n1348ji/
『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』
https://ncode.syosetu.com/n1407ji/
などを投稿しておりますので、楽しんでいただけたら幸いです。
さらには、以下の作品を、一話完結形式で連載投稿しておりますので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
【連載版】
★異世界を舞台にしたホラー短編作品集
『あなたへ贈る異世界への招待。ただし、片道切符。あなたは行きますか?』
https://ncode.syosetu.com/n2296jl/
★ 公園を舞台にしたホラー短編作品集
『あなたの知らない怖い公園』
https://ncode.syosetu.com/n5088jm/
★恋愛を題材にしたホラー短編作品集
『愛した人が怖かった』
https://ncode.syosetu.com/n2259jn/
●また、以下の連載作品が完結しましたので、ホラー作品ではありませんが、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
【連載版】
東京異世界派遣 ーー現場はいろんな異世界!依頼を受けて、職業、スキル設定して派遣でGO!
https://ncode.syosetu.com/n1930io/