EP82:清丸の事件簿「深遠の眼窩(しんえんのがんか)」 その1
【あらすじ:入ってはいけない場所に一人で閉じ込められた私は、気味の悪い暗闇に見つめられている気配を感じた。暗闇から見つめるまなざしは一体誰のもの?時平様は今日も女性に振り回される。】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
ある日、大納言邸に里帰りしていた私・浄見が、侍女・伊予として夕餉の膳を忙しく給仕していると、兄さまと並んで召し上がっている年子様が突然
「伊予、殿に御酒をお出しして、あなたがそばで仕えてお注ぎしなさい。」
と私に命じた。
普段、年子様は私を他の侍女と同様に扱い、洗濯や食器の洗い物、掃除など一通りさせるが、着替えなど兄さまの身の回りのことはご自分でなさったり、腹心の侍女にさせることが多かったので意外に思った。
とはいえ私は宮中でも貴重品を扱うとか責任のある重要な仕事はさせてもらえず、いつも子供のお使いみたいなことばっかりなのでどこでも信用されていないのかも。
う~~ん、そんなに危なっかしいかしら?ちょっと不器用なだけなのに!
大納言邸内で兄さまと接触する機会が少ないことは親密な関係を隠すためには都合がよかったので、不満もなかったけど、私が清丸に変装して兄さまと出かけていることは年子様もきっとご存じなはずなので、完璧に隠せているかどうかは疑問。
「はい」
と答えて頭を下げ、厨に酒を取りに行った。
兄さまのそばに座り、杯に銚子で酒を注いでいると、兄さまは私の顔をチラチラとうかがいつつ時々ジッと見つめながらニヤけて杯を干している。
年子様の様子が気になってそちらをうかがうと年子様は何も気にしていないように夕餉を召し上がっていた。
『私と兄さまの関係を疑って、わざと近づけて試してるのかと思ったけど違うのかしら?』
と意図がわからない。
年子様はいつも冷静沈着、深謀遠慮、周到綿密を擬人化して単衣を着せたような女性なので全ての言葉と行動に厳密な意味がある。
年子様を参謀にして出世競争に挑めばおそらく勝ったも同然ね。ウン。
それにしても兄さまは私の方ばかりを見て、何か言いたそうにしつつ、ためらっては口をつぐみ、またニコニコして見つめては酒を飲むを繰り返すので
『そんなにジッと見てたら年子様に気づかれるじゃない!なぜ素知らぬふりができないの?』
とちょっともどかしかった。
兄さまのそういうある意味素直に、初心な少年みたいに愛情を表現してくれるところは嬉しいと言えば嬉しいけど、北の方や恋人がそれを見ていい気持ちがするはずがないし、腹いせに虐められたり辛く当たられるのは私なのにそれをわかってないのかしら?と。
それに、もし逆の立場なら(将来その可能性もあるし)その若く新しい女は許せないほど憎らしいし、悔しいし悲しいし、せめて私の前では何もないように振る舞うのが男女間の礼儀作法じゃないの?と思う。
もし将来兄さまが新しい女とイチャつくところを私に見せたらどうやって嫌がらせをするか?を今から考えたほうがいいかしら・・・。肉体的ダメージは外から見えるからバレてマズイし、やっぱり精神的にジワジワ追い詰めるほうが結局長い間ダメージが残ってトラウマになるから効くんじゃ・・・・うっ嘘よ!冗談よっ!ホホホッ!
夕餉の膳を下げ、厨で洗い桶に食器を入れ洗い物の準備をしてると、兄さまが入り口に姿を見せ
「伊予、ちょっと来てくれ」
と言うので、そばにいた同僚の侍女・胡桃に洗い物を任せてその場を離れた。
胡桃は以前から大納言邸で働いている子で、目がぱっちりしたところが可愛らしい。
肉付きがよくていつも羨ましいな~~と胸とかお尻につい目がいってしまう。
年は私より三つくらい上なのに少しぼんやりしてて失敗が多くて、食器を割るので洗い物も任せにくいし(任せたけど)、計算ができないので買い物も頼まれない(私はかろうじて計算できるわっ!時々間違えるけどっ!)。
私も重要な事はさせてもらえないから一緒に掃除してることが多いけどあんまり話は合わない気がする。
兄さまについて廊下を歩いていると
「浄見はもう侍女のすることをしなくていい」
というので『?』で頭がいっぱいになり
「なぜ?もう里帰りはしないってこと?」
主殿につくと遣戸を引いて中に入り、
「おいで」
と手招きするのでついて中に入った。
灯台は誰かが火をともしていて格子も下ろされ、兄さまは今入ってきた遣戸を閉めた。
私はもっと『?』でいっぱいになり
「どういう事?」
と素直に聞くと兄さまはニッコリ微笑んで
「年子がこうしろと言ったんだよ」
と照れながら扇で自分の顎を叩く。
えっ?まさか!バレたの?と思いつつ
「説明してっ!年子様が何と言ったの?」
兄さまは扇で顎を掻きながら
「あぁっと、どこから話せばいいのか・・・」
兄さまの話によると次のような事があったらしい。
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(その2へつづく)