EP298:竹丸と伊予の事件日記「誘惑の濁世(ゆうわくのじょくせ)」 その4
*****【竹丸の日記】*****
次の日、朝政が終わり、狩衣に着替えた若殿が泉丸に会いに行くというのでお伴した。
都の北西にある泉丸の屋敷につくと、相変わらず若い男女でごった返し、侍所で営業してる『比翼連理仲立ち』業は繁盛してる模様。
侍所で御簾のかかった中へ向かって
「ごめんください!大納言とその従者ですが、泉丸どのと面会したいのです!」
大声を出した。
母屋に掛かった御簾から顔だけを出した女性が
「庭を通って主殿に上がってください。主はお待ちしていると思いますので。」
今朝、若殿からの文を届け、予約済みってこと。
庭を通ると、遣水や池の底にドロドロとした赤茶けた土が濁りたまっているのが見え、連日の日照りにあえぐ木々や草花の萎れた様子にゲンナリと暑さが倍増した。
主殿の廊下へと階段を上がり御簾を押して入ると、畳に胡坐をかいた泉丸が、扇ぎながら茶碗で何かを飲んでいた。
「そこに座ってくれ、話を聞こう」
対面する場所に置いてある円座を扇で指した。
相変わらず長い睫毛が縁取る蓮の花のような目は、見る人を惹きつけて離さない魅力がある。
少し彫りの深い目元、澄んだ白目に漆黒の瞳が、クッキリとした二重瞼に包まれる様子は、謎めいた神秘的な異国人を想起させる。
若殿が張り詰めた表情で私を振り返り
「お前は廊下で待っていてくれ。」
ウンと頷き、廊下に出て座り込んだ。
御簾越しに低い声がボソボソ聞こえる。
耳を澄まして盗み聞きに全集中っ!!
若殿の無感情な声。
「あの和歌の意味が分かった。父上の日記を返して欲しい。」
泉丸の楽しそうな興奮を隠した声で
「そうかっ!じゃあ答えを聞かせてくれっ!」
「まず、一首目『春の日の いともかしこき 光なる しのぶもぢずり 陸奥にあり 元慶八年』の意味は、その年に起こった出来事を調べれば答えは簡単だ。
つまり、『陽成天皇の退位』を和歌で示している。
この和歌の内容は、『日の光』つまり『陽』、『なる』は『成』、いとも畏き陽成帝が『みちのく』『道を退く』という意味だ。
陽成帝が起こした乳兄弟殺害という不祥事が退位の理由だが、これには父上が関わったとされている。」
「・・・ふむ。他の和歌は?」
「次にわかりやすいのは『宿りせし 花橘も 枯れはてん 故ほととぎす 声絶えぬらむ 仁和四年』だが、これはこの年(888年)に橘広相どのが父上によって失墜させられた事件(阿衡事件)を詠んだと考えられる。『橘どのの権力は枯れ果てたので、周囲に集まりもてはやすホトトギスたちはいなくなってしまった』という意味だ。」
えぇっっ!!!
じゃあ、寛平御時后宮歌合(寛平初年:889年)のときに、大江千里が詠んだ『ほととぎすが宿っていた花橘が枯れたのなら仕方ないが、そうでもないのにほととぎすの声が聞こえなくなったのは、どうしてだろうか』という和歌は、『橘広相はまだ生きているのに、周囲の取り巻きがいなくなったなぁ』という意味の、大殿への皮肉?それとも手のひらを返した周囲の人々への当てつけ?
だとしたら大江千里!やるなぁ~~~!
大殿が本歌取して詠んだのはその後かも。
感心して納得。
明るい泉丸の声で
「ハハハッ!面白いだろ?関白殿はご自分が手を汚した悪事を和歌に詠んでおられたらしい。では三首目はどういう意味だと思う?」
若殿が絞り出すように
「『常もなき 夏の草葉に 行く人を 命とたのむ 蝉のはかなさ』の貞観十七年 に起こった出来事とは、長年父上と出世を競っていた好敵手で従兄弟の藤原常行殿の死だ。
まさか、これに父上が関わっていると言いたいのか!
そんな筈は無い!四十で亡くなったというのは早すぎると思うが。」
そう言えば全然関係ないけど、藤原常行様と言えば、百鬼夜行の日に女の許へ通って、鬼に捕らわれそうになるも、乳母が準備してた「尊勝陀羅尼」を襟に入れておいて助かったという話で有名。
命がけで女性を愛す、情が深いお方ともいえるが、鬼に喰われるという危険をおかしてまで女色の誘惑に勝てなかった愚かな人ともいえる。
今にも笑いだしそうな泉丸が
「和歌の中に『常』と『行』があるだろう?どうやって手を下し始末したのかは知らないが、蝉のように儚いと詠んでいるじゃないか!調べれば面白い事実が出てくるかもな。」
苦々しい口調で
「わかった。お前の言う通り父上の日記に、公表されては困ることが記してあるのは承知した。で、今その日記はどこにある?この屋敷か?この主殿か?塗籠?厨子棚?長櫃?手箱?・・・・」
若殿が思いつく限りの日記の隠し場所を列挙してる。
なぜ?
(その5へつづく)