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かの聖女は夜に歌う  作者: 夜野 天
3/5


 

 王都から出て、三日目にしてようやく一つ目のポイントがある山の麓へ到着した。

 人の踏み均した程度の道しかないここからは馬車を降り、徒歩となる。


 ポイントは山の中腹にあるものの、そこまで離れているわけでは無いので大の男ならば一日の内に行ってこられる。

 しかし、一行は旅慣れぬ若い娘を二人連れていることから、余裕を持って野宿の用意もし、山道へと足を踏み入れた。


 幸いにして良く晴れた日。

 過ごしやすい気候で、一行の進みは順調だ。


「いいお天気で、気持ちいいですねぇー!」


 夜毎、回復魔術で凌いではいたものの、ガッタゴットと揺れる馬車に大分参っていたミツルは山道の徒歩といえど、馬車から離れられるということに喜んでいた。

 ちらほらと零れる葉の光の下で、大きく深呼吸する可憐な少女に、一行は朗らかに笑う。


「ミツル。今はいいですけど、あまり油断してはいけませんよ? ここから先、ポイントに近づけば近づくほど、瘴気に()てられ魔物となった獣が多くなりますからね」


「はぁーい。もう。ウィリム様は心配性だなぁ。大丈夫ですよ。私にはとっても頼もしい護衛の方達がたくさんいるんですから!」


 青い瞳を輝かせて、一同を見回し笑う。


 そんな明るいミツルの様子につられて苦笑した神官ウィリムは、ミツルの頭を撫でながら頷く。


「そう言ってもらえて嬉しいですよ。ミツル。けれど君も、充分に気を付けて下さい。君は代わりのいない私達の聖女なのですから」


「まぁまぁ。大丈夫だよ!ミツル! 危なくなったら、僕と一緒に後方で結界の中に籠ればいいんだからね!力仕事は前衛のマッチョの専売特許ってね」


「ほほう。それは俺のことじゃねぇだろうなぁ? キール? この魔術馬鹿のヒョロモヤシがぁ!!」


 後ろから回って来た逞しい前腕に首を絞め上げられ、キールは悲鳴を上げた。


「うっげぇっっ!! ちょっ、タンマ、タンマっっ!!」


「こら。ブロージェス。我らが魔術師殿の首を取らないようになぁ。処分に困る」


「さすがの私も、死者蘇生は出来ませんよ」


「そういうのいいから、ちょっと助けて下さい!殿下っ!」


 楽し気に賑わう一団よりも三歩ほど離れた後から歩みを進めるソノミ。さらに、その後を歩きながら、エルグラントはそっと、ソノミの顔を覗き込んだ。


 自分から距離を置いたと言っても、ソノミも年頃の若い娘。


 聖女一団は実力ももちろんだが見目の良い男達が揃えられている。

 聖女と同じく年頃の娘として、思う所があるのではないか。


 女性の気持ちに疎い自覚のあるエルグラントでも、さすがにソノミが気になった。


「―――……」


 しかし、何気なく覗き見た少女の表情はエルグラントの予想していたどれでも無かった。


 前方の賑やかさなど、まるで意に介さないかのように、ソノミはこの自然そのものを楽しんでいるようだった。


 ここ数日、馬車の中で見ていた、あの眩しい物を見るような眼差しはそのままに、踏みしめる土の感触。木漏れ日の眩しさ。小さく聞こえる鳥の鳴き声。


「―――……何ですか?」


「いや……」


 見られていることに気が付いたソノミに問われるも、エルグラントは、碌な言葉も返せなかった。


 年若い娘、であるのに性格のためか、滅多に表情の動かない彼女。

 民族の異なる幼い見目に反して、立ち振る舞いと表情が彼女を確かに大人に見せていたのに。


 今し方目にした、僅かに綻んだ彼女の口元は、彼を不思議な心持にさせた。


 破顔した、とはとても言えないような微笑だったと言うのに、驚くほど無邪気な幼い少女のように見えたのだ。


「君は―――……」


 何と声を掛けようとしたのだろう。


 まったくの無意識に紡ごうとしていた言葉は、音になる前に彼の喉に留まることとなった。


「ねぇ!ソノミさん!」


 前方を歩いていたはずの少女がソノミに声を掛けたからだ。


「……何か?」


「私、ずっとソノミさんとお話がしたかったんです! ソノミさんも、日本から来たんですよね?……ほら、ここってなんだか言葉が重なって、日本語に聞こえるから……自信なくて……。

