夷陵の会談:陸
西暦221年・9月 (黄初1年)
呉。 建業の禁中。 ここに孫権をはじめ重臣たちが集まる。 孫権は呉の重臣たちとも相談して、独自に呉王に即位するか検討していた。 魏の曹丕が自ら皇帝を名乗ったため、こちらも呉の王を名乗る資格があるという認識である。 勿論、魏の許可を得るつもりはない。 向こうが勝手に即位したのなら、こちらも勝手に即位するまでだ。 また漢の皇帝の死を聞いて、呉も簡素であるけど、独自に献帝の葬儀を行った。 こちらは蜀よりは盛大・厳粛に行っていないけど、それでも孫権主催で行っており、魏のような一部の親族だけで行った密葬より、随分マシな葬儀であった。
それと孫権は樊城攻略の報告を陸遜が放った間者から聞いていた。
「そうか、樊城を取り戻したか」
「はっ、陸遜大都督の火計により、樊城は全焼・主だった城兵も焼死、あるいは韓当将軍に討たれましてございます。」
「そうか、よくわかった」
「はっ、また今回の主犯である伯酸瑁については依然として、その行方が解っておりませぬ。 引き続き、捜索・警戒を強めたいとのことです。」
「そうか、よくわかった。
では陸遜には引き続き、樊城の復興と襄陽の守備を行うよう伝えて参れ。」
「はっ、判りました。」
間者が立ち上がって、また陸遜の所へ戻った。
重臣たちも間者の報告を聞いて、孫権に話しかける。
「これで樊城の件は片付きましたな。」
「依然として伯酸瑁の存在は不気味ですが、これで一応は落ち着きましたな。」
「ああ、そうだな」
「あとは伯酸瑁の出方次第でしょうな。」
「伯酸瑁については、こちらからも調べてみよう。 問題は魏だ。 曹丕が勝手に皇帝を名乗ったらしい。 しかも、献帝の葬儀も行わず、一方的に魏の文帝に即位したそうだ。」
「何っ!?」
「なんと!?」
「そんな!?」
ざわざわ、ざわざわ
この孫権の報告に重臣たちもざわつく。
遂に曹丕が皇帝を名乗った。
魏は以前から帝位が欲しかった。 あの曹操でさえ、あと一歩の所で帝位につけなかった。 それが今、息子の曹丕がムリヤリ帝位についた。 これに納得する者は、おそらく魏しかいないだろう。 呉も蜀も賛同していない。 勿論、呉からも反発が出ている。 そこでまず孫権は呉王に即位するつもりなのだ。
「殿、もはや一刻の猶予もありませぬ!
ここは速やかに呉王に即位して、呉は魏の属国でないことを示すべきです!」
「左様、赤壁の大戦の礼もございますれば、呉の地に王国を建国し、速やかに殿は王位に即位するべきです。」
「我ら呉の一国の主で終わるには、あまりにも虚しいと思います。 ここは速やかにご決断を! 殿!」
「皆の意見はよくわかった。
しかし、物事には順序というものがある。
ここは同盟国の蜀とも話し合いの場を設けたい。 そこで諸葛瑾よ」
「はっ!」
「そなたの弟たちが蜀にいるのは知っているな?」
「勿論でございます。」
「そこで諸葛瑾。 そなたに呉の使者として、蜀へ向かってもらいたい。 劉備殿と話し合いの場を設ける機会を聞いてみよ」
「判りました。 それではただちに」
「ふむ、頼むぞ」
孫権は一度、劉備と話し合い場を設けて、今後の事について話したいと思っていた。 呉一国だけでは、あの巨大な魏に対抗できない。 やっぱり蜀の力も必要だ。 両国で、あの魏と対抗したい。 それが孫権の本音である。
諸葛瑾は呉の使者として、弟・諸葛亮と諸葛均のいる蜀へ向かった。
西暦221年・10月 (章武1年)
蜀。 成都の禁中。 劉備玄徳が皇帝に即位。 蜀漢を建国。
劉備が昭烈帝となった。 蜀の戴冠の儀・即位式は数日間の簡素なものとなっており、重臣となる諸葛亮・蔣琬・費禕・関羽・張飛・趙雲・馬良・馬謖・糜竺・伊籍・楊儀・魏延なども簡易的に参加した。 また国賓として使者として、呉からは諸葛瑾も参加していた。 蜀の地で漢を興し、蜀漢皇帝とも呼ばれた。 先に皇帝となった文帝曹丕に対抗するための処置であるため、魏を滅亡させて、漢を復興できたら返上するつもりでいる。 しかし、自分ももう年であり、どこまでできるか不透明。 また後継者の劉禅も無能で、今後任せていいのか不安。 できることなら諸葛亮に後を継いでほしいと思っている。 年号は「章武」である。 とにかく自分にできることをするだけだ。 劉備玄徳→蜀漢皇帝・昭烈帝即位 (西暦221年=建安26年→章武1年) 、蜀は魏の年号・黄初を使用していないので、建安→章武となる。 また一人称である「朕」は極力使用しないつもりでいる。
