-005- ダンジョンっておいしいんです?
「でも、それって何の保証もなくない?」
翌朝、昨夜長老から聞いた話を世間話くらいのつもりでディルクに話すと、朝食の目玉焼きを咥えながら、ディルクは不思議そうに首を傾げた。
「ぐははは、馬鹿めこれまで通り人間は食ってやるぜー、って言われるんじゃねーの? 竜神って奴はドラゴンを強くするのが目的なんだろ? パウラがいればそれが必要なくなるってなんか変じゃね? 仮に【竜災】の代わりになるとして、両方やればもっと良いって考えるんじゃねーの?」
割と芯を食った発言だったのか、長老は驚いた顔をしていた。
ディルクは普段は猪突猛進で考えるより先に動くタイプではあるのだが、地頭が悪いわけではない。ただ、普段使わないだけで。
「それは僕も思った。現状は結局力関係による竜神の都合の押し付けに過ぎないから、仮にパウラを渡しても根本的な解決にならないというか」
「竜神の目的がはっきりしなければ何も断定できないな。そして、目的が分かったところでどうにもできない可能性も高いが」
ヒルデが不甲斐ないが、と付け足す。
例え始祖王アベルに語ったと言う条件が嘘だったとして、それでどうにか出来るかと言えばどうにもならないと言うのが回答になるだろう。これまで通り百五十年毎に虐殺と言う名の搾取が続くだけだ。
「結局竜神をぶっ殺せばいいんじゃねーの?」
ディルクが単純明快な回答を出す。
「不可能と言う点に目を瞑れば、その通りだけどね。ディルクは本当にアベルにそっくりだね」
「結局長老のばあちゃんは始祖王? の奥さんなの?」
「奥さん? はっ、どうだかね。エルフの貞操観念からすると妻を百人も二百人も囲う奴の奥さんだと言いたくはないね」
「でも、パウラは始祖王の子供の子供なんだろ?」
「はじめのドラゴンのスタンピードで青くなったあいつが、偶々人間の街を回っていたボクと出会って、【竜の巫女】を生み出すために協力してくれって拝み倒してきただけの話さ。この里のエルフの五人に一人はボクとアベルの子供だよ」
「ず、随分多産なんだな」
「それも【竜神の加護】の影響なんだろうけど、基本的に双子以上が受胎する可能性が高くてね。こんなちっちゃい体のボクに最大五つ子生ませたんだから、鬼畜だよあいつは」
文句を言いつつ、どこか嫌い切れてもいないのが分かる長老。
まあ、そうでなければ二桁を超える子供を産めはしないだろうけど。
「ディルクもどこかでアベルの血が入ったんだろうけど、まあ、この国にはいくらでもいるからね。寧ろ世代交代が早い人間だと、アベルに関係しない奴の方が少ないんじゃないかな。私生児も大量にいたはずだし」
「英雄色を好むとは言うが……、随分だな」
「罪の意識から逃れるため、加護持ちを増やして何時か現状を打開できればと言う願望もあったんだと思うけどね。実際、子孫への加護の継承は早々起こらないみたいだから、あいつの頑張りが四百年経って漸く結実したというところかな」
「気の長い話ですね」
「君ら人間からすればそうかもね」
そう言えば始祖王の物語で正妃の他に最愛のエルフの寵姫というのがいたという話があるが、それはこの長老の事だったんだろうか。エルフ自体眉唾の存在なので、途中で付け足された話かと思っていたが。
ともあれ、問題が大きすぎて一市民の僕やディルクの手には余る。
むしろ余らないような人間がいない状況だ。歴史の背景を知れて良かった位に考えておくべきかもしれない。
「……なぁ、リヒト」
無論、そんな僕の小市民的な考えはディルクとは違うわけで。
「一回竜神っての見てみたくね?」
はじまった。
僕は大きくため息を吐く。
「ディルク。森の魔物を相手にするのとはワケが違うんだ。昨日戦ったドラゴンはレッサードラゴン。ドラゴンの中じゃクソ雑魚ナメクジ。森の中じゃゴブリンにも劣るド底辺であの強さなんだよ? 正直僕等の手に余るってもんじゃない」
「あの四天王って奴より強いのか?」
ケーニッヒは確かにレッサードラゴンよりは強かったが……。
「上位竜の強さは想像を絶するよ。ディルクがこれから十年弛まず鍛え続けても勝てるようになるか保証はない。竜神はその上位竜が束になっても勝てないような存在。天竜山脈に生息するドラゴン全てより単独で強いのが竜神だ。そもそも生物と言うよりは自然そのものに近い。あの聳える天竜山脈そのものが意思を持った存在とでも考えればいいよ」
