-002- 綺麗なお姉さんは好きですか?
巨大な魔方陣を認識した瞬間に視界が暗転。
真っ暗な視界に、生まれたばかりの頃が頭を過る。
音は認識出来るが何も映らない瞳。とてつもない焦燥があった。そんな折、時々視界を光る川のようなものが見えることがあった。どのくらいの距離離れているのか、どのくらいの大きさなのかは分からない。目の前であるような、天の川ほども離れているような気もした。
時折見える幻想的なその光景があったから、僕はこの眼が不良品ではなく、使い方が分からないだけなのだと信じることが出来た。可視光が意識的に見えるようになってからは、終ぞ見ることも無くなった光景。
一体何を捉えて、何を視ていたのだろう。それとも、見ていたつもりで正気を失いそうな脳が生み出した、ただの想像の産物だったのだろうか。
ふと、そんなことを久しぶりに思い出した。
視界の暗転も実際は一瞬の事だった。
気付くと森の中で、ディルクと騎士姫が傍にいた。
キョロキョロと不思議そうに周りを見回しているディルク。騎士姫は小さく舌打ちした後、こちらに歩み寄って来た。
「どうやら強制的に転移させられたらしいな。ケガは無いか、少年達」
こちらを気遣う騎士姫。兜を取ると端正な顔と印象的な切れ長の銀の瞳が目に留まる。
やだ、超美人。
「僕等は大丈夫です。騎士姫様は大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。二人のおかげで命拾いしたよ、ありがとう。それから命の恩人に畏まられるのも居心地が悪いから、私の事はヒルデとでも呼んでくれ」
子供相手だというのに素直にお礼を言える。常識的で理性的。騎士姫の噂は結構とんでもないものも多いが、噂は所詮噂と言う事か。強い女とか、男尊女卑の貴族社会だとやっかみ酷そうだしなー。
「別にいいよ、気にすんなって、ヒルデ姉ちゃん」
畏れ知らずのディルク。おま、相手は公爵令嬢……。
「ふふ、姉ちゃんか。いいなそれ。私には弟も妹もいなかったから新鮮だ」
そして受け入れられるミラクル。
お前に常識を求めても無駄だとは分かってるが、周囲の人の為に努力はした方がいいと思うぞ、相棒。
「それにしても、ここ何処だよリヒト。見たことない場所だけど」
「当然の様に僕に聞くなディルク。転移させられて直ぐに分かるわけないだろ。お前が見たことないってことはほぼ確実に僕も知らない場所だよ」
「えー、でもリヒトなんでも知ってるじゃん」
「……ちょっと待て」
周囲をぐるっと【良く見て】みる。
「距離は分からないが同じ森の中ではあるっぽいな。向こうに天竜山脈がある。大分山脈よりだから歩いて一日二日の距離ではないと思うけど」
「なんだ、それならちょっと時間かかるかもしれないけど問題なさそうだな」
「僕等は大丈夫だろうけどさ。街がどうなってることか」
こうなっては考えても仕方ないことではある。しかしケーニッヒの呼び出した魔物はケーニッヒを斃したことで消えたかもしれないが、元々森に住んでいて追い立てられた魔物達はそのまま残る。混乱が続いて街を攻め続けられたらどうなることか。
「騎士団もいるし、ケーニッヒがいないなら何とかなるだろう」
ヒルデが楽観論を口にする。まあ、信じる他ない。気を揉んだところで早く帰れるわけでもないし、僕等が無事帰れる保証も今の所無いわけだし。
「取り敢えず天竜山脈を背に遠ざかるように歩いていけば、相対的に街に近づくはずだから、慎重に行きましょう。ヒルデ様もそれでいいですか?」
「ああ、異論はない。が、様はいらんぞ、リヒト君」
にこりと笑って僕をどぎまぎさせるヒルデ。一々かっこいいんですけど、この人。
「なんだー、リヒト、ヒルデ姉ちゃん好きになっちゃったか?」
「そんなことねーし」
「分かりやすー」
げらげら笑って揶揄うディルクの頭を小突いて、僕は先を急ぐことにした。
◇◇◇◆◆◆
天竜山脈というのは、僕等が住んでいる王国――フッター王国をぐるりと囲むように聳えている。隣国との国境であり、王国の三面はこの山脈に塞がれている。
文字通り竜が営巣している山脈で、人間にとっては人跡未踏の地だ。過去何人か無謀な挑戦者がいたようだが、一人を除いて生きて帰って来たものはいない。
その天竜山脈の麓に広がる原生林は、いわばドラゴンと人間の生活圏に置ける緩衝地帯であり、当然山脈側と言うのは人の手が入っていないため、数多の魔物が生活している。
「ふぅ。こうも魔物が多いとはな」
巨大な蛇の魔物を両断したヒルデは、額の汗を拭いながら呆れたように呟く。
移動をはじめて一時間もしない内に三度も魔物とのエンカウントしている。僕の眼で索敵をしているので、これでもましな方なのだ。ディルクあたりに先頭を任せれば、十分おきに魔物と戦う羽目になるだろう。