戴冠の儀・即位式が終了した後で、今度は別室にて、諸葛瑾・諸葛亮・諸葛均の三兄弟が話し合う。
「まずは劉備殿の皇帝即位、おめでとうございます。 我が君に代わり、お祝い申し上げます。」
「ええ、兄さん。 孫権殿も呉王になられるとか…」
「ああ、そうだな。 我が君も呉王に即位するか検討している最中だ。」
「兄上、孫権殿の呉王即位を早急に行うべきと具申します!」
「ああ、そうだな。 我が君にそう伝えておこう。」
「ええ、そうですな。 それで呉と蜀の会談の方は?」
「ああ、そうだな。 今準備をしている最中でね。
我が君・孫権と劉備殿の対面での会談を予定している。 我が君・孫権も劉備殿の皇帝即位を改めてお祝い申し上げるつもりだ。」
「そうでしたか。 それで日時と場所は?」
「早くて12月頃。 場所は夷陵を予定している。」
「……夷陵ですか?」
「ああ、そうだ。 夷陵だ」
「ええ、判りました。 陛下には、私の方でお伝え致します。」
「ああ、頼むぞ亮。 そこで今後の事について話し合うつもりだ。 献帝の死や曹丕の皇帝即位や呉と蜀の連携・協力など、話し合うことは山積しているぞ。」
「承知しました。 兄さん」
「判りました。 兄上」
「それでだ亮・均。 夷陵会談で話し合う内容についてだが―――」
この後も諸葛三兄弟が西暦221年12月に開催予定の夷陵会談について詳細を話し合う。 これは国同士の首脳会談の前に行う閣僚級会談をこの時代で既に行っていたのだ。 呉からは諸葛瑾が代表として、蜀からは諸葛亮・諸葛均が代表として、夷陵会談に向けて内容の詳細を詰めていく。 それにしても皮肉な話だ。 本来なら劉備の義弟・関羽が麦城で討たれ、劉備が復讐に燃えて攻めた場所が、今度の呉蜀会談の場所に選ばれるとは…。 現在では関羽も健在しており、張飛も無事にいる。 特に呉に対して復讐心もない状態で、劉備と孫権が夷陵で会うなど、まさしく皮肉と言わざるを得ないのだ。 しかし、これもまた運命なのだろう。
西暦221年・12月 (章武1年)
荊州・夷陵。 この荊州は呉と蜀にとって最も因縁のある地。 特に夷陵は尚更の地である。 本来なら西暦219年に業を煮やした呉の孫権が呂蒙・陸遜を使って荊州を攻めさせ、麦城で関羽・関平を捕縛。 当然ながら孫権に仕える気のない関羽・関平は降伏せず、打ち首となる。 それに激怒した劉備が西暦222年に荊州に進攻。 夷陵で呉の陸遜と激突して陸遜の火計にかかり、白帝城へ逃げ帰る。 その翌年・西暦223年に劉備が白帝城で病没した。 しかし、今回は既に荊州が呉の領地となったことで、西暦219年に起こるはずの荊州侵攻も起きず、関羽も関平も張飛も未だに健在。 現在では麦城も夷陵も呉蜀にとっては因縁でも脅威でもない。 その夷陵の地で、呉の孫権と蜀の劉備が会談する。
劉備は孫権と会談するにあたり、服装を皇帝の服装にせず、蜀の牧としての服装で来ている。 また孫権も呉王に即位したばかりで、王としての服装ではなく、あくまでも呉の主君としての服装で来ている。 ここはお互いに配慮しているようだ。 両国は夷陵の某所にて、呉蜀会談を行う。 さらに今回は魏の司馬懿や曹華も特別ゲスドとして参加する。 ここに戦場ではない場所で、諸葛亮・司馬懿・陸遜の三者が集結することになる。
劉備と孫権が対面で話し合う。
劉備・孫権の背後に、それぞれ重臣(文官・武将・軍師など)たちがいて、さらにその背後には、それぞれ精兵20万の軍勢が待機している。 別にここで戦争するつもりはない。 あくまで主君の護衛の為である。
「劉備殿、皇帝即位おめでとうございます。」
