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前日の出発式、出立祝いと称されたパーティーがあり、さらに早朝からのパレードを熟し、やっと城下町はずれの外壁までやってきた一同は、各々用意されていた馬車に乗り込む前に、一人の少女に召し合わされた。
やって来た少女は酷く凡庸な顔立ちながら、王子たちとはどこか違う、異民族のような印象を与える。
「あなたは……! どうして、こんな所に? それに、その恰好……」
一番に反応を示したのは、やはり同郷の少女、聖女御弦だった。
だが彼女も同時に召喚されたのみの、良くも知らぬ少女に呼びかける名もわからず駆け寄ったはいいものの、どう問いかければいいかと迷っている様子だ。
そんな御弦を意に介さず、少女は変わらない表情で、彼等を見渡し小さく頭を下げる。
「……園見……と申します。この度は、浄化の旅に同行させていただくこととなりました。しかし、どうか誤解なさならい様お願いします。
私はあなた方と親しくなろうと画策してこの場にいるのではありません。
あなた方にあなた方の使命があるように、私にもやるべきことがあり、同行させていただくにすぎませんので、そのように接していただくようお願いします。
娯楽のお誘い等は一切必要ありません。しかし、見ての通り、旅慣れぬ小娘です。どうぞ、片手間にお守りいただければ幸いです」
つまり、彼女は、君等は君等で勝手にやって。でも、私の命は守ってね、と顔色一つ変えず言ってのけたのだ。
何とも言えない表情を浮かべる一同。リーダー格のアラン王子が顔を上げた時、並び立っていた仲間の一人近衛の若者、エルグラント=ノートンが王子の前に跪いた。
「殿下。ソノミの同行は、陛下からの勅命でございます」
「……それは本当か? 私は何も聞かされていないぞ」
「は。私も昨日内密にと命ぜられたことなれば、公にしたくないのかと」
「……そうか。誰よりも忠に厚いお前の言うことならば……信じよう。父上も、何か考えあってのことか?」
「……恐らくは」
「まぁ、そうであろうな。……馬車は……」
「私と同乗させます」
「そうか。じゃあ、まあ皆、出発しよう。行こうか。ミツル」
ひとまずは、言葉を飲み込んだアランは、待機していた御者に視線で命じ、するりと浄化の聖女の手を取った。
「えっ……。でも、エルグラントさん」
「まぁー。まぁー。ミツル。エルがいなくとも、俺が一緒に乗ってやるよ。いいでしょ? 殿下。これから旅の仲間になるんだし。近衛の代わりに、国境隊、副隊長ブロージェス=アルファルご同乗いたします」
「まったく、調子のいいことだ。聖女殿に呆れられるぞ」
「そうですよ。ミツルと一緒に行こうなんてずるいです。ねぇ。小さい方は彼等に譲って、大きい方に乗りません? 僕等もミツルと一緒に行きたいです。護衛としても、書記官としてもやっぱり聖女様と一緒にいなくちゃ」
「え。でもでも、エルグラントさん!」
「さぁさぁ、乗った乗った。こんな所でもたもたしてたら、旅の初日から野宿だぞ」
ばたばたと賑やかな聖女一行と共に、奇妙な同行者はそっと己の馬車へと乗り込んだ。
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ざわざわという人々の話し声と、食器のこすれる耳障りな音を聞きながら、出て来た料理を食べ始める。
馬車に一日揺られ、夕方に着いた町はまだまだ大きく、馬車停のある宿に一行は滞在を決めた。
明日また一日移動をして、予定としては一番近い瘴気溜まりの場所となる。旅慣れぬ女性を二人も抱えているのだ。特に聖女、御弦は馬車に参っているという。今後どう日程を組むべきかも他のメンバーと話し合わなければ……と、思案しながら、エルグラントは食事をしていた。と、そこへ仲間の二人、国境隊副隊長のブロージェスと、リーダーである第二王子アランが連れたってやって来た。
エルグラントは、大仰にならないように心掛けながら席を立ち軽く頭を下げる。
「ああ。そんなに固くならなくてもいいよ。エル。これから共に旅する仲間だ。お互いもう少し砕けていこうじゃないか。さぁ、座って」
「……はっ」
金の髪をサラリと靡かせ、アランはエルグラントの向かいの席へと座り、続けてエルグラントとブロージェスにも着席を促した。