「うわー、こんな大きなヘルバイパー初めて見た。なあ、リヒトこれ親父に見せたら面白そうじゃない?」
「面白いか面白くないかで言ったら面白いだろうけど、運びようが無いから駄目だぞ?」
「えー。絶対ウケるのにー」
全長二十メートルはある巨大な蛇である。魔物特有の魔法まで使ってくる。
ポルタの近くで取れるのは精々十メートル程度。十五メートルを超えるサイズは聞いたことは無い。もしかしたら形態は似ている上位種とかかもしれないが。
「もうすぐ日暮れだな。そろそろ野営の準備をしないと」
ヒルデの言葉に僕も頷く。
「こいつの縄張りだったのか近くに魔物はいないので、この辺りで野営しましょうか」
「移動しなくて大丈夫か? 血の匂いで他の魔物が寄ってくると聞いたことがあるが」
「ああ、その辺は僕の魔法で消臭してますので大丈夫です」
「……魔法で、消臭?」
「ええ。森の中では必須技能ですね」
「必須?」
ヒルデが首を傾げている。
「寡聞にしてそんな魔法は聞いたことが無いのだが。そもそもリヒト。お前は誰に魔法を教わったんだ? 魔王軍四天王でも随一の魔導士であるケーニッヒを凌駕していたんだ。まさか独学ではあるまい?」
「いえ、独学ですけど」
そもそも王国は魔法後進国で、いくらかある魔法の知識も国で牛耳ってるから市井で学ぼうったって無理なのだ。初級魔導入門の小冊子くらいしか読んだことが無いのもそのためだ。元々魔法の才能のある人が圧倒的に少ないというのもあるけれど。
「……嘘だろう?」
ドラゴンを殺したと言われる女騎士にドン引きされている僕。
えー、ドラゴン倒すことに比べたら大したことなくないですか?
まあ、僕もこの【良く見える目】が無ければ無理だったんだから、そうなのか。無いものの想像って難しいな。
その気になれば電子顕微鏡無しで原子や分子の振る舞いを観測できるチート性能だから、根本的な原理から魔法を理解していると言うのが多分大きいんだろう。何せ、恐らくこの世界の人間は誰も魔法の正確な発動プロセスが分かってないんだろうから。
その辺の知識の穴埋めも老後の楽しみとかでいいかなーとか思っていたんだが。
「まあ、出来るものは出来るので。気になるなら僕の身辺をあとで洗って貰えばいいですよ。別に隠すことないですしね」
「いや、すまんな。俄かには信じがたい話で。疑いたくはないのだが、そうすると常識の方を疑わなければ……」
懊悩とするヒルデ。
悩める姿も、アリだな。
「リヒトー。姉ちゃん弄ってないで、めしー」
「はいはい、って僕はお前のお袋じゃねーよ!」
「いいから、めしー」
腹が減ったのか座り込んでいるディルク。活動量が半端ないだけあって必要とするエネルギーも多いのだ。幸い今ここには肉と言う名のカロリーが大量にある。ヘルバイパーの肉っておいしいんだよね。
「では、野営の準備と行きますか」
ディルクと森で野営するのは実のところ良くある。
街の中で収めるにはディルクは活動的過ぎるし、闘争本能を街中で満たすことは難しいので、必然的に狩りに出ることになる。しかし、狩人の狩猟に付き合うにはディルクに繊細さが足りないので、なるべく狩場から離れたところで魔物を狩って遊ぶのだ。
その時に開発した野営魔法。
元日本人らしく、こだわりを求める匠の魂が僕にも宿っている。
いや、実際はどんな場所でも快適生活が送りたいだけだ。虫の這っている地面で寝転んで朝を迎えるなんて御免である。
「と言うことで、どーん」
地面やその辺の木々を材料に、一瞬でロッジが出来上がる。魔物避け、虫よけ、臭い、騒音遮断の複合結界付きのロッジである。
開いた口の塞がらないヒルデ。
それを見て満足そうなディルク。
「姉ちゃん、リヒトはすげーだろ? 街の連中は良くわかってないから、リヒトは俺のおまけくらいに思ってるやつが多いんだけどさ、絶対逆なんだよ。俺がリヒトのおまけだよな」
うんうんと後方理解者面を炸裂させるディルク。
「……異常と言うなら二人ともだが、しかしこれは」
騎士団に欲しい、とぼそりと呟くヒルデ。
欲しいとか言われると照れちゃう。だって男の子だもん。
「はいはい、兎に角入って入って」
玄関から中に入ると、二階建てのロッジのリビングは吹き抜けになっており、ソファとローテーブルがある。奥にダイニングキッチンがあり、開放的な空間が広がっている。
リビング中央の螺旋階段を上がれば、リビングを見下ろせる内窓がついた二階の寝室がある。一階の奥にはトイレとバスルームも併設されており、ウォシュレットや温水も完備である。
「正直家にいるより快適なんだよなー」