 あっ。私、可野御弦って言います。ソノミさんのこと、ずっと気になってはいたんですけど、私も、いろいろあって。

 それに周りの人達が、ソノミさんは話せる状態じゃないとか言うから……。

 でもこうやって元気な姿を見られて安心しました! 同じ日本人同士、これから、よろしくお願いしますね!」


 太陽のように笑いながら、差し出された手を数秒見詰め、ソノミは全く変わらない表情で、ミツルの手を握り返した。


「……よろしく」


 手を差し出してから、確かにあった数秒の間。

 けれども御弦は、そんなものなかったかのように明るく笑う。


「ああ。良かった! やっぱり女同士にしかわからないこともありますしねぇ。これからは困ったこととかも相談し合いましょうね」


「……ええ。そうね……」


 言葉少なに、ソノミが同意する。

 けれどやはり。あまり感情の動きが見られないそれに、さすがの御弦も困ったように眉が下がった。


「……やっぱり、怒っていますか?」


「怒る……?」


「はい。……聞きました。ソノミさんは私の召喚に巻き込まれたんだって……。私は……いいんです。この世界に役目があって、必要とされて呼ばれたのだから……。

 でも、ソノミさんは違う。

 あなたは私のせいで、元の世界から引き剥がされてしまった……。

 旅が始まって、ずっと考えていたんです。……どうして、ソノミさんがこの旅について来たのかなって。

 ……それって、やっぱり私がいるからじゃないですか?

 ソノミさんにとっての唯一の同郷である、私の側に居るために、こんな危険だと言われている旅に同行したのだとしたら、私は二度もあなたを巻き込むことになってしまいます……!」


 隣同士で歩きながら、御弦は心の内を吐き出した。


 この世界に喚ばれ数日。

 正直に言って、御弦はソノミのことをあまり意識していなかった。


 ソノミと一緒に居たのは、召喚魔術で喚びだされた魔術陣の中でだけ。

 それも、ソノミは一言も喋らず、御弦は一瞬にして移り変わった光景に驚いて、ただただパニックになったことで、同じ現象に巻き込まれたもう一人(・・)がすぐ側にいたことにも気が付かなかった。


 やっと御弦がソノミの存在を知ったのは何日も経った後。

 しかも、御弦の世話をしてくれていたメイドの世間話の盗み聞きで、という酷いものだった。


『聞いた? ミツル様と一緒に来たっていう女。何話しかけてもひとっ言も喋らないんだって』


『聞いた聞いた。気が振れてるんじゃないかって話でしょ? まぁ、もしかしたら、元から話せない子なのかもしれないけどさぁ、うんともすんとも言わないってんじゃあ、部屋付きメイドも愚痴りたくなるってものしょうがないわよねぇ』