長老の説明に尻込みするどころか、ますます目が輝いて来るディルク。
「やべーじゃん、それ。あー見てみたいなー、戦ってみたいなー」
店頭で新しいおもちゃを見つけた子供そのものの表情で、ニコニコとこちらを見るディルク。
「駄目だぞ、ディルク」
「えー、でもリヒトならなんとかなるんじゃ」
「なるか。さすがにキャパオーバーだ」
「じゃあ、勝手に行く」
「おい」
「いいじゃんいいじゃん、見るだけだから、ちょっとだけ、さきっちょだけだから」
「なんださきっちょって。絶対止まらなくなるだろう」
「えー、ソンナコトナイヨ。ディルク、ガマンデキルヨ」
「嘘をつけ。生まれてこの方一つも我慢したことのない奴がどの口でほざく」
あー、やだなやだな。
さすがにこれは止めないとまずいですよ。
国と戦争することになっても止めなかったかもしれないが、これはそれ以上にヤバい。少なくとも今の段階でこなすイベントではない。神とかついてる相手だぞ。どう考えてもラスボス候補だろう。
「はは、ディルクは本当にアベルそっくりだな。無茶ばかり言って周りを困らせて。ボクがアベルに会ったときはあいつもそれなりの歳だったし、忠告したところで今更で何も変わらなかったけど、ディルクはまだ若いんだからちゃんと忠告するね。世の中は君が思ってるより大分理不尽で、君もリヒトも君が思ってるほど万能じゃない。君が我儘を言ってリヒトを困らせて、結果的にリヒトが死んでしまったとき、君は後悔しないかい?」
「……リヒトが、死ぬ?」
「選択を誤るとはそういう事だ。アベルにも無二の親友がいて、竜神の元までは二人で行ったそうだ。だが、親友はあっさりと竜神に殺され、生き残ったアベルも一人では背負いきれないような宿業を背負わされ、生涯苦しむことになった。その当時のアベルは加護を得る前だったが、既に今の君より数倍は強かったのにもかかわらず、だ」
「むー」
おお、ディルクが悩んでいる。人の話など殆ど聞かないディルクが。さすが年の功ということなのか、これは。
「何れ、竜神と対峙するつもりだとしても、今はまだその時ではないよ」
「むう、ばあちゃんがそこまで言うなら、今は止めとく」
「それがいい。よく我慢できたね、えらいえらい」
わしゃわしゃと頭を撫でる長老。
「ご褒美に良い情報を教えてあげよう。この里から直ぐ近くにダンジョンがあるんだ。王国内では非常に珍しいからね。興味があるなら行ってみたらどうだい?」
「ダンジョン!?」
異世界ファンタジーのお約束、ダンジョン。これは少々僕もテンション上がる。この国には数えるほどしかなくて、しかも殆どがダンジョンとは名ばかりの用途年代不明のただの遺跡の事らしく、所謂魔物を狩りながら宝探しと言った風情のあるダンジョンは無いと聞いていた。別の国に行けばあるらしいので、将来的に行ってみたいとディルクと話していたこともある。
「五階層くらいしかない小さなダンジョンだが、ちゃんとダンジョンの体裁は整ってる。森の中を無事で抜けられるくらいの力があるなら然程危険もないだろうし、興味があるならパウラに案内させるよ」
「いいの? やったー、行こうぜリヒト!」
「待て待て。ヒルデは早く戻らなくちゃならないだろ。僕等は多少遅くなっても別に誰も何も思わないが、ヒルデはそうは行かないだろうし」
「いや、構わんぞ。私も興味ある」
ヒルデを見ると眼が輝いている。
そう言えば、ドラゴンスレイヤーを名乗る公爵令嬢にあるまじき戦闘狂だった。ダンジョンの単語に若干興奮が見える。
「では、食事が終わったら案内させよう」
そんなこんなで、唐突にダンジョン観光の予定が追加されたのだった。
◇◇◇◆◆◆
実際問題、ディルクは自分の意を曲げて少なからずフラストレーションが溜まっていたので、それを発散させる必要はあった。そのためにダンジョンを仕向けて来るとは、長老も伊達に長生きしていないという事か。良く人を見ていると思う。
子供にただダメと頭ごなしに言ったところで納得なんかしないのだから、別のエサを与えて気を逸らすというのは中々理に適った方法と言えるのではないだろうか。今度から僕も使わせてもらおう。
ダンジョンは里から一時間も歩かない場所にあった。
鬱蒼とした森の中、その一帯だけが拓けていて、石造りの祠のようなものが建っていた。重々しい扉を開けると横に大人三人は寝れるような広い通路が地底へと延びている。
