邪臣の襲来:弐
西暦226年・6月 (黄初6年)
魏・洛陽。 某宮殿にて、先帝曹丕の葬儀が行われた。 喪主は司馬懿が執り行う。 先日、曹丕に漢中から呼び戻され、そのまま喪主も任されてしまった。 普通ならば、次の皇帝になるはずの曹叡が喪主となるはずなのに、何故かは知らないが、今回は司馬懿に任された。 これは大変危険な行為であり、親族でもない者が皇帝の葬儀の喪主を務めることなど、まずあり得ないからだ。 当の曹叡に喪主を務めるつもりはなく、また曹真や曹爽たちも喪主をする気はない。 それほどまでに曹丕と部下との関係があまり良くなかったかと思われる。
しかし、よりにもよって、あの司馬懿がまさかの喪主とは…? 今回は呉や蜀からの弔問は来てない。 おそらく…あえて呼ばなかったかと思われる。
皇帝としては、非常に簡素・早期に済ませており、早々に首陽陵に埋葬された。 しかも、同時期に曹叡の皇帝即位式も行った。 それも皇帝としては、非常に簡素・早期に済ませている。 即位式には、司馬懿・曹真・曹爽・陳羣・劉曄などの主だった家臣が参加した反面、呉・蜀からの招待は行っていない。 無駄な労力・時間・資金を避ける為に、速やかに終了させたい思惑がある。
魏・第二の皇帝。
曹叡元仲 (21歳)、明皇帝 (205~226)、年号は黄初のまま、一人称は「朕」。 一時期は皇太子になれず、廃嫡も検討されたが、結局は曹丕危篤の際に皇太子となり、そのまま魏の皇帝に即位した。 ようやく表舞台に姿を現した形となる。 即位するとまず、母・甄姫を文昭皇后とし、皇后の位を追贈し、名誉の回復に努めた。 さらに無駄な戦はせず、荒廃した魏の領土・国力・兵力・兵糧などを回復させた。 まずは弱りきった自国・足元・基盤の立て直しを図る。 その為、明帝の最初の頃は、魏からの侵略はほとんどない。 つまり、若き皇帝の魏と蜀は、まだ即位したばかりで他国へ侵攻する余裕はなかった。
その事に伴い、司馬懿はしばらくの間、洛陽に留まることになった。 新しい若き皇帝の即位で多忙を極める中、おいそれと漢中へ戻ることができなくなったのだ。 その為、司馬懿はまだ、あの男に会うことができなかった。
西暦226年・8月 (建興4年)
蜀・成都。 蜀漢二世皇帝・劉禅の時代。 蜀の重臣・陳祗の元にあの黄皓がやって来た。 陳祗の屋敷に黄皓が来ていて、面会できるよう取り次ぐ。 なんと黄皓が遂に成都まで来ていた。
「ご主人様、黄皓という者が訪ねて参りました。」
「何っ、黄皓がっ!?」
「いかがいたしましょうか?」
「よし、こちらへ通せ」
「はい、判りました。」
「……」
(遂に来たか―――黄皓よ)
使用人が一度退室して、次に使用人が黄皓を連れてやって来た。
(ほーーう、この者が黄皓か―――)
「黄皓にございます」
「私が陳祗と申す。」
「……」
あの黄皓が無言で会釈する。
「それで……蜀に来た理由をお聞きしたい。」
「是非、仕官したく参上しました。」
「……蜀にか……?」
「はっ」
「何故、魏や呉ではなく、蜀に来た? 蜀は他の二国に比べて小国だぞ?」
「はっ、蜀の皇帝・劉禅陛下は大変聡明で気品溢れるお方と存じております。 ならば是非、蜀こそが天下統一を果たすべきと考え、こうして仕官したく参りました。」
「曹叡よりも我が陛下の方が聡明と申すか?」
「はっ、勿論にございます。」
(―――あの劉禅が聡明……ねぇ―――)
「それで……仕官したく来たというが、そなたは何が得意だ?」
「文官の業務や兵法に通ずるものがあります。」
「ほーーう、ならば軍師でもできると申すか?」
「いえ、そのような重要な役職などではなく、できることならば宦官にでも?」
(―――何っ、宦官……だと……??)
