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【三国志異伝】《唯一無二の計》  作者: 賭博士郎C賢厳
第三章:夷陵の呉蜀会談
16/26

魏文帝誕生:肆

魏の国、建国。


  西暦220年・12月 (建安25年)



 現在の荊州は、牧や守将のいない無法地帯となる。


 南陽を守備する張魯が病死。

 襄陽を守備する劉璋も病死。


 また樊城の地下牢に閉じ込められていた于禁・楽進・李典の三人に、張魯・劉璋の配下であった張任・高沛・閻圃・楊任・楊白らを悪神(アヤカシ)伯酸瑁(ハクサンボウ)が精神操作して、その李典や張任らは完全に正気を失っており、瞳の色が赤く光る。

 それと樊城を守る兵の数も三万から五万に増員されており、その全員が正気を失っており、瞳の色が赤く光る。


 今の樊城は、まさしく悪神(アヤカシ)伯酸瑁(ハクサンボウ)が支配・管理する。 そこから荊州の襄陽や江陵、または南陽にまで目を向ける。 この勢いで伯酸瑁は、一気に荊州を支配・管理するつもりだ。


 伯酸瑁はかつて南中を支配・管理しようとしていた。 孟獲・孟優を呪殺しようとして、また南中で反乱を起こそうとした。 結果的に劉備玄徳率いる蜀軍によって南中は平定・帰順して、その野望が絶たれた。 だが伯酸瑁はまだ諦めていない。 今度は劉備の手が出せない荊州に狙いを定める。 怖い恐い。


 伯酸瑁の目的は、一体何なのか? それはまだ誰にも解らない。 しかし、荊州を呉の領土と主張する孫権は、当然黙っていない。



 荊州に放った斥候からの報告を受けた孫権が家臣たちと対応を協議・検討する。


「そうか、劉璋は死んだか…。

 それで劉璋の配下が反乱を起こし、樊城に立て籠っているということか?」

「はっ、さらに樊城の地下牢に投獄していた于禁・楽進・李典の三名も反乱に加担してると思われます!」

「そうか…」

「「「……」」」

「と…殿…」


 そこにまた斥候が孫権の(もと)にやって来て報告する。


「申し上げます!

 南陽を守る張魯が病死! 張魯の配下数名が樊城の于禁らと合流! 樊城を守備する兵の数がおよそ五万にまで達しました!」

「そうか…」

「「「……」」」

「殿! これは!」

「判っておる……これは…伯酸瑁の仕業じゃな?」

「「「!!」」」


 家臣がざわざわとざわつく。


「玄徳殿からの報告は受けている。

 伯酸瑁は南中を支配せんと企み、玄徳公率いる蜀軍によって、その野望が絶たれた…」

「それが今度は荊州に……?」

「ふむ、荊州は呉の領地。

 玄徳殿も手が出せない……それを狙っての事か…?」

「……ま…まさか…本当に実在していたとは……?」

「悪神伯酸瑁のことは、この呉中でも語られておる。 南中に出没した報告を受けた時に、もしやと思ったが……」

「……今度は荊州に……?」

「南中では伯酸瑁を倒せなかったのですか?」

「張飛・趙雲らが伯酸瑁を倒さんと向かっていったが、伯酸瑁は既にもぬけの殻…だったそうだ…」

「あの張飛・趙雲でも倒せんとは……?」

「相手は人外だからな…」

「「「……」」」


 そこでまた斥候が孫権の(もと)にやって来て報告する。


「申し上げます!

 樊城の上空に白い布切れが宙に浮いており、樊城の上空にだけ黒い雲と霧に覆われております!」

「「「!?」」」

「なんと!」

「それはまことか!?」

「はっ、確認しております!」

「おお、間違いない! あの伯酸瑁だ!」

「おのれ、伯酸瑁め! 荊州は渡さんぞ!」

「そうだ! 南中同様に追い払ってくれる!」

「ふむ、陸遜!

 そなたは十万の兵を率いて、至急襄陽へ向かうのだ!」

「はっ、判りました!」


 呉の大都督・陸遜は、ただちに十万の兵を編成して、甘寧・凌統・周泰・韓当らの将を引き連れ、急いで襄陽に向かった。





  西暦221年・1月 (黄初1年)



 魏の許昌。 禁中にて、ここでは魏王・曹丕の皇帝即位の式典をしていた。 本来なら漢の皇帝・献帝から禅譲をうけて即位したかった…。 その献帝も病死して、また後継者も曹操に誅殺されているので、残念ながら漢の皇帝不在のまま、魏の皇帝が即位することになった。 当然、独断専行の反逆行為であり、かつて袁術が(おこな)ったことを曹丕も(おこな)うつもりだ。 これは天に向かって唾を吐く行為だ。 勿論、呉も蜀も()()を認めていない。 でも直接正式に国としては抗議も批判もしていない。 それは一体何故なのか?


