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EP37:番外編:廉子女王(やすこじょおう)①

 891年、基経の喪が明けるころ、時平は新しい生活にも少し慣れ、動揺した心も落ち着き始め、いよいよ廉子女王との婚姻を誰にともなく急かされた。

それでものらりくらりと先延ばし続けた時平についに母が

「そろそろ、(うかが)ってもよさそうよ。あちらさまも昨年からのお約束ですから、とうに待ちくたびれてらっしゃるわ。お前も二十という年齢では身を固めるのに遅すぎるくらいですよ。」

(さと)した。

 ある晩、廉子女王の屋敷を訪れると、忍び込むはずのところを門番や警備の雑色があからさまに見て見ぬふりをし、侍女が時平を廉子のいる(たい)(いざな)った。

御簾を隔てて廉子と相対し、時平は

「藤原時平です。参りました。」

と声をかけると、二十五という年齢にも似合わない鈴の音のような可愛らしい声で

「お入りくださいな」

というので、時平は御簾を押して中に入った。

廉子はその声の通り、小さく細い体つきの幼い顔をした女性だった。

親王の娘だけあって背筋をピンと伸ばし、あごをしっかりと上げ、男に弱みを見せまいと気を張っているようだった。

時平はその上品な(たたず)まいに好感を覚えたが、幼い姿形は似ているがゆえに却ってその人との差異(さい)を強調し、自分の妻となるのはその人ではないことを時平に痛感させた。

二人で緊張して、目も合わせず床の板目ばかりを見つめていると廉子がしびれを切らし

「白湯でもお飲みになりますか?」

と白湯を(うつわ)に注いだ。

時平が器を口に運ぶと廉子は

「どうすればよろしいのかしら?わたくし何も存じませんの。殿方に何もかも任せよと乳母やにも言われましたのよ。」

というので、時平は焦ったが

「とりあえず、寝る準備をいたしましょう。」

と狩衣や袴を脱ぎ下着姿になった。

廉子も戸惑いながらもノロノロと衣を脱ぎ小袖姿になった。

時平はさて、これからどうしたものか?と考えたが、経験がないのはこちらも同じなので、耳勉強したことを実践するしかなかった。

時平がぎこちない手つきで廉子の小袖の下紐をほどき、衣を剥がすと、廉子の痩せて骨の浮いた肩やあばらがあり、その上に僅かに肉の付いた丸い乳房があった。

それを見て時平は醜いとも思わなかったが、美しいとも思わなかった。

強いて言えば何も感じなかった。

ぼんやりとその裸体を眺めながら『で、何をすればいいのか?』と考えていると

「くしゃんっ!」

と廉子がくしゃみをし、寒さで震えだしたので、時平は剥がした衣をもう一度廉子に掛けた。

廉子が下紐を急いでくくったので時平は

「今日はもう寝ましょう」

というと、廉子も脱いだ単衣を再びはおり寒くないようにして二人で並んで横になった。

そんな風に一日目を過ごし、夜が明ける前に時平は家へ帰った。

 二日目の夜も同じように廉子のもとへ通ったが、時平には『今日こそは』という意気込みなどなかった。

女性の肌を見ても裸体を見ても何の欲望も湧かないとなると自分は異常ではないかと心配になったが、かといって無理やり行為をやり終えねば男として恥ずかしいと思い込む程、時平は自分のあるべき性的役割にこだわっていなかった。

『女を抱けなくて周りに笑われても別にどうでもいい』

と自分では思っていたが、権門勢家の長男として子孫は残さねばならない。

無理やりにでも行為をやり遂げ、子孫を残さねば父にも申し訳が立たないと思った。

時平はできるだけ避けたかったが、最後の手段として廉子をその人だと思い込もうとした。

彼女を想像しつつ廉子に口づけてみたが、目を瞑って集中していると気づかないうちに反応していた。

時平が廉子の体を愛撫すると、廉子は吐息を漏らしてそれに答えた。

暗闇での行為はお互いの顔も見えず、ましてや誰を想ってしているかなど相手に気づかれるはずもなく、時平は最後まで行為を終えた。

二人で並んで寝ながら、廉子は自然と時平に身を寄せたが、時平は無意識に寝返りをうち廉子に背を向けた。


 三日目になると、三日夜の餅が用意され露顕(ところあらわし)の祝宴が行われた。

(とどこお)りなく婚礼が終わったので、時平が屋敷を去ろうと門までくると、扇を忘れたことに気づいた。

無くてもいいものだがせっかく気づいたのだからと廉子のいる(たい)に取りに戻った。

御簾の前までくると向こうで、女がすすり泣く声が聞こえたのでそっと御簾を押して覗いた。

廉子が(しとね)に突っ伏して肩を震わせて泣いていた。

時平はなぜか心が痛くなり、自分のせいで泣いているのではないか?と思った。

廉子を愛していない事を悟られたのではないかと。

先に廉子が時平に気づき、シャンと身を起こして袖で涙を拭い

「どうしたのですか。お忘れ物?」

と鼻声で聞くので

「はい。扇を忘れたようで。」

廉子が探しだして御簾の隙間から差し出した。

受け取りながら、勘違いであることを願って

「なぜ泣いていたのですか?」

と時平が問うと廉子は

「愛されてもいない男に捧げたこの身を憐れに思っただけですわ」

と呟いた。

時平は何も言えず黙っていると

「そうでしょう?あなたには他に想い人がいらっしゃるのでしょう?私をその方だと思って抱いたのでしょう?」

と見透かされた。

廉子はフフフと一人で笑い、

「でもあなたは嫌でもわたくしを正室にしなければならない。あなたも可哀想な人ね。その方を側室になさるんでしょう?わたくしへの義務を果たしたんですから。」

時平は低い声でぽつりと

「いいえ。もうあきらめたのです。忘れました。終わったのです。」

廉子が少し弾んだ声になり

「まぁ!じゃああなたもわたくしと同じ立場ね!叶わぬ恋に身を焦がしているのね?」

時平は驚いて御簾越しに廉子を見つめた

「どういうことですか?あなたも他に恋しいお相手がいたのですか?」

廉子は戸惑ったように

「いいえ。わたくしが父に強請(ねだ)った殿方とは無事に結ばれました。ただ結ばれた後、その方の御心が手に入らないことを知っただけですわ。」

時平は申し訳なく思ったが、少なくとも恋しい人と結ばれた廉子を羨ましいと思った。

しかし、自分の心はどうにもならない。

自分の心に強いて廉子を恋することはできない。

「この抜け殻の体でよければあなたに差し上げます。だけど・・・」

「心はその方のものね?」

と廉子はニコリと微笑んだ。

「構わないわ。あなたも耐えてらっしゃるのですもの。わたくしでよければ身代わりに抱いてください。」

時平は一人目の女性がこの人でよかったと思った。

早く彼女を忘れよう、忘れねば廉子に申し訳ないと思った。

(②へつづく)

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