「―――そうか、そういうことならば、明日にでも陛下に謁見されるがいい。 明日もう一度、ワシの所に来なさい。」
「―――本当ですか!?」
「ああ、陛下に謁見できるよう手配いたそう。」
「ありがとうございます。 では明日、改めて参上したいと思います。」
「明日、また来なさい。」
「はい」
あの黄皓が陳祗に一礼して、退室した。ちなみにこの後、黄皓が一体何処へ向かって行ったのか? それは誰にも解らない。 陳祗が黄皓の後ろ姿を見ながら、どこか不審感があり、すぐ行動に移す。
「すぐに孔明様と董允様に連絡してくれ。」
「はっ、判りました。」
「……」
そのまま使用人も退室した。 その後、陳祗は陛下の謁見を調整しながら、一方では諸葛亮や董允や楊儀などと連絡を取り合っていて、あの黄皓対策を検討している。 勿論、その事に黄皓はまだ気づいていない。
翌日、再び陳祗の屋敷に来た。
「再び参上しました。」
「はい、ご主人様がお待ちです。」
すぐ使用人が案内する。
「来たか黄皓よ。 陛下より謁見の許可が出ました。 私についてきなさい。」
「はっ、判りました。」
今度はすぐ陳祗の元へ通され、陳祗と共に成都の宮殿へと向かって行った。 許可されて宮殿に入り、一番奥にある皇帝のいる間・朝廷に通される。 朝廷の奥にある玉座の目の前 (中央) で跪く黄皓。 左右横には、諸葛亮・蔣琬・費禕・董允・楊儀・馬岱・馬謖・鄧芝・姜維たちが並んで立っていて、あの黄皓のことを見ている。 凄い威圧感だ。 非常に異様な光景であり、非常に緊張感があった。 朝廷内は厳粛・静寂になっており、その玉座に劉禅が座る。
「黄皓にございます。」
あの黄皓が跪きながら、臣下の礼をとった。 仮にも蜀の皇帝である。 当然のことであろう。
「余が劉禅だ」
「はっ」 (?)
「余に仕えたいらしいな」
「はっ、是非、宦官にでも―――」
「宦官はない」
「えっ?」
「この蜀では宦官という官職はないと言ったのだ。」
「……?」
「先君の遺命により、蜀での宦官の制度は廃止している。」
「しかし、それでは陛下の身の回りのお世話は…一体どうしているのですか?」
「その心配はない。 この者たちが余の世話をしてくれている。」
「……?」
劉禅が座る玉座の左右には、曹華や張氏や孫姫たちが並んで立っている。 その彼女たちが蜀の皇帝の世話をしているという。 まだ側室でもない女性が皇帝の世話をしていることになる。 劉禅自身も男の世話にはなりたくないみたいだ。
……何かがズレてる……?
しかし、このズレを生み出した者が劉備だということに、あの黄皓が全く気づいていない。
「それにしても宮刑になってまで宦官になりたいなどという者がまだおったとは―――」
「……」
「そんなになりたければ、魏に行くといい。 魏なれば、まだ宦官の官職があるはずだ。」
「……」
「とにかく先君の遺命であり、余はアソコのない男の世話になどなりたくないわ。」
「……」
(どっ……どういうことだ? この劉禅―――さっきから聞いていると、皇帝なのに…一言も自分のことを「朕」とは言ってないぞ? それに蜀での宦官廃止など聞いたこともないぞ? これは一体何なんだっ!?)
「ふふふ、不思議そうな顔をしておるな?」
「!?」
あの黄皓が劉禅の発言に思わず顔を隠すように下を向いた。 全くの図星である。 それにしてもこの劉禅が、それほどまでに鋭い切れ者だとは思わなかった。 しかも、よほど用心深いようだ。
「そなた、文官の業務と兵法に少しは覚えがあるそうだな?」
「はっ、ある程度は―――」
「そうか、それでは…そなたに宮殿内にある書庫の整理をしてもらおうか?」
「!?」
「それで、そなたの力量を見せてもらおう。」
「はっ、判りました。」
「あとは陳祗に聞くがいい」
「……」
「下がってよい」
「はっ」
再び跪いたまま、臣下の礼をとって立ち上がり、そのまま振り向いて退室した。 若干の不満は残るものの、あの劉禅自身は宦官を嫌っており、これ以上の問答はかえって怪しまれる恐れがある。 ━ "郷に入っては郷に従え" ━ とりあえずは書庫整理で様子を見る。 まだ諸葛亮や董允や楊儀などが健在ならば、無理はできない。 今はこのまま退いておこう。 きっとまだ、その時期ではないはずだ。
一方の劉禅も、あの黄皓を見るなり、とても不審感になり、どうやらあまり信用してないようだ。
〇蜀の使用人
*黄皓→書庫整理係→賄賂X
※なんとか蜀への仕官に成功したものの、まだ雑用であり、身分・官位などもなく、皇帝の使用人にすらなれていない。 このままでは、まだ蜀を滅亡できない。 ここからなんとしても、のし上がらなければならない。
【注意事項】
※蜀での劉備の遺命により、
一.「朕」の使用禁止。
一.「宦官」制度廃止。
一.政・戦での「占い・神託」類い禁止。
以上、三ヶ条が玄徳の遺言である。