二人が席についたことを見届けたアランは近寄って来た給仕の女性に、そつなく注文をすませると、手を組み合わせ、にっこりと本題へと入った。
「さて。あのソノミ、という女性のことを聞かせてもらおうか。出発時にはミツルの手前ああ言ったが、彼女が得体のしれない存在だということには変わりない。
陛下の思惑もあるだろう。話せる範囲でいい。知っていること、感じていることを教えてもらおうか」
「実際あの女は怪しすぎる。大体、何だよ。関わるつもりは無ぇが自分のことは守って欲しいとか、都合が良すぎるだろ。俺は見たぜ。あいつのおキレイな手。てめえの食い扶持も稼げねぇ奴の世話までしろって事だろ? 陛下のこと疑う訳じゃねぇが、ただあの女の世話をするのも頷けねぇ。
なぁ、そうだろ?」
そう。ソノミは聖女と同じ世界の人間だ。
随分とこの世界とは生活様式の違う世界だったらしく、聖女はこちらの生活のほとんどを人の手を借りて行っていた。
聖女のことは良い。彼女を守り、世界の浄化を行う。それがこのメンバーの使命だ。割り切れる。
むしろ、嫋やかで美しい聖女の世話は、きっとメンバーの誰もが進んでやるだろう。
けれども、ソノミは違う。彼女は望まれてやってきた人間で無く、ましてや各国が留めたいと願っている人間でも無い。自分の意志で来た訳ではないのだから、こんな言い方はあれだが、勝手に着いて来たお荷物だ。
誰が好き好んで世話をしたいと思うだろうか。
ましてや、自分に関わるなと公言するような人物に。
本来ならば、きっと誰もがそう思って当たり前なのだ。
けれど、エルグラントは思い出す。
否、思い出すなどと生易しい。瞼の裏にこびりついて離れない光景。
滂沱の涙を零す王。
強く掴まれ、そして懇願された。
“守ってくれ”と。
熱に浮かされた陛下の姿に、傍を離れてしまったことを歯痒く思いはしたが、王はまさしく“正気”だった。
精神に作用する魔術でも無く、本心であり、正気であった上での願いだった。
それから今まで、エルグラントはずっと考えている。
彼女は一体何者なのかと。
目の前の彼等の疑問の答えはエルグランが何よりも知りたい答えであった。
だからこそ、彼も仲間達の問いに返せる答えは持っておらず、もう一度出発前と同じことしか言うことが出来ない。
「何度も言うが、私もわからないのだ。ただ彼女の同行は陛下直々のご命令であることは間違い無い。私が直接賜った命だ。
ただ殿下方の気持ちも理解出来ます。故に、彼女……ソノミは、私の庇護下に置きますので、そのようにお計らいいただければと……」
答えの無い問いに割く時間ほど虚しいものは無い。
近衛騎士殿の生真面目な言葉に、ブロージェスとアランは目を見合わせる。
彼等としては、面倒事をエルグラント一人に押し付けられる上に、ミツルの心を競う相手が一人減るのだ。
本心として、ミツルを気に入り始めている二人としては願っても無い話ではある。
「……まぁ。彼女が何者かはわからないが、異世界から来ていることは間違いじゃ無いしね。……他国の間者で無いのならば僕は何も言わないでおくよ。
ただ、ミツルに何かしようとするならば、いくら陛下の命であろうとも判断は僕が下す。
聖女ミツルを害さないよう、君にはしっかりと見張っていて欲しい」
「俺も、それで構わねぇよ。結局は得体の知れない小娘に目の前をうろちょろされるのが我慢ならねぇってことさ。
だが、お前が全面的に面倒見るんなら黙っといてやる。
陛下のお考えも不明なままだしな。悪手を踏まねぇに越したことはねぇ」
エルグラントの言葉に視線を合わせた二人は、薄く笑い了承した。
エルグラントとしても、一応の言質を取ったということで、一つ頷くと、目の前の夕食を口に運ぶことにする。
「ところで聖女殿のお加減はいかがですか?」
皿から肉を一かけら口に含みながら質問をすると、アランが苦笑した。
「彼女は、馬車が初めてだったようでね。揺れに相当参っていたよ。体中が痛いと言うので、神官長とキールが治癒と回復に努めているよ。
慣れないことで、自分も大変だったと言うのに、今日一日ずいぶんと明るく振舞ってくれてね。……本当に良い子だよ。ミツルは」
「心優しくて美しい、理想の聖女だよなぁ。ミツルは……。そういや、あの女はどうだったんだ? ミツルと同じ異世界人ということは、あいつも馬車は初めてだったんだろう?