「ありがとうございます孫権殿」
こうしてお互いの即位を歓迎することで、両国の同盟の結束を強固にする。
「今回の夷陵の呉蜀会談に参加していただき感謝します。」
「いや、こちらこそ孫権殿とは面と向かって話したいと思っていました。」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。」
「そうですな」
「先程、漢の献帝死去に伴い、魏の曹丕が帝位についたことはお聞きになりましたか?」
「はい、聞いております。
こちらも対抗手段として、蜀の地で帝位につきました。 魏のみが皇帝となると、呉も蜀も皇帝とやり合うことになります。 それを防ぐための処置です。 魏を倒し、漢室復興の暁には、帝位を漢に返上するつもりです。」
「なるほど、確かにその通りですな。」
「孫権殿も呉王即位おめでとうございます。」
「いや、劉備殿に祝辞を述べて頂き、大変光栄ですな。」
「しかし、孫権殿。 呉だけが王国では、今後もやりにくいでしょうな。」
「というと?」
「魏と蜀は帝国となりました。
勿論、お互いに認めておりませぬが、一応は魏と蜀がそれぞれ建国した形となります。 呉も王国ですが建国した形となります。 しかし、呉蜀同盟では釣り合いがとれませぬ。 一応は呉も蜀も対等になるという形をとり、魏とも渡り合える帝国になる必要があるでしょうな。」
「………」
ざわざわ、ざわざわ
この劉備の発言に、孫権の背後にいる呉の重臣たちがざわつく。
「それは呉も帝位につき、帝国になれ、ということですかな?」
「今のままでは魏・蜀の帝国に対して、呉はあくまで王国のまま、あまり見栄えが良くありますまい。 そこで魏・呉・蜀の三国鼎立による均衡を保ち、呉と蜀は対等な同盟を結び、二国でもって魏を睨み付けるのです。」
「なるほど、確かにその通りですな。」
「呉と蜀が有する『漢中』・『襄陽』・『濡須』の守備を固め、二国の連携・協力によって魏の侵攻を防ぐのです。」
「なるほど、それは名案ですな。
しかし、魏はあくまでも天下統一を狙っているのですか?」
「はい、そうですな。
司馬懿殿、そうであろう?」
「はい、魏の曹丕はあくまでも父・曹操の成し遂げられなかった天下統一を目標に目指しておりましょう。 劉備殿の言、まことに的を得ておりましょう。」
「判りました。 呉の皇帝即位の件は、一度本国に戻って検討・議論させて頂きます。」
「はい、こちらも判りました。」
「次にですが―――伯酸瑁の対応・対処について話し合いましょうか?」
「はい、そうですな孫権殿」
「あの伯酸瑁は一体何者なのでしょうか?」
「ワシにもよく解りませぬ。
皆目見当もつかぬですな」
「……そうですか」
この後も劉備と孫権は、今後の事について様々な問題を話し合う。 今回の内容は首脳会談みたいなものであり、そこで取り決めた事の合意をどんどん進めていく。 劉備は孫権の呉の皇帝即位を歓迎しており、魏の注意を呉に逸らす狙いもある。 漢室潰えた今、生き残った者が皇帝となっても誰も文句は言えない。 否、言うことができない。 仮に孫権が呉の皇帝に即位するとしたら、西暦222年以降となろう。 それは呉の決めることだ。 ここに半日以上続いた会談も終わり、孫権と呉の重臣たちは呉へ、劉備と蜀の重臣たちは蜀へ、それぞれ帰国する。 それと曹華は劉備たちと一緒に蜀へ赴き、司馬懿は魏に帰国した。
ちなみに司馬懿・諸葛亮・陸遜の三人も間を見て、少し話し合った。
その後で司馬懿は魏に戻っても、今回の会談の内容の詳細は曹丕に報告していない。 司馬懿の忠誠心が曹丕から既に離れており、そこを曹爽たちにつかれて失脚するのだが、それはまだ先の話である。
【注意事項】
※今回の会談は、本来あり得ない会談であり、この夷陵の呉蜀会談までいくことが、この物語の目標のひとつです。
※本当に満足です。
※今現在、ネタ切れと書く意欲がないため、とりあえずひとまず今回で最終回となります。
※続きを書く気になったら、また書きますので、その時は宜しくお願いします。