 魏王・曹丕の戴冠の儀・即位式が順調に進められており、国内の大きな混乱や臣民による暴動も特になかった。 また他国からの侵攻もこの時はなかった。 曹丕の皇帝即位に合わせて伝国の玉璽も魏の専用の物を作らせ、()()()使用する。 漢の伝国の玉璽は某所にて、大切に保管される。 年号も漢の「建安」から魏の「黄初」に変更される。 実は献帝が病死してからの三ヶ月間、ずっと戴冠の儀・即位式の準備を計画していた。 それが221年1月に執り(おこな)うことができた。 当然ながら蜀や呉からの参加者はいない。




 司馬懿・司馬師・司馬昭も戴冠の儀・即位式に参加していた。


「曹丕め! 遂に帝位についたか…」

「本来なら献帝からの禅譲をうけて、それから帝位につきたかったでしょうけど、その献帝も病死して後継者もいないため、独断専行で皇帝になったことになります。」

「それ以前に、まだ天下統一がなされていない状態で、帝位についたら、蜀や呉からの反発・批判を受けることは必至。」

「ふっ、献帝からの禅譲もうけられず、天下統一も果たされない状態で、魏が皇帝になるなど、蜀や呉も帝位につかれたら、魏王朝もおしまいだな。」

「曹丕は焦っているのですか?」

「さぁな…?」

「蜀も呉も魏の従属ではないので、当然それぞれ帝位につくでしょう。 勿論これを魏は認めていないから、魏・呉・蜀の対立がさらに深まるでしょう。」

「これからはさらに(いくさ)が激化するでしょうな。」

「…我々もそろそろ見極める必要があるようだな」

「それは魏を見捨てろ…ということですか?」

「それとも蜀や呉に亡命するのですか?」

「否、我々で新しい帝国を作るのだよ」

「「!?」」

「ここからは道を見誤ってはならぬぞ!」

「「はっ!」」


 魏の家臣である司馬懿・司馬師・司馬昭が魏の文帝の戴冠の儀・即位式の最中、自分たちの今後の事について話し合う。




 曹節・曹華・曹植・曹叡・甄姫も戴冠の儀・即位式に参加していた。


「…兄様(あにさま)…」

「遂に兄上は皇帝となるか…」

「父上…」

「……」

「我が父・曹操も成し遂げられなかった帝位…」

「ですが…少し焦りすぎなのでは…?」

「さぁ…どうでしょうか?」

「本来なら官渡の戦いで袁紹を破り、赤壁の戦いで劉備様・孫権殿を破りたかったはず…。 そうすることで天下統一を果たし、献帝から禅譲をうけて、魏の帝位につく。 それが我が父・曹操の魏王朝への計画の全貌でした。」

「官渡の戦いでは袁紹を破りましたけど、赤壁の戦いでは劉備様・孫権殿に敗北した。 それで我が父・曹操の計画が大きく狂い始めました。」

「そのため、父は魏王までのぼり詰めても帝位までは奪えなかったのです。 その父も荊州での戦いで孫権殿に破れて、長年の心労が身体を蝕み、病に没したわけです。」

「お気の毒に…」

()()が病であるならば…」

「……」

「はい、そうですね…」

「いずれにしても魏王朝の誕生で、蜀の劉備様も呉の孫権殿も黙っていないでしょうね。 もしかすると皇帝が三人になるかも…?」

「特に劉備様は漢の皇帝の遠縁。

 勝手に魏が王朝をきずくなど納得しませんからね。」

「はい、これからもっと(いくさ)が激化すると思われます。」

「……」

「まだまだ乱世は続くのですね?」

「嫌だ嫌だ…早く平和にならないかしら?」

「これからが群雄割拠なのか…?」

「はい、そうですね…」


 曹操の身内である曹節・曹華・曹植・曹叡・甄姫が魏の文帝の戴冠の儀・即位式の最中、この魏国の今後の事について話し合う。




 この司馬懿・司馬師・司馬昭・曹節・曹華・曹植・曹叡・甄姫は密接な関係にある。 また曹華は劉備に興味があるようで、献帝の死後、曹植や司馬懿たちの働きにより、なんとか蜀へ行くことができた。 ただまた魏に戻っている。 ただの観光みたいなものか? 司馬懿は魏に対して、それほど忠誠心は高くないようだ。 曹操の(もと)で着実に力をつけて、いつか必ず自分の国を作りたいと思っている。 ここから魏の勢力図が大きく変換することになるだろう。




 この後も目立った混乱・反乱はなく、戴冠の儀・即位式も無事に終了した。 魏の独断専行ではあるけれど、曹操の後継者・曹丕ははれて魏の皇帝となり、ここに魏王朝が誕生した。 魏・文帝曹丕誕生=221年・1月 (建安26年→黄初1年)


 ただし、漢王朝はまだ滅亡していない。

 そう…劉備と孫権がいる限り―――



 【注意事項】

※本来なら曹丕が魏王になった220年のうちに、献帝から禅譲をうけて魏の皇帝となる。

※しかし、その献帝が220年に死去し、その事を曹丕はしばらく知らなかった。

※また禅譲もうけられないため、曹丕の戴冠の儀・即位式の準備に時間がかかり、結局は221年・1月に執り(おこな)うことになった。

※よって魏の新年号も一年ズレることになる。

〇史実・220年 (建安25年→黄初1年)

        ↓

〇今回・221年 (建安26年→黄初1年)

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