献帝の機嫌:壱
西暦219年・3月 (建安24年)
許昌。 魏の拠点。 ここに漢王朝最後の皇帝・献帝 (劉協) がいる。 最近、老体の曹操が過労で倒れて寝室で寝たきりになってる。 一方の若い献帝は曹操倒れたの報を聞いて、すこぶる元気になってきた。 史実でも献帝は曹操の操り人形となって肩身の狭い思いをしてきた。 その曹操が倒れて寝たきりになったのだ。 喜ばずにはいられない。 しかし、喜ぶのは献帝一人だけ。 他の者が喜ぶと、間違いなくすぐに処刑される。 だけど、さすがにたかだか丞相の地位である曹操が皇帝である献帝を誅殺することはできない。 ましてや、その曹操も今や病に伏せている身。 他の者が献帝の喜びを止めることができない。
そんなある日のこと、宮中に参内した曹丕が献帝に質問する。
「帝は我が父・曹操が倒れたことを喜んでいるとか?」
「そうだ」
「何故にございます? 丞相があれほど漢のために尽くされたのに?」
「なるなど、漢のために……か?」
「……」
「自分の身体の状況も理解せずに無理して行軍したから、あのような結果となったのだ。 その未熟さを笑って何が悪い?」
「なにっ!?」
「ふん、漢中行ったり、荊州行ったり、欲張り過ぎだ。」
「なんだとっ、いくら皇帝だからと言って―――」
「ならば朕も誅殺するか?」
「っ!?」
「皇帝が家臣を笑ってはいけない。 などという法律などあるまい。 曹操が倒れて、久しぶりに晴れ晴れな気分になった。」
「丞相は漢のために、いつも逆賊を討伐せんと先頭に立って軍を率いております。 その苦労も解らず笑うなど―――」
「誰が逆賊だ?」
「……?」
「一体誰の事を言っておる?」
「それは劉備と孫権が―――」
「朕は一度も劉備と孫権の討伐命令など出しておらん。」
「!」
「曹操が勝手に劉備と孫権を朝敵にしてるにすぎぬ。」
「……」
「おそらく曹操は自分の手で天下統一を果たすため、朕の皇帝としての名を利用しているにすぎぬ。 天下統一を果たした暁には、必ず朕から帝位を奪うはず。 朕が今でも皇帝としていられるのは、劉備と孫権が最後まで曹操に抵抗してくれているお陰。 その二人こそ真の忠臣。 曹操こそ真の逆賊よ。」
「……」
「どうした? 曹丕よ、何か言い返せぬか?」
「いいか、この私が必ずお前から帝位を奪ってみせるぞ!」
「ふふふ、遂に本性を現したか?
よかろう。 奪えるものなら、奪ってみるがいい。」
「くっ!」
曹丕が献帝に対して臣下の礼も取らずに、後ろを振り向いて足早に立ち去った。 全くもって無礼な振る舞い。 でも……なんとか曹丕ならば、献帝も抵抗することができる。 仮にも漢の皇帝があのような若造に口論で負ける訳にはいかない。
すると今度は曹植が宮中に参内して献帝に挨拶する。 曹植は曹丕と違って、しっかりと皇帝に対して臣下の礼をとる。
「お久しぶりです…陛下」
「おお、曹植か。 いつ許昌に戻った?」
「先程にございます。 父の容体が優れぬということで、そのお見舞いに…」
「そうか」
「我が父・曹操も遠征続きで身体の負担や疲労も大きいでしょう。 これを機にゆっくり養生されると宜しいかと存じます。」
「そうだな」
「ところで陛下。 陛下は我が父・曹操が倒れた時…喜ばれたとか…?」
「そうだ。 そなたも朕に難癖をつけるか?」
「いいえ、我が父・曹操もさぞお喜びでしょう。」
「?」
「自分が倒れたことで陛下も元気になられたならば丞相としても、これほど喜ばしいことはございませぬ。 これで丞相としての責務を全うしたことになりまする。」
「ほーう…」
「我々はみな漢の臣。 すなわち献帝の臣にございまする。 その献帝が喜ばれることこそ、臣にとっての忠義。 我が父・曹操も漢の臣としての忠義を果たしたものだと思っておりまする。」
「ふふふ、そなたは愉快な男よ。
あの曹丕とは、また違った趣がある。」
「陛下にお褒め頂き、真に恐悦至極にございまする。」
ここでまた曹植が献帝に対して臣下の礼をとる。
「曹操が許昌で静養してる間は、そなたも許昌に留まるのか?」
「いいえ、また我が父・曹操に与えて頂いた任地に戻らなければなりませぬ。」
「そなたも大変だな」
「これもまた漢の臣の忠義にございますれば…」
「ふむ、そうか」
「それでは陛下もお元気で、あまりご無理をなさらぬように…」
「ふむ、心得た」
「…失礼致します。」
ここでもまた曹植が献帝に対して臣下の礼をとり、後ろを振り向いてゆっくりと立ち去る。 さっきの曹丕とは、全く対照的だ。 その落ち着いて立ち去る曹植の後ろ姿を見て、思わず献帝が口を開く。
「あの男こそ、魏の王に相応しいのにな…」
と…。
ある時、宮中の廊下で曹丕と曹植がすれ違う。
すれ違い様に、曹丕が曹植に声をかけた。
「許昌に戻っておったか…」
「はい、父のお見舞いに…」
「ふん、父も労が過ぎるから倒れたのだ!
