EP41:番外編:永遠の妹①
「Ep8:白玉か露か」の直後です。
浄見が宇多帝の手から逃れ自ら川に入って、それを助けた時平が、自分の屋敷に連れ帰ってから既に十日が経っていた。
時平の二番目の妻である年子が住むその屋敷で、浄見は客人として扱われていたが、浄見の今後を時平は考え、年子の妹が皇太子の更衣として入内することを利用して浄見をおつきの女房として伴わせ宮中に隠そうと考えた。
宮中での作法その他の知識の習得のためと、所作の訓練のためと更衣と打ち解けるため、年子の実家である源昇の屋敷に、明日の朝、浄見は出発するはずであった。
時平の屋敷で過ごす最後の晩であるが、今までの十日余りの滞在のうち浄見が時平と会ったのはたったの二度であった。
一度目は川で助けられたその晩、二度目は三日ほど前、浄見の今後の身の振り方を時平が説明するために来た時だった。
浄見が昼間、屋敷中をウロウロしたとしても、時平は出仕していて屋敷にはおらず、時平が屋敷に帰ってきた気配があっても、浄見は客人らしく、時平の訪れを待つだけであった。
だからこの屋敷で過ごす最後の夜といえども、浄見は一人で寂しく朝まで過ごすしかなかった。
浄見が几帳と屏風で囲まれた房で褥に横になりウトウトしていると、遣戸がガタガタと鳴り、戸を引き開けるときの木と木がこすれるキィッという音がした。
浄見は『追手かしら?』と緊張し、護身用に渡されていた小刀を枕元に探した。
以前からの皇太后に加え今や帝にまで追われる身となった浄見は追手に対していつでも対応できるように、片時も緊張を解けず、今も小刀を手にし素早く身構えた。
極度の緊張で小刀を持つ手が震えるが、浄見は注意深く音のする方へ耳をそばだて目を凝らし、敵が現れたらすぐに小刀を突き付けてやろうと細心の注意を払っていた。
「もう寝たのか?」
と懐かしい声と覚えのある香を感じた途端、浄見は全身から力が抜け小刀を下に落とした。
几帳の隙間から見ると、時平が狩衣姿で立っていた。
浄見はさっきまでとは違った意味の緊張を覚え、突然、胸が躍った。
暗闇の中でぼんやりと浮かぶ時平の表情がわかるほどには、まだ目が慣れておらず浄見はじっと時平の顔を見つめながら
「兄さま?いいえ。まだ起きています。何の御用でしょう?」
と胸の高鳴りを抑えながら、できるだけ普通の声になるように気を配った。
「いや、別に大したことじゃないんだが、明日はもうここを発つだろう?最後に言っておきたいことがあって」
浄見は嫌でも期待してしまう自分に落ち着くように言い聞かせながら
「何でしょう?」
「ええと、宮中に入ったら、その・・・・なるべく奥で更衣に仕えるように。来客の男と接する仕事はなるべく別の女房にさせるように。」
「なぜでしょう?」
浄見は時平の表情がまだはっきりとは見えなかったが、焦っているように感じた。
「それは、・・・その・・・男というものは誰でも一夜の遊び相手を探していて、美しい女房となれば無理強いする輩もでてくるかもしれない。
そんな奴にひっかかれば遊ばれて捨てられるだけだ。そんな目にあいたくないだろう?」
浄見は皮肉を言いたくなったので微笑みながら
「あら、兄さまもそういう男の一人なのでしょう?なぜいけないの?」
時平が苛立った気配がし
「ダメだ!ちゃんとした相手と結婚するまでは身持ちをよくしないと。悲惨な目に会うのは女性の方だ。」
と怒った声で言った。
「結婚相手に決めた人ならいいのでしょう?」
時平の表情は見えなかったが、硬い表情をしているだろうと浄見は思った。
「・・・・そうだ。」
長い間があったあと、時平が絞り出すようにつぶやくと浄見は
「わかりました。そう致します。」
と素直に肯った。
「では、私はこれで。また宮中で会える時がくればいいが。それまでは元気で過ごすんだよ」
と時平が背を向けて立ち去る気配がした。
浄見は思わず几帳から飛び出して時平の袖をつかんだ。
時平が振り返ると、浄見は目を見つめて
「なぜ兄さまが妻にしてくれないの?」
と素直に聞いた。
(②へつづく)