ミツルが言うには、ミツルの国じゃあ馬車なんて滅多にお目にかから無いってことだったが。
ギャーギャーと騒いだんじゃねぇか?」
「……いや……」
ブロージェスの言葉は、エルグラントにとっては思ってもみない話だった。
今日一日、エルグラントと共に馬車に揺られていたソノミは喋ることも無ければ居眠りすることも無く、ただ一心に窓に移り行く景色を眺めていたから。
その表情は静かで、しかし瞳だけは輝いているように見えた。
まるで全ての美しいモノを己の身の内に閉じ込めんとするかのような、そんな熱心な横顔は、苦痛とはほど遠く。
思い返せば思い返すほど、エルグラントは何とも言えない心持ちになった。
必要な会話しかしないような、静かな車内であったというのに、驚くほど気詰まりの無い一日だったのだと今気づき、自分がどれほ目の前の少女の横顔を熱心に眺めていたのかに、今気付いてしまった。
「―――……っ」
ソノミが外に夢中になっていて良かった。
こんなことがバレてしまっていたら、今後どれだけやりずらかったか。
「お? 何だ? やっぱ、口煩く騒がれたか?」
茶化すように言いながらも、その実ソノミのことを探っているのだろうブロージェスに何と答えようかと思案していると、調度良いタイミングで、注文していた料理が運ばれて来た。
エルグラントは、先に注文していた皿を一つ取り、席を立つ。
「おい?」
「エルグラント?」
「私は食べ終えましたので、先に失礼します。明日の打ち合わせをしたく思いますので、後程、伺わせていただきます」
軽く一礼し、エルグラントは踵を返す。
口数の少ない近衛騎士殿の背中を見ながら、王子と副隊長は肩を竦めた。
+++
まだまだ温かい料理の皿を片手に持ちながら、ノックをするのは自らが泊っている部屋の隣の部屋。
彼の要監視対象の部屋だ。
ノックの後、すぐに扉に近づいてくる気配はあるものの、扉はなかなか開かれない。
すぐ近くまで来ているのは分かっているが、開けることを躊躇う彼女の気持ちも理解出来る。
その警戒心は正解だ。
こと、これから旅をするにあたっては特に。
「私だ。エルグラントだ」
周囲にいくら太々しい印象を与ええていたとしても、年若い少女だ。
エルグラントは安心させるように名乗った。
やっと扉は少しだけ、ゆっくりと開き、感情の伺えない顔の少女が顔を出す。
「……何の、御用でしょうか……」
「夕食だ。疲れで食欲は無いかもしれないが、少しでも食べろ。明日も一日馬車での移動だ」
差し出した皿を両手で受け取ったソノミは、呆けたようにゆっくりと瞬きを一つした。
「……フッ」
彼女の年相応の仕草は、エルグラントの笑いを誘うのには充分だった。
ソノミが何者かなど、分からない。
けれど思い掛けない善意に出会ったとでも言う表情を浮かべる目の前の少女は、確かに生きている生身の人間で。
確かに、エルグラントが守るべき、か弱い少女なのだと思えた。
今はそれで充分だとエルグラントはもう一回小さく笑った。
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月が綺麗だ。
仕事を終えた後、空腹も満たされた真夜中。
明日も仕事の男達は、力を付け酒に酔い語らい。母子は温かい寝床で穏やかな夢を見る。
灯の残る大通りに、月明りのみが照らす家々の屋根。
善良なる人々の営みを、窓から眺め愛おしむ。
道中の草の青さに目を細め、休憩に降りた甘い薫りのふくよかな風で、胸の内を満たした。
賑やかに見える街中でも、瘴気の齎す不安の影は伺える。
先の見えぬ不安。生活への不安。
それでも、生きる者達のために。
聖女はその身の力を示す。
天頂に至る月に似た惑星の放つ光がとても綺麗だ。
一時でも、誰もが心安らかであれ。
穏やかであれ。
不安をぬぐい。
今、この時だけでも波立たぬように。