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EP48:番外編:罅(ひび)②

 上品な(こう)の匂いが漂い、御簾の向こうに影が現れ、低い落ち着いた声がした。

「大納言殿、参りました。源興元(みなもとおきもと)です。伊予殿はそちらにおられるのですか?」

浄見は

「はい。伊予と申します。よろしくお願いします。」

と手をついて頭を下げた。

源興元(みなもとおきもと)左近衛(さこのえ)権中将(ごんのちゅうじょう)左中将(さちゅうじょう)と呼ばれていた。

浄見は左中将を御簾越しにまじまじと見て、顔立ちは整っていて頬も時平よりふっくらとしているので世間的には美男子だろうと思った。

体にも贅肉(ぜいにく)が多くついているようで全体的にふっくらしていてこれも今の時代では美しいとされるが、浄見は好みではなかった。

時平のように筋肉質で余分な脂肪がついておらず、素早く軽やかに動ける肉体が理想的だと思っていた。

ジロジロとぶしつけな視線を飛ばしていると左中将は

「伊予殿は物語がお好きだそうですね?『在五中将物語(ざいごちゅうじょうものがたり)』をお読みになりましたか?」

と落ち着いた、低くていい声で話しかけた。

浄見は

「はい。とても面白く読みました。左中将様は物語のどこがお好きですか?」

というと、左中将は

「そうですねぇ。『東下(あずまくだ)り』なんて、やっぱりわびしくて胸に迫りますねぇ。でも、主人公のようにいろいろな女性と関係を結ぶ色男には憧れますが、私にはとても真似できないことです。

私はおそらく生涯にひとりの女性を愛する能力しか持ち合わせていません。」

と素朴にほほ笑んだ。

浄見は思わず

「あらそうですか。私は別に恋人が多くの女性と浮名を流しても全然気になりませんわ。逆に女性に人気がない男性なんてきっと面白くない人ですもの。」

と言ってしまった。

左中将は声を上げてハハハと笑って

「女性に人気があるのと、恋人を一人しか持たないのでは意味が違うでしょう?人気があっても恋人は一人だけという男もいますし。ねぇ大納言殿?」

と時平に水を向けると、時平は渋々という風に

「あぁ~~えぇ~~と、私は・・・その、既に妻も二人いますから、左中将殿のように一途とは言えません。恥ずかしながら。」

と答えを絞り出した。

 時平は浄見に向かって

「伊予?左中将殿と気があったようで何よりだ。二人で話したいなら私は席をはずそう。御簾も上げてしまおう。」

というので、浄見は泣きそうな顔で振り向き、時平をキッと睨んだが、すぐに平気な振りをしてフンと正面に向き直り

「では大納言様の言う通りに致しますわ」

と言い放った。


 時平は席を外し、自分の(たい)に戻り座ってぼんやりとしていると、遠くから浄見と左中将の笑い声が聞こえた。

時平はチクチクとした痛みを胸に感じたが、それ以上に自分の成したこれまでの成果に満足していた。

このまま浄見と左中将が上手く結婚すれば、やっと肩の荷が下りると思った。

浄見に対する淡い期待が完全になくなり、兄という立場だけが残り、兄として行動するだけでいい。

浄見を想う事に費やす時間をもっと有意義に使えると思った。

その感覚は、一種、淡い期待から生じる渇望を感じなくて済むという安堵であり、希望という醜い・頑固な・不治の病から解放される感覚だった。

だから左中将が帰ったあと、浄見と二人きりで話しているときも、時平は思わずウキウキとした気分になった。

浄見に向かってニコニコしながら

「明日も左中将は来てくれるらしいから、もし、二人がその気になればここに泊まってもらって、明後日以降は、浄見は宮中に帰って結婚を待ってもいいし、左中将の屋敷にすぐに連れて帰ってもらう事もできるそうだ。」

と言った。

浄見はこの最後の打撃にも、うつむき、唇をかみしめはしたが、グッとこらえて涙を流さずに堪えた。

そしてサッと顔を上げ時平に向かって

「兄さま、わかりました。最後に一つだけ私の頼みを聞いてくださる?」

と真剣に言った。

時平は少し表情を硬くしたが

「あぁ。いいよ。言ってごらん」

と慌てて取り繕ってニコリと微笑んだ。

浄見はまっすぐに時平の目を見つめ

「今夜一晩だけ、一緒に過ごしてください。」

と言った。

時平は瞬間的に顔が赤くなったが、これはいつものような羞恥ではなく完全に怒りからであった。

「この()に及んで、私を試そうというのか?浄見、私が兄としてお前と一晩一緒に過ごせないとでも思っているのか?」

と声を荒げた。

だが、時平はこう言った後ですぐに後悔し落ち着きを取り戻して

「あぁすまない。私が勝手に誤解しただけだ。浄見は普通に兄妹として、結婚前の最後の一晩を過ごそうと言ってるだけだよね?」

と浄見に微笑みかけた。

浄見は挑むように時平をにらみつけ口の端をゆがめると

「そうですわ。兄さま。明日結婚するので、その前に、兄妹二人きりで、昔を思い出して遊んですごしたいと思っただけですわ。」

と強く言い切った。

浄見は絶対、時平の前で泣くまいと固く決心していた。

少なくとも今夜だけは。

(③へつづく)

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