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少女・浄見(しょうじょ・きよみ)  作者: RiePnyoNaro
本編(恋愛・史実)

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Ep8:白玉か露か

 時平は参議に上り、子も生まれ忙しくなって浄見に会う暇もなくなっていた。


自分でも浄見のことを考える時間が短くなっていることに気づいて自信がもてたし、我が子を見るにつけ愛おしいという感情は浄見の時と同じように湧いた。


この、自分に「大丈夫だ私はまともだ」などと言い訳してる時点で、少し常軌を逸しているが、時平はそこには向き合わないことにした。


浄見から字も上達したとみえる長い文が届くことが頻繁にあった。


893年の文では


「兄さまが高位に叙される風景を夢見ました。お慶び申し上げます。父さまと兄さまのご身分があまりにお高いことを知り驚きました。」


と書いてあった。


また別の日の文では


「庭は四季折々の花々で一面に覆われて、兄さまと一緒に花を摘んだ頃を懐かしく思い出します。」


だの


「月が日ごとに欠けて消えていく夜空は、このまま会えなくなる日がくることを告げているようで儚くなります。」


だのとかかれていて、時平は何故か意地になって会いに行くまいと思っていた。


「会いに行くまい」と思うことや、どうしたら文を見ずに済むかを考えてる時間が苦痛になった。


考えまいとすればするほど意識することは、人間の本能としてあるのだが、これに陥っていた。


別のことを考えようと仕事に打ち込んだり、女のところに通ったり忙しくした。


これでずいぶん浄見と会わずに過ごしていたが896年、浄見からの文で


「皇太后さまの夢を見ました」


とだけ告げた文がきた。


予言だと思い重大事ならば帝と話し合わねばならぬと、時平は浄見に会いに行くことにした。


浄見は十三歳になっていた。


御簾越しに会うと思っていたのが、御簾はあげられていて、几帳を隔てて座っていた彼女が突然姿を現した。


浄見は驚くばかりに変わっていた。


子供のころの面影を残した顔はほっそりとしているがあどけなく、純真が表情に溢れていた。


背も高く、髪も長くなっていた。


「兄さま!本当にお会いできたわ!嬉しい!まったく来てくださらなくなったので嫌われたと思って悩んでおりました!」


一瞬にして花が開いたかのような笑みを浮かべて言い募った。


時平は呆気にとられて目を逸らせなくなっている自分に気づいた。


「忙しくなったから・・・その・・・」


なぜか言葉がうまく出なかった。


「文でも書いてくださればよかったのに!私いつも待ってましたのよ!」


時平は次第に息苦しくなってきた。


これではまともに話せないから何とかせねばと大きく息を吸ってはいて、呼吸を整えてから浄見に向かった。


「皇太后さまの夢の内容を聞きに来たんだ。」


「そうでしたわね。・・・実は皇太后さまが粗末な衣を着て狭い部屋で一人で泣いてらっしゃる夢を見たの」


浄見は時平をじっと見つめながら、口だけを動かすように語った。


一時でも長く見つめていようという意思を持っているようだった。


時平はまた息苦しくなりそうだったので目を逸らして口早に


「それは、どういうことだろう?ご病気やお隠れになるでもなくってことだね?」


浄見は時平の動く口元をじっと見続けていた。


「そうです。多分今の華やかな暮らしを失っておしまいになるのですわ。」


時平は逸らしていた目をふいに浄見の目と合わせた。


浄見が今度はみるみる真っ赤になって逆に目を伏せた。


時平は自分が世間では「色好み」で「好色」だと言われていることが急に信じられなくなった。


こんなにも女性の前で余裕がなくなったのは初めてだった。


というよりも、今まで関係を持ったどの女性に対しても、こんな気持ちになったことがなかった。


女性と考えている時点で以前の関係とは異なっていた。


困惑した時平は


「では、帝と話し合って対応を決めるよ」


と言って立ち上がり、屋敷を辞そうとした。


「兄さま!また会いにいらしてくれる?」


と言った浄見には何も答えなかった。


 浄見はずっと会いたかった『平次兄さま』が、あまりにもそっけなく帰ってしまったことを悲しんだ。


ここ何年も、いつ平次が来てもいいように、いつも念入りに身支度していた。


ある時を境に、多分、北の方を迎えたときを境に、浄見に会いに来なくなった。


浄見は屋敷をでて自由に市へ出かけることもできず、庭や裏山で草花を摘んだり、動物や虫を見たりするぐらいしか楽しみがなく、

幼いころからそれはずっと平次と一緒にしてたことだった。


平次が来なくなってからは楽しい思い出とともに過ごしてきた。


会いに来るのが今上帝となった父だけになり、それは物語を読んだり字を書いたりと同様に退屈な事だった。


浄見の記憶に残る平次は今日会ったそのままの姿で、いや、今日が一番素敵に思えた。


それはずっと会いたいと思い続けたせいかもしれないが、冷たく見える硬い表情の奥には優しい愛情があふれていてそれは記憶の中の平次の数千倍も素敵だった。


単純に恋していた。


ずっと、子供のころから平次に憧れて、その気持ちは物語で読む恋人への想いと全く同じものだった。


会えない間も想像の中で会話していたが、会ってみると全く想像通りかそれ以上だった。


 その年、藤原高子(ふじわらのたかこ)は自らが建立した東光寺の座主善祐と密通したという疑いをかけられ、皇太后を廃され、翌年天皇の生母班子女王六十三歳が皇太夫人から皇太后に進んだ。


