移り変わる:壱
西暦225年・11月 (建興3年)
蜀・成都。 劉備死後、劉禅が蜀漢二世皇帝に即位。 それに伴い、年号も章武→建興に改元。 劉備死後の223年→225年の現在で、建興3年となる。 劉禅が即位すると、他国との侵略戦争を控えて、国土の安定や国力の増強に努めた。 それと孔明の進言により、徴兵を行い、兵力を上げて、調練も行い、兵の量・質ともに上げていく。 別に今すぐ何処かへ攻めるつもりはないが、将来的な防衛の為に、軍備・軍勢を拡大させ、要所・要害を堅固にさせて、敵からの侵攻に備える。 また水路・田畑の整備・管理なども行い、水田を農民に提供する。 さらに新米を兵糧にしておいて、古米を安く民に分け与える。 これら全てが孔明の政策によるものだ。
本来ならば、この時期に行っていた南中征伐も、もう既に孟獲が劉備に服しており、また反乱者も既に討伐されている為、南征する必要がない。 その後もしばらくは南方で反乱は起きていない。 それと魏からの侵攻も、このところ見られないようだ。
またこの時期になると、まず225年1月には黄忠が、225年3月には関羽が、225年5月には張飛が、相次いで病没している。 それに伴い、黄忠には剛侯を、関羽には壮穆侯を、張飛には桓侯を、それぞれ諡号が送られた。 それから厳顔・糜芳・糜竺・馬良・周倉なども同時期に相次いで病没している。 本来ならば、ほとんどの者が殺害されているけど、歴史が変革された為、病没という形となった。 別に劉備の後を追った訳ではない。
現在の主要人物の地位・階級。
01.皇帝 →劉禅
02.丞相 →諸葛亮
03.尚書令→蔣琬・費禕・董允
04.大将軍 (一品) →趙雲・魏延
05.驃騎将軍 (二品) →楊儀
06.衛将軍 (二品) →関平・劉封
07.車騎将軍 (二品) →孟達
08.前将軍 (三品) →関興
09.後将軍 (三品) →張苞
10.左将軍 (三品) →馬岱
11.右将軍 (三品) →馬謖
12.征虜将軍 (三品) →王平・呉懿
13.驍騎将軍 (四品) →馬忠
14.奮威将軍 (四品) →張翼
15.奮武将軍 (四品) →李厳・呂凱
16.振威将軍 (四品) →鄧芝
17.振武将軍 (四品) →李恢・王抗
18.積射将軍 (五品) →姜維
本来、蜀を裏切った劉封・孟達らも特に裏切る要素がない為、蜀に留まっている。
以上、これはあくまで物語の性質上の地位・階級である。
元・魏の将だった姜維は、暗愚な曹丕を見限って、蜀の軍門に下っていた。 彼には、ある目的があって、わざわざ蜀まで来ており、その目的を果たすまでは、故郷の地に戻ることが許されない。
姜維。 字は伯約。 天水郡冀の出身で、白銀の髪の男だ。 元は魏の武将であり、曹叡の代で孔明の策にかかり、降伏したことで蜀の武将となった。 しかし、この時代の曹丕は史実よりも暗愚で身勝手な皇帝であり、司馬懿同様に早くから曹魏に対する忠誠心はなかった。 そのため、聡明で知慮深い蜀の丞相・孔明の軍門に下った訳だ。 また、それとは別に、とある人物を捜す目的で蜀へ来ていた。
