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少女・浄見(しょうじょ・きよみ)  作者: RiePnyoNaro
浄見と時平の事件譚(推理・ミステリー・恋愛)
83/505

EP83:清丸の事件簿「深遠の眼窩(しんえんのがんか)」 その2

**********


 時平がいつの間にか一緒に寝ている隣から抜け出し、夜中に廊下で東北の(たい)を見つめて座っていることに年子は気づいていた。

それは決まって伊予が大納言邸に泊まっている時だった。

ぼんやりと、何をするでもなく、ひどいときは朝まで柱に背を持たせかけてそのままずっと伊予の居場所(東北の対)を見つめつづけていた。

そもそも伊予がこの屋敷に里帰りしていなければ、時平はほとんど正室・廉子(やすこ)のいる堀河邸(ほりかわてい)に帰った。

初めてずぶぬれの伊予をこの屋敷に連れ帰った時を(さかい)に時平が年子を抱くことはなくなった。

年子はそれに気づいていたがいつものように、陶人形のような沈黙を守り、責めず、恨まず、(じょう)()うこともなく何事もないようにふるまった。

そして(さと)った。

時平の唯一の愛するあの『妹』が伊予であることを。

時平が飽きずに何べんも読み返した文の差出人であることを。

あきらめようとずっと苦しんでいた相手であることを。

やっと恋人にすることを決心したように見えたのに、他の恋人は隠さない時平が伊予を隠そうとしていたことも不思議だったが、何よりも自分のことを妻とも恋人とも思わなくなった男のそばで寝起きすることが年子は耐えられないと思った。

そもそも時平は自分のことを一度でも『愛しい』などと思ったことはあっただろうか?

気心の知れた使用人だとしかみていない。

初めて会った時にもそう言っていた。

確か瑠璃玉(ガラスだま)のように冷徹な目で

「あなたを愛することは一生ないでしょう」

と。

年子はその意味が今わかった。

その時から愛するのは一人だけと、いやもっと以前から、時平の中では決まっていたのだ。

年子は何とも言えない、どす黒く濁った沼のような悲しみが胸に広がるのを感じた。

『でも』と思い直し、時平の妻として過ごした十年近くの歳月をあの『綿の花のような・自然のままに純白な少女』に消し去られるわけにはいかないと思った。

二人の間には子もいるし、物分かりよく『はいどうぞ』とすぐに彼女に譲るわけにはいかないと悔しくなった。

時平を責める託言(かこちごと)を言ってみたらどうなるだろう?

彼女を妻に迎えることは許さないと言ってみたら?

あなたは夫の務めを果たしていない!と。

頭の中でさんざん時平を責め(ののし)ってみたが、想像の中で時平は顔色一つかえず、眉一つ動かさず

「わかった。もう終わりだ」

とあっさりと背を向け、年子の前から永遠に姿を消した。

衣を()ぎ取られたような寂しさに身震いして、責めるなんて馬鹿な事は出来ないと思った。

それならば一緒になって彼女を恋人にできたことを喜んであげれば、時平の心をつなぎとめることができるのではないか?

時平の理解者として、同じ歓喜を共有してあげればいい。

仲の良い親友として。

そのほうが(ふる)(やぶ)れた狩衣(かりぎぬ)のように捨てられるより、永遠に切り離されるよりもマシだと思った。

人目もはばからず一心に、愛おしそうに伊予を見つめる姿は年子にとっても時平が温かい血の通った人間だと安堵できることだった。

いつも虚無的で、つまらなそうに書を読んだり、口の端だけで笑ったり、修行僧のような苦悩の表情や難しそうな顔をしたりする以外の時平の表情が珍しく、人間らしい楽しくくつろいだ気分に伊予だけがすることができるなら、やはりそばにいるべきだと思った。

だから年子は時平に

「伊予と一緒に夜を過ごしてください。」

ときっぱり告げた。

時平は驚いた表情(かお)をしたがバツが悪そうに

「やはり気づいていたか?」

年子が頷くと言い訳するように

「伊予が年子を傷つけたくないというからこの屋敷では隠していることになったんだ。」

年子は『こざかしい』と苛立った。

皮膚を()がれたばかりのむき出しの傷に()い汁を一滴落とされたかのように、ヒリヒリとした心の痛みが後を引いた。

自分がどれだけ愛されてるかを周囲にひけらかしたなら、大納言を恋人に持つのが自慢の虚栄心の強い、権力好きな、傲慢な女・浅ましい女と見下せる。

さりげなく睦まじい様子を見せつけ、こちらが勝手に悟るようにしむけ、謙虚なフリをして愛情をほしいままにしていることを思い知らせるような女ならそれも手が込んでいるだけにあざとい、(ひね)くれた、性根の悪い女と見下せる。

伊予は目の前で時平との関係を匂わすことは今までも一切なかった。

言葉も交わさず、微笑みを交わすでもなく、目も合わせず、終止(しゅうし)侍女の立場に(てっ)していた。

時平の方がいつも執拗(しつよう)に伊予の姿を目で追い、頬を(ゆる)め一人で愉悦(ゆえつ)を覚えているのをみて、普段の殺伐(さつばつ)とした様子とあまりにも違う事から周囲の者は多かれ少なかれ二人に何かあることを悟っていた。

そうまでして完璧に時平との関係を伊予が隠そうとすればするほど、自分は特別な恋人だと言っているようなもの。

こざかしくて憎らしいと思った。

ありのままで時平を魅了し()のままに操る。

どれだけ策を(ろう)しても、従順になっても、賢く立ち回っても、時平の意図を先読みし行動し、時平の役に立っても、所詮(しょせん)私は気心の知れた使用人に過ぎないのに、何もしないただ自然のままに、わがままにすくすくと育っただけのあの少女がどうして時平の全てを奪ってしまえるのか?

年子は気づかぬうちに涙ぐんでいた。

彼女の開いたばかりの綿の花のような美しさが?いいえ、宮中の女房にもっと美しいものはたくさんいるはず。

幼いとまでみえる若さ?いいえ、時平は子供にも大人と同じように無関心だわ。

なぜ彼女だけが特別なのか?

どうしても疑問が解決しない年子は思わず

「なぜ彼女だけがそれほどあなたの心を奪うの?」

と問うた。

(その3へつづく)

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