Ep7:異能発露
<Ep7:異能発露>
宇多天皇は相変わらず浄見を傍に置こうとして内裏に入れようとしたが、
時平が内裏は人目が多く、信用できないものも多いからと進言した。
「赤子の頃からの乳母に主君のお手が付いたことにして別宅に娘と住まわせることにすればいいのでは?」
定省はちょっと嫌な顔をして
「あの者は40近いのではないか?まぁ浄見の身を守るためだ。そうするか」
となった。
時平は帝の隠した愛人のもとに通うという体になるので、前ほど足繁くは通えなくなった。
しかし、帝からの命令をしたためた長い文に添えられた別の短い文に拙い字で
「へいじ兄さまに会いたいです」
と書かれているのを見ると、我知らずにやけていたようで、その顔を同僚に見られて
「通う女子からの文ですか?」
などとからかわれて、確かに通っているから
「はい」
と答えて待てよ、違う意味かと思い直して、
「いやっ!女子ではなく妹です!」
と焦ったりした。
889年に、寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)が宇多天皇の母后班子女王の邸で催された。
(紀貫之、紀友則、凡河内 躬恒、素性、伊勢、壬生忠岑、藤原 興風、小野小町、清原 深養父、在原 棟梁?在原 滋春?などが当代の歌人だと思われる)
時平は凡河内 躬恒の
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」
という句が好きだった。
冷たい夜明けの庭を一緒に歩いて白菊を摘む光景が目に浮かんで、ほの暗くて寒い、肌を刺す空気の中でも一緒にいればホッとする。
そんな人にいつか出会いたいと常々思っていた。
一緒に白菊を摘んで部屋に飾りたいと。
今のところは一人しか思い当たらなかったが、これはあまりにも女性に接していないせいだと思った。
時平は20歳になっても恋人らしい恋人もいないことに自分でも焦っていた。
そんなある日の夕暮れがせまるころ、定省から急ぎの文が届いた
『姫がさらわれた。すぐに探せ』
という短い文だったが、見るや否や時平は屋敷に向かって馬を走らせていた。
屋敷につくと、乳母がおろおろして時平に
「一緒に裏山に薬草摘みに出かけたときに馬に乗った男が近づいて姫様を攫っていったのです!」
さらわれた場所に時平がいくと、薬草の入ったかごが落ちていた。
乳母に馬が駆けていった方向を聞くと、下働きのものを連れて時平もそちらへ馬で駆けた。
途中の分かれ道でひとつは内裏方面、ひとつは河へ別れたが、下人には内裏方面に向かわせ
「馬に子供と乗った者を探せ。大きい袋や籠を持った者でもよい。また、車を停めて何かを待っている者がいたかも聞け!行け!」
時平は河へ急いだ。
河原につくと馬糞がある方向へ馬を駆けた。
少し駆けると暴れる何かを川に押し込んでいる男の姿が見えた。
近づくと馬を乗り捨て、男の元へ全速力で走り時平は一瞬もためらわず切り捨てた。
生け捕りにして身元を吐かせるという考えがひらめく隙もなかった。
河にぐったりと浮かんだ浄見を急いで引き上げ、呼吸を確認し、横向きに寝かせて腹を少し押し水を吐かせた。
「浄見!私が分かるか?平次だ!」
「にい・・さま・・」
意識はあるようだが、このままでは凍えてしまうと思い抱き上げたとき、下人が駆けてきて、
「内裏方面には誰もいませんでした!あっ!こちらでしたか!」
と言ったので時平は
「先に屋敷に帰って、部屋を暖め風呂を沸かしてくれ!着替えも用意するように!早くいけ!」
下人が駆けていくと時平は浄見を自分の鞍の前に乗せ直垂をはだけて浄見を懐に包み屋敷へ駆けた。
「にいさま・・・やっとあえた・・・」
「もうすぐ屋敷につくから、大丈夫だ!」
屋敷につくと乳母が風呂に連れて行った。
時平も濡れた衣の着替えを済ませた。
遣戸を閉じ、蔀を下ろし火桶に炭をおこして部屋を暖めた。
風呂から上がり寝かされてしばらくたった後、浄見の元へ行った。
「にいさま。ありがとう!」
身を起こして浄見が言った。
「怪我はないか?痛いところは?」
