陸遜の躍進:参
西暦218年・3月 (建安23年)
襄陽。 ここは魏の曹仁が守備する城。 普段から江陵を守備する関羽を警戒しながら荊州北部を統治する。 この日は夜遅くまで宴会していて、曹仁以下・魏の武将たちがお酒を飲み過ぎてる。 ここで曹仁以下・魏の武将たちが宴会会場で酔い潰れて眠る。
「「「ZZZZ」」」
「「「グーグーグーグー」」」
寝てる場合ではない。 けど…まさか呉の陸遜が大軍率いてやって来てるなど、夢にも思わない。 そもそも曹仁が無名の陸遜など知る由もない。 その曹仁も日頃の疲れが溜まっているのか、ぐっすり眠ってる。
一方の陸遜は自分の帷幕に将軍たちを呼んで作戦を伝える。 陸遜たちが今いる陣と襄陽は目と鼻の先。 すぐにでも攻撃できるけど、確実に攻め落とすには、ある作戦が必要だ。
「まず甘寧将軍が南門を…周泰将軍が西門を…凌統将軍が東門を…それぞれ手勢を率いて配置する。 将軍たちは門の前に乾いた枝・芝・薪を置き、夜明けと同時に火をつけよ。 おそらく曹仁は敵が侵入したと思い込み、北門に来るはず。 そこで北門に韓当将軍が10万の兵を率いて待ち伏せする。 また南門・西門・東門を開けた将軍たちが曹仁の背後を衝き、挟撃して虜とする。 これで曹仁を捕縛できよう。 よし、行け!」
「「「「はっ!」」」」
陸遜の命令の下、甘寧・周泰・凌統・韓当ら各将が、それぞれの持ち場に手勢を率いて進める。 深夜のうちに行軍するので、ほとんどの者は気づかない。 しかも目の前にある襄陽に行くだけなら、誰も何も問題ないはず。
その陸遜の作戦とは―――
1.襄陽の南門→甘寧→夜明けと同時に乾いた枝・芝・薪などに火をつける。
2.襄陽の西門→周泰→夜明けと同時に乾いた枝・芝・薪などに火をつける。
3.襄陽の東門→凌統→夜明けと同時に乾いた枝・芝・薪などに火をつける。
4.襄陽の北門→韓当が10万の兵と共に待ち伏せる。
5.南・西・東の三方から煙が上がり、それを見た曹仁が驚き兵を連れて北門に殺到。
6.北門を出た曹仁と韓当軍が激突。
7.さらに南門・西門・東門から侵入した甘寧・周泰・凌統が北門に向かい、曹仁らを挟撃、虜とする。
陸遜は火計の達人だが、これが最初の火計となる。
夜明けの襄陽。 南門・西門・東門の外から煙が立ち上がる。 各将が陸遜の指示通りに乾いた枝・芝・薪などに火をつけて、まるで城内に火事が起きた様にする。 勿論、実際にはただ煙が上がってるだけなのだが、二日酔いで寝起きの者が見れば勘違いして火事だと認識するかもしれない。 その煙を見た者が驚き慌て始める。
宴会会場では曹仁以下・魏の武将たちがまだ酔い潰れて眠っている。 そこに兵卒たちが煙を見て驚き慌てて曹仁たちを起こす。
「むっ………なんじゃ……?」
「申し上げます!
城内のあちこちに煙が上がっております!」
「……!?」
「なんだと!?」
「それは本当か!?」
「はっ、外をご覧ください!」
「なにっ!?」
「「おおっ!?」」
曹仁たちが驚き慌てて外を見ると南側・西側・東側に、それぞれ煙がかなり立ち込めていた。
「「火事か!?」」
「否、これは敵襲だ!」
「敵襲!?」
「敵が城内に火を放ったのだ!」
「敵とは…?」
「おそらく関羽の仕業か!?」
「関羽……?
そういえばあの妙な狼煙台を使っていたな! アレを城攻めに応用したのか!?」
「おのれ、関羽の仕業か!!」
「とにかく無事な兵をまとめて北門へ行け!