曹華。 曹操の娘で、三姉妹の末っ子。 兄に曹丕がいる。 長女・曹憲、次女・曹節は魏に残っているが、曹華のみが蜀へ来ていて、劉禅の側使いの侍女・女中となっていた。 彼女にも、とある目的があって、わざわざ蜀まで来ていた。 それは人捜しである。
主要人物が現在いる場所。
01.成都 →劉禅・諸葛亮・蔣琬・費禕・董允・馬謖・曹華・姜維
02.漢中 →魏延・王平・馬岱
03.白帝城→関平・劉封・孟達
04.剣閣 →趙雲・関興・張苞
05.綿竹 →楊儀・呉懿・鄧芝
06.建寧郡→楊鋒
07.牂牁郡→李恢
08.越嶲郡→李厳
09.永昌郡→張翼
10.雲南郡→呂凱・王抗
以上、これはあくまで物語の性質上の配置・持ち場である。
ちなみに司馬懿・司馬師・司馬昭の三人は漢中の別宅にいる。 当分の間、魏に戻るつもりはないらしい。 ここで魏の複雑な状況を観察・注視して見極めるつもりらしい。 この頃になると、司馬懿も蜀に現れるとされる、ある人物を捜していた。
もしかしたら、姜維・曹華・司馬懿の三名が捜している人物が同一人物なのかもしれない。 何故なら、この三名はほぼ同時期に人捜しをしていたからだ。
そんなある日のこと。
雲南郡の町を人々が行き交い賑わっている。 そんな中で金髪長髪の男が歩いていた。 男のクセに金色の長髪なので、結構目立っていた。
ざわざわ、ざわざわ
「……」
中には二度見したり、流し目で見たり、その男を見ながら歩いたりしてる者もいた。 この男は一体誰なのか?
「!!」
ある用事で町を歩く王抗が、あの男を見て驚く。
「あの男は………黄皓か……?」
王抗が金髪長髪の男を黄皓と言った。 そうか、遂に黄皓がこの蜀にやって来たか。 王抗が慌てて来た道を早歩きで戻っていった。 それにしても王抗にまで黄皓のことを知っていたとは、あの劉備の徹底ぶりには感心するばかりだ。
この後で王抗が呂凱に報告して、呂凱が成都に報告したり、近隣の郡に報告したりしていた。 あっという間に蜀の主要人物に黄皓のことが知れ渡る。 ちなみに一般市民には、まだ黄皓のことをあまりよく知られていない。
「……」
ざわざわ、ざわざわ
勿論、黄皓は王抗のことなど気づかずに、そのまま立ち去って人混みの中に消えた。 だがしかし、ただでさえ…彼は目立つので、一般市民の彼に対する小声が聞こえており、彼の存在だけは、よくわかるのだ。
西暦226年・3月 (黄初6年)
魏・洛陽。 某宮殿で魏の皇帝・文帝曹丕が病に倒れ容体が悪化して寝込んでいる。 見舞いに来ていた郭皇后や曹真・曹爽らが曹丕の様子を見ていた。 一族の者はほとんどいない。 甄姫 (文昭皇后)や曹彰や曹仁などは既に死んでおり、曹植や曹叡や曹洪も僻地に左遷させられている。 また司馬懿や諸葛誕や鄧艾なども職を解かれており、洛陽にはいなかった。 他にも張郃や徐晃や徐庶なども故意に任地から動かない者もいた。 よほど人望がないのか?
