劉備の最期:陸
西暦223年・1月 (黄初3年)
魏の許昌。 去年の『漢中』・『樊城』・『濡須』の三ヶ所同時攻撃の失敗。 侵攻する三ヶ所の内、一ヶ所も落とすことができず、魏軍本陣の三ヶ所の兵糧貯蔵庫を同時に焼かれてしまい、魏軍総勢30万の軍勢も約20万の兵を失い、オマケに張遼も死亡してしまった。 これだけの被害を出しながら、誰も罪に問わない訳にはいかない。 曹丕は張郃・鄧艾・曹仁・曹洪・徐晃の五人を偏将軍→兵馬の権剥奪・千金の減給・亭候に格下げ、 諸葛誕・司馬懿・徐庶の三人を官職爵位の剥奪・謹慎に処した。 なお張遼は死亡したため罪には問わないが、恩賞もない。 さすがの曹丕もこんな時期に全員を斬首する訳にもいかず、この様な処分となった。
曹丕自身もこの裁定に納得している訳ではないが、なんとか妥協した形だ。 また今回の敗戦で責任を感じる者もいれば、処分に納得していない者もいて、全く気にしてない者もいる。
それぞれの者が、今回の処分について感想を述べてる。
「……」
「今回の処分に納得してるんですか?」
「仕方あるまい。 我々は大失態をしたのだ。 むしろ処刑されなかっただけ、ありがたいと思わないと…」
「しかし、勝敗は兵家の常。 それなのに…この処分はあまりに…酷い…」
「…不満なのか…?」
「はい、張郃殿は納得しているようですが、私にはとても…」
「……」
「せっかく…ここまで築き上げてきたモノが…」
「……」
「張郃殿、私はしばらく西涼へ退避させていただきます。」
「…そうか…」
「それでは失礼します。」
鄧艾が張郃に一礼すると、許昌の執務室から退室し、そのまま西涼へ向かっていった。
「……」
「曹仁よ。 そなたは今回の処分を納得しているのか?」
「ワシはここ最近は敗戦続きだからな。 それで…この程度の処分で済んだことは、ワシにとっては大助かりじゃ。」
「…この程度の処分か…」
「そなたは納得してないのか? 曹洪よ」
「ああ…悪いけど、ワシはまだ納得しておらん。 曹丕の若僧ごときが…無茶な命令しおって…」
「…曹洪…」
「曹仁よ。 ワシは一旦冀州へ退避する。 そなたはどうする?」
「ワシは許昌に残る」
「…そうか…では失礼する…」
「……」
曹洪が曹仁に一礼すると、このまま許昌の執務室を退室して、大急ぎ冀州へ向かった。
「張遼殿、なんとか生き延びたよ」
徐晃は張遼の墓前にいた。
「しかし、次の機会があれば、是非張遼殿の仇を討ちたい。 それまではどんなに地べたを這いずろうとも構わない。 必ず呉に思い知らせてやる。 それまで待っていてくれ」
徐晃が張遼の墓前で一礼して、そのまま馬に乗って合肥へ向かって走る。
「…………」
今回の敗戦と処分を受けて、諸葛誕は呆然自失のまま、一人ふらりと荊州方面へと向かっていったという。
「ようやく…あの無茶な命令も終わった。 全くあの男の思いつきで無駄な被害や損害を出してしまった。」
「それにしても、あの曹丕も相当焦っているようですな?」
「ええ、漢中や荊州を盗られた上に、先代の曹操も亡くなってしまい、同時に献帝も亡くなったため、漢からの禅譲も受けられず、オマケに蜀でも皇帝が出現したことで、曹丕も内心動揺・困惑しているようです。」
「だからといって、あの三ヶ所同時攻撃はないでしょう?」
「まさにその通りです。 今は侵攻よりも国内強化です。 足場から固めていかないといけませんね?」
「左様、あの男が皇帝となって、まだ間もないですからね?」
「それで司馬懿殿は、この後…どうされます?」
「私はこの後…師や昭を引き連れて、漢中へ赴くつもりです。」
「……漢中…ですか……」
「徐庶殿はどうされます?」
「私は母の墓参りに行く予定です」
「そうですか、ではしばしのお別れですね」
「はい、また会いましょう」