帝が長年密偵を放って高子の行動を見張らせていた甲斐があった。


藤原高子(ふじわらのたかこ)は今のこの不幸な境遇をすべて天皇・定省(さだみ)と基経のせいにしていた。


「あやつのせいで我が子、陽成(ようぜい)帝は退位させられ、基経のせいで貞保(陽成上皇の弟)は即位できず、今また皇太后まで廃されたとは!

基経はもうおらぬが息子時平は定省(さだみ)とつるんでおるから同罪じゃ!」


怒りは頂点に達し何としても定省(さだみ)と時平に思い知らせてやると誓っていた。


「七年前に仕損じた娘はたしか穆子(むつこ)内親王の不義の子で、未だに定省(さだみ)が足繁く通っておるらしいから、あれがきっと弱点じゃろう。」


帝は全てがうまく運んでいることに至極上機嫌だった。


浄見の元を訪れて


「浄見、何でも好きなものをあげるから言うてみよ」


と笑顔で言った。そして、


「ん?顔色が悪いがどうかしたのか?」


「いいえ。なんでもありません父さま。欲しいものは特にありませんわ。なんでもいただいておりますもの。」


帝はこの頃浄見が目を見張るほど女らしく、装いも美しく、けれども寂しそうな様子に、若いころの穆子(むつこ)内親王を重ねていた。


「姉の元には久しく訪ねておらんが、浄見の行方を問われることもなくなった。

さては、ここにおることを知ったのかしら。

何せ、霊力に優れた人ゆえもうすべて知っておるのだろう。」


と思った。


何でも欲しいものを手にしてきた定省(さだみ)にとって、姉を在原の男に奪われたことは唯一の汚点として心に染みついていた。


姉のようにほかの男に奪われる前にいっそ・・・・


と二十九歳男盛りの定省(さだみ)は、浄見の手を取って自分の胸に引き寄せた。


浄見は急いで手を振りほどき逃げようとした。


その衣の裾を掴んで引き寄せようとしたとき、浄見は掴まれた小袿を脱いで、表衣姿のまま庭から外へ逃げ出した。


 浄見は表衣の裾をたくし上げて持ち、屋敷から少しでも離れようと一生懸命走った。


門を出たところで門番に見とがめられたが、無視して走った。


しばらく走ると振り返る度、男の影を感じた。


七年前に襲われて溺れた川に向かって必死に走った。


男が付けてきたので、ままよ!と川にずぶずぶと入っていった。


もし男の狙いが殺すことなら、川の中までは追ってこないと予想した。


しかし、衣が水を吸い重くてうまく歩けなくなるうち、川底の石で滑った。


流されるほど深くはないが、岸に上がることも難しかった。


このまま身動きできなければ凍えてしまうと思った。


浄見の頭を死がよぎった。


 時平の元へ珍しく浄見の乳母から文が来た。


「姫出奔」


のみである。


時平は素早く動いた。


屋敷の門の外で立って時平を待っていた乳母が


「ご主人様の部屋から姫が転がり出てきたと思ったら外へ走り出したきりなのです!もう一刻になるかと!」


といった。


時平は、馬で七年前のあの川へ向かった。


馬を川沿いに走らせると、川の真ん中でうずくまっている人影があった。


時平は下沓を脱ぎ、裸足になって袴をまくって川に入った。


真ん中にしゃがみこんでいる浄見を立ち上がらせ、抱きかかええて川岸に運んだ。


浄見は歯の根が合わなかったが


「にいさま・・・また・・助けてもらったわ・・・・」


と言って微笑んだ。


時平は


「衣の水をできるだけ絞って」


といって、浄見がその通りにすると、自分の鞍に乗せ屋敷に向かった。


二番目の妻のいる屋敷に到着し、浄見を下ろすと、妻の年子(源 昇の女)がでてきた。


時平が


「風呂に入らせて、着替えさせてやってくれ。そのあと温かいものを飲ませて休ませてやってくれ。」


というと、年子は眉一つ動かさずうなずいて、浄見を連れて行った。


時平は考えた。


今度は浄見自ら逃げたのだから、追手が掛かったわけではなかった。


ではなぜ?


状況から考えるに帝が何かしようとした。


頭にカッと血が上った。


そこへ年子が帝からの文を持ってきた。


「姫の行方を知らぬか?」


というものだった。


時平はその文を焼き捨てた。


「彼女の事は誰にも何も言うな」


と口止めした。


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