そう行ってソファに飛び込むディルク。
ヒルデは恐る恐る腰掛けてその柔らかさに戦慄していた。
「ディルクは先に風呂入って汚れ落としておけ。ああ、ヒルデが先に入ります?」
「ふ、風呂まであるのか? しかし魔物が来たら」
「来ないから大丈夫ー」
「心配いりませんよ。結界張ってあるので」
「……なんたる、なんたる」
ぶつぶつ言いながら奥に消えていく。
「姉ちゃんドン引きだなー。トイレのアレ使ったら気絶するんじゃね?」
「仮にも王国最強の騎士様だよ? ウォシュレットで気絶は無いだろ」
その後、気絶はしなかったが可愛い悲鳴を上げることになる騎士姫様だった。
◇◇◇◆◆◆
一夜明けて、釈然としない顔で朝食を摂るヒルデを眺める。
鎧のままでは寛げないだろうと、魔法で即席で作った白シャツが眩しい。
うむ、貰い手がいないと噂されるのが嘘のような美しさである。
「リヒトー。視線が熱いぞー」
「む。確かに少し不躾でしたね。ですが、噂通り大変お美しいので見惚れてしまいました」
容姿を褒められて困惑したような顔をするヒルデ。
「その手の噂は皮肉だろう。未だに嫁の貰い手も無いと父上にも嘆かれている始末だ。私もその手の話については既に諦めているしな」
「そんな馬鹿な。ディルク、ヒルデは綺麗ですよね?」
「うん。姉ちゃんは大分綺麗な方だと思うよ。少なくともポルタに姉ちゃんより綺麗な人はいないなー」
こういう時、裏表の無いディルクの評は信頼性が高い。
「貴族の間では女子が剣を持つなんてことは無いからな。下手な男より太い手足に、硬くなった手など、私にはどうにも女性らしい柔らかさが足りないんだ。まあ、今更女らしくなりたいなどと思ってはいないが」
確かに引き締まった体ではあるがそれで倦厭するには惜しい美貌だと思うんだけどな。
「貴族は丸っこい方がモテるのか? えー、俺はやだけどなー」
「程度問題だ」
「大方自分より強い妻というのが、貴族のプライドを邪魔するのでしょう。審美眼の問題と言うよりは性根か器の問題だと思いますけどね。ちなみに僕は好みですよ」
筋肉は素晴らしい。筋肉は全てを解決する。スポーツが一般的ではない世界で、荒事、力仕事はやはり男の領分で、ヒルデほどの筋肉女子を見つけようと思うと中々難しい。
無論、いないと言う話ではないが、かなりの少数派である。貴族の中では例外中の例外であろう。
「変わった奴だな、リヒトは」
「そうそう、変なんだよリヒトは」
ディルクにまで言われて少しムッとする。
「いや、ディルクだけは言われたくない。ディルクだけには」
ケーニッヒは【竜神の加護】とか言っていたが、転生者でも無く生まれ持ってのチート持ちに僕を批判される謂れはない。
「二人とも変だよ」
そう行って笑うヒルダも大概だとは思う。全員平均的な王国民からすれば外れ値もいいところだ。
「所で、これからの方針ですが」
「ん? ポルタに帰るんだろ?」
「それは大前提ですが。昨夜星を確認して正確な位置情報を取得しました。ポルタまで現在のペースで十日は掛からないと思います」
「星?」
ヒルダは星で位置が分かるという話にピンと来ないようだ。まあ、北極星的な動かない星や日時で位置関係が分かっている月や太陽を利用して位置関係を把握するわけだが、生涯王国から外に出ることもないこの国の国民にとっては利用価値の少ない技術だ。
「まあ、魔法でなんやかんややったと思って貰えばいいです」
説明が面倒くさいので魔法のせいにしておく。魔法も使ってるので間違いではない。
「ルート選択です。どんな障害があるか分からない最短ルートを向かうか、多少迂回しても既存ルートに復帰できる方に向かうか。具体的に言うと、ここから西方向に向かえばギーレン川の支流に出るはずです。川沿いに下って行けばルートは外れないし、遠からず狩人の活動圏内に入ることが出来ると思います。最短ルートは正直地形が把握できてないので、途中で断崖や絶壁など結局迂回するハメになる可能性があります」
「出来るだけ確実なルートを選ぶべきだろう。多少遠回りでも安全なルートを選ぶべきだ。我々は人跡未踏の場所で遭難中なわけだから、避け得る危機は避けるべきだ」
ヒルデは僕の話を聞いて常識的な判断を下す。
「じゃあ、そちらで。ディルクは……、まあどっちでもいいだろ?」
「リヒトと二人なら迷わず最短ルートって言うけど姉ちゃんいるしな」
「おお、ディルクが他人に気遣いしている。うぅ、こんなに立派になって」
「お前は俺のおふくろか!」
ディルクのツッコミだが、度々人のことを母親の如く扱うのはお前のほうだからな?
「では、着替えて出発と行きますか」
食事を終えた僕等は、身なりを整えて再び森の行軍に取り掛かるのだった。