某所で密会していた司馬懿と徐庶が、その場から離れて、司馬懿は息子の司馬師・司馬昭を引き連れ、漢中へ向かう。 徐庶は洛陽にある母の墓場へ墓参りに向かった。
今回の敗戦で魏の武将・軍師たちが、またしても意志疎通ができずにバラバラになる。 やっぱり曹丕では魏の皇帝は荷が重いか? ここで先代曹操の偉大さがよくわかる。 まだ皇帝になるには…早かったようだな…曹丕よ。
西暦223年・3月 (章武3年)
蜀の成都。 劉備が体調不良で倒れてしまい、今は寝所で休んでいる。 彼もまた、史実通りにこの時期になって、体調不良で寝込んでしまう。 ただ…ひとつだけ違うところは、前年に "夷陵の戦い" をしたかどうかであろう。 ただ…前年には "呉蜀三ヶ所同時攻撃" を魏が仕掛けてきたので、222年に何かしらの戦闘をしたことには、かわりない。 でも…この戦闘は呉蜀が魏に勝利したので、今回の劉備の体調不良の原因とは、あまり関係ないかもしれない。 つまり、この劉備の223年の病没は必然なのかもしれない。
思ったよりも深刻で病状が良くない劉備。 この劉備の状態に蔣琬・費禕・諸葛亮・関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬良・馬謖・馬岱・劉禅なども寝所に集まってきた。 さすがの劉備も病状悪化に顔色が優れない。 そこに心配になって来た訳だ。
「…………」
「兄者」
「兄上」
「おお、関羽に張飛か……」
「大丈夫か? 兄者…」
「ああ、なんとか……」
「あまり優れないようだな…兄上」
「ふむ、そうだな。 ワシもそろそろ曹操や献帝の後を追うようだ…」
「「………」」
「だが…関羽に張飛よ…ワシの後を追うなよ…お前たちには、まだまだ蜀のために働いてもらわないと困るからな…」
「判っている兄者…ワシらで禅様をもり立てるからよ…」
「ふむ、ワシも兄上のために残りの人生を禅様に捧げるつもりじゃ…」
「ふむ、済まない。 孔明・蔣琬・費禕も劉禅のことを頼むぞ…」
「はい、おまかせください」
「「はい、必ずご期待に応えます」」
「劉禅よ。 お前では、まだ心許ないが我が蜀を頼むぞ…」
「はい、判りました父上」
「よいか、孔明や関羽たちの言うことをよく聞くのだぞ…」
「はい、判りました父上」
「それとこれだけは言っておく。 あの黄皓という金髪の男には…気をつけろ!」
「……黄皓……ですか……?」
「そうだ。 その男は必ず蜀を滅ぼす。 絶対に仕官させるな! 殺すか追い払え!」
「……は……はい、判りました……」
「関羽や孔明たちも黄皓には気をつけろ! いいな!」
「「ああ、わかった」」
「「「はい、判りました」」」
「馬謖に馬岱よ。 そなたらがあの黄皓を監視せよ。 あやつはワシが死ぬと、必ず現れるはずだ…。 あやつに変な事をさせるな!」
「はっ、全てお言葉通りに致します。」
「はっ、必ずや!」
「ふふふ、ワシにも色んな事があったな。 戦いの連続だった…」
「兄上」
「兄者」
「父上」
「「「殿」」」
「……スゲエ……」
「…少し休ませてくれ…」
「「ああ、わかった」」
「「「はい、判りました」」」
話疲れたのか、劉備は目を閉じて、ゆっくり眠りにつく。 それを見た蔣琬・費禕・諸葛亮・関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬良・馬謖・馬岱・劉禅たちも寝所を出ていく。 それにしても何故、劉備はまだ蜀にはいないはずの黄皓のことを知っていたのか? あれほど劉備が黄皓のことを強く言っていたので、みんなの心にも残ってた。 まさかこの劉備玄徳には、先読みの能力があるのか? その後で、さらに容体が悪化し、意識不明の危篤となる。