「ううん。だいじょうぶだよ。ちょっとすりむいただけ。」
そう言ったが頚や手首には痛々しい指の跡が残っていた。
「頑張ったな。偉かったぞ。」
時平はそっと頭を撫でた。
怖かっただろうに、口に出さない健気さに胸を打たれた。
殺した犯人がそのままなのを思い出して下人に
「河原にそのままにしてある下手人を調べて身元が分かるものがあれば持ってきてくれ」
と命じた。
身分を示すものを持って誘拐する者などいないが、身なりで下賤か雇われた手練れかぐらいはわかるだろう。
後で調べに行く必要があった。
浄見に
「今日は私が見張るから安心して眠れ」
と言った。
「兄さま。手をつないでてくださる?」
と浄見が言うので、時平は几帳越しにしっかりと手をつないだ。
「兄さま。兄さまにもうすぐ、悲しいことがおこるけど、兄さまは大丈夫だからね。あんまりおちこまないでね。」
といった。
時平は浄見の身に何か起こる以上に悲しいことなどないと思ったが、
「わかった。覚悟するよ」
と答えた。
外を見張って朝まで過ごした。
河原に切り捨てた下手人の元へ調べに行くとまだそこにそのままあった。
身なりからすると手練れのようだった。
下手人が乗り捨てた馬はすでに去っていた。
下手人の懐から寛平大宝が見つかった。
これは今年鋳造発行されたばかりの銭貨で、これを持っているということは雇い主は朝廷に近い人物だろう。
やはり皇太后・藤原高子が怪しかった。
川で溺れたように見せかけるつもりだったのだろう。
皇太后は浄見が帝の「掌中の珠」であることに気づいたのだろうか?
今更穆子内親王の不祥事を暴いたところで斎王は交代しているので帝に何のダメージもないと踏んでの事か?
とにかく浄見を殺す気だったのは間違いない。
事件のあらましを帝に報告すると、帝は
「皇太后を何とかせねばな」
と言った。
『時平の身に悲しいことが起こる』を何かの予言ととらえて
「浄見に詳しく聞いてみよう」
と言った。
「ところで、浄見はそなたのことを兄さまといい朕のことを父さまというが、何か腑に落ちん。
そなたは好かれる手段でも講じているのか?」
「父上のほうが親しい間柄でしょう?」
「そなたとは4つしか違わんのにずいぶん距離を感じる。」
「私のほうが、珍しいからでしょうきっと。」
時平は帝よりも自分に懐いていると思うと少しくすぐったかった。
しかし帝の真の狙いは浄見が穆子内親王と同じく持つ予知能力で、利用するつもりで育てているのだと考え苛立った。
まだ7歳の子をこれからもずっと世間に隠して育てるなんで惨いと思ったが、身元を公表して危険に晒すよりはましかもしれないとも思った。
しかし、自分が浄見にしてやれることは何かと考えたとき、時平は突然怖くなって、妻を真剣に探そうと思った。
時平はこの年、廉子女王(本康親王の娘)を娶った。
翌年の891年、比類なき位を極めた関白・藤原基経が逝去した。
時平は悲しんだが、父が位を極めた事や長く政治を執ってきた事を考えると思い残すことはないだろうと感じていた。
浄見が言った「悲しいこと」が基経死去のことだと腑に落ち、浄見に霊力があることを確信した。
宇多天皇はようやく親政をはじめることができて喜んだ。
浄見の予言で準備を着々と進めていた事もあった。
まず、時平を参議にする一方で、源能有など源氏や菅原道真、藤原保則といった藤原北家嫡流から離れた人物も抜擢した。
源 能有(みなもと の よしあり)を大納言に昇進させ、遣唐使の停止、諸国への問民苦使の派遣、昇殿制の開始、日本三代実録・類聚国史の編纂、官庁の統廃合などが行われた。
摂関を置かず、源能有を事実上の首班として藤原時平と菅原道真、平季長等の近臣を重用し各種政治改革を行った。
造籍、私営田抑制、滝口武者の設置等に加え、国司に一国内の租税納入を請け負わせる国司請負や、位田等からの俸給給付等を民部省を通さずに各国で行う等、国司の権限を強化する改革を次々と行った。
親王の官職として親王任国の国司が充てられるわけだから、国司の権限強化は皇族の食い扶持確保ともいえる。
人民ではなく、田地に一定の租税を課して国司に安定収入を確保した。