EP45:番外編:兵部卿宮①
前回の EP43,44:番外編:有馬①② の直後です。
ある晩、浄見が雷鳴壺で御簾越しに廊下を眺めていると、眼前の使われていない対に、宿直衣姿の男性の手を引いて一人の女房が歩いてくるのが見えた。
浄見が半月の薄明りの中で目を凝らしてみると、有馬と時平だった。
時平は辺りをキョロキョロ気にしているが、有馬はグイグイと手を引き、対の庇の下までくると時平の首に手を回し体ごと引き寄せ、口づけた。
時平はそっと有馬の身体に手を添え支えているように見えた。
しばらくそうしているのを、浄見は無意識にじっと見つめていた。
時平と有馬が離れ、時平は再びキョロキョロと辺りを見回したが、何か言うと、有馬の手を振り切り、足早に去っていった。
浄見は今、見たことを頭の中で整理できずぼんやりしていたが、ハッと我に返ってまず頭に浮かんだのは時平への怒りだった。
そのあと有馬に対する嫉妬と憎しみ、胸を締め付けるような痛み、そして最後に胸に残ったのは
『有馬さんがうらやましい』
だった。
一度でも時平に愛されたという事実が、浄見にとっては有馬を憧憬の対象にした。
時平に愛された二人の妻や数多くの女房も浄見にとっては羨ましく、そうなりたいと願う女性だった。
自分はそうなれないかもしれないと考えると、胸がギュッとしめつけられ、息苦しくなり、涙が出そうになった。
女性と睦み合う姿を浄見に見せる時平が憎かったが、嫌いにはなれなかった。
ただ、傷つけられることが辛かった。
浄見は他の男性貴族を一度、結婚相手として見てみようと思うようになった。
時平の『あまり外に出るな』という命令にも逆らいがちになり、浄見は昼餉のあとの膳を台盤所に運ぶ仕事もかって出るようになった。
浄見が膳を台盤所に返して、雷鳴壺に引き返す途中、廊下の向こうから、艶やかな直衣を着た四十ぐらいの男性貴族が歩いてきて、すれ違いざま
「あなたは、確か、雷鳴壺の伊予殿ですね?」
と声をかけた。
浄見が『ええと・・・誰だっけ?』と考えていると
「兵部卿宮と呼ばれている者です。」
とにっこりと微笑んだ。
その男性貴族は年の割には派手な色を身に着けているが、彫りの深い顔のせいで、それが違和感なくかえって若々しくみえた。
浄見は遊び人と噂の兵部卿宮には全く興味がなかったので、扇で顔を隠し
「ごきげんよう。失礼いたします。」
とすぐに立ち去ろうとしたが、宮が慌てて言葉を継いで
「あぁっ!待ってください!先日、白湯を給仕していただいた時から、あなたのことが頭から離れません。私の恋人になってくれませんか?」
と直球で口説いてくるので浄見は困ったが、にっこり微笑んで立ち去ろうとした。
するとちょうどそのとき、承香殿から清涼殿に渡ろうとする廊下に、帝と時平の姿を見つけた。
浄見はハッと思いついて、少し後ろに下がり、兵部卿宮の腕に自分の腕を絡め大きな声で
「では、宮さま?今日の夜、わたくしのところへいらっしゃってくださる?」
と言いながら横目で時平の方を見ると、時平がその場で立ち止まってこちらを凝視している姿がみえた。
浄見はよしっ!と心の中で勝ち誇り、兵部卿宮をみると宮は口元を全開に緩めて
「はははっ!これは、急に大胆におなりですね!では今晩うかがうことにしましょう!」
とニヤニヤした。
その晩、浄見は一応、宮が来ても対処できるように、椛更衣と一緒に夜を過ごすことにした。
二人で双六や貝合わせで遊んでいると、文が二通届けられた。
浄見が文をほどいてよむと一通は
「今からそちらへ伺います」
という兵部卿宮の文と
「梅壺(使われていない対)にて待つ」
という時平の文だった。
椛更衣はからかって
「あら?伊予はどちらの殿方を選ぶのかしら?」
というので浄見はふふふと微笑み返して
「内緒です。」
と答えてそそくさと使われていない対へ向かった。
時平をウロウロと待っていると後ろから腕をつかまれ
「ああ!私を待ちきれなかったのですか?」
と雷鳴壺へ来る途中の兵部卿宮に見つかり、そのまま床に押し倒された。
浄見は驚いたのと怖いのですぐには声を出せなかったが、宮に両手をつかまれ仰向けにされ、床に押し付けられ、体の上に馬乗りされると、気持ち悪くて我慢できずに暴れて
「誰かっ!助けてくださいっ!助けてぇっ!」
と大声を出した。
浄見が激しく暴れるので宮は少し戸惑ったが、浄見の両手を抑えつけたまま、覆いかぶさるように浄見の耳元に唇を近づけた。
浄見は宮の生温かい息と強い香とねっとりとした頬の汗を耳元に感じ、吐き気がするほど気分が悪くなった。
でも、手足をばたつかせる抵抗をやめれば最後、犯されてしまうと思ったので必死に叫び声を上げようとすると口を手でふさがれた。
浄見は知らないうちに涙が流れている事にも気づかず
『私は何てバカなことをしたんだろう!このまま犯されたら舌を噛み切ってやるっ!』
とか
『こんなことになるなら、はしたないと思われても、兄さまに一度でも懇願すればよかった!』
とか考えながら、ボロボロ涙をこぼしながら、手足をばたつかせていた。
「宮、そんなに暴れる少女では興ざめでしょう?」
と宮の背中越しから声が聞こえ、宮の動きが止まった。
宮が体を起こして振り返ると、時平が立っていた。
(②へつづく)