EP84:清丸の事件簿「深遠の眼窩(しんえんのがんか)」 その3
時平は眉根を寄せ考え込んだがやがてポツリと
「わからない。でも生まれたときから愛することは決まっていたんだ。私には彼女だけでよかったのに君たちを巻き込んで済まないことをしたと思っている。」
年子はわかった気がした。
時平にとって彼女以外の女性は皆同じなのだという事が。
いてもいなくてもいい路傍の石のような存在。
それならば少なくとも時平の理解者として一番そばにいるのは自分だという自負が年子には芽生え始めていた。
これからはそれを頼りに生きていこうと思った。
時平を一番わかってあげられる一番身近な唯一の親友だと。
全て吹っ切れた年子は
「もう隠す必要はありません。ここにいるときはいつも伊予の対で寝て下さい。夜中に起き上がってどこかに行かれたんじゃぁ心配でゆっくり眠れませんから。私の方がもうあなたとは一緒に寝たくないのです。」
とにっこり微笑んだ。
時平は心から申し訳なさそうな表情で頷いた。
それを見ただけで年子は全てを許せた。
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「『もう一緒に寝たくない』と年子に言われたんだ。」
と兄さまが悪びれずに淡々と口にするので、私は思わず眉をひそめた。
だってどう考えても妻に三行半を突き付けられた夫だもの。
「兄さまは年子様に愛想をつかされたのよ?それでいいの?」
兄さまがにっこりして
「うん。そうだね。他の女性もそうしてくれればいいんだけど。」
とのんきに言うけど私は『はぁ~~~~~~』とため息をついて
「本当にいいの?もうチヤホヤしてくれないかもしれないわよ!ほめてくれたり、身の回りの世話もしてくれなくなったりするかも!」
それに、男の人って女性にモテる!ことを目指して生きてるんじゃないの?
たとえ他人の妻にでも、たとえメス猫やメス犬にでも女ならなんにでもモテたいんじゃないの?
モテる事で地位が上がってライバルにマウントとれるんでしょ?
よりによって自分の妻にフラれて凹まない夫なんてどこにいるの?とあきれていると、兄さまは真面目な顔になって
「それの何がいけない?身の回りの世話も誉め言葉もお世辞も何もいらない。利用した形になって女性たちには悪いことをしたとは思うが、そもそも私には誰もいらないんだ。」
と私の目を真剣に見つめ
「浄見以外は誰も必要ない。」
と言った。
この時初めて、今までの兄さまの言う事がただの口説き文句ではなく本音かもしれないと思うようになった。
でも、と度々拒まれた記憶がよみがえり、また拒絶されるときが来るかもしれないとも思った。
一度包まれた真綿の舟から、冷たい激流の中に突き落とされるような、あの抱擁のあとの拒絶が怖かった。
そして遊び人の常套句でもこれぐらいは言うかもしれないとも思った。
遊んだ女性の数を競うような下品な貴族達の言葉のように、手引書通りなのかもしれないと。
でもいつか飽きられて捨てられるとしても、今は一番愛してくれてるならそれでいいと思った。
嘘でもこの瞬間は私だけを好きだと。
嬉しくなって、胸に抱きつき
「そんなに愛される価値なんて私にはないわ。でも今兄さまが一番愛してくれてると言うならそれだけで幸せ。」
とささやくと私を抱きしめる腕にギュッと力が入るのを感じ、兄さまが
「わかってくれなくてもいいし、私を嫌ってもいいからずっとそばにいてくれ。」
と呟いた。
私は体を離しニッコリして
「イヤよ!もし嫌いになったら近寄らせないわ!」
と悪戯っぽく言うと兄さまは困った顔をし
「わかった。そのときは離れる。でも兄として気に掛ける。」
とポツリと寂しそうに呟くので、迷子の子猫みたいに愛おしくなって首に腕を絡め背伸びして唇に口づけた。
添い寝しながら私がふと
「この屋敷には侍女の中に恋人はいないの?」
と聞くので、辟易した兄さまが
「あのねぇ。自分の家にまでめんどくさい関係をもちこむほど愚かじゃないよ。」
ふ~~ん。少し意外ねと思って
「宮中の女房だけということ?」
兄さまは焦って
「それだって、向こうから誘われたときにのっただけで自分から言い寄ったことはない!」
と断言するので、思わずムムッ疑わしいなぁと横目になって
「少しでもいいと思って近づいた人は今まで一人もいなかったの?あんなにたくさんの恋人がいるのに?」
そうよ!とくに女性的魅力多めな人!
兄さまは寝返りをうち、私の目を見つめ
「浄見を忘れられるなら誰でもよかった。似てないほうが忘れられるから、誘われても浄見に少しでも似ていれば断った。」
ん~~?それは喜ぶほうがいいの?どういう理屈?似てなくても恋人にはできるの?普通は似てる人を好きになるんじゃないの?私を思い出したくもないってこと?それって嫌われてるってこと?と色々疑問に思いつつ
「もしかして、他の人を必死に、一生懸命、心から、好きになろうとしてたの?ど~~~~~うしても私を忘れられないから?」
と冗談っぽく聞くと、兄さまは苛立ったようにほっぺを摘まみ
「浄見が年下すぎるのが悪い。なぜ同い年で生まれてこない?今でも子供だし。奥手だし。幼い少女を本気で好きになっていいワケないだろう?ずっと罪悪感まみれだよ。」
ウキウキした私は顔を振って指を振りほどき、兄さまの胸ににじりよって抱き着き顔をくっつけ
「知ってたわ。兄さまが私のことを好きって。ずっとドキドキを聴いてるもの。小さいころから知ってたわ。でも誰にでもそうかもしれないと思ってた。」
兄さまは私を抱きしめ悔しそうに
「あーーーーやっぱり浄見は全然っ特別じゃない。大勢の恋人のうちの一人だ!だから何もしなくても平気だし、余裕で全~~然寝られる。」
私は兄さまの背中をなでて
「そうね~~。知らなかったわ!そんっっなにず~~~っと私『だけ』を好きなのね~~兄さまはっ!」
と得意げにいいながらニヤけつつ幸せな眠りについた。
(その4へつづく)