曹操と献帝:壱
西暦220年・3月 (建安25年)
魏・許昌。 ここで曹操の葬儀が執り行われている。 喪主は曹丕。 新しく魏王・漢の丞相になった男。 葬儀は盛大かつ豪華に執り行われており、参列者は身内は勿論、国内外からも来ている。 曹丕は敵国でもある蜀や呉にも招待していた。
蜀からの参列者としては、代表として関羽と関平が来ていた。 曹操とは浅からぬ縁があり、普通ならば関羽が曹操の葬儀に参加するなど、決してあり得ないこと。 これは関羽よりも曹操が早く死んだために起こった出来事である。 実際に関羽は曹操が病死する前に処刑されてる訳だから。 関羽たちの案内人として張遼が受け持つことになる。
「お久しぶりです将軍!」
「おう、遼か。 久しぶりだな」
「……」
「まさか…戦場以外の所でお会いできるとは…正直思いませんでした。」
「ワシもだ遼よ」
「しかし、まさか…将軍直々が先君の葬儀に参列していただけるとは…?」
「曹操殿とは色々あったからな。
殿のお許しも出ておる。」
「……」
「そうでしたか…」
「しかし、まさか…このワシが曹操殿の葬儀に参列する日が来るとは…正直思いもしなんだ。」
「はい、人生とは何が起こるか…解りませぬな」
「ふむ、そうだな遼よ」
「……」
関羽と関平が張遼の案内で曹操の葬儀に参列する。 勿論、関羽は純粋に曹操を悔やみに来ており、二人共に会話が弾む。 張遼もまた関羽とは浅からぬ縁があり、張遼は今でも関羽を恩人として尊敬している。 この二人の会話に関平はただ黙って聞いてるだけだ。
呉からの参列者としては、代表として呂蒙と陸遜が来ていた。 呂蒙も本来なら曹操の葬儀に参加することはできないが、まだ死んでいないので来れた訳だ。 また陸遜も荊州で関羽を討っていないので、この葬儀の場で出会うことができる異例の展開となる。 つい先日まで魏と呉が荊州を巡って争っていた。 しかも、曹操の死の原因を作った呉を曹操の葬儀に参加させるなど、曹丕は一体何を考えているのか? 呂蒙たちの案内人として司馬懿が受け持つことになる。
「お久しぶりです陸遜殿・呂蒙殿」
「お久しぶりです司馬懿殿」
「久しぶりだな仲達よ。
そなたが曹操殿に仕えて以来か?」
「はい、そうです」
「それにしても荊州の件では世話になったな。
お陰で荊州は呉の領土になったぞ」
「その節はありがとうございます。」
「しかし、魏は荊州を諦めておりませぬ。
早々に次なる手を打ってくるやもしれませぬぞ。」
「ほーう、曹操殿が死んで間もないのに、魏は既に荊州奪還の次なる手を…?」
「あの地は魏の天下統一には欠かせない地。
蜀が荊州を放棄した英断は素晴らしいものがありますが、やはり曹一族は天下統一を自分たちの手で果たしたいと思っています。」
「いやはや、曹操殿が亡くなられて、これで一安心かと思ったのにな…」
「しかし、これも運命でございましょうな」
「まことに…」
話の節々から、呂蒙・陸遜と司馬懿が以前からの知り合いだと見てとれる。 実際にはどうだったか知らないけど、もしかしたら司馬懿は呉とも何か通ずるものがあったのか? せっかく曹操の葬儀に参加してるのに、彼らは早くも次なる作戦・戦略を話すばかりで、曹操を悼む思いはないようだ。 その後で呂蒙・陸遜は関羽ともちゃんと挨拶している。
こうして他にも色んな者が曹操の葬儀に参加しているけど、唯一葬儀に参加していない者がいる。 それが献帝である。 もっとも帝が家臣の葬儀に参加するとは思えないけど、彼の場合は、別の意味で参加できないでいた。 この後で蜀の関羽・関平や呉の呂蒙・陸遜らは、それぞれ自国に戻った。 それでも曹操の葬儀自体はまだまだ続けられており、引き続き曹丕が葬儀を取り仕切る。
西暦220年・5月 (建安25年)
魏・許昌→禁中→皇帝の寝室にて。
献帝は身体の不調を訴えて寝込んでいた。
だいぶ容体は思わしくない。 顔色が悪すぎる。 もはや死期が近い……か?