もう間もなくして、劉備はこの世を去った。 最期に死の前日まで諸葛亮・関羽・馬岱・劉禅たちの主だった者たちに個別で遺言を与えていた。 その内容は様々であり、それをしかと胸に刻み、それぞれが劉備の死を重く受け止めた。 時は西暦223年・4月 (章武3年) であった。 ここにまた巨星墜つ。 劉備玄徳→左将軍・予州牧→徐州牧→荊州牧→益州牧→蜀漢皇帝 (昭烈帝) →病死・享年62歳であった。 結局、劉備は最期まで自分のことを「朕」とは言わなかった。
ここにまた一人の英雄『希代の大徳』が志半ばでこの世を去った。
西暦223年・7月 (章武3年)
蜀・成都。 ここで劉備の葬儀が執り行われてた。 喪主は諸葛亮。 新しく皇帝に即位したばかりの劉禅では、まだ荷が重いため、もっとも信頼している蜀の丞相・孔明に任せている。 葬儀は盛大かつ豪華に執り行われており、参列者は関羽・張飛たち身内は勿論の事、国内外からも来ている。 諸葛亮は敵国でもある魏や同盟国である呉も招待していた。
呉からの参列者として、代表に諸葛瑾と諸葛恪が来ていた。 喪主が孔明ならば兄弟である諸葛瑾と、その息子の諸葛恪が妥当であろうという孫権の計らいである。 また魏からの参列者として、代表に司馬懿・司馬師・司馬昭の三人が来ていた。 こちらは前回の敗戦の責で罷免・謹慎の身であり、丁度漢中に身を寄せていた。 これらの者の案内人を喪主である諸葛亮が直々に受け持つ。
「お久しぶりです兄さん」
「ああ、亮か。 久しぶりだな」
「それと恪も大きくなったな」
「はい、お陰さまで…」
「兄さんもお変わりないようで良かったです。 孫権殿に宜しくお伝えください」
「ああ、わかった」
「司馬懿殿もお久しぶりです」
「孔明殿もお久しぶり」
「今は漢中に?」
「ああ、許昌にいると身の危険を感じるのでな」
「そうでしたか。 前回の敗戦で?」
「ああ、家臣は止めたのだが、あの男……皇帝となって、早く実績・成果が欲しかったのだろう? しかも、その敗戦の責を部下に押し付けおった。」
「色々と大変ですな」
「ふん、上の連中は大変だろうけど、私のような身分の低い者にはたいしたことはない。 しかも、あの男……やったこともない軍師をいきなり押し付けおって…」
「「「「……」」」」
「……スゲエ……」
諸葛瑾たちと司馬懿たちが諸葛亮の案内で劉備の葬儀に参列する。 しかし、司馬懿の曹丕に対する愚痴が止まらず、諸葛亮は相づちのみで対応し、諸葛瑾や司馬師たちは無言で聞いていた。 余程溜まったモノがあったのだろう。 この場を借りて、存分に吐き出して発散する。 自分の愚痴を聞いてもらえるのが、家族・親友以外では他国・敵国の者たちだけとは、なんとも皮肉な話である。
この後も劉備の葬儀が盛大に執り行われ続けていた。
西暦223年・10月 (黄初3年)
交趾南部の某所にて、謎の漆黒の人影たちが集まっていた。
「劉備は死んだ。 これで心置きなく蜀に行ける。」
「何っ、もう行くのか? 蜀には、まだ諸葛亮や関羽たちがいるのに…?」
「だが…行かずばなるまい。 この黄皓が蜀を滅ぼすために…な」
「ふっ……早計だな……」
「……ふん!」
遂に謎の黒い人影の一人が姿を現す。 その姿を現した金髪長髪の男・黄皓がようやく蜀へ赴く。 だが…この時、黄皓は…まだ知らなかった。 劉備がもう既に、黄皓のことを知っていて、みんなにも黄皓のことを知らせていたことを―――
【[劉備→蜀の者たちに黄皓を超危険人物だと周知徹底させる]】
【注意事項】
※この物語は劉備に始まり、劉備で終わる。
※劉備は一度荊州南部を統一しているから荊州牧になった。
※その後で、孫権に荊州南部を譲渡しているので、今度は孫権が荊州牧となる。
※金髪長髪の男・黄皓は自分のことを劉備が知ってたなど、本当に知らなかった。
※なんと劉備には…未来を予測できたのか…?
●さらばだ劉備。 また会おう!