これに懲りて、しっかり養生するだろう」
「はい、そうですね」
「いいか、私は魏の皇太子だ。
ここから魏の王朝を作り出す。」
「宜しいのですか?
今はまだ漢王朝ですよ?」
「ふん、献帝の周りの者は全て父・曹操の息のかかった者たち。 献帝の忠臣は全て処刑されている。 あの献帝一人に何ができる? 実際に漢王朝を支配しているのは、父・曹操なるぞ。」
「……」
「その父・曹操の後継者がこの私だ。 私が魏王になれば、すぐにでも帝位を奪ってみせる。」
「漢王朝を滅ぼすおつもりですか?」
「違う! 漢王朝ではない! もう魏王朝だ!」
「……」
「ふん、お前も今のうちに私に媚びを売った方がいいぞ! 優遇してやる!」
「…失礼します」
返答せずに曹植が軽く会釈すると、そのまま立ち去った。 そんな曹植の後ろ姿を見て曹丕が―――
「ふん、我が弟ながらイケスカナイ男よ!」
そう言って前を向いて曹植とは違う方向を歩く。
曹操は意識不明の重体。 起き上がることもできない。 そのため、無断で大軍を動かすこともできず、荊州や漢中に再度進攻することもできない。 その間に呉が荊州を…蜀が漢中を…実効支配していく。 曹操が倒れたことは劉備の耳にも入っており、これを機に南征の準備を進める。 一方の孫権や陸遜たちも曹操が倒れたことを知って建業に戻った。 荊州の守備は劉璋に任せた。
皮肉にも呉に降った劉璋が荊州の太守となり、孫権が劉璋に別れ際に注意する。
「いいか劉璋殿。
そなたが注意するべきは…北だ。
今は曹操があのような状態で荊州に攻め込むことはできぬ。 そなたは南陽にいる曹仁に十分に注意して、もし攻め込んできたら、すぐに知らせろ。 大軍率いて救援に向かう。」
「はい、判りました。」
「あの狼煙台の使い方はわかるな?」
「はい、判ります。
何度も教えて頂きました。」
「他に質問はあるか?」
「もし西から攻めて来たらいかがします。
仮に関羽が攻めて来たら?」
「劉備はこれから南征する。
もし仮に南征で苦戦するようなら関羽が援軍に向かうはずだ。 つまり、白帝城より東には行けぬはずだ。 だが…もし仮に万が一、攻めて来たら、すぐに知らせろ。 大軍率いて救援に向かう。」
「はい、判りました。」
「それでは荊州を任せたぞ」
「はっ、お任せください。」
そう言って孫権は劉璋を荊州牧に任命して、建業に帰った。 劉璋は孫権の配下であり、荊州は呉の属国になる。 小心者の劉璋が野心なく、つつがなく荊州を治め守り抜けるか、大胆な実験だ。
西暦219年・7月 (建安24年)
南中四郡。 建寧郡太守・雍闓の反乱が遂に勃発。 実際には劉備が死去した後で反乱を起こすのだが、残念ながらもう既に反乱が起きてしまった。 マヌケにも劉備に反抗的な蜀南部にある建寧郡太守で益州の豪族・雍闓と越嶲郡太守で傲慢な高定と牂牁郡太守で異心を疑われた朱褒の三人が共謀して、劉備がまだ存命中に永昌郡太守で忠義の呂凱を襲う。 呂凱はすぐに劉備に援軍要請して、劉備が直々に永昌郡の救援に向かう。 また今回の反乱に南中を支配する孟獲や呉の孫権は関与していない。 これはあくまで雍闓と高定と朱褒の三人による反乱なのだ。
そこで劉備軍が救援に来る前に建寧郡太守の雍闓と越嶲郡太守の高定と牂牁郡太守の朱褒の三人が、それぞれ一万の兵を率いて永昌郡太守の呂凱を攻める。 計三万の兵が永昌郡の城に攻撃。 勿論、忠義の呂凱は必死に抵抗した。 反乱者共に永昌郡を奪われる訳にはいかないからだ。
「援軍が到着するまで、なんとしても守りきれ」
「はっ、かしこまりました。」
雍闓と高定と朱褒の三人が必死になって、なんとか城を攻めるがなかなか落とせない。
そこに兵卒が走って雍闓たちの所へ駆け寄る。
「申し上げます。
劉備軍の援軍が我が陣の背後を攻めてきました。」
「なにっ!?」
「もう来たのか!?」
「早いぞ!?」
なんと劉備軍の先鋒隊の李厳・李恢が三万の兵を引き連れて反乱軍の陣の背後に迫っていた。
【注意事項】
※曹丕と曹植のやり取りで曹丕はわざと『魏の皇太子』と言った。
※亡命者・劉璋を荊州牧に任命した呉の孫権の真意は不明。
※南中に登場する関係者を便宜上、わかりやすくするために郡の太守にしている。