EP85:清丸の事件簿「深遠の眼窩(しんえんのがんか)」 その4
夜明け前に自分の対に戻ろうと思って浅い眠りになっていた私は、遣戸を引く微かなキイッという音で目が覚め隣の兄さまを揺すって起こし
「誰かが遣戸を開けようとしているわ」
と小声で伝えると、兄さまは身をおこし几帳を隔てた遣戸のほうに向かって
「誰かそこにいるのかっ?何をしているっ!」
と鋭く叫んだ。
「やべぇ!お前っ!嘘をついたのかっ!ここには誰もいないといったじゃないか」
という男の声と
「ほ、ほんとよっ!いつもは誰もいないのよっ!」
という胡桃の声が聞こえた。
その後バタバタと廊下を走っていく足音が聞こえた。
私が
「胡桃の声よ!もう一人はわからなかったけど。」
と言うと兄さまは
「後で年子に聞いてみよう。何か知ってるかもしれない。胡桃と男が何を企んでいたのか。」
とふと私を見て
「普通、妻は朝起きて夫の着替えを手伝ったり身だしなみを手伝ったりするものだけど、もしかして黙って自分の対に戻るつもりだった?」
私はベぇと舌を出して
「まだ妻じゃないです!それに、年子様以外の人にも兄さまとの関係を知られたくないし。色々言われると何かとめんどくさいから。兄さまも内緒にしていてね。」
兄さまは不機嫌な顔をして私の鼻さきに人さし指をつけ
「今、都に屋敷を準備してるからそこが完成したらそこの北の方にする。正式な妻にね。もう決めてるから。わがままもそれまでだぞ。」
と睨んだ。
『本気で妻にするつもりだったんだ』と急にドキドキして真っ赤になり『北の方かぁ~~~』と胸が苦しくなるほどうれしくなった。
その日の朝、年子様はいつも通り私に胡桃と一緒に掃除するよう命じ、私が取り掛かろうとすると呼び留め無表情に
「伊予、あなたは殿の夜伽を務めているのだから、もう侍女の真似はしなくてもいいわ。」
と言われたけど、私はご飯を頂いてる手前何もせずにいるのは心苦しかったので
「いいえ。侍女として今まで通り務めさせてください。お願いします。」
と頭を下げた。
年子様がため息まじりに
「わかったわ。好きになさい。」
と許され、掃除するために主殿に向った。
主殿にある調度品の埃を払っていたところ、寝室として使われるはずの塗籠(土壁によって覆われた個室)に鍵(海老錠)がかかっているのを見つけた。
いっしょに働いている胡桃に
「殿はここで普段一人でいらっしゃるとき、夜は塗籠で寝てらっしゃらないの?」
と聞くと、いつもはぼんやりとしてあまり会話もつづかない胡桃が
「そ、そうよ。殿は夜は奥様と一緒に寝るのが普通で、ここには昼間しかいらっしゃらないわ。そ、そのはずなのに・・・」
となぜか口早に答えた。
昨日の夜、主殿に何しに来たのかを聞きたかったけど、聞けば私が主殿にいたこともバレるので何も聞けない。
私が
「塗籠は物置になってるのね。中の調度品も埃を払いたいのだけど、鍵はどこかしら?」
胡桃は困った顔で
「ダメよ!この中には見てはいけないものがあるから、絶対に入ってはいけないのよ!」
私はちょっと好奇心にかられて、脅すように
「でも、掃除しなくちゃいけないでしょ?鍵はどこ?バレたら私のせいにすればいいし」
と見つめると、胡桃は困った顔でキョロキョロと辺りを見回し
「たしか、この厨子棚の中に・・・」
といって棚から鍵を探し出し、結構複雑な操作の海老錠の鍵穴に鍵を差し込み、牡金具を牝金具から引き抜いて開錠した。
胡桃はいつも皿を割ったり、同じ失敗を何度もして『そそっかしい』で有名な子なので、その慣れた手つきにちょっと違和感があったけど、私はお礼を言って妻戸を開き中に入った。
壁は土が塗りこめられて、真っ暗なので、ロウソクをもって中に入り、長櫃や高級そうな磁器や仏像などの貴重な調度品を乾いた布で拭って埃を取っていると、妻戸がバタンと閉じ、ガチャガチャと鍵を閉める音がした。
私は胡桃の悪ふざけだと思って、戸を叩きながら
「ねぇ!胡桃、ふざけるのはよして!早く開けてよ!」
と言っても何の返事もない。
でもまぁ、屋敷の中だし、声を出せば誰かに聞こえるし、いなくなったことが分かれば探してくれるでしょう!
とあまり心配もしていなかったけど、なぜかすぐにロウソクが消え、突然真っ暗になってちょっと怖くなった。
妻戸の隙間からわずかな光がうっすらと差し込むけど、土壁が厚く塗られているのでほとんど何も見えない。
私はときどき妻戸をバンバン叩きながら
「開けて~~!誰かぁ~~~!伊予です~~~!閉じ込められているの~~~!」
と叫んでも誰の返事もない。
どれくらい閉じ込められるのかしら?夜になったら本当に真っ暗になってもっと怖くなるわ。
水も飲めないし。
どうしよう?
見てはいけないものがあるって言ってたけど。
どこにあるのかしら?
と不安も強くなってきたころ、塗籠の奥の方から何かに見られている気配を背中に感じた。
振り返ってみると、まだ目が慣れず、暗くて何があるのかもはっきりは見えない。
じっと暗闇を目を凝らして見つめていると、長櫃の横の壁にぼんやりと人の形をした黒い染みがついているように見えた。
その染みを人の気配だと感じたんだと思って、ホッとして、妻戸をドンドン叩いていると、耳元にフッと息を感じた。
首筋がゾッとして鳥肌が立ち、振り返って壁の黒い染みを見ると、顔の部分にさっきまでなかった目があり、それが横にゆっくりと動いた。
気持ち悪くなって大声で
「胡桃~~~っ!そこにいるんでしょ?お願いだから開けてっ!」
と言ってから、もし本当に何かがそこにいるなら、騒ぐと危害を加えられるかもしれない!と冷静になり、普通の会話ぐらいの声で
「胡桃?誰かを呼んできてくれる?誰でもいいから。竹丸さんがいたわよね?」
と話しながら壁を見るとやっぱり黒い人影の目だけが左右に動いているように見えた。
これ以上近づいてきませんようにと祈りながら、すぐ外に人がいるフリをして話し続けていると、また耳元で
「遊んで」
と幼い子供の声がした。
「きゃっっ!」
と思わずしゃがみ込み、悪寒が背筋を走り、ブルブルと震え始めた。
『確かに誰かがそばにいる』
気配がした。
(その5へつづく)