しかし、実際には献帝が病気をしたところは書かれていないはず。 帝位を退くまでは弱々しくも健康だったと思ったけど、なんとここでは献帝も病床の身となった。 またここには曹節と曹華と曹植と曹叡と甄姫といった僅かな者だけが献帝を看取っていた。 皮肉にも自分を操り人形にした曹操の身内が唯一の味方となっていた。
献帝が寝たまま弱々しく話す。
「どうやら朕もここまでのようだ…」
「「「「陛下……」」」」
「もよや曹操に道連れにされようとは……」
「「「「……」」」」
「朕には跡継ぎがおらぬ。
前の皇后は曹操に殺されており、皇后の一族も皆、処刑されているからな……」
「「「「……」」」」
「漢もここまでか……」
「「「「陛下……」」」」
「曹節よ……朕が死んでも他国には知らせてはならぬぞ。」
「えっ、それは一体どういう意味でしょうか?」
「朕が死ねば、おそらく三国による戦が激化する。 朕が居なくなれば、三国の均衡は失い、皆滅ぶまで戦い続けるだろう……」
「「「「……」」」」
「曹節よ……そなたに伝国の玉璽と遺詔を渡しておく。 あとはそなたに任せる…」
「……はい」
「曹丕は朕から帝位を奪うつもりらしいが、これでもう…その必要もあるまい…」
「「「「陛下……」」」」
「…ん? お前は……伯酸瑁……!」
「「「「!?」」」」
「おのれ、死神め……!
遂に朕を迎えに来たか……!」
「「「「?」」」」
「がはっ、む……ね……ん……」
「「「「あっ……!」」」」
献帝がある方を見て叫ぶ。
他の者も献帝が見てる方を向くけど、そこには誰も居なかった。 だが…次の瞬間、献帝が吐血して、そのまま息を引き取った。 最後に発した「伯酸瑁」→「死神」→「無念」には、一体何の意味があったのか? 後漢の皇帝・献帝→劉協、西暦220年・5月 (建安25年) 死去。 病没→享年39歳。 最期は静かにひっそりと息を引き取る訳にはいかなかった。
それにしても曹操や献帝を襲った伯酸瑁とは、本当に一体何者なのか?
それと献帝の死で、本当に漢が滅ぶのか?
西暦220年・7月 (建安25年)
南陽。 魏の領土。 ここは曹仁が守る地。
そこに張魯が部下を引き連れてやって来た。 早速だけど張魯が曹仁に挨拶する。
「お久しぶりです曹将軍」
「おう、張魯殿か。 ご無沙汰しておる」
「はい、曹丕様が曹将軍も先君の葬儀に参加されたし、との事です。」
「そうか、わかった。
では…南陽の守りは張魯殿にお任せしてよろしいか?」
「はい、勿論にございます。」
「相手はあの劉璋だ。
過度の心配は必要ないが警戒は怠るな。」
「はい、無論にございます。」
「では…宜しく頼む」
「はい、承知しました。」
曹仁は曹操の葬儀に参加するため、南陽を離れて許昌に入る。 その間は張魯とその部下が南陽の要害を守ることになる。
南陽には張魯。
荊州には劉璋。
かつての漢中の張魯と蜀の劉璋のような感じになる。
この因縁ある両者が果たしてどのように展開していくのか? これは見物であろう。
【注意事項】
※普通…献帝はこんな早くは死なない。
※曹操・献帝は病死となっているが、実は悪神伯酸瑁によって呪殺されている。
※もしも劉備が助けに来なければ、もしかしたら孟獲・孟優も呪殺されていたかもしれない。
※献帝の死は劉備や孫権はおろか曹丕にも知られていない。