EP297:竹丸と伊予の事件日記「誘惑の濁世(ゆうわくのじょくせ)」 その3
*****【竹丸の日記】*****
あれだけしつこくネチネチジトジト想い続けてたのに??
苦しそうに声を絞り出し
「浄見に他の男を知る機会を与えたい。幼いころから私に洗脳され、このまま妻になれば一生、他の可能性を知らずに過ごすかもしれない。それは可哀想だ。」
はぁ?!
カッコつけてるけど、単に、四郎様や泉丸から
『幼女に恋愛感情??!!何コイツキモっ!!』
って思われるのがイヤで、それを見た姫からも
『やっぱりコイツキモっ!』
って思われるかもしれないって心配してるのでは?!
こう見えて、気の小さい、器の小さい人なんだよなぁ~~~!
昔から知ってたけど。
世間では冷酷非道な無共感人間と思われてそうだけど案外、おそらく本人自覚ないけど、常識的で家族思いで優しい、外聞を気にする、ハメを外せない平凡な人なんだよなぁ~~。
冷ややかな薄目の横眼で見つつ
「じゃあ、そう姫に伝えておきますねぇ~~~~!でも、伝えるまでも無くもう、アレかもしれませんねぇ~~~。ほら、四郎様とフツーに付き合ってて、今も枇杷屋敷でイチャついてたりして!」
頭を抱え込んで項垂れてる若殿の姿にニヤッとほくそ笑んだ。
しばらくは凹んだままだろうと考えて、主殿を立ち去ろうとすると、
サッ!
顔を上げ、いきなり
「父上が日記に記したという、この三首の和歌に、どんな意味があるというんだ?」
呟いた。
復活っ?速っっ!!
驚いたけど、確かに気になる!
「大殿が和歌の通り以外の意味を込めて日記に記したという事ですか?」
ウンと頷き
「それにこの日付の意味は?和歌を詠んだ日と内容に何か関係があり、意味が込められているというのか?」
意味が込められてる・・・?
う~~~~ん。
声に出し考えてみることにした。
ブツブツとひとりで呟く。
「ええと、一首目は
『春の日の いともかしこき 光なる しのぶもぢずり みちのくにあり』
・・・・元慶八年(884年)と言えば、私はまだ四歳です。この年に何かあったんですか?
しのぶもぢずり・・・といえば、乱れ模様の摺り衣・・・あっ!春に陸奥で何か乱れたんですかね?乱があったとか?そうだ!蝦夷の反乱?」
若殿は黙ったまま考えこみ、何も答えない。
「次の和歌は、
『常もなき 夏の草葉に 行く人を 命とたのむ 蝉のはかなさ』
貞観十七年(875年)と言えば、私が生まれる前です!何があったのか全く分からないですね。
蝉という名前の人が、夏とか草葉とかいう名前の人に、命乞いをしたのに儚くなった、つまり殺された?とかですかねぇ。」
「・・・・・・・・」
無視っ???!!!
イラっとしたけど
「三首目は、
『宿りせし 花橘も 枯れはてん 故ほととぎす 声絶えぬらむ』
仁和四年(888年)は私が八歳の頃です!ちょうど堀河邸に従者として雇われたあたりですかね。
あの頃は初々しかったなぁ~~~!!
懐かしいなぁ~~~~!
ホラ!私ってまだ子供でカワイイ従者だったでしょ?
同僚から言われませんでした?
カワイイ従者で羨ましい~~~~!的なこと!?」
若殿が
「何かと厄介そうな子供を連れてるな、とよく言われたもんだ。」
こんな時だけシレっと答えた。
アレ?
あることを思い出し
「この和歌って、寛平御時后宮歌合(寛平初年:889年)の際に、大江千里が詠んだ
『やとりせし 花橘も かれなくに なとほとときす こゑたえぬらむ』
(ほととぎすが宿っていた花橘が枯れたのなら仕方ないが、そうでもないのにほととぎすの声が聞こえなくなったのは、どうしてだろうか)
の和歌に似てますね?
大殿の方は『ほととぎすが宿っていた花橘が枯れてしまったので、ほととぎすの声が途絶えてしまったんだろう。』って意味ですけど、書いてある日付を信用すれば、大江千里の詠む一年前ってことで、大殿の方が先に詠んだんですかねぇ。意味も真逆ですし。何か関係あるんでしょうか?」
私の質問にガン無視の若殿が突然
「明日にでも泉丸に会う必要があるな。」
ボソリと呟いた。
(その4へつづく)