EP69:清丸の事件簿「静穏の弦音(せいおんのつるおと)」 その1
【あらすじ:十年前に盗難に遭った、当時の右大臣の五弦琵琶は、音を聞くと病になるという呪いの楽器だった。現在の五弦琵琶の持ち主である高貴な美人の姫は時平様を誘惑するけど、私は一体どうすればいいの?時平様は今日も感覚を研ぎ澄まし、呪いの謎と黒幕の企みを解き明かす。】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
ある日、里帰りと称して大納言邸に滞在中、河堀という貴族が兄さまを訪ねてやってきた。
この屋敷はもちろん私の実家ではなく、椛更衣のお姉さまの源年子様が北の方である兄さまのお屋敷。
私は普段は椛更衣のおつきの女房・伊予として宮中に出仕しているけど、里帰りするときは大納言邸へくることになっている。
私は侍女として白湯と菓子を甲斐甲斐しく給仕してるけど、目的は二人の話を聞くためだったりするので、給仕し終わると几帳の陰でじっと聞き耳を立てている。
政治の話はつまらないけど、たまに『沓脱に沓をぬぎっぱなしで間男してるのがバレて沓を隠され裸足で帰るハメになったイケメン貴族の話』とか面白いゴシップもあるし。
河堀という貴族は三十半ばで少し耳の大きくて尖っているのが特徴の、目が小さいけど黒目がちでキョロキョロよく動くという印象の人。
河堀が甲高くてしゃがれた声で
「これは、大納言殿のお耳に入れようか悩んだのですが・・・」
と勿体つけるように言うと、兄さまが素っ気無く
「何でしょう?言いたいことがあるならどうぞ」
河堀が困った顔で少し微笑み
「いえ、菅公(権大納言兼右近衛大将・菅原道真のこと)の腹心の貴族の一人がね、あなたのことを『鳥無き里の蝙蝠』だと言っていましてね。」
私の知識では『鳥無き里の蝙蝠』とは『強者がいない場所でのみ幅を利かせる凡愚』という意味。
私はムッと腹が立って、「どういう意味よ!」ともう少しで声をあげそうになったが、隠れている手前じっと我慢。
もし本当なら菅公の腹心は明らかに兄さまを揶揄してるし、喧嘩売ってる!若くして一の大臣(太政官で一番位が高い大臣)に上り詰めたことが気に食わないのかしら?とムカムカが止まらない。
確かに兄さまは若いから菅公ほどの知識もないし、学問にも通じてないし、漢詩の才能もないし、実直さもないかもしれないっ!
菅公が低い身分から実力だけで今の地位に上り詰めたのに比べて、兄さまは関白殿の長男という特権のおかげで出世できたという意見には反論できないけどっ!
・・・・アレ?やっぱり『鳥無き里の蝙蝠』で正解なの?と私が複雑な顔をしていると、兄さまが河堀に向かって
「あなたはそれを聞いてどう思ったんですか?」
河堀は心から信頼しているというような微笑みを浮かべ
「それは!大納言殿がいかに政治的手腕に優れてらっしゃるか、帝から信頼されていらっしゃるか、一の大臣として立派に務めてらっしゃるかを反論しておきました。」
兄さまは河堀をチラリと横目でみて喜ぶそぶりもなく
「ありがとうございます。わたしのことを『鳥無き里の蝙蝠』と言ったのは誰ですか?」
河堀は思い出そうとして
「確か、藤原玄象だったと思います。」
・・・藤原玄象ね!名前を覚えたわ!今度宮中で会う機会があれば、袖に引っかかったフリをして烏帽子を落として、髻を露出させ皆の前で恥をかかせてやるわ!とほくそ笑んだ。
兄さまはフウンという顔で
「藤原玄象と言えば、琵琶の名手だと聞いたことがありますが。」
河堀はウムと頷いて
「私も演奏を聞いたことはありませんがその噂は聞きました。」
・・・そういえば琵琶とか琴とか、あのゆったりと間延びした曲を聴くと演奏者には悪いけどすぐ眠くなるのよね~~。どうしてかしら?
なぜ和音を駆使し速いテンポでかき鳴らして高揚感を煽らないの?
あのポツリポツリと単音がゆっくり鳴る曲なら、自分が弾いてても眠くなる自信があるわっ!
兄さまが白湯をすすり『さて』と扇で顎を軽くたたき
「で、今日は何の御用ですか?」
河堀はやっと本題に入るようで、真面目な顔つきになり
「実は、十年ほど前(889年)に、時の右大臣・源多様の秘蔵の五弦琵琶が盗難にあったでしょう?」
兄さまが少し思い出そうとして
「あったように思います。」
「あの五弦琵琶が最近ある皇族の姫の屋敷で見つかったそうです。最近知り合ったばかりでね、大変美しい方ですよ。」
・・・私が六歳の頃ね。
『右大臣の五弦琵琶盗難事件』なら、印章屋が出版してる流言飛語紙を読み漁っていた竹丸から聞いた気がするわ。
東大寺の正倉院宝庫にある螺鈿紫檀五弦琵琶はその希少性と装飾の華麗さから有名だけど、それくらい美しい物なら、絶対見てみたい!でもどうしてある皇族の姫の屋敷で見つかったのかしら?
(その2へつづく)