曹丕の不満:壱
また少しだけ再開します。
西暦222年・3月 (黄武1年)
呉の首都・建業。 江東一帯・揚州・広州・荊州を支配した呉の領土。 赤壁の戦いで、魏から領土と身分を守り抜き、その後も荊州を手中にして、呉の領土と地位を磐石とした。 そして呉の君主・孫権は遂に呉王の位についた。 蜀の皇帝・劉備は孫権の呉王即位を認めている。 一方で魏の皇帝・曹丕は孫権の呉王も劉備の蜀の皇帝も認めていない。 勿論、曹丕自身も献帝からの禅譲も受けられず、勝手に皇帝即位した身なので、他人の事をとやかく言う資格はない。 曹丕は身勝手で自己中心的な男なので、何の根拠もない自分だけが皇帝になれる資格があると思っている。 しかし、それを蜀の劉備や呉の孫権が黙っていないはず。 だから劉備は皇帝になった。 そして孫権もまた―――
孫権の執務室にて、重臣たちと今後の相談をする。 だが…その前に―――
「呉王即位おめでとうございます!」
「「「「おめでとうございます!」」」」
張昭の孫権呉王即位を祝うお祝いの言葉から始まる。
「ふむ、ありがとう」
「これで、この呉も王国として栄えるでしょう。」
「しかし、我が呉だけ王国のままでよいのでしょうか? 魏も蜀も帝国となりました。 ですが…呉はまだ王国のままです」
「……」
「そもそも同じ時代・同じ大陸に皇帝が二人もいることの方がおかしいのです。」
「なるほど…」
「確かに…」
「それもそうだが…」
「そこで大王様も呉の皇帝になっていただく必要があります。」
「……」
「…皇帝に…?」
「はい、既に蜀の劉備殿から了承を得ております。 大王様が帝位についても、なんら問題はありませぬ。」
「しかし、それでは魏の曹丕が黙っていないのでは…?」
「そうです。 そもそも呉も皇帝を名乗れば、魏は必ず呉にも侵攻して来ます。 蜀はそれをも見計らって、魏の注意を呉に逸らす意味とも考えられます。」
「魏と呉は荊州の一件で、かなり険悪な関係になりましたからな。 荊州奪還に執念も燃やして攻めてくるでしょう。」
「思えば、これも蜀の計略の一環だったのでしょうな。 さすがは劉備・孔明といったところですか。」
「……」
「しかし、大王様はもう既に魏に断りもせず勝手に呉王に即位されました。 どちらにしても魏に狙われるでしょう。 蜀との連携は必要です。」
「その通りです。 勝手に魏の皇帝を名乗っている曹丕に、なんでこちらが報告する義務があります? そもそも曹丕に皇帝の資格はありませぬ。 劉備殿からの了承を得れば、それで十分です」
「「「……」」」
「ふむ、そうだな」
この後も呉王と重臣たちが、様々な議論を重ねる中で、そんな孫権がいよいよ重要な決断をする。 今回ようやく王位に即位されたばかりなのに、ここに来て…すぐ帝位に即位するなど、まずあり得ないこと。 とはいえ、劉備も漢中王を得ずにすぐ皇帝になった。 また曹丕も亡き父の後継者となり、魏王になった後ですぐに皇帝になった。 なので王位の後すぐに帝位になることはできなくもない。
(余が帝位か……。 悪くはない。 魏も蜀も帝位についた。 ここで呉も帝位についても問題なかろう。 しかし、何かが引っ掛かる。 この違和感は一体何なのか……? この余が呉の皇帝……か?)
今後も議論・検討していくつもりだ。
西暦222年3月→呉の孫権仲謀(40)→呉王即位。 年号は「黄武」。 それぞれ漢の「建安」・蜀の「章武」・魏の「黄初」から、年号を独立。 呉独自の年号を立てる。 呉では「黄武1年」となる。 ちなみに孫権の呉王即位は蜀の劉備の賛同を得ている。 そして対等な呉蜀同盟も成立している。
西暦222年・7月 (黄初2年)
魏の許昌。 朝廷にて、主要武将を集めた曹丕。 勝手に皇帝を名乗った劉備と勝手に王を名乗った孫権に制裁を加えるため、軍議を開く。 その曹丕の召集に、司馬懿・司馬昭・司馬師・賈詡・劉曄・徐庶・曹仁・曹洪・曹真・徐晃・許褚・張遼・張郃・鄧艾・諸葛誕らが応じ集結する。 曹丕に仕える臣下は曹操の代より年々減っている。 その多くが戦死・病死・亡命などがある。 また曹丕はあまり新しい人材を採用していないため、先代からの忠臣ばかりが残った形だ。 それでもまだまだ人材は豊富である。
まず曹丕から口を開く。
「劉備が皇帝を名乗り、孫権が王位についた!」
「「「「……」」」」
「帝位は魏だけのモノ! 王位は魏だけのモノ! 許さん! 劉備、孫権!」
「「「「……」」」」
「この上は、この朕自らが指揮し、呉蜀滅するモノなり!」
「「「「……」」」」
「そなたら、何か意見はないのか!」
「「「「……」」」」
「恐れながら申します。 大義名分は如何様に?」