「……」
「……」
「……」
曹丕はもう立ち上がるのも難しいほどに危篤状態である。 かなり衰弱しているようだ。 寝たままの状態で―――
「……曹真よ……」
「……はっ……」
「……曹叡と陳羣と司馬懿を……ここに連れてきてくれ……」
「はっ、かしこまりました」
「……」
そう言って曹真が後ろを振り向き、歩いて曹丕の寝所を出ていった。
「……」
「……」
「……」
あとはまた無言が続く。 ―――というよりも、曹丕にはもう無駄な体力を消費する余力すらない。 あの222年の悪夢のような大惨敗以降の224年・225年にも単発・散発的に、魏が呉と蜀に戦を仕掛けていた。 しかし、結果は敗北・撤退しており、軍事面でいい結果を出せていない。 その都度、劉曄・陳羣・賈詡らの諫言も聞かずに、戦を仕掛けて負けてる。 兵力・国力共に衰退していき、遂には皇帝の寿命さえも減少させた。 最も曹丕に反省の色などない。
しばらくして、曹真が曹叡・陳羣・司馬懿を連れて戻ってきた。 冀州から曹叡を、許昌から陳羣を、漢中から司馬懿を、それぞれ使者を送り、なんとか呼び戻したようだ。 曹真と曹叡と陳羣と司馬懿と曹休の五人が、洛陽の某宮殿の中にある曹丕がいる寝所に入ってきた。
「……」
「……」
「……」
「!」
(……この分だと、あまり長くないな……)
司馬懿が曹丕の顔色を見て、密かに確信していた。
曹叡が曹丕を前にしても、挨拶もお見舞いの言葉もなく、ただ無言のままである。
「……怒っておるのか……」
「いいえ、そのようなことはありません」
「……判っておる……。
この私が……お前の母親を殺しているからな……」
「……」
「……お前は私のことを恨んでいる。
……当然のことだ……。
……私も後悔している……。 この病も……きっと…お前の母親の仕業に違いないな……」
「……」
「だが……もう遅い……朕も冥土へ旅立つ時が来たか……」
「……それは母が陛下を祟っている……ということですか……?」
「……違うか……?」
「違います。
母のせいでは、ありません。 陛下の今までの言動に問題があると思います。 部下に無理難題な命令を下し、忠臣の諫言も聞かずに、その忠臣も誅殺しています。 きっと天罰が下ったのでしょう。」
「「「ッ!!?」」」
「そっ……曹叡殿……ッ!?」
「……よい……そうか……これで合点がいったな……。
私の日頃の行いのせいか……」
「……」
「……」
「……」
「私の何が間違いだった……?」
「陛下が即位したばかりで、国内の不安定な状況に、他国に攻めるのは得策ではありません。 まずは国内の安定、国力の強化、兵力の増強、兵糧の備蓄などをしなければなりません。 国内の求心や信頼を求めすぎて、多くの貴重な人材を失っております。 ここはグッと堪えて、まずは国内の問題に取り組むべきでした。」
「「「……」」」
「そうか、お前ならできるのか?」
「はい、できます」
「そうか、それならお前に任せよう。 好きなようにせよ」
「……」
「「「ッ!!?」」」
「そっ………それは……ッ!?」
「……ということは、次の皇帝には曹叡殿を……?」
「ああ、そうだ」
「……」
「……」
「……」
「曹真・曹爽・司馬懿・陳羣よ。
これからも曹叡を支えてやってくれ」
「「「「はっ!」」」」
曹真・曹爽たちが曹丕に対して臣下の礼をとった。
「曹叡よ、あとは任せたぞ」
「はっ!」
曹叡もまた曹丕に対して臣下の礼をとった。
「話は終わりだ。
朕は疲れた……皆の者、下がってくれ」
「「「「はっ!」」」」
曹叡をはじめ、曹真・司馬懿・陳羣たちが曹丕に対して臣下の礼をとって、後ろを振り向いて曹丕の寝所を出ていった。 曹丕もまた話しすぎたのか、疲れて静かに眠りについた。 これが曹丕の最期の会話・遺言となる。 その後、さらに病状は悪化した。
西暦226年・5月 (黄初6年)
魏・洛陽。 某宮殿の曹丕の寝所にて、魏の文帝曹丕、崩御。 多くの家臣や家族に見守られながら静かに永眠する。 魏国の皇帝、文帝・曹丕子桓 (187~226) 享年40歳。 在位約5年半 (221~226) [黄初1年~黄初6年] その短い人生を閉じた。 その大半は戦での敗北の日々だった。 結果、痛み分けを挟んでも一度も勝てなかった。 また献帝の早世を受け、漢の皇帝の禅譲を受けられなかった為、正式な皇帝ではなく、独断専行な皇帝とも言える。 そして遺言通り、正式に曹丕の後を曹叡が継ぐことになった。 いずれにしても、歪な皇帝だった。
ここにまた、ひとつの時代が終わり、新しい時代が生まれる。
【注意事項】
※一応、曹丕は史実通りに、226年で病死する。
※甄姫も死んだ時期がズレている。
※あとは、ほとんどオリジナルストーリーである。