Ep9:宇多退位
<Ep9:宇多退位>
帝は浄見の行方がわからなくなってから、どんどん具合が悪くなっていった。
そして897年に源 能有が病死したとき、絶望のあまり譲位した。
浄見を失ったせいで源 能有が死んだと思ったのだ。
朝議に参内している時平は帝の顔色が日に日に悪化しているのに気づいたが、浄見にしたことを許せなかった。
帝は897年8月4日に突然皇太子敦仁親王を元服させ(醍醐天皇)、即日譲位し、太上天皇となった。
宇多上皇は、浄見の突然の失踪に衝撃を受け、自分のせいだと反省もしたが、何とか取り戻そうと都中くまなく探させた。
時平は知らないというが、浄見失踪に平然としているところは大いに怪しんだ。
宇多上皇は醍醐には自らの同母妹為子内親王を正妃に立て、藤原北家嫡流が外戚となることを防ごうとした。
また譲位直前の除目で菅原道真を権大納言に任じ、大納言で太政官最上席だった時平の次席としたうえで、
時平と道真の双方に内覧を命じ、朝政を二人で牽引するよう命じた。
宇多上皇は新帝に与えた「寛平御遺誡」において、時平を「功臣の後」「第一の臣」「年若いが政理にくわしい」と評し、「(時平を)顧問に備え、その補導に従え」としている。
さらに譲位に際しての詔書で時平と道真に対して奏請と宣行の権限を与え、事実上政務を委ねる意思を示した。
またこの年には、前年の藤原良世の致仕(引退)によって空席となっていた藤氏長者に時平は補されている。
一方で時平と道真のみに政務が委ねられたことに反発した納言たちが職務をボイコットし、宇多上皇が勅を出すことでようやく復帰したという事件も起きている。