「罠とかは無いけど、魔物が不意打ちしてくることはあるから気を付けてね」
パウラはそう言いながら魔法の明りで通路を照らす。
「元々若いエルフの戦闘訓練用に使われてるダンジョンなの。森は結構強い魔物が多い上に視界も悪いから危険でしょう? ダンジョンは通路の角とかに死角はあるけど、森に比べればマシだし、魔物の強さ自体もそこまでではないしね」
「へぇー、これがダンジョンかー」
爛々とした目で見回しているディルク。
ダンジョンとはなんぞや、と言うのは結構あいまいで、ただの古い遺跡にモンスターが巣食ったらそう呼ぶ場合もあるし、形状変更やら罠やら、魔物が湧くやらの所謂ローグライク系のダンジョンもある。
前者は一度魔物を狩り尽くせば以後はただの遺跡だが、後者は継続的に魔物を狩猟できる一種の資源として扱われる。世の中には宝箱まで配置される本当にゲームのようなダンジョンもあるらしいが、どういう原理でそんなものが存在しているかは不明である。その手のダンジョンは踏破された記録が無いものも多い。
「一応、私も最下層までは行ったことがあるから案内もできるけど、どうする?」
「もちろん、自分達で攻略するぜ! まあ、リヒトがいればおんなじことだろうけどな!」
「まあそうだけど」
【良く見える目】で、ささっと索敵とマッピングをする。
そんなに強い魔物もいないなら、ディルクも斃す楽しみは少ないから、サクサクと下の階に行って攻略してしま……。
「……パウラ。質問していいか?」
「何?」
「このダンジョンって、地下五階層なんだよな?」
「ええ。ここを地下一階として後四回階段下れば終わりよ」
「なら、なんで六階層があるんだ?」
「え?」
戸惑うパウラ。
「何々? 隠し階段? さすがリヒト、そこに痺れる憧れるー! 」
ディルクのテンションがヤバい感じに上がって来た。
「まあ。行けば分かるか」
言われた通り魔物はそんなに強そうでもないし、数も多くない。一階層あたり二、三匹といったところだ。チュートリアルダンジョンの趣だが、謎の六階層の存在。そして、階層があることは分かるが、僕の目をもってして良く見えないという。
「じゃあ、最短距離で行こうか」
「っていうか、なんで初めて来たダンジョンの入口で最短距離とか隠し通路がわかるのよ」
「そういう魔法です」
パウラの疑問に簡潔に嘘で答えつつ、僕等は先に進んだ。後にして思えば、僕は僕の眼をもってしても見通せない隠された場所の意味と言うのを、もう少し深く考えるべきだった。しかし、人は先に後悔することは決して出来ないのである。
◇◇◇◆◆◆
五階層は広いフロアになっており、これみよがしにボスっぽいミノタウロスが控えていた。ディルクが一撃で殴り飛ばして決着したが、ここからが本番である。僕が事前に見ていた場所に行くと、全員で首を傾げる。そこにあるのはただの壁である。
僕は構わずそのまま進み、壁に溶け込まれるように他の人には見えたはずだ。
「わ、どこ行ったリヒト!」
「そのままみんなも真っ直ぐ進めばいいよ。通り抜けられるから」
壁からにゅっと首だけ出すと、パウラが「ひぅ」と小さく悲鳴を上げる。
おそるおそる他のみんなが壁を抜けてくると、そこには下り階段があった。
「な、なんなのかしらこれ。どういう原理?」
「立体映像を出力してるみたいだけど、そういう魔道具なのかな? 魔道具については良く分からないんだよなー」
超が付く高級品なので、中々実物を拝めないのだ。触ると色が変わるだけの棒切れのようなものが白金貨10枚(前世の価値観で行くと一千万円)とかする。
王国では魔導士が少ないこともあり、魔法の才能があるものは国が管理しており、一般には知識があまり広まっていないのだ。長老の話を聞く限り、それもすべて始祖王のやらかしに端を発しているようだが。
「こんな魔道具聞いたことも無いわ。古代魔導文明の遺物なのかしら?」
「なんです、そのめっちゃワクワクするワードは」
「遥か昔にあったとされる、今よりも遥かに進んだ魔導文明の事よ。世界中に遺物が点在しているらしいけど、あまりにも昔過ぎてあったらしい、と長老から聞いたことがあるだけよ」
厨二心を擽る話である。都市伝説とか古代文明とか男の子にとってワクワクでしかない。
「さて、ではエルフですら気が付かなかった場所に一体何が隠してあるやら」
