Ep9:宇多退位
次の日の朝、時平は浄見と会った。
浄見は大人しく几帳の後ろに座っていた。
「昨日はありがとうございました。兄さま。」
時平は事情はこちらからは聞くまいと思ったので
「体は冷えてないか?怪我は?薬師を呼ぼうか?」
「もう大丈夫です。本当に。」
気まずい沈黙が続いた。
「あの屋敷に帰りたくないだろう?」
「はい。でも・・・ここは兄さまの北の方のお住まいでしょう?」
「・・・私の屋敷の一つだが、妻がいることには変わりない。」
「では、どうしましょうか。」
「まぁしばらくいる分には問題ないだろう。」
という事で話が終わった。
浄見にとっては時平の近くにいることは嬉しかったが、帝に襲われた事や、時平の妻と同じ場所にいる事には気が滅入った。
時平はなぜここに連れてきたのだろう?
きっと人が多くいる屋敷のほうが誰もいないより安全だと考えたのだろう。
浄見の身の安全を一番に考えてくれているのだと思った。
しかし、浄見は寂しさを拭えなかった。
醜い嫉妬が心を焦がした。
年子は何かと浄見の世話をしてくれたが、ちらとこちらを見る目は厳しかった。
新しい女だと思ったのだろう。
浄見は世話になりながら、その人の夫のことを考えるなど無作法だと思った。
でも心の動きを自分では抑えられない。
いつまでもここにいられないとなると、この先どこへ行けばいいのだろう。
屋敷から出たこともない自分に何ができるのかと。
一週間ほど過ぎた。
時平が毎日ここに帰ってくることは珍しいらしく、下女は膳を運んでくるとき浄見に
「毎日帰ってきてらして、ご主人さまはあなたに夢中なのですねぇ」
と悪気なく言った。
毎日帰ってきているらしいが浄見の元には会いに来なかった。
ので浄見は知らなかった。
「そうなのですか。でも私はあの日以来、お会いしていませんが・・・。」
「まぁ!では別の理由でお帰りになるのかしらね」
浄見はなぜ会いに来ないのかしら?と訝った。
そうしていると時平が現れた。
浄見は嬉しくて几帳から飛び出した。
時平は面食らった顔をしていたが、
「あなたの行く先を決めました」
「どこですか?」
「妻の里に皇太子の嫁候補の妻の妹がいるので、まずその方の元で礼儀作法を学んでください。」
「そしてその後は?」
「その妹付きの女房として東宮に上がってください」
「えぇ?」
浄見は驚いて黙り込んだ。
時平は木を隠すなら森の中という名案を思いついたつもりだった。
宮中には数多の女房や女御や女官がいるので、偽の身分を用意すれば一人くらい隠せると思った。
「妻の遠い親戚ということにして、名前は伊予とし、紹介状を私が書いたので・・・」
と話を次々と進める時平に、浄見は
「ちょっと待ってください!兄さま!私そんな事!できるかどうか自信がないわ!」
と言った。
それにそんなことすれば時平に一生会えないかもしれない。
時平はそれでもいいのかもしれないと浄見が思いついたとき、どうしようもない悲しみに襲われた。
『兄さまは別に私のことなど何とも思ってなくて、助けたのだって、帝の指示だったから・・・
でも、ではなぜここに匿ってくれているの?』
「兄さまは・・・私のことなどどうでもいいと考えてるの?」
時平は明らかに狼狽した。
「そんなこと!そういうわけでは!」
冷や汗をかいて言い募った。
「では、なぜ兄さまの妻の一人にしてくださらないの?」
あまりにも素直に浄見が言ったので時平は蒼白になって口をパクパクさせた。
やっと落ち着いた時平が
「浄見。妻が何か知ってる?」
と急に七歳児に聞くような態度になった。
「もちろん。愛する人に嫁いだ女の事よ」
時平は静かに尋ねた。
「浄見はなぜ帝の元から逃げたの?」
「帝が、私の手を引っ張って抱き寄せようとしたから逃げたの」
時平はため息をついた。
「妻になると、逃げれないんだよ。」
「帝の妻じゃないわ!兄さまの妻よ!兄さまからは逃げないもの」
「口ではそういっても、逃げたくなるかもしれないだろう。
まだそういう時期じゃないんだよ浄見は。」
と至極冷静に諭した。
時平は世間に疎い浄見が誰に嫁ぎたいといってもそれは空想で描いた恋愛の延長であって、生々しい欲望を目の当たりにすればきっと傷つくと思った。
そして、自分は浄見にとって兄であり、赤子の頃からずっと保護してきたからいわば刷り込みで、肉親に対する愛情を恋と勘違いしているのだと解釈した。
「宮中にはいろんな人間がいるから、よく観察して、恋人を選びなさい。」
と言ったが一抹の寂しさを覚えた。
帝は浄見の行方がわからなくなってから、どんどん具合が悪くなっていった。
そして897年に源 能有が病死したとき、絶望のあまり譲位した。
浄見を失ったせいで源 能有が死んだと思ったのだ。
朝議に参内している時平は帝の顔色が日に日に悪化しているのに気づいたが、浄見にしたことを許せなかった。
帝は897年8月4日に突然皇太子敦仁親王を元服させ(醍醐天皇)、即日譲位し、太上天皇となった。
宇多上皇は、浄見の突然の失踪に衝撃を受け、自分のせいだと反省もしたが、何とか取り戻そうと都中くまなく探させた。
時平は知らないというが、浄見失踪に平然としているところは大いに怪しんだ。
宇多上皇は醍醐には自らの同母妹為子内親王を正妃に立て、藤原北家嫡流が外戚となることを防ごうとした。
また譲位直前の除目で菅原道真を権大納言に任じ、大納言で太政官最上席だった時平の次席としたうえで、時平と道真の双方に内覧を命じ、朝政を二人で牽引するよう命じた。
宇多上皇は新帝に与えた「寛平御遺誡」において、時平を「功臣の後」「第一の臣」「年若いが政理にくわしい」と評し、「(時平を)顧問に備え、その補導に従え」としている。
さらに譲位に際しての詔書で時平と道真に対して奏請と宣行の権限を与え、事実上政務を委ねる意思を示した。
またこの年には、前年の藤原良世の致仕(引退)によって空席となっていた藤氏長者に時平は補されている。
一方で時平と道真のみに政務が委ねられたことに反発した納言たちが職務をボイコットし、宇多上皇が勅を出すことでようやく復帰したという事件も起きている。




