EP47:番外編:罅(ひび)①
EP45,46:番外編:兵部卿宮①②の続きです。
ある日、浄見が椛更衣の身の回りのお世話をしていると、椛更衣が突然
「そういえば伊予、お義兄様からお話聞いた?」
と言い、浄見は『え?誰?』と思っていたが、時平の妻の年子は椛更衣の姉であることを思い出し、時平のことだと思い至った。
「いいえ、何のお話ですか?」
椛更衣が浄見の顔色をうかがいながらためらいつつも
「伊予を近々お見合いをさせるから、里下がりを許してくれという文を受け取ったのよ。」
浄見は時平から何の文も受け取って無かったので驚き、『お見合いをさせる』という内容に傷ついた。
浄見はそれでも椛更衣にショックを悟られないように何事もなく
「そうなんですか。でも、里といっても椛更衣のご実家は私の家ではないのに、どこに帰れというのかしら?」
椛更衣は浄見の平気を装った演技に騙されてか、安堵して
「姉さまのところつまり、大納言のお屋敷でしょう?ご正室がいない方の。そう文にあったわ。伊予のところにもそろそろ文がつくのではないかしら?」
浄見はそうですかと頷いてその場をやり過ごした。
少したって浄見の元に時平から
「x月x日までに、主の椛更衣に里下がりのお願いをして、年子のいる屋敷に里帰りするように。」
という浄見の意思を無視した一方的な文が届いた。
浄見は一応反抗する態度を示すために長い文を返そうかと考えたが、何を言っても無駄な気がして
「嫌です。帰りたくありません。」
とだけ書いた文を時平に返した。
時平からまた文が届き
「私も立ち会うからx月x日に、年子の屋敷に帰ってくれないか?もう先方と約束してしまったので、どうか私の顔を立ててほしい。」
と下手に出た態度の文が届いた。
時平の文には『お見合い』という言葉は一文字もなく、何も言わずおびき寄せ、無理やりお見合いさせるつもりだ!と浄見は警戒したが、この頃はいろんなことに怒るのにも疲れ果てていた浄見は素直に
「はい。わかりました。」
と返事を出した。
どんなに浄見が時平を好きでも、そう伝えても、説得しても、時平に浄見を恋人や妻にする気がないなら、もうこれ以上何をしても無駄だという無力感にさいなまれていた。
かといって、他の男性貴族を恋人として見てみても浄見は一向にピンとくる男性に出会わなかった。
後宮中の憧れの頂点と言っても過言ではないあの帝ですら、浄見にとっては三歳年下の可愛らしい少年という印象しかなかった。
鴨のヒナが初めて見た動くものを親だと思い込んで慕ってついて歩くように、幼いころから世話をしてくれた時平を条件反射で親のように慕っているだけだと浄見は自分に言い聞かせようとした。
あの人はそんなに特別な人ではない。
どこにでもいる普通の男性だ。
普通の浮気性の冷酷で薄情な、威張った権力者の、傲慢な、鼻持ちならない・・・と考えようとして、でも素敵で、魅力的で、優しくって、浄見にとっては一番の美男子に見える男性だと思った。
顔を思い出すだけで胸がドキドキした。
嫌いになろうとして、時平が無様に失敗して恥をかく姿を想像したり、口説こうとした女房に振られる様を想像したり、走って転ぶ姿を想像したり、あらゆる恋が覚める瞬間を時平で想像したが、無様な姿が『私が守ってあげたい』という感情を引き起こし、逆により愛しくなった。
こうして、お見合いさせられるというのに、時平に会えるその里帰りの日を浄見は待ちわびる羽目になった。
浄見がそのお見合いの当日にやっと年子のいる屋敷に帰ったので、時平は焦って、浄見が乗った車がつくのを待つため車宿まで迎えにきていた。
車から降りる浄見を支えるために出された時平の手を浄見は取らずに、フンと目を逸らして車から降りた。
時平の思い通りにさせまいとするささやかな抵抗だった。
時平の驚いた表情を横目で見て『やっぱりいつみても素敵!』とつい思ってしまったのが浄見は内心悔しかった。
浄見は東の対に用意された几帳の陰に半分身を隠し、時平が呼び出した見合い相手を待っていた。
出居のある廊下に見合い相手が座り、はじめは御簾越しに対面し、少し話して気が合えば、御簾を上げて話をする段取りになっていた。
御簾ごしに庭をみながら座る浄見の後ろには、几帳があり、その陰に時平も黙って座っていた。
浄見は今日初めて時平に話しかけ
「お見合いの相手はどんな方ですの?」
時平が
「次の除目で参議に列せられそうな有望な貴族だよ。妻を一人にすると約束してくれたし、酒や博打もしない、勉強熱心で、真面目な人だ。」
浄見は心底どうでもいいと思ったが
「そうですか。」
時平は浄見の興味を掻き立てようと
「容姿も美しくて、宮中の女房にもよく声を掛けられるらしい。」
浄見は
「でも、そのお名前はあまり聞いたことがありませんわ。少なくとも私の周りにいる女房からは。」
と気怠そうに答えた。
浄見は時平に自分の後ろ姿を見られていると思うと、もうちょっと髪をきれいに梳かせばよかったとか、整髪料のいいものを椛更衣にもらえばよかったとか、衣の柄を一番いいのにすればよかったとか、どうしようもなく気にしてしまう自分が可哀想で憐れになった。
『そんなことを気にしても、兄さまにとって私は妹でしかないのだから、お洒落で気を引けるわけがないのに馬鹿ね』と。
(②へつづく)