「大義名分だとっ!?」
「はっ、軍を動かすにしても大義名分が必要にございます。 大義名分なくば臣民からは支持を得ず従いませぬ。」
「何ッ!?」
憤怒の曹丕に冷静な司馬懿が対応。 その他の者は曹丕の激怒にタジタジの押され気味で後手後手に回る。
「さっきも言ったであろう! 蜀と呉がそれぞれ勝手に帝位と王位についた…と! これは魏王朝に対する挑戦ぞ!」
「恐れながら申します。 呉も蜀も魏の臣にございませぬ。 漢の臣にございます。 その漢が滅亡し、それぞれ勝手に即位しても、誰も文句は言えませぬ。 たとえ魏であっても……」
「何ッ!?」
「「「「……」」」」
またしても憤怒の曹丕に冷静な司馬懿が対応。 その司馬懿の発言に曹丕以外の者が無言で頷く。
「ではそなたらは、朕の考えが間違っていると言うのかっ!?」
「恐れながら申します。 陛下は間違っておりませぬ。 しかしながら、今出陣されますと、体制を整えてる呉蜀に返り討ちになりましょう。 もう少し慎重に物事を進められてはいかがでしょうか?」
「何っ、そなたら、朕に指図するつもりかっ!?」
「恐れながら申します。 司馬懿殿の意見、まことに的を得ております。 今一度、再考お願いします。」
「何っ、劉曄もか!?」
「某も同様にございます」
「むっ、張遼もか!?」
「私も司馬懿殿、劉曄殿に賛同致します。 陛下は少し怒り心頭にございます。 あのような輩は放置して、今は魏の国力・国土の安定が先にございましょう。」
「いかにも、足元を固めておかないと、いざ侵攻する時、背後から討たれる心配がございます。」
「ぐぬぬぬ……」
司馬懿・劉曄をはじめ、張遼・曹仁らも堰を切ったように、次々と曹丕に諫言・進言する。 なんとか怒りに任せた進軍だけは阻止しようとする。
「恐れながら申します。 怒りに任せた進軍は必ず失敗致します。 ここは怒りを収め、今一度再考し、準備を整え、大義名分をしっかりと持って、進軍するなら、臣民皆、納得致しましょう。」
「……」
とどめを刺したのが…あの徐庶。 これで曹丕の怒りも幾分か収まった。 少し激怒と興奮も落ち着く。 しかし、それで納得する曹丕ではない。
「ではどうすればよい? このまま捨て置けというのか?」
「もし今…兵を向けると言うなら、まず『漢中』・『樊城』・『濡須』の三ヶ所から兵を送られたらいかがでございましょう?」
「何っ、『漢中』・『樊城』・『濡須』から兵を?」
「はい、その三ヶ所を取ってしまえば、大義名分も立ちましょう。」
「ほーう、確かに『漢中』も『樊城』も元は魏の領土。 それに加えて『濡須』も取ってしまえば、呉蜀を討つ足場と口実が出来ますな?」
「はい、その通りにございます。」
「ふむ、なるほど、わかった」
ここでようやく曹丕も頷きながら納得する。 そしてようやく興奮状態から落ち着きを取り戻した。
「ならば『漢中』は張郃・鄧艾・諸葛誕に任せる。 そなたらは10万の兵を引き連れ、『漢中』を攻めよ。」
「「「ははっ!」」」
「それと『樊城』は曹仁・曹洪・司馬懿に任せる。 そなたらも10万の兵を引き連れ、『樊城』を攻めよ。」
「「「ははっ!」」」
「あとは『濡須』を張遼・徐晃・徐庶に任せる。 そなたらも10万の兵を引き連れ、『濡須』を攻めよ。」
「「「ははっ!」」」
「よいか、もし攻め落としたなら、必ず一度朕に報告して指示を仰ぐようにしろ。 独断専行は許さぬ。」
「「「「はっ!」」」」
各将は持ち場に戻って、軍を再編・指揮し、武器・兵糧などを確保して、兵を所定の場所へ進める。 まず『漢中』攻略に張郃を主将にし、鄧艾を副将にし、諸葛誕を軍師にして、10万の兵を『漢中』へ向ける。 次に『樊城』攻略に曹仁を主将にし、曹洪を副将にし、司馬懿を軍師にして、10万の兵を『樊城』へ向ける。 そして『濡須』攻略に張遼を主将にし、徐晃を副将にし、徐庶を軍師にして、10万の兵を『濡須』へ向ける。この人選は全て曹丕の独断。 そして魏による呉蜀への三ヶ所同時攻撃である。 これで三ヶ所同時攻略出来れば良し、出来なくとも呉蜀はそれぞれ兵を向けざるを得なくなり、力による正面衝突を強いられる。 単純な力比べなら、まだ魏は呉蜀よりも強いからだ。
こうして魏による復讐戦が始まる。 盗られた『漢中』と『樊城』の恨み、なかなか『濡須』を攻め落とせない憤り、そして父君・曹操の無念を晴らすために―――
【注意事項】
※ここからは全くのオリジナルです。
※ここで司馬懿も出陣を強いられる。
※本来なら徐庶は、魏では戦場に駆り出されないはずだが、何故か『濡須』攻略に駆り出される。
※それでも劉備と徐庶の正面衝突だけは避けられた。