『ミツル様と同じ世界から来たって言う話らしいけど、それも本当かどうか……ねぇ?』


『まーどっちでもいいわよ。そんなの。ただただ私達はミツル様付きでよかったってものよね』


『そうよねぇ。同じ異世界人と言っても、こっとは心優しい浄化の聖女様。あっちは人形みたいな一般の穀潰し。世話の放棄だってしたくなるわよねぇ』


『ええ? うそ。そうなの?』


『何言っても、何やっても、なぁーんにも反応しないから最近は食事だけ持って行ってるらしいよ。

 そうするとね、空になった食器が扉の外に出されてるんだって……、本当に穀潰しよね』


『ふふ! やめてよもう……っ!』


 きゃはは。


 元の世界から異世界へと飛ばされて数日。皆、御弦の周りにいた人々は彼女に親切で優しかった。

 だからこそ彼女たちが、こんな口調で他者を悪く言うことにもショックだった。

 けれども御弦と同郷からやって来たという女性の存在を今の今まで、誰も教えてくれなかったということに、より大きなショックを受けていた。


 御弦がここに来た時のことは、正直あまり良く覚えていない。


 だって、そうだろう。御弦が何をしたわけでもない。

 友人達との寄り道の帰り。彼女達と別れ、スマホを鞄から取り出そうとした次の瞬間には見たことの無い光景の中、大きな魔術陣の上に座り込んでいたのだから。


 そんな訳の分からない状況の中、同じ魔術陣の中に、まさかもう一人いただなんて。


 もう一人の異世界人の存在を知った御弦は、以降、課される修練に励みながら、その一方でその女性の噂を積極的に拾うようになった。


 御弦の周りに権力者は多かれど、彼女が偶然メイド達の話を聞かなければ、例の女性のことを今も知らないままだっただろう。

 彼等が、御弦に教えなかったことを聞いて回るのは御弦の心境的に憚られるものがあった。

 どんな理由があれ、御弦に優しくしてくれた人々だ。どうして教えてくれなかったのか? 何て、まるで攻めているようで。


 そうして集め始めた噂は、けれども決して御弦に優しいものではなかった。


 曰く、彼女は恐らく御弦と同年代であること。

 曰く、彼女は見た目は違えど、御弦と同じような縫製の衣類を身に着けていたことから、御弦と同郷であろうことは間違い無いだろうこと。

 曰く、彼女は何を聞かれても何も言わず、こちらの言葉を理解しているのかもわからないということ。

 曰く、彼女は気が振れてしまっているようだ、ということ。


 それなのに、与えられた食事は良く食べると、嘲笑の的になっていた。


 御弦は何も出来なかった。

 勝手に世界に喚出されたとしても、この世界の人達に見放されたら御弦は生きていけない。

 彼等に嫌われたら、御弦も同じような扱いをされるのではないか。そんな恐怖が生まれてしまい、声を上げることも、聖女であるという権力を活かして彼女を保護することも何も出来なかった。


 それはそうだ。

 いかに、御弦であろうと。

 世界に求められた聖女であろうと。生身の一人の人間だ。

 物心つかぬ幼子じゃないのだ。


 身一つで身勝手に呼び出した異世界の人間を、根本的に、悲しいほどに信用していないのだ。

 それは御弦自身も気付かない、まったくの無意識だったとしても。


 自身が声を上げることで、起こるかもしれない不和。それを無意識に恐れたのだ。

 無理らしかなぬことだった。


 だから、御弦は忘れることにした。

 一緒に地球から来た一人の女の子のことを。


 自分にはどうすることも出来ない、そう言い聞かせることで罪悪感から目を逸らせて。


 なのに、その罪悪感は意思を持って目の前に現れる。


 御弦は何としても仲良くならなければという思いに突き動かされた。

 だからだろうか。ソノミに対して酷く饒舌になり、そして差し出した手を拒まれなくてほっと息を吐く。


 そんな御弦の様子を眺めていたソノミは、知らず目を細める。


「……あなたは、……私の妹に似てるわ……」


 小さな小さな呟き。

 誰かに聞かせるつもりの無い言葉は、誰の耳にも届かず、消える。


「え?」


「……私は別に、あなたを追って来たわけでは無いわ。……だから、あなたのその心配は必要のないものよ。

 一番最初に言ったように、私は私の訳があってこの旅に同行することにした。

 そこに、あなたの責任は一欠けらも無い。それだけは覚えておいて」


「……あ……っ」


 一切の感情の籠らない声は、あまりにも突き放して聞こえてしまう。

 浅はかな自分の目論見を知られてしまったかのような気持ちになり、御弦は思わず、握った手を放してしまった。


「仲良くやりましょう。これから長い旅になるのだから」


「……う、うん。よろしく……」


 笑顔は引き攣っていなかっただろうか。

 御弦は自身が持てなかった。


 

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