そこから脱出するのだ!」
「「「はっ!」」」
曹仁が楽進・李典・于禁らに命令する。
二日酔いの寝起きとあって、マトモな思考回路をしておらず、敵の確認も城内の消火もせずに逃亡することだけしか考えずに、兵をまとめて北門から逃げ出すつもりだ。 江陵の関羽が攻めてきたと勘違いするが、もう関羽はこの荊州にはいない。 まさか呉が大軍率いて攻めてきてるなど、本当に考えていなかったのだ。
襄陽の北門。 ここに馬上した曹仁をはじめ、楽進・李典・于禁ら魏の武将に約5000人の兵士が集結した。
「門を開けよ!」
門番が城門を開け、走って逃げる算段であるが、門を開けて曹仁たちが驚く。
「なにっ!!?」
北門には陸遜をはじめ、呉の10万の兵士を率いる韓当が待ち構えていた。 これにはさすがの曹仁も驚愕。 思わず口走る。
「お…おまえは…っ!?」
「お初にお目にかかる。 私は呉の大将軍・陸遜と申します。 曹仁殿、このような時間にお出かけですか?」
「呉!? 呉だとっ!?」
「リクソン!!?」
「か…関羽はどうした!?」
「関羽将軍はこの荊州には居ません。 既に白帝城へ避難しております。」
「なんだとっ!?」
「なにっ、そんなバカな!?」
「ど…どういうことだっ!?」
「蜀は正式に荊州を呉の領土とお認めになりました。 既に江陵以南全て呉の領土になっております。」
「「「「!!?」」」」
呉の陸遜の発言に、曹仁をはじめ楽進・李典・于禁らも驚愕する。 既に荊州南部が呉の領土になっていたなど、この時…初めて知ったからだ。 呉の孫権にしてみれば、別にそんな事を魏に報告する必要もない。 今…こうして襄陽をも手中にできるかもしれないのに、わざわざ曹操に報告するバカもいまい。
「ふふふ、驚かれていますね。
しかし、驚く暇はありませんよ。 後ろをご覧なさい。」
「「「「!!?」」」」
曹仁たちが後ろを振り向くと、城内に侵入した甘寧たちが既に北門まで来ていた。 曹仁たちの背後にも約10万の呉軍がいた。 前後から20万の呉軍が曹仁たちを挟撃する。
「これであなた方に逃げ場はありません」
「ぬうう、血路を開いて樊城まで落ち延びよ!」
「「「「行け!」」」」
韓当や甘寧たち将軍が一斉に号令をかけ、呉の大軍が曹仁たちを包囲する。 いかに曹仁といえども、たったの5000の魏兵に対して、呉の20万の大軍が相手では多勢に無勢であり、さすがの曹仁もなすすべなく、楽進・李典・于禁らと僅かの魏兵を連れて、樊城へ落ち延びるのが精一杯。 むしろ、さすがは曹仁。 なんとか戦線離脱することができた。
「ちっ、逃げたか…」
「すぐ追いましょうか?」
「否、行き先は判っている。 後でじっくり追い立てる。 それよりも今は襄陽に殿をお迎えする準備をする方が先だ。 すぐに殿にお知らせしろ」
「はっ、かしこまりました」
曹仁たちが慌てて樊城へ逃げた。
無人となった襄陽を陸遜たちが平定して、城内の後片付けをして、領民を安定・安全・安心させる。 その後で江陵にいる孫権たちを襄陽にお迎えする。 孫権が執務室に入ると、陸遜たちを招いた。
「見事だ…陸遜」
「ははっ、ありがとうございます。」
「残るは樊城だけだな」
「はっ、魏の援軍・曹操が荊州に到着するまでに決着をつけたいと思います。」
「うむ、まさにその通り。
陸遜よ、引き続き大将軍に任ずる。 20万の大軍を率いて樊城を攻めよ。」
「はっ、かしこまりました!」
陸遜たちが執務室をあとにする。
「いやはや、殿が襄陽にいるとは、まるで夢を見ているようです。」
「いやはや、あと一歩で荊州が呉のものになろうとは、まさしく感無量ですな。」
「いやはや、本当に劉備殿の英断には感服せざるを得ませんね。」
「うむ、これで呉蜀同盟も完璧なものになろう。」
「問題は漢中にいる曹操の動きです。 葭萌関には魏延や馬超らがいて、なかなか漢中を離れることもできないでしょうな。」
「うむ、陸遜の言う通り、曹操が荊州に戻る前に勝負を決めねばなるまい。」