わざわざ魔道具まで使って隠しているのだから、重要な何かが隠れているのだろう。
ルンルン気分で長い階段を降りた先にあったのは重厚な扉だ。手を触れると自動的に開き、六階層と同じような広い空間に出る。
違いがあるとすれば、洞窟然としていた五階層以上の階層に比べ、六階層は明らかに人工的に綺麗に整えられた滑らかな壁、床、天井で、その全面に何らかの文様が刻まれ、その文様がぼんやり光っている。
目を凝らせば、その文様に魔力的な力を感じるから、魔法陣的な何かだろう。五十メートル角の立方体の部屋に隈なく刻まれた文様に気圧されていると、コツコツと硬質な床を踏みながら、何かがこちらに近づいて来る。
「……どこのハエが迷い込んだかと思えば、随分と奇妙な一行だな」
何かは、身長が三メートルほどで、深紅の髪に金色の瞳、端正な顔だが口元からは牙が覗く。頬に鱗のような模様が見える。背中には一対の羽根。両手には爪が鋭く伸びている。
「人間の男女、我が加護を得た人間の男と、エルフの女。ふむ、そうか遂に生まれたのか」
僕等は奇妙な男(?)を慄然として見ていた。
あの無鉄砲なディルクをして、身動き一つ取れなくなっていた。
あまりの存在感の違い。まるで蛇に睨まれたカエルのように、視界に捉えた瞬間に本能的に死を悟ったと言っていいい。
「偶々装置の調整に来ていただけだったが、思わぬ邂逅もあるものだ。所でさっきから誰を目の前に頭を上げている。頭が高いぞ」
男は別に怒気を放ったわけではない。敢えて言えば少々不満を口にしただけだ。日差しが眩しいとか、目に髪が掛かったとか、そのレベルのどうでもいい不満。だが、僕等に対して効果は劇的だった。本能に突き動かされるように、潰れるように僕等は地面に転がった。
先程こいつは我が加護を、と言った。
つまり、こいつが竜神か。ぜんぜんドラゴンじゃない。人型に変身しているのか。
支離滅裂に色々な思考が脳内を駆け巡るが、並行して一つの単語が頭の中でがなり立てている。
――死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、これ絶対死んだ!
勝つとか負けるとか、そういう次元じゃない。長老の話は一から十まで正しかった。竜神を相手するのは天竜山脈の山体を相手に戦うようなものだと。それくらいの無理筋だと。同じ生物にカテゴライズするべきではない存在だ。自然の一部とかそういう概念だこれは。それが、否応なく本能で理解させられている。
「なればこれは貰っていくか。意図したものではあるまいが、二度手間を掛けるほどの事でも無い」
「きゃ!」
パウラの悲鳴。
【良く見える目】は向ける方向すら無視して見る事もできる。竜神に抱えられたパウラを見て、さっさといなくなってくれと心底思っていると、横から震えながらも勇ましい声が聞こえた。
「パウラを、離せ!」
「ば――」
ディルクの無鉄砲さ、死に対する鈍感、或いは純粋なまでの正義感か。
こんな化け物と言うのも生ぬるい存在を前にして、尚立ち向かうのを止められないのか。
その性分、或いは本能を、感心するべきか不憫に思うべきか。
「小僧。お前もあの男の子孫か。らしいことだ。無知蒙昧に自分の実力を信じ、力量差を知りつつも挑むことを止められぬ。嫌いではないが、今は邪魔だ」
「ディルク!」
叫ぶと同時に防衛陣をディルクの前に展開する。しかし、防衛陣はあっさりと不可視の何かに貫かれ、遅れてそれを竜神がデコピンで発生させた衝撃波だと知る。防衛陣を無きものとした衝撃波はディルクを弾き飛ばした。
「ほぅ、こっちの小僧は魔導士か」
「見逃してくれませんかねぇ」
「この場所を見られた以上、生きて返すわけにはいかん」
「ですよねー」
ここが何なのかは分からないが、竜神が自ら足を運んで調整などするような場所だ。どうせロクでもないものに違いない。隠し階段だとワクワクしていた自分を殺してやりたい。
何を能天気にしていたんだと。隠していた以上見られたら困る相手がいる可能性を考慮するべきだった。
「仕方ない、勝てる気もしないですが、タダで死んでやる気も無いです」
いっそ見逃さなかったことを後悔させてやるからな、竜神め。
こうして、僕等はよりにもよって、恐らくはこの大陸で一番ヤバい奴と、不意遭遇戦をするハメに陥ったのだった。




