EP72:清丸の事件簿「静穏の弦音(せいおんのつるおと)」 その4
波子姫がそれを察したのか
「だって・・・まぁいいわ!大納言様、御簾の中にお入りになって。五弦琵琶をお見せいたしますわ。」
と御簾の端を浮かせて、兄さまを招いた。
兄さまが御簾の中に入ったので、従者で中に入れない私だけが廊下に取り残され手持ち無沙汰になった。
こんなときは従者の身分が恨めしかったけど、そもそも宮中の女房のままなら気軽に出かける事すらできないのでこれぐらいは我慢しないとねと考えてると、御簾の中から兄さまが
「素晴らしい五弦琵琶ですね!撥面の玳瑁(海亀の甲羅から作られる細工)も、背面の螺鈿(貝殻の細工)の象嵌もあの東大寺正倉院の宝物にも劣らないものですねぇ!従者の清丸にも見せてやってもいいですか?」
『やったーっ!兄さま!素敵っ!大好きっ!』とウキウキしながら待っていると、波子姫が許可したらしく兄さまの合図で御簾の中に入った。
「わぁ~~~っ」
と思わず感嘆の声を上げるぐらい華美で優雅なその五弦琵琶の、深い濃紫の光沢がある紫檀でできた美しい丸みや象嵌細工の美しい花模様に見とれてうっとりとした。
私が見たところ第一弦から第三弦までは太い金属で、第四・五弦は細い金属でできていた。
普通の琵琶は弦の素材は絹糸だから少し変わってる。
ふと波子姫を見ると、河堀が言ったように確かに美人で、切れ長の涼やかな目、高くて長い鼻、少し厚みのある小さな唇、ふっくらとした白い頬と現代の美人の条件を全て兼ね備えていた。
兄さまが波子姫に最大限の愛想笑いでニッコリと
「失礼ですが、斯うまで美しい楽器の音を、ぜひ聴かせていただきたいのですが?可能でしょうか?」
波子姫はイタズラっぽく笑うと、コクリと頷いて、五弦琵琶を左腕で抱え込み、指で第一柱あたりの弦を抑えると右手に持った木製の撥でしっかりと弦を弾いた。
カチッと音がし弦は振動しているが、鳴る時の低い『ボ~~ン』という音はしなかった。
また兄さまと私の不思議そうな顔を見て波子姫が笑って
「そうなの。これは鳴らない楽器なのよ!だから、源多様の北の方や身近な人々がこれを弾いて呪われたとか、体調不良になったという話が信じられなくて!」
とクスクス笑ってる。
兄さまが遠慮がちに
「それは・・・その、調弦しても鳴らないのですか?じゃあそもそも観賞用の美術品という事ですか?」
波子姫はまだ笑みを浮かべて
「ええ。そうなの。どう転手を回して弦を緩めたり張ったりしても、音が鳴らないのよ。美術品なのかもしれないわ。」
私が
「弦は振動していますね?でも音は聞こえないんですねぇ。弦が細いほうも太いほうも鳴らないなんて不思議ですね。ちょっと触ってみてもいいですか?」
と五弦琵琶を調べている横で、兄さまは五弦琵琶が飾ってあった厨子棚に置いてある、真っ白い象牙でできた撥を調べていた。
・・・確か波子姫は木製の撥を使っていたので、象牙の撥は五弦琵琶と一緒に作られた観賞用?
だけどここへきて謎が増えた気がする。まとめると、
・音が鳴らない観賞用(?)の五弦琵琶を右大臣の妻はなぜ弾き続けたの?
・聴こえない弦音で周囲の人が体調不良になったのはなぜ?
・波子姫の母君はどのようにしてこの琵琶を入手したの?
私たちが五弦琵琶を調べつくしてソロソロお暇しようという時、波子姫が
「あら?大納言様、夕餉とお酒を御用意しましたのよ。召し上がってくださいな?」
と色っぽい上目遣いで兄さまを見ると、兄さまは居心地が悪そうモゾモゾして
「ええと、あのぉ、私はそういうつもりで伺ったのではありません。ですから・・・・」
とモゴモゴと言うと、波子姫は含み笑いをして少し頬を赤らめ扇で顔を隠し
「実はこの五弦琵琶が母の手元に渡った経緯はわかっているのです。それをお話してもいいのですけど、それは寝物語にしたいのですわ。」
と呟いた。
(その5へつづく)