EP86:清丸の事件簿「深遠の眼窩(しんえんのがんか)」 その5
目だけをゆっくりと動かしあたりを見まわしても、暗闇のなかに調度品の形がうっすらと見えるだけ。
喉がつまって、息ができなくなり、苦しくなって床に倒れ込んでしまった。
戸の向こう側からボソボソと
「・・・胡桃?本当にここなのか?ここに伊予がいるのか?」
という声がして、戸の外からカチャカチャと音がした。
「浄見っ!そこにいるのかっ?どうして閉じ込められてるんだっ!」
と兄さまの声がし、光が差し込むとホッとし、やっと上手く呼吸ができるようになり、身を起こして
「胡桃が閉じ込めたの。真っ暗で怖くて、上手く息が吸えなくなって・・・」
兄さまに支えられて塗籠から出ると、胡桃の姿が見えたので
「胡桃!どうして私を閉じ込めたの?いたずらにしてはひどすぎるわ!」
胡桃はブンブンと首を横にふり
「・・・閉めてないっ!鍵をかけてもいない!私は何もしてないっ!」
と怯えている。
私は塗籠の中に何者かの気配があったことを兄さまに伝えると、兄さまはロウソクを持って中に入り、長櫃の横の壁を照らすと、人の形をした黒い染みがあった。
やっぱりただの染みだったのね。
とホッとしたけど、
「でも、目が動いたように見えたの!」
兄さまはロウソクを壁に近づけ
「これだよ!」
と照らし出した先には親指ぐらいの大きさのゴキブリがいた。
ギョッとしたけど、でもそのせいで動いたように見えたのね。
と納得して
『怖いと何でも不気味に見えるものね。』
と落ち着いた。
「・・・これは何だ?!」
と兄さまが黒い染みのすぐ下の壁に何かを見つけたのかしゃがみ込んだ。
私からは後姿で隠れて何も見えない。
背後で胡桃が
「あぁっ!」
と言いながらバタバタとどこかへ走り去った。
えぇ?!どーしたの?と私は何が起こったのかわからず、兄さまに
「何があるの?胡桃が突然どこかへ行ってしまったけど!」
兄さまが静かな声で
「浄見、猫を包みこめるくらいの大きさの布を持ってきてくれ」
と言うので、その通りにすると、兄さまが何かをそれで包み、持ってきて見せてくれた。
それは土色をした人形のように見えた。
よくみると、土色の皮が骨に張り付き、干からびた毛のない猿の仔ようにみえた。
「・・・まさか?」
私が息をのむと、兄さまはコクリと頷き
「胡桃がここに捨てたんだろう。産んだ直後に。・・・乾燥しきっているから、ここに置かれてから一年以上は経っているだろう。」
私はショックで
「どうして?・・・なぜ胡桃は誰にも言わなかったの?誰も胡桃の妊娠に気づかなかったの?恋人がいたならその人に言えばいいことでしょ?」
その赤子の瞳が本来あった場所には黒い窪みだけが残っていた。
兄さまは険しい顔で首を横にふり
「胡桃は性交渉や妊娠の知識がないうちに、出産までに至ったのかもしれない。年子によると胡桃は言い寄られると少しの銭や菓子と交換にすぐに体を許すらしい。年子が性交渉の結果がどうなるかを説明してもしっかりとは理解できなかったらしい。相手もわからない男の子供を宿し、自分の身体が変わっていくことに驚き戸惑っただろうが、どうしていいかわからないまま出産したあと、生まれた赤子をどう扱えばいいかもわからずパニックになってここに捨てたのかもしれないな。」
「昨夜も胡桃はそういう男と一緒にいたのね?」
主殿をそういう事に使うなんて、怖いもの知らずというか、兄さまが舐められてるだけ?かも。
胡桃は自分が望んだとはいえ、少しの報酬のために引き換えた代償が大きすぎる。
一番非道いのは理解していないことにつけこんで胡桃を欲望のはけ口にして妊娠させた男たち!最低!最悪!のどクズ男たち!!
ムカムカと怒りがおさまらなかった。
私はハッとあることを思い出し、背筋に悪寒が走った。
そういえば暗闇の中で
「遊んで」
という声が聞こえた。
あれは、生まれてから一度も日の光を見ることができなかった、
この赤子の声なのかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
知識があるのとないのとでは対処できる幅が違いますよね。