EP95:清丸の事件簿「不壊の金剛心(ふえのこんごうしん)」 その4
普段おっとりとして怒った顔をみたことがない椛更衣がムッとして
「本当に大納言は冷たい、酷なお方ねっ!こんなに伊予を泣かすなんてっ!一時はあんなに寵愛しておきながら手のひらを返したように急に無視するなんてっ!最低ねっ!でも、最後の一線は越えなかったんでしょ?それだけはよかったじゃない!遊ばれたとしても傷は浅いわっ!」
私はそれについても思い出して「ふぇ~~~んっ!」とますます声を上げて泣き出してしまった。
結局フラれたとしても、最初の人は兄さまであってほしい!とずっと思っていたのに、それすら叶わないなんてと。
幼いころから他の男性と結ばれることなんて夢にも思わず例え別れたとしても兄さまとの思い出があれば生きていける!とずっと思ってた。
・・・でも、もう叶わないの?本当に?
椛更衣が深くため息をついてポツリと
「また宮中に女性の幽霊が一人増えたわねぇ」
と呟いた。
椛更衣が帝に話したのか、久しぶりに兄さまが帝のお伴で雷鳴壺を訪れた。
私は几帳の帷の隙間から兄さまを見ることができた。
兄さまは少しやつれて、顔色が悪く冠から飛び出すおくれ毛も草臥れた印象を与え、私が好きな研ぎたての刃物のようなすっきりとした顎の線もたるんで見えた。
全体的に覇気がなく疲労がたまってるように見えて悲しいうえに心配になった。
一度こちらを見て帷の隙間から目が合ったような気がしたけど、目の下の濃い隈が気になって胃のあたりをつかみだされて捩じられているような気がした。
その目もすぐに逸らされたけど。
それからまた二週間が過ぎたころ竹丸から文が届き、大納言邸に里帰りするように勧めた内容だった。
それまでは大納言邸に里帰りしても兄さまは堀河邸に帰り、ずっと会えなかったのでまた今度も同じならどうしようかと悩んでいたけど宮中でクヨクヨしてても女房達の噂と同情の的になるだけなので帰ることにした。
そうよ!いい加減次の話題にしたらどうなのっ!他人の色恋しか話題はないのっ!まったく世界の狭い石頭の暇人たちめっ!と普段の自分にも加虐的になる完全な八つ当たりでイライラした。
その晩、大納言邸の自分の対の屋で寝る支度をしていると遣戸の向こうから
「伊予、もう寝た?」
といないはずの低い懐かしい声が聞こえて、思わずワクワクして
「兄さま?今開けますっ!」
と急いで遣戸を引き開けようとしたけど途中で外から止められ
「いや、このままでいい。話だけ聞いてくれ。明日、四郎を呼び出して問い詰め全てを明らかにするから、浄見も同席してくれ。」
忠平様?私に何の関係があるの?全ての元凶だわ!二度と会いたくない!あの人が側室なんて話をしなければこんなことにはならなかったし、そもそも『取引』はどうなったの?と思ったけど
「兄さま?顔が見たいわ!開けさせてちょうだい!・・・兄さまに触れたいの。」
と言ってるうちに涙があふれてきた。
「ダメだ。会えば決心が鈍る。明日、全てを終わらせるからそれまでは会わない。」
と硬い声で呟くので、『終わらせるって何を?決心って?』とオロオロして、居ても立っても居られず戸の隙間から手を出し
「じゃあ手を握って!それならいいでしょ?寂しかったの。ずっと。何年間も会えなかった子供の頃より、大人になってほんの数か月会えない今の方がずっと寂しいのはなぜなの?兄さま、ずっと好きなの。兄さまが他の人を好きになったらそばにいたくないって言ったけど、あれは嘘だわ!だって兄さまが他の人を好きでもそばにいたいもの!ただ手をつないでくれるだけでいいの!いっしょにいるだけで・・・」
と手をだしながらその場に泣き崩れた。
そうしながら自分でも情けないと思った。
そうやって泣きながら懇願しても兄さまは自分の決めた通りにしか行動しない。
恋人にしてくれるまでもずっとそうだった。
何度も抱きしめられ拒絶され恋人にはしないと言われた。
何度も胸の中で膨らんだ希望を鋭い針で刺されて割られた。
何度も想いを手放すことを考えそのたびにできないと思った。
なのにどうして?
どうしてまた傷つけるの?
泣きながら遣戸にもたれかかっていると、指に硬い骨が触る感触があった。
骨ばった指が指に絡められ、温かい、湿った、やわらかい手のひらで手のひらを包み込まれた。
指先で手の甲をぎゅっと抑えつけられ手のひらで抱きしめられる感覚はまるで両腕で体をギュッと締め付けられた時のようにクラクラと眩暈を誘った。
兄さまの胸にくっつけるように遣戸に頬をくっつけ
「・・・明日ね?明日になればすべて終わるのね?」
と静かに呟くと兄さまは手をギュッと握り返した。
(その5へつづく)