「………」
「曹仁などどうでもいいから、とにかく樊城を手中にして、何としても荊州統一を図るのだ。」
「「「はっ」」」
孫権の発言に張昭・程普・呂蒙・諸葛瑾ら重臣も同意する。 現実味が帯びてきた荊州統一の進行を否定する者はもういない。 このまま樊城も手に入れて荊州を呉のものにするのだ。
樊城。 荊州最後の砦。 ここを落とされると、次は魏の領土・南陽だ。 本当は南陽まで攻め落としたいところだが、とりあえず樊城まで落として守りを固めれば、いつでも南陽を窺える。
曹仁は樊城を捨て南陽まで引き揚げるつもりでいる。 しかし、樊城を捨てるということは、荊州を放棄することを意味する。 だけど、樊城には兵はいない。 また兵糧もない。 南陽まで戻って軍を編成する必要がある。 いかに曹仁でも僅かな兵で20万もの大軍を相手にできない。
城内の奥にある詰所に曹仁・楽進・李典・于禁らがいて、重く冷たい空気が流れてた。 ついさっきまでどんちゃん騒ぎで宴会していたとは思えないけど、別の違う雰囲気になっており、すっかり酔いも醒めている。
「樊城をお捨てになるのですか?」
「ああ、こんな城…大軍で包囲されたら、我らは終わりだ。 それよりも兵も兵糧も豊富にある南陽まで戻って、軍を立て直した方がまだ勝ち目がある。」
「それでは荊州は……?」
「無念だが、ここまでだ…」
「「「………」」」
「この事を漢中におられる丞相に報告するのだ」
「はっ!」
兵卒がこの事態を漢中の曹操に知らせるため馬を走らせる。
「よいか。 この事は全てワシの一存でお前たちには何の落ち度もない。 ワシが全ての責任を取る。」
「「「…はっ…」」」
「では…包囲される前に脱出するのだ!」
「「「…はっ…」」」
だがしかし、城兵が曹仁たちのいる詰所に駆け寄る。
「申し上げます。 呉の大将軍・陸遜が20万の大軍を率いて城を包囲しました。」
「なんだとっ!!?」
「「「!!?」」」
「は…早い…速すぎる…」
「まさか…呉にあのような名将が残っていたとは…?」
「まさか…周瑜以上の逸材か…?」
「もはや我らの天命…尽きたか?」
「将軍! 我らが呉軍の注意を引きますので将軍だけでも南陽に落ち延びてください!」
「将軍! ここで全員討ち死にするような事になれば、我らは死んでも死にきれません!」
「早く将軍だけでも南陽へ!」
「お…お前たち…すまぬ…!」
ここで曹仁が涙をこぼす。
楽進・李典・于禁が囮となり、曹仁を南陽へ逃がす作戦である。 曹仁が僅かな兵と共に南門から出て、そのまま南陽まで馬を走らせる。 楽進たちが北門から出て、僅かな手勢で強行突破・玉砕覚悟で陸遜の首を取る。
一方の樊城を包囲した陸遜・甘寧・凌統・周泰らは陣の奥から樊城の様子を見ていた。
「これで樊城もおしまいだな」
「すぐに総攻撃を!」
「よっしゃあぁぁぁ、行くぜ!」
「まぁ待て。 私の見立てでは、おそらく楽進・于禁らが囮となって、曹仁を南陽へ逃がす作戦を取ると思う。」
「へぇ~、そんな作戦を?」
「魏の曹仁にしては珍しい作戦ですな?」
「よく判りますね、大将」
「おそらく楽進たちの作戦だろう。 まず楽進たちが城から出てくるまで待ち、出てきたら一気に包囲する。 曹仁は放置だ。 そこで韓当・朱然!」
「「はっ」」
「あなたたちは城の左右に、それぞれ兵を置き、楽進たちが出てきたら包囲して虜にする。 いいか、殺すなよ?」
「「ははっ!」」
ここで陸遜は城の左側に韓当5万の兵、城の右側に朱然5万の兵、それぞれ配置させる。 そして強行突破・玉砕覚悟で出てきた楽進・李典・于禁を包囲して捕縛する作戦に切り替えた。
この時代、先手・計略等で陸遜に勝てる者は諸葛亮と司馬懿の二人だけだと言われてる。 この三国志・最強の三大頭脳派は、蜀の諸葛亮孔明・魏の司馬懿仲達・呉の陸遜伯言である。
【注意事項】
※陸遜の作戦なので襄陽の東西南北は方向を度外視している。
※よく出てくる「スゲエ!」は当然、西暦